カテゴリー「ラテンアメリカ全体」の記事

2015年4月15日 (水)

第七回米州サミットに思う(2)

 

411日のサミット全体会議での様子がネットで出ているが、マドゥーロ・ベネズエラ大統領がオバマ大統領に向かって、身振り手振りを加え、2002年のチャベスおろしを引き合いに出し、米国は我が国の政権崩壊のクーデターに関与してきたではないか、内政干渉の前科がある、お互い敬意をもって接する、と言うなら、私から手を差し伸べる、何時でも会おう、と、やや興奮気味に語っている。ベネズエラを脅威と宣した行政令攻撃は、キューバのラウル・カストロ議長なども展開し、ボリビアのモラレス大統領は米国がキューバに謝罪すべき、とまで言い出し、同席しているオバマ氏の困惑した表情が印象的だ。 

サミットと言うのは、通常は「参加国全てが一致できる共通事案」を事前に事務方で煮詰め、共同宣言の文案を固め、外相会合で承認したシナリオに沿い、必要に応じ政治判断を下す場ではなかろうか。出席者の国内での立場にも配慮せねばなるまい。少なくとも一参加国首脳に対し他参加国首脳が集中砲火を浴びせる会合は異様な気がする。 

共同声明は発表されず、代わって、主催国パナマのバレラ大統領の報告が出された。率直の中にも敬意に満ちた討議が行われ、事前準備したアジェンダの9割に参加35ヵ国が合意した、米州の新たな時代の始まりを告げる、歴史的なサミットだった、としている。アジェンダには医療、教育、エネルギー、環境、移住、治安、市民参加、民主的ガバナビリティーなどが含まれていた。同大統領は、事前に、参加国首脳同士の自由闊達な対話の場にする、と表明していた。

 

サミットの合間に、オバマ氏はブラジルのルセフ大統領とも会談した。彼女は1年半前、米国政府に国賓として招かれたが、米国情報機関による盗聴問題でこれを断ってきた。オバマ氏から直接、再度の招待を受け、今度は応じた。一方国内では、彼女の政党である労働者党(PT)、連立を組むブラジル民主運動党(PMDB)と進歩党(PP)などの有力議員に嫌疑がかかっている国営石油会社(Petrobras)を経由した汚職問題で、支持率が、驚く無かれ、13%にまで急落する、と言う信じ難い状況に追い込まれている。かつて同社も管掌していただけに、国民の57%が、彼女も実体を知っていた、と見ており、63%が彼女への司法捜査を支持している旨の報道もあった。このサミット初日の10日に、前議員3名(PT1名、PP2名)が収監された、とのニュースが入った。

 彼女は昨年10月末に過半数の得票で再選され、第二期目を今年11日に発足させたばかりだ。315日、もう彼女の退任を要求する参加者数が200万人とも言われる大規模デモが行われた。サミット後の帰国翌日の412日にも繰り返された。参加者は半減した由だが、大変な数字で、私などはその展開の速さに驚くばかりだ。1992年に退任に追い込まれたコロル元大統領(在任19903月~928月)の場合、不正蓄財が理由に挙げられた。彼女にはかかる破廉恥罪は報じられていないが、上記の低支持率が気にかかる。

 

オバマ氏は、「繁栄のための同盟」を構成する北部中米三ヵ国(グァテマラ、ホンジュラス、エルサルバドル)、及び同三ヵ国を含む中米統合機構(SICA)加盟諸国の首脳との個別会談にも臨んだ。前者は米国に、経済開発を梃子に同国への不法移民の流れにブレーキをかける計画への協力を期待してきた。他の参加国もサミット期間での首脳外交に余念が無かったようだ。だが中身の報道は、外電を追い掛けてもあまり見られない。

次の第八回サミットは、3年後、ペルーで開催される。その時点では今回サミットを歴史的なものにした主役の、オバマ、ラウル・カストロ両首脳は、いずれも任期を終えている。次期主催国のウマラ氏も同様だ。アルゼンチンのLa Nación紙によると、同国のフェルナンデス大統領は全体会議で持ち時間の8分間を大きく超える20分間、オバマ氏が中座している中で、激しい米国批判を行った、とされる。彼女もサミット出席は今回が最後になる。今回主役の一人、マドゥーロ氏はどうだろうか。 

 

オバマ氏が14日、テロ支援国家のリストからキューバを外し、この決定を議会に送ったことは、我が国でも報道された通りだ。今後の両国間交渉の動きを注視していきたい。

 

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2015年4月11日 (土)

第七回米州サミットに思う(1)

41011日、パナマで第七回米州サミットが開催されている。歴史的サミット、と言われ、開催前から世界の主要メディアが注目し、パナマに集まってきた。我が国のメディアも例外ではない。1994年の第一回以来、初めてのキューバ首脳参加だからこそ歴史的、と言い切る論調に溢れている。10日、全首脳が揃った後、オバマ大統領とラウル・カストロ国家評議会議長が言葉と握手を交わした。両首脳は11日に会談の場を持つと言う。ただ歴史的、と言うのは、コロンビアのカルタヘナで開催された前第六回サミット時、キューバ抜き、との理由により米州サミットの存続自体が危ぶまれた経緯もあり(http://okifumi.cocolog-wbs.com/blog/2012/04/post-767a.html参照)、これが覆ったことにこそある、と言えるかも知れない。

やはり米州サミットとしては初めてのこととなるが、ローマ法王庁もヴァチカン国務長官のパロリン枢機卿を代表として派遣した。ラ米出身の法王(http://okifumi.cocolog-wbs.com/blog/2013/03/post-bd81.html参照)が2013年誕生して初めての米州サミットでもある。そのフランシスコ法王から主催者であるパナマのバレラ大統領宛の「誠実な対話がお互いの違いを克服し共通の善に向かう道を得んことを」とのメッセージは、同枢機卿が開会式で読み上げた。

来月任期満了を迎える米州機構(OAS)のインスルサ事務総長にとっては、最後のサミットになる。彼は「コロンビアのゲリラとの和平交渉が進み、米国とキューバが接近している中での歴史的なサミット」と評した。彼の後任には、ムヒカ前政権で外相を務めたアルマグロ前ウルグアイが決まっている。彼はOAS次期事務総長ながら、1960年代にOASがキューバの加盟資格停止を決めたことを馬鹿げたもの、と言ってはばからない。

その歴史的サミットに欠席したのは、35ヵ国首脳の中で、チリのバチェレ大統領のみだ。社会党のアジェンデ元大統領(1908-73年。在任1070-73年)の系譜であり、是非出席したかったことと思うが、北部を襲った豪雨により甚大な被害を受け、今、国を空けるわけにいかない、と伝わる。加えて、大統領府社会文化局長を務めていた彼女の長男の妻が経営する会社が融資を受ける際に、夫の影響力を利用した疑いが出て、国民の反感が高まっていることも背景にあるように思える。このスキャンダルで、彼女の長男は2月に辞職した。彼女の直近の国民支持率は31%と低迷している。 

前第六回サミットでは、キューバが招かれないことに抗議したコレア・エクアドル、オルテガ・ニカラグア、チャベス・ベネズエラ(当時)各大統領が欠席した。今回は全員が出席している。前回はキューバとマルビナス(フォークランド)の問題で結局共同声明が出せず仕舞いだった。今回も、ベネズエラが、オバマ政権が39日に出した制裁の取り消しを共同声明に入れることを強硬に要求しており、二回連続で共同声明無しのサミットとなりそうだ。 

オバマ大統領は、出席し歓迎を受けたカリブ共同体(CARICOM)サミットが開かれたジャマイカから入った。同地で、米国はラ米とは最良の時代を迎えている、と語った。過去50年余、どの大統領も成し得なかったキューバとの国交回復を目前に控えている。これが実現すれば、米国内の大半と世界から偉業、と称えられることは間違いない。同地からラウル・カストロと電話会談も行った。ベネズエラ問題は、マドゥーロ政権が、人権侵害の責任者への制裁を、米国に対する脅威ゆえの制裁と摩り替えているだけで、大きな問題にはなるまい、と考えていたのだろう。

事実、僅か2日のサミット期間に、次々と首脳会談の要請が入ってきた。サミットの主人公は正しくオバマ氏だ。忙しい日程をこなしている。

サミットと並行して開催されている市民社会フォーラムにも、ソリス・コスタリカ、バスケス・ウルグアイ大統領と共に顔を出した。キューバ市民代表として参加しようとした体制派グループが、やはり参加を認められた反体制派と街頭で衝突、反体制派が参加する以上、同席できない、として、体制派が引き揚げる事件も起きたイベントだ。キューバ反体制派とのやりとりは、外電を追いかけても、どうもよく聞こえてこない。

また、米州開銀(IDB)主催の、世界の著名経営者が集まった経済界フォーラムにもバレラ・パナマ、ルセフ・ブラジル、ペーニャニエト・メキシコ各大統領と共に出た。

                                                                           (続く)

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2015年1月30日 (金)

第三回CELACサミットに思う

米国とキューバの外交関係復活交渉が開始されて間もない12829日の両日、コスタリカのべレンで、ラテンアメリカ・カリブ共同体(Comunidad de Estados Latinoamericanos y Caribeños、以下CELACの第三回目のサミットが開催され、夫々国内問題を抱える数名を除く域内諸国首脳の殆どが出席した。CELACとは、言ってみれば、1964年以来キューバ抜きだった米州機構(OAS)と対照的に、キューバを含み米国、カナダを外した米州共同体だ。今回テーマは「貧困との闘い」だが、最大の関心事は米国の、歴史的と言われる対キューバ政策の変更で、ラウル・カストロ議長も83歳と言う高齢をおして出席した。少なくともラ米十九カ国の首脳なら、全員が出席を望んだ筈だ。

ペーニャニエト(メキシコ)、フェルナンデス(アルゼンチン)、ウマラ(ペルー)、カルテス(パラグアイ)各大統領は欠席した。ペーニャニエト氏は昨年11月の高速鉄道建設の入札にまつわる疑惑、フェルナンデス氏は118日に起きた、彼女を告訴していた検察官の変死事件で国を空けられない事情が有る。前者は3週間前、オバマ大統領を訪問し、米・キューバ間正常化への最大の貢献を申し出たばかりだ。後者はハバナでの前回サミット時、健康問題と国内での難題の最中に駆け付け、且つフィデル前議長と昼食を共にしている。今回欠席は不本意の極みだった、と思う。ウマラ氏は青年労働法改正案を審議するため、自身が召集した特別議会の開催中に不在となることへの是非が問われ、自己の判断で直前に出席を断念した。カルテス氏は執務停滞状況を欠席の理由とする。 

CELAC故チャベス前ベネズエラ大統領の肝いりで201112月に誕生した(http://okifumi.cocolog-wbs.com/blog/2011/12/post-e24a.html)。米国とカナダの北米先進国を交えず、ラ米・カリブ諸国が内外の諸問題に結束して当る共同体、の位置付けだが、OASのような確たる事務局を持った組織ではない。多くの首脳は、域内紛争の解決、域内国家間関係の強化、経済開発推進を追及する、一種のフォーラムと見る。ただ、領土問題を抱える、経済政策が分かれる、人権問題で非難し合う、立場や政見の異なる多様な国々の首脳同士がサミットで同席する。33カ国が結束を深める場となっているのは事実だろう。

ラ米・カリブ諸国は、大半が米国を最大の貿易相手国、投資国と捉える。米国の影響力は、絶大だ。OASの本部もワシントンにある。一方、近年にはこの地域への中国の接近が顕著だ。米国も神経を尖らせていよう。加えて欧州連合(EU)諸国の対ラ米関係深化もある。20131月の第一回サミット(http://okifumi.cocolog-wbs.com/blog/2013/01/celac-eu-35ac.html)の機会に、開催されたチリのサンティアゴに、EU諸国から11名もの首脳が駆け付けた。 

今回サミットでは、メディアはやはり1時間にも及ぶラウル・カストロ議長の演説に注目したようだ。我が国にも伝えられるとおり、米国との国交は再開するが、関係正常化にはグァンタナモの米軍基地一体の返還が必要だ、と述べた。保護国だったキューバとの条約で1903年から120平方キロ、と広大な同地を租借した。租借料は年間2千ドルで、実質的なバティスタ政権時代からは4,085ドルとなり、現在も同額のままだ。革命後のキューバ政府は、租借継続を拒否する、としており、同地の返還を訴えてきた。租借料も受け取っていない。これを言ったものだ。正常化となれば、確かに返還するのが当然だろうが、オバマ大統領であっても、返還は毛頭、考えていない。

CELACサミットは29日、共同宣言を採択して終了した。キューバについては対米国交再開を喜ぶとして、米国に対しキューバ経済制裁の解除やテロ支援国家リストからの削除(いずれもラウル議長が演説で強調)を訴えるに留めた。

 

共同宣言には、その他にも貧困撲滅策の構築、環境保全への行動など、93項目が盛られた由で、主催国コスタリカ外相自身、余りの多さに辟易している、とか、中身により賛同できない国も現れ、結局全会一致での採択に至らなかった旨が、メディア情報にある。この中には、恒例となっているアルゼンチンのマルビナス(フォークランド)領有権主張への連帯も有り、勿体無い気がする。次期持ち回り議長国のエクアドルが、宣言論点の集約に努める方針、と伝えられる。加えて、今回サミットに国連やOASの事務総長が前回同様に出席したとの報道は無い。何となく、軽くなった感じを受ける。

 

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2014年12月13日 (土)

二つのサミット-イベロアメリカとUnasur

129日、メキシコのベラクルスで開催されていた第24回イベロアメリカサミットが閉幕した。スペインの前国王、フアン・カルロス一世の熱意で、欧州と旧スペイン・ポルトガル植民地諸国を繋ぐサミットとして産声を上げた1991年から、毎年開催されてきたが、201310月の第23回サミットには、イベロアメリカ(以下、ラ米で表記)十九ヵ国のうち11ヵ国の首脳が欠席するなど、ここ数年、このサミットの意義と持続性が疑問視されてきた(http://okifumi.cocolog-wbs.com/blog/2013/10/post-6c7f.htmlご参照)

今回のサミットには現スペイン国王フェリペ六世が初めて臨んだ。レベカ・グリンスパン(コスタリカ元副大統領)二代目事務総長も然り。ある意味で重要な会合だった、と言える。それでも6ヵ国の首脳が欠席した。またエルサルバドルのサンチェスセレン大統領は体調を崩し、途中で帰国している。

欠席については、キューバ、ベネズエラ、ニカラグアの3カ国は常連だ。メキシコ及びスペイン両政府は、キューバ政府に対して、ラウル・カストロ議長への、閉会式だけも、との出席説得に努めたそうだが、奏功しなかった。ボリビアにも、23回欠席同様、理由はある。アルゼンチンは今回又してもフェルナンデス大統領の健康問題が背景に有る。何しろ11月下旬にオーストラリアで開催されたG20サミットにすら欠席した。世界主要19ヵ国の一角にアルゼンチンが入っていることを誇る彼女としては、G20への欠席は厳しい選択だったかも知れない。ともあれ、だから少なくともこの5ヵ国については欠席で騒ぐことはあるまい。ただ域内最大国のブラジルも前回同様、欠席だ。気にはなる。

ホスト国のメキシコは、926日に起きた教育大学生襲撃事件に揺れている。何しろ、ゲレロ州イグアラ市の市警が捕縛した43名が2カ月以上も行方不明で、実は彼らを地元の麻薬組織に引き渡した可能性が濃厚となり、麻薬組織に繋がった警察、その背景に市長夫妻有り、とのとんでもない図式が公然と語られる。捕縛前には学生数名が殺害され、行方不明者の内1名の遺体が出て、他も生存が絶望しされている。よく分かっていないことが多いが、これがペーニャニエト政権の責任を問う事態へと発展し、各地で反政権抗議活動が起きている。サミットでは、この件についての指摘は一切行われなかった。

このサミットで、ラ米の2014年経済成長が1.1%の低水準に終わる見通しで、内、ベネズエラがマイナス3%、アルゼンチンはマイナス0.2%で、ブラジルはプラスだが僅か0.2%、との国連ラテンアメリカ・カリブ委員会(ECLAC)報告が披瀝された。OECDのグリア事務局長(メキシコで外相、財務相を歴任)が出席し、太平洋同盟諸国(メキシコ、コロンビア、ペルー、チリ)のように、成長度合いの高い国もある、と指摘しながらも、ラ米は構造改革に取り組むべし、と訴えている。 

12月4日、エクアドルのグァヤキルで南米諸国連合(Unasur)サミットが開会され、5日にはキトに移り、首都圏北部にあるCiudad Mitad del Mundo(赤道直下の町、の意。同名の記念碑で知られる)に4千万ドルをかけて建設されたと言われるUnasur常設本部の開所式が行われた。本部は初代事務総長の故キルチネル前アルゼンチン大統領の名前が冠され、業務は20151月に開始される。上記イベロアメリカサミットに欠席のフェルナンデス大統領は、これには出席し、謝意を述べた。グァヤキルでは、持ち回り議長国のスリナムからウルグアイへの交代式が行われている。

サミットには加盟12カ国首脳の全員が出席した。ただ、チリのバチェレ、ペルーのウマラ両大統領は、キトの行事には出席せず帰国した。またウルグアイのムヒカ大統領もキトには寄らず、メキシコに向かった。79歳と言う年齢を考えて2,850メートルの高地行きを避けたのか、健康問題を理由にしている。

Unasurは、メルコスルとアンデス共同体(CAN)の如く経済統合体を超えた、欧州連合(EU)のような地域統合を目標に創設された(私のホームページラ米の地域統合UNASURALBA、太平洋同盟をご一読願えれば幸いです)。このサミットでは共同宣言文に、功労者たるルラ・前ブラジル、故チャベス・前ベネズエラ大統領、そして上述の故キルチネルを称える文言が入った。ただ組織としての行動が、どうもよく分からない。なるほど、同宣言文に、域内における諸国民の往来、就職、就学の自由に向かう、として、新事務総長のサンペール元コロンビア大統領の持論とされる「ciudadanía suramericana(南米人)」構想を打ち上げた。ただそれに至る道筋は、期限を含め、不明だ。また、防衛協力推進のため、として「南米防衛学校」の創設も決議されたが、時期、規模などはどうなっているだろうか。

出席した各国首脳は演説で、統合の重要性を、石油価格下落に対する処方箋までも含め、縷々述べる。ただUnasurとして組織的に取り得る具体策が出るわけではない。ホストのコレア・エクアドル大統領は、世界における不正義に対抗するためにも地域の結束は不可欠であり、南米統合は後戻りできぬ、としながら、Unasurでは何らかの決議には全会一致が必要で、組織として効果的機能が果たせていない、として、制度改革を訴えた。 

以上、二つのサミットでは、ハバナで行われているコロンビア政府とコロンビア革命軍(FARCとの和平交渉支援への意志が表明された。特にUnasurのサンペール事務総長には、自国の5百万人とも言われる国内難民を生じさせた内戦終結への思いは強い。イベロアメリカサミットでは、20万人の大学生交流計画も、教育・文化交流促進の一環として発表された。加盟諸国首脳が集まる、と言うだけでも、意義深い。だが、どうしても機構、組織面での脆弱さが目に付く。

イベロアメリカサミットは、次回よりは2年毎の開催となる。Unasurには今まで常設本部すら無かったし、議会はボリビアのコチャバンバに建設中の段階で、統合体としてはEUに遠く及ばない。私などはメルコスルとCANとの統合が現実的とも思える。

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2014年7月26日 (土)

習主席の4カ国訪問

プーチン・ロシア大統領によるラ米訪問の一番目の訪問国は、彼と同じくBRICSサミットに出席した習近平・中国国家主席の、ラ米最後の訪問国となった。キューバである。721日夜到着した。翌日、プーチン氏と同様、習氏もフィデル・カストロ前議長と会談の場を持った。副主席時代の2011年の来訪時以来のことだ。最終日の23日、同前議長が弟のラウル現議長らと開始した1953726日のキューバ革命勃発の地、サンティアゴデクーバのモンカダ兵営訪問を終え、同地から北京に出発、10日間にも及ぶラ米歴訪を終えた。プーチン氏のそれは5日間で、帰国するとほぼ同時に、武装した親ロシア派との内戦状態にあるウクライナ東部でマレーシア機の撃墜事件が起き、彼らへの対応を巡り国際的な批判の渦に晒されている。 
 元々、ラ米地域への影響力の浸透ぶりは、中国はロシアを遥かに凌ぐ。実はラ米十九か国中、中国と外交関係の無い(台湾とは有る)国が、
7カ国もある。コスタリカ(20076月から)以外の、パナマを含む中米5カ国とドミニカ共和国、及び南米で唯一パラグアイがそうだ。それでも工業製品のマーケット、鉄鉱石や銅、或いは石油の調達先と、強い補完関係の有るラ米に、中国は強い関心を持つ。
 
習氏は主席になってまだ一年強に過ぎないが、初年にメキシコ、コスタリカ(及びトリニダードトバゴ)を訪問している。今回で、外交関係のある12カ国中、6ヶ国に脚を運んだことになる。隣国日本を無視しながら。ラ米の何が中国を惹き付けるのか。 

 習氏の最初の訪問国はブラジルで、14日に入った。先ずは本来の目的である15日のフォルタレーザでのBRICSサミットに出席、BRICS開発銀行設立を決め、1,000億ドルもの準備基金が決まった。ブラジリアに移り、翌16日、BRICS他メンバーと共に南米諸国連合(Unasur)首脳との会合をこなし、17日、中国単独でラテンアメリカ・カリブ共同体(Celac)のクァルテート(幹事4カ国、とでも言おうか、現在はキューバ、コスタリカ、エクアドル及びアンティーグァ・バーブーダ)を含む計11名の首脳との会合を持ち、計350億ドルものファイナンス供与を約束した。 

次の訪問国はアルゼンチンで、丁度プーチン氏と逆回りの格好だ。フェルナンデス大統領は、BRICS・南米諸国連合(Unasur)サミットで、アルゼンチンのリスケ債務支払を、リスケに応じず100%の返済を要求する一部ホールドアウトの要求を認めるニューヨーク地裁の判事が差し留めたhttp://okifumi.cocolog-wbs.com/blog/2014/07/post-0f28.htmlことからデフォルト危機に陥っている現状を訴えていたが、Celac首脳と習主席との会合には出席せず帰国していた。そこに18日、彼が訪れた。
 
政治的意味合いが強かったプーチン氏の場合と異なり、軸足は経済協力の強化に置かれた。先ず、約70億ドルの借款供与協定が調印された。ロシアの原子力発電分野での協力、とは異なり、この大半は新たな水力発電所2箇所の建設に使われる。その他、食糧輸送に必要な鉄道改修と車両生産、及び船舶建造に向けられる。加えて、中国元とペソのスワップ枠を向こう3年間110億ドル相当とし、アルゼンチンの外貨準備水準強化や二国間貿易推進に充てるための両国中銀間協定も締結された。2001年のデフォルト以来、対外資金借り入れの道を閉ざされ、今も米国でテクニカルデフォルトに直面するアルゼンチンには、心強い協定となる。 

20日、ベネズエラに入った。この国の2013年の対中貿易額は、同国政府によれば192億ドル。習氏は南米第四位の貿易相手国と言っているが、実際はメキシコを含めラ米で第四位(但し、2012年)だ。ともあれ故チャベス前大統領が中国を戦略的パートナーと位置付け、これまで石油の輸出とオリノコ重油開発、インフラ整備でその存在感を高めてきた。現在原油輸出量は日量60万バーレルだが、オリノコ重油開発の進展を睨み、将来的には、米国向け並みの100万バーレルに引き上げようとしている。
 
マドゥーロ大統領によれば、習氏来訪の機会に技術、石油、鉱物、工業、ファイナンス、陸上輸送、インフラ、住宅、農業部門で計38もの協力協定を締結したようだが、アルゼンチンの場合と異なり、メディア情報では中身が判然としない。現在開発中のオリノコ重油の生産本格化を睨み、中国向け原油輸出量を米国並みの日量100万バーレルに引き上げたい、と言う意向が、両国に共通している。
 
なお、2008年からこれまで中国はベネズエラに500億ドルのファイナンス供与を行い、これを日量52.5万バーレルの石油代金で支払い、既に90%分は返済済み、との、ハウア外相の説明が伝わる。 

そして21日夜、キューバ入りした。日本時間の24日の朝日新聞朝刊にも一部出ていたが、ファイナンス、農業、工業、医療、バイオテクノロジー、石油、鉱業、エネルギー、環境、教育、通信技術など、29の協力協定を締結した。詳細は、伝わって来ない。メディアの関心が集まるのは、どうしてもフィデル氏の健康状態であろう。
 
キューバのこれまでの対中債務(金額は不詳)返済を、10年間繰り延べることも取り決められた。キューバと中国の貿易高は25億ドル(2012年、World FactBook)と、規模はベネズエラやアルゼンチンとは桁違いに小さいが、中国同様に、西半球で唯一の共産党独裁国家である。習氏も共通の価値観という表現を繰り返していたが、極めて重要なパートナーと言えるだろう。

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2014年7月16日 (水)

プーチンの4カ国訪問

ウクライナのクリミアを併合したロシアは、先進要8ヵ国(G8)の一角から離れ、主要新興5カ国、即ちBRICSへの傾倒を強めるのだろうか。何しろ国土面積で言えば世界の32%、人口で言えば45%を占める巨大な国家グループだ。世界一、二の人口大国である中国とインド、マーケットとしての存在感は、極めて大きい。世界最大の鉄鉱石産出国のブラジル、世界最大のガス生産国ロシア、共に世界的資源大国で工業も進む。2011年に加盟した南アも資源、工業化の意味でブラジル、ロシアに似る。
 
715日から、64年ぶり二度目の開催だったサッカーのワールドカップをやり遂げたばかりのブラジルで、4年ぶり二度目のサミットが開かれる。次回ワールドカップ開催国はロシアで、前回は南アだった。プーチン氏が決勝戦を見に行く、との話は随分前に聞いていたが、私は、えらく鷹揚な国柄だ、と言う捉え方をしていた。実は、第六回BRICSサミット出席のためだった。習近平中国主席、モディ・インド首相、ズマ・南ア大統領を含め、5ヵ国の全首脳が東北部海岸都市のフォルタレーザに集合し、この機会にBRICS開発銀行を発足させた。ミニIMFとも言うべき最終的には1,000億㌦に達する準備基金で、本部を上海に置く。 

 プーチン氏は、その諸会合に先立ち、キューバ、ニカラグア、アルゼンチンを訪れた。ブラジルは4カ国目だ。 

 711日のキューバ訪問は、ウクライナ軍に死亡者が出る親ロシア派の軍事行動を巡り、米国の対ロ姿勢が硬化した時に行われた。彼は第一次政権(200008年)期の200012月にも訪問し、1991年のソ連崩壊後冷え切っていた対キューバ関係の改善を図っており、今回は二度目となる。200811月には彼の後任のメドヴェージェフ前大統領も訪問し、その後ラウル・カストロ議長のロシア訪問も実現、関係は経済分野を中心に深まって来ていた。今回は、事前に旧ソ連時代の対キューバ債権の90%棒引きと、残る約35億ドルの10年払いと、石油開発などへの投資によるそのレファイナンスの用意を公表していた。ハバナでは、ラウル氏との首脳会談に加え、87歳のフィデル前議長とも再会し、1時間ほど会談した。写真付きでイタル・タス通信だったかが伝えた。 

 キューバに一泊もせず、彼はニカラグアに飛んだ。マナグア空港でオルテガ大統領夫妻らとの短い会談をこなしたが、予定に無かった行程変更だ。革命直後の1980年代、ニカラグア革命政府は、いわゆるコントラ(反革命勢力)との内戦で、旧ソ連による武器支援を受けた。キューバ経由だった、と言われる。ソ連崩壊と期をほぼ同じくして、右派のビオレタ・デ・チャモロ氏に選挙で敗れたオルテガ氏が下野したわけだが、ロシアはデ・チャモロ政権には冷淡だった。2007年のオルテガ政権復帰と共に、プーチン第一次政権期に関係改善をみている。ただ、ロシア首脳がニカラグアを訪問したことはなく、オルテガ氏には喜ばしいサプライズだった、と外電は伝える。 

 ニカラグアを夜発ち、12日朝にアルゼンチンに到着した。私に興味深かったのは、フェルナンデス大統領が約2週間ぶりに、元気な姿で公に登場したことだ。医師団から休養を強く勧められ、79日の独立記念日の行事をブードゥー副大統領に委ね、また、13日のサッカー決勝をルセフ・ブラジル大統領から招待されていたのに、自国代表チームが出るのに、この観戦を断っていた。彼女の健康状態は気掛かりだが、14日、準優勝したアルゼンチンチームの帰国歓迎の場にも姿を現し、メサらと抱擁を交わし、張りのある声で、立派な成績を残し誇りに思うと言っていた。
 話を戻す。12日、プーチン氏との首脳会談をこなし、夜、彼を国賓とする晩餐会を主宰した。これにはムヒカ・ウルグアイ大統領は出席したが、他に招かれていたマドゥーロ・ベネズエラ、モラレス・ボリビア領大統領は欠席した。私には、つい、彼女の健康問題と繋げて気になる。ともあれ、プーチン氏は英国がマルビナス領有権についてアルゼンチンと交渉すべき、との、彼女にとっては心強いメッセージを発した。彼女が3月、ウクライナ問題で、米英が住民投票を無視したことをダブルスタンダード、と言って強く批判したことに触れ、極めて明快な主権論、と評価した。
 一方で、彼女は米国の司法システムで債務返済が差し止めされている状況を説明した、と伝わる。今回双方代表団は原子力協力などの協定を締結した。彼女は、あくまで平和利用に限定したもの、と強調した。 

 彼がブエノスアイレスに一泊したかどうかはメディアの報道では分からないが、13日、リオデジャネイロでワールドカップの決勝戦を見ていた。テレビが映し出す優勝チームへの表彰の場で、ルセフ大統領の近くに居たメルケル・ドイツ首相の姿をご覧になった方も多かろう。実は彼は彼女との会談をリオで持った由だ。その後、ブラジリアに入り、14日、ルセフ氏の正式な歓迎行事に臨み、且つ二国間協議に入った、と伝わる。彼女はエネルギー、港湾、鉄道などの分野で、ロシアの投資を呼び掛け、また国防や科学技術などの協定が締結された。
 中国がラ米との接近に積極的なのは、周知のことだが、ロシアも、協力関係を強化することで、ラ米接近を本格化させようとしているようだ。ラ米十九カ国で、政党ベースを含め、半数で長期政権、という政治文化(私のホームページ中、ラ米の政権地図ラ米諸国の政党模様参照)が、プーチン氏には親近感があるのではあるまいか。 

 BRICSのサミットメンバーは、この後ブラジリアに場所を移し、南米諸国連合(Unasur)、及びラテンアメリカ・カリブ共同体(Celac)首脳との始めての会合に臨む。

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2014年1月30日 (木)

OAS復帰を否定するキューバ

12829日にハバナでラテンアメリカ・カリブ共同体(CELAC)第二回サミットが開催された。一年前にサンティアゴで第一回目が行われたが(http://okifumi.cocolog-wbs.com/blog/2013/01/celac-eu-35ac.html)、その際に参集した欧州連合(EU)首脳は出席者の中に見当たらない。だが、ラテンアメリカ、カリブ全33ヵ国の内パナマとエルサルバドルを除く31ヵ国の首脳が一同に会した。パナマは北朝鮮向け武器問題を抱えており、エルサルバドルは22日の総選挙を控えている(やはり同日に総選挙を控えたコスタリカは、CELACの持ち回り議長をキューバから引き継がなければならず、欠席はできない)。

「国同士で武力を交えることの永遠に無い平和の地域」を「ハバナ宣言」で読み上げた今回サミットは、歴史的、と称えられた、と伝えられる。 

このサミットには、国連の潘基文事務総長が出席した。非同盟諸国サミットに出席した前任者のアナン氏以来、この国を国連事務総長が訪問するのは7年半ぶりだ。全体会合での演説や、フィデル・カストロ前議長への表敬訪問など、よく動いた。一方、インスルサ米州機構(OAS)事務総長も招かれた。インスルサ氏自身は、1996年、チリ外相の立場でキューバ訪問経験はある。今回はOASのトップ、としての訪問だ。1948年の創設からこの方、OASのトップがキューバ入りすることは無かった。キューバのOAS復帰を囃す向きもあったのではなかろうか。ただ、オブザーバー資格であり、彼の動きは殆ど伝わって来ない。

コスタリカ首脳級のキューバ訪問は、フェレール元大統領(立憲大統領としての在任1953-571970-74)が現役を離れていた1962年以来のことだ。持ち回り議長国の引継ぎが無ければ、どうだっただろうか。

チリからは、ピニェラ現、バチェレ次期大統領の二人がやって来た。27日、ハーグの国際司法裁判所がペルーとの領海に関わる訴訟でペルーに有利となる裁定を下した。私はCELACの場とは言え、ウマラ・ペルー大統領との同席を望むか気になった。チリは、ハバナにおけるコロンビア革命軍(FARC)とコロンビア政府との和平対話立会い国を務めており、欠席は有り得ない、との思いはあった。結果として、この裁定をチリが認め、対ペルー領海問題終止符宣言を行ったことで、杞憂に終わった。ハバナでは、記者団の前で両国首脳が握手している。 

昨年10月、フェルナンデス大統領が慢性硬膜下血腫の除去手術以来、暫く入院し、一旦復帰したが、1210日以来公の場に姿を見せていなかった。1月下旬の再復帰後間もなく、アルゼンチン・ペソが大幅に下落した。その中にあって、CELAC開催の3日前にハバナ入りし、2日前にフィデル・カストロ前議長と昼食を共にした。アルゼンチンでは昨年の中間選挙で与党の議席が減少、2015年の大統領選に彼女が憲法改正をしてまでも連続三選を目指して出馬する、というシナリオは無くなった。多少、気落ちしているのだろうか。

一方のフィデル氏だが、潘基文氏の表敬を受けた他、ルセフ・ブラジル、ペーニャニエト・メキシコ領大統領とは個別に、またオルテガ・ニカラグア、モラレス・ボリビア及びコレア・エクアドル各大統領とは合同で面談の場を持った。確か、マドゥーロ・ベネズエラ大統領とも会っている。一様に、彼が元気で、記憶力が良く、よく喋る、と語る。 

昨年末、南アのマンデラ元大統領葬儀に参列したラウル・カストロ議長が、同席していたオバマ米大統領と握手を交わしたこと、加えてフィデル・カストロ氏がこれを高く評価したことで、対米関係改善の兆し、と捉えた向きも多かった。その直ぐ後に、キューバ国民の米国移住に関する協定が結ばれた。もっと言えば、昨年2月来、キューバ国民の外国旅行制限が大きく緩和されている。個人による新車購入も解禁された。人権問題を理由に続いてきた欧州連合(EU)の共通外交政策が(ホームページ内のラ米の政権地図左派政権の国々ご参照)、近々解除される方向にある。そんな中で米国は半世紀にも亘り、国際的非難も馬耳東風と、執拗にキューバ制裁を継続してきた。

米国が目の敵にするカストロ兄弟は、87歳と82歳である。キューバの自由化を目的とする制裁だが、キューバは明らかにその方向に進んでいる。CELAC33ヵ国全てが、米国によるキューバ制裁を非難している。国連総会でも、毎年、非難決議が繰り返されている。CELACサミットを、歴史的成功、と言われるほど、こなした。オバマ政権こそ在米キューバ人の里帰りや家族送金の規制を撤廃したが、継続される保証は無い。今、米国民のキューバ渡航自由化の動きが囁かれてはいるが、その実現までは、米国の今年の中間選挙の結果を見ないことには、楽観できまい。 

キューバ政府はあくまでCELACの持ち回り議長国として「外交上の礼儀で」OAS事務総長をキューバに招請した、との立場は崩していない。キューバの方から、米国が強い影響力を及ぼすOASに、半世紀もの間追放され続けたことを恩讐の彼方に、復帰する、とは言えまい。次回米州サミットの際、何らからの動きを期待したい。

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2014年1月10日 (金)

2014年ラテンアメリカ選挙(2)

54日、コロンビアの大統領選に先立って、パナマの総選挙が行われる。同国議会は小選挙区26、中大選挙区(比例代表性採用)45の計71議席で構成されるが、議会のホームページを見ても、私には夫々の選出議員の区別が付かない。ただ、2009年選挙の獲得議席数と現在の所属議員を比較すると、その変貌には驚かされる。

 「民主変革(CD)」:1236議席で、三倍増

 「パナメニスタ党(PAN)」:1912議席

 「民主革命党(PRD)」:2217議席

 他の4党:85議席

 無所属:100議席 

無所属が多かったことの他、他のラ米諸国には珍しい小選挙区の存在で、議員が任期中に多党に鞍替えし易いことが挙げられよう。

前回選挙では夫々CDPANは他2党と共に「変革同盟」を組成し、マルティネッリ大統領当選を実現させた。今回の大統領選には両党が夫々ドミンゴ住宅相(51歳)、及びバレラ副大統領(50歳)を出馬させる。後者は20118月の変革同盟離脱まで現政権の外相を務めた。辞任後も、民選の副大統領の地位は保持できる。

PRDからはナバロ元パナマ市長(52歳)が出馬する。その他にも創設されて間もない「拡大戦線(FA)」から建設業労組のロペス事務局長(59歳)と、ほか無所属系3名も立候補する。

この国の大統領選では、ラ米で一般的な決選投票が無いことをマルティネッリ現大統領が嘆いていたが、今回選挙でどうなるか、加えて各候補者の有力度を測る世論調査についても、現時点では私は情報を掴んでいない。 

105日には、ラ米最大国のブラジルが総選挙だ。「労働者党(PT)」のルセフ大統領(66歳)の連続再選の可否、最近では彼女が決選投票に進むことなく勝利するかどうかが注目されている。カリスマ性が強い前任者でPT創設者のルラ氏ほどではなくとも、国民の6070%高支持率は、しかし、公共交通料金引き上げを切っ掛けに全国規模に広がった201367月の抗議デモ頻発で、褪せた。

現段階で出馬が決まっている有力候補には、他に、「ブラジル社会民主党(PSDB)」からネヴェス前ミナスジェライス州知事(53歳)、「ブラジル社会党(PSB)」からカンポス・ペルナンブーコ州知事(53歳)がいる。立候補締め切りは6月末なので、他に誰が出るか分からないが、前回選挙でルセフ氏と決選投票で争ったPSDBのセラ元サンパウロ州知事は出ず、また環境問題で国際的にも名前が知れ、前回選挙に元々所属していたPTを離れ得票率で第三位に付けたシルヴァ氏(女性)は、今回はカンポス氏支援に回る。最新の世論調査では投票相手として、ルセフ氏が4割台、ネヴェス氏が2割台、カンポス氏が1割台となっているが、これからも立候補者が次々に出てくるので、先走った見通しは控えたい。

ブラジル議会は、任期4年の下院はラ米で一般的な比例代表制(27ブロック単位)を採るが、同8年で、毎回半数選出の上院は27ブロック毎に、3議席ずつを配分する選挙区制が特徴となっている(うち1名は個人ベースで、最多得票者が選出される小選挙区)。ともあれ、多党ぶりが目に付く。下院513議席を18党・ブロックが分け合う。81議席の上院も16党が分け合っている。下院で二桁の議席を擁するのが14党もある。敢えて五大政党を記すと;

 PT:上院12議席、下院88議席

 ブラジル民主運動党(PMDB):同2176

 「進歩党(PP)」ブロック:同558

 PSDB:同1245

 「民主社会党(PSD)」:同142

であり、合わせても上院51議席、下院309議席でいずれも六割を占めるに過ぎない(議席数はブラジル上、下院の夫々のホームページによる)。誰が大統領になろうと、多党との連携は不可避だ。逆に、例えば、下院議席数で第8番目の政党のPSBの候補にも大きなチャンスが出る。 

105日にはボリビアでも総選挙が実施される見込みだ。前回選挙は2009年1月の新憲法制定を受けた形で、同年12月6日に行われた。それまでモラレス大統領の任期を僅か1ヵ月半に控えてのタイミングで、決選投票のことを考えれば極めて窮屈な日程だった。ただ、上記日程は5月末までに確定されるようだ。新憲法では、大統領任期が5年(以前は4年)、一度に限り連続再選可能(以前は禁止)、とした。20134月、最高裁判所が、モラレス大統領は、今期を新憲法下の第一期とし、2014年選挙までの連続出馬が可能、との判断を下した。

議会状況は、ベネズエラに似る。圧倒的政権与党、「社会主義運動(MAS)」が同国の「統一社会党(PSUV)」が、これへの対抗軸としての野党連合が「ボリビア進歩計画連合(PPB-CN)」が同国の「民主統一会議(MUD)」に相当しよう。ただ決定的な違いは、2009年選挙時に組成された野党連合が、2014年選挙では分裂、つまり一期だけで終わりそうな状況下にある、ということだ。

現在の議会勢力で見ると、MASの議席数は上院定数36の内の26、下院定数130の内の88を占める。これに対しPPB-CNは夫々1037に過ぎない。上院は全国9県ごとに4名ずつを比例代表で選出する。下院は比例代表60議席、小選挙区70議席(内7議席は先住民特別枠)に分かれる。MAS議席中、小選挙区選出の2名がMASを決別した「恐れない運動(MSM)」に移動し、先住民特別枠にMASから出た6名が離脱を表明している。それでも、MASの圧倒的強さには変わりない。

大統領候補は、正式には未だ出揃っていない。PPB-CNの行方もある。 MASのモラレス氏(54歳)が連続再選を狙うのは間違いなかろう。議会第三党とは言え、議席数が僅かに3の小党、「国民連合(UN)」は、2003年に同党を創設したドリアメディーナ氏(61歳)の出馬が、PPB-CN の一角にある「国民革命運動(MNR)」(1952年のボリビア革命を起こした。私のホームページからラ米の革命ボリビア革命参照)と組むことを含め、取り沙汰される。

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2014年1月 7日 (火)

2014年ラテンアメリカ選挙(1)

2013年には、エクアドル、パラグアイ、ホンジュラス、チリの4カ国で大統領と国会議員を選出する総選挙が、また、ベネズエラで大統領選、アルゼンチンで議会中間選挙が行われ、5カ国の大統領が決まった。ホンジュラスの大統領選結果については、セラヤ前大統領は選挙無効を事実上取り下げ、不承不承ながらもエルナンデス候補の勝利を認めた。一方で、ベネズエラでは野党候補だったカプリーレス氏は、勝者でとっくに大統領に就任し国際的にも認知が浸透しているマドゥーロ氏を、大統領として認めていない状況にある。 

ここで確認しておきたいが、ラ米では総選挙が一般的だ(私のホームページからラ米の政権地図ラ米諸国の選挙制度をご参照願いたい)。上記ではベネズエラと、部分的にはアルゼンチンが例外だ。また、大統領選では第一位の候補者が一定の得票率(大半が50%+1票)に満たない場合、決選投票に進む。上記ではパラグアイ、ホンジュラス及び、ここでもベネズエラが例外となる。

2014年は、コスタリカ、パナマ、ブラジル、そしてボリビアの4カ国で総選挙が、エルサルバドルで大統領選が、コロンビアで議会選と大統領が行われ、6カ国の大統領が決まる。総選挙で無い点で2カ国が、決選投票が行われないことでパナマが例外だ。 

22日、コスタリカでは総選挙が、またエルサルバドルでは大統領選挙のみが行われる。後者は大統領任期が5年に対し、国会議員任期は3年なので、ラ米では変則的と言える。決選投票に進むのは、第一位の候補者の得票率が、前者は40%以下、後者が50%以下の場合だ。 

コスタリカの与党、「国民解放党(PLN)」は、アラヤモンヘ・サンホセ市長(56歳)を出馬させる。国会における同党の現行議席は全57議席中24、少数与党だが、世論調査では最有力候補、となっている。

彼を僅差で追うのは、議会では1議席だけの「拡大戦線(FA)」から出馬するビジャルタ議員で、36歳、と非常に若い。

議席数では11で最大野党の「市民行動党(PAC)」からは、政治学者のソリスリベラ・コスタリカ大学教授が、伝統政党だが議席数6と低迷する「キリスト教社会統一党(PUSC)」からはピサ元社会保険庁長官が出るが、世論調査では人気は今ひとつのようだ。

議会第三党で10議席を有する「自由運動(ML)」のオットーゲバラ元議員(53歳)は、2002年から連続4度目の出馬となる。 

エルサルバドルの与党「ファラブンドマルティ解放戦線(FMLN)」も全84議席中31の少数与党だ。同党からは、現フネス大統領とは異なり、内戦時代のゲリラ闘士として知られるサンチェスセレン副大統領(69歳の)を出馬させる。

対抗するのは、FMLNを差し置いて33議席の議会第一党、「国民共和同盟(ARENA)のキハーノ現サンサルバドル市長(67歳)、及び、前回議会選を前にARENAを離脱した勢力が中心になって創設し11議席を得た「国民統合大同盟(GANA)」から出馬するサカ前大統領(48歳)の二人に絞られる。前職者が再出馬するのは現1983年憲法下ではサカ氏が初めてとなる。 

39日にはコロンビアの議会選挙が行われる。大統領選挙はそれから2ヵ月半を過ぎた525日に行われる。

「国民社会統合党(la “U”)」は上院全102議席中25、下院全164議席中49(いずれも同党のホームページによる)で議会第一党だが、現行の「国民連合(UN)」で見ると、夫々80139議席とされる。議会第二、三党の保守党(夫々2236議席。出所はWikipedia)の大半と自由党(同1738議席。同)、急進改革党(同716。出所は同党ホームページ)が参加する。la “U”から出るサントス大統領(62歳)の連続再選に、UNとしての支援が確定されるだろうか。

何故かと言えば、UNの枠組みは、ウリベ前大統領(la “U”創設者)が、サントス氏を大統領に担ぎ出す際に出来たもので、今ハバナで行われているコロンビア革命軍(FARC)との和平対話に反発するウリベ氏がサントス政権と袂を分かち、「ウリベ民主センター(UCD)」を結成(従って議席数はゼロ)し、ここからla “U”の元上院議員だったスルアガ前蔵相(52歳)を出馬させるからだ。最近の世論調査によればサントス氏に次ぐ第二位に付けている。勝てばFARCとの和平対話は直ちに止める、と公言する。一方、サントス氏は和平を結実して選挙を有利に進めたいところだ。

小党ながら「代替民主の極(PDA)」(議席数は上院5、下院5)のロペス党首(女性。62歳)や、「緑の同盟」(同53)には予備選次第だが、ペニャロサ元ボゴタ市長(59歳)もいる。

 

(続く)

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2013年10月25日 (金)

イベロアメリカサミットに思う

これまた旧聞だが、101819日にパナマで開催された第二十三回イベロアメリカサミットには、ラ米十九ヵ国首脳の内の11名が欠席した。2011年のアスンシオン(パラグアイ)での第二十一回サミットと同数だ。十九ヵ国中11カ国もの首脳が欠席しては、存在価値が疑われても仕方が無い。この点は当ブログでもhttp://okifumi.cocolog-wbs.com/blog/2011/11/tantas-cumbres-.htm報告した。アスンシオンの後のカディス(スペイン)で開かれた第二十二回サミットへのラ米首脳の欠席は、当時米州内統合体で資格停止処分を受け、サミットに招かれなかったパラグアイを除き、6ヵ国に減った。二十一回サミットの首脳欠席国の内、ブラジル、コロンビア、コスタリカ、エルサルバドル、ホンジュラス、ドミニカ共和国5カ国首脳は、出席に名を連ねた。

その内のブラジルは、言うまでも無くラ米随一の大国だ。他5ヵ国が今第二十三回にも出席しているのに、ブラジルは欠席に戻った。 

イベロアメリカサミットについては、キューバ(フィデル・カストロ前国家評議会議長が健康問題で実質的に退任した2006年以降)、ベネズエラ(故チャベス前大統領がフアンカルロス・スペイン国王に諌められた後の2008年以降。当ブログのhttp://okifumi.cocolog-wbs.com/blog/2010/12/post-2965.html参照)及び、ニカラグア(理由は分からないが、2009年以降)が欠席の常連だ。

キューバには、ソ連崩壊の1991年の第一回以来この統合組織に入って、国際社会での決定的孤立を回避できた、という意味で、非常に重要な筈だ。このサミットでは、都度、米国による同国への禁輸を非難する声明を出している。ただ首脳があまりにも老齢であり、その度のサミット出席には難があった。だからこれら3ヵ国が同じ目線でこのサミットを見ているとは思えない。 

ともあれ、上記3ヵ国を除く16カ国で今回サミットに首脳が欠席した8ヵ国を見てみよう。 

第二十一回から3回連続で欠席したのは、アルゼンチン、ウルグアイの2ヵ国のみだ。前者のフェルナンデス大統領は、第二十二回の時は健康不安問題があり、今二十三回は直前の108日、頭蓋骨腫の摘出手術を受け、一月間の術後療養中で、来る27日、同国では下院議員半数、上院議員3分の1を改選する中間選挙があるのに与党の「勝利戦線(FpV)」応援活動もできない。先日同国を訪問した隣国のモラレス大統領すら面接が叶わなかった。第二十一回は夫の故キルチネル前大統領の喪中にあったし、第二十二回も健康不安を抱えていた。マルビナス(フォークランド)領有権問題でアルゼンチン支持を声明で謳い続けている同サミットを、彼女がないがしろにするとは、考えられない。後者のムヒカ大統領は、77歳の高齢でもあり、そうそう外遊はままなるまい。だが二十一回サミットは隣国で開催されていた。イベロアメリカサミットに恬淡としていることは知られる。

ボリビアとエクアドルは、言うまでも無く欠席常連3ヵ国と共に米州ボリーバル同盟(ALBA)を形成する。だが同サミットには、出席常連国だった。前者のモラレス大統領は、確かに、先住民の自分はスペイン国王と同席するのは気が進まぬ、と公言こそすれ、ずっと出席して来た。今回サミットには、その国王が健康状態を理由に欠席したのに欠席したのは、ロシアからの帰国途中にスペイン政府から「無礼な」仕打ちを受けた(その後謝罪を受け、一応公的には関係を修復)記憶が生々しい。今回サミット出席は何となく気が乗らなかったのではなかろうか。後者のコレア大統領の同サミットへの評価は、一寸分かり辛い。 

聊か気になるのは、ブラジルのルセフ大統領だ。彼女の前任者ルラ前大統領が積極的な参加者だったのに、彼女が就任した年に、しかもメルコスル原加盟国で隣国のパラグアイで行われた第二十一回サミットに、フェルナンデス、ムヒカ両首脳共々、欠席した。彼女にとって良いデビューの機会だった筈だ。二人とは異なり、前回サミットには出席した。今回サミットのタイミングに米国に国賓として招かれた彼女は、内部や個人的な連絡を含め、電話やメールが同国の安全保障局(NSA)に盗聴されていたこと、またそれをきちんと説明するようオバマ大統領に申し入れたにも拘わらず、一切の弁明も謝罪も得られなかったことで、これを辞退した。私の単なる推測だが、ワシントン訪問の途次パナマ立ち寄る計画だったのではあるまいか。だとすれば、このサミットに対する捉え方が軽い、と言うことになる。

もう一つ気になるのは、ピニェラ・チリ及びウマラ・ペルー大統領の欠席だ。前者は、成程、総選挙を2ヵ月後に控える。だが外交は与党の得点稼ぎにプラスの筈だ。また後者は、出席したいが叶わない、とのコメントを出してはいる。しかし、太平洋同盟4ヵ国が割れた格好になってしまった。加盟を間近に控えたコ/スタリカ、及び加盟意向を鮮明にしているパナマも、メキシコとコロンビア共々サミットに出席した。太平洋同盟についてはつい先日、モラレス・ボリビア大統領が米州分断を諮る米国の陰謀、と決め付けたばかりだが、スペインも加盟に関心を抱き、カナダや欧州連合(EU)の関心も高い。結束を見せつける場を放棄したようなチリとペルーの欠席には、意外感がある。

残る1ヵ国が中米随一の人口を抱えるグァテマラだが、ペレスモリーナ大統領はデビュー年の第二十二回サミットにも欠席した。彼は麻薬の免罪化に熱心で、先頃の国連総会でも、これを訴え、マリフアナ消費の合法化を進めるウルグアイと米国の2州の動きを肯定的に評価、国際社会の麻薬に対する見方を変えるべきだ、と主張していた。だが、イベロアメリカサミットへの評価は分からない。 

話を戻して、結果的に、ラ米十九ヵ国で首脳欠席は、政治姿勢で言えば、左派5ヵ国全て、中道左派が4ヵ国、右派が2ヵ国となった。左寄り政権の大半が欠席、右寄りの大半は出席、とは言えるかもしれない。民族的に先住民乃至アフリカ系比率が高い諸国の首脳の多くが欠席した。だがヨーロッパ系比率が高い諸国もコスタリカを除き軒並み欠席だ。人種構成では単純化は避けよう。

イベロアメリカサミットの存在意義自体が、キューバとアルゼンチンを除くと、聊か分かり難い。地域統合体でもない。きょう日、欧州連合(EU)との掛け橋でもあるまい。私にはこれが23年間も続いたこと自体が不思議に思える。米州サミットの方がまだ分かり易い。イベロアメリカサミットは、ちゃんと本部をマドリードに持ち、国際的に知名度の高いイグレシアス前米州開発銀行(IADB)総裁が事務局長を10年近く努めて来た。だが、米州サミットの事務機関でもあるOASほど組織化されているわけでもない。それでも、見守って行きたい。

2014年にベラクルス(メキシコ)で開催される第二十四回サミットからは、2年毎のサミットになる。米州サミットの頻度より高いことに変わりは無い。なお、事務局長も改選され、運営費負担割合はスペイン、ポルトガル分が従来の7割(!)から6割に引き下げられる。

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