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2016年6月27日 (月)

リコールと対話と-ベネズエラ

624日、ベネズエラでマドゥーロ政権のリコールを請願する署名の有効化手続きが終わった。世界最悪のインフレ、深刻な物不足による国民の生活の困窮の経済危機の責任を問うものだ。署名し、且つ全国選挙評議会(CNE)の検証により認証された有権者が、CNEが設定した全国300箇所の「有効化センター」に出頭して行うものだが、全国の有権者の1%に当る20万人分の有効署名が集まれば、次の段階(同20%相当の400万名分のリコール賛成の署名集め)に進める。有効署名数は、最終的に41万近くとなった旨、リコールを推進している野党連合、「民主統一会議(MUD)」のリーダーである前大統領候補、カプリーレス・ミランダ州知事が明らかにした。だがCNEから特段のコメントは、本日現在、伝わって来ない。

それより2ヶ月近く前の52日、MUDCNE196万万人分(610日付けでAP電スペイン語版が伝えたCNE発表の数字から計算)のリコール請願署名を提出した。CNEはこの検証作業に1ヶ月以上かけ、135万人分を認証した。他は死亡者、投票不能、罪人、若年、或いは他要件を満たさない、として排除した。昨年12月の議会選で、議席数で3分の1の少数与党に陥った「ベネズエラ統一社会党(PSUV)」の政権側http://okifumi.cocolog-wbs.com/blog/2015/12/post-73f9.html は、これらを虚偽署名、と断定し、これを大量に集めたMUDのリコール請願自体の取り止めを司法に訴えた。一方MUD側は、カプリーレス知事が排除対象者には自分を含む反体制派政治家もおり、CNEによる作業は不透明、と批判している。外電報道だけを頼りにしている私には、MUDが必要な署名の10倍もCNEに出した理由も、実際に虚偽署名集めの批判への反論の無さも一向に理解できない。ともあれ常識的には次の段階に進める筈だ。

リコール投票に入れば、彼の2013年大統領選での得票数を超える賛成票で、マドゥーロ失職が決まる。だが新たな大統領選に移るには、リコール実施は彼の本来任期の2019110日より2年前まで、つまり17110日まで、が必須だ。その後だと、彼が任命した副大統領が大統領を代行することになり、実効性が失われる。請願署名400万を集めた後、これをCNEが認定し、90日後のリコール投票を告示、というプロセスを考えると、本当にできるのか、疑問にも思う。欧米メディアはCNEも司法の最高機関、最高裁判所も、政権寄り、と伝える。 

5月末、南米諸国連合(Unasur)主導で政権側と反政権側との話し合いを模索する試みが、スペインのサパテロ前首相、ドミニカ共和国のフェルナンデスレイナ前大統領、及びパナマのトリホス元大統領を国際委員会の調停者として、ドミニカ共和国のサントドミンゴで行われたが、結局、調停者と夫々の代表者との個別会合になった。MUDは、実効性を念頭に2016年中のリコール投票実施、政治囚解放を話し合いの前提条件にする。

621日、米州機構(OAS)の常設評議会で、サパテロ氏がベネズエラ国内での対話の必要性について語ったが、MUDは、司法が立法府の決議を否定し行政の言いなりの、三権分立を侵害している現状を無視しており、リコールには触れないことを非難する。その一方で、マドゥーロ氏は国際委員会の努力を評価し、MUDに対話を呼び掛ける。だがリコールについては2016年内には有り得ない、と繰り返す。

その3週間前の531日、OASのアルマグロ事務総長は、ベネズエラに米州民主憲章の、最悪の場合当該国除名に繋がる「民主主義を損ねる立憲上の変更の存在」を適用すべく、623日に常設評議会臨時会議を招集し、そこで適用理由を述べる報告書を提出する、と発表した。彼はリコール投票実施と政治囚の解放を求める立場だ。ベネズエラ側は一主権国家の国内問題に韜晦し、事務総長職権を逸脱している、として臨時会議自体の取り消しに動いたが、結局開催された。だが、票決は行われずに終わった。 

上述のサントドミンゴでの国際委員会と政権側、藩政権側との個別会合の後、64日に6月早々、サパテロ氏がハバナで、14年の懲役刑で服役中の反政権側リーダーの一人、ロペスに面会した。それまで各国の著名政治家が果たせなかったことだ。同時に、ハバナで開催された第7回「カリブ諸国連合(25カ国で構成)」サミットで、上記の対話の努力を支持する旨の声明が発せられる。理解、対話及び憲法遵守の手続きの全ての努力"への支持、と表現された。主催国のラウル・カストロ議長、マドゥーロ、ソリス(コスタリカ)、サンチェスセレン(エルサルバドル)、メディーナ(ドミニカ共和国)各大統領が出席した首脳、として名が挙がっている。

いがみ合うのではなく対話で解決して欲しい、との国際社会の声は心地よい。ただ対話は、リコール投票手続きの中止、或いは実効性の無い2017110日以降への先延ばしに繋がりかねない。

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2016年6月25日 (土)

コロンビア政府・FARC間停戦協定調印

623日、世界中の耳目を集めた英国の欧州連合(EU)離脱の国民投票の只中、コロンビア政府とコロンビア革命軍(FARC)の停戦協定がサントス大統領とFARCの最高指導者のロンドーニョ司令官(通称「ティモチェンコ」)との間で、201211月からの交渉場所、ハバナで調印された。我が国でも主要メディアが大きく取り上げた。

調印式には潘基文・国連事務総長、和平プロセス保証国(キューバとノルウェー)からは前者がラウル・カストロ国家評議会議長、後者はブレンデ外相が、同立会い国(ベネズエラ及びチリ)からは、前者がマドゥーロ、後者はバチェレの両大統領が、そして、ペーニャニエト(メキシコ)、サンチェスセレン(エルサルバドル)、メディーナ(ドミニカ共和国)の各大統領も出席した。

国連は今年125日、安保理事会が和平最終協定調印後の和平監視団を決議した。バチェレ氏が今回の停戦協定調印を「コロンビアのみならず我が米州全体にとり歴史的な一瞬」とコメントしたような、今回協定の重要性に鑑み、事務総長出席、となったものだろう。首脳出席が無かった米州各国からも次々に祝意が寄せられていることを伝えている。

保証国、立会国以外で出席した首脳では、メディーナ氏はラテンアメリカ・カリブ共同体(CELAC)の持ち回り議長を務める。上記バチェレ氏コメントと同じ意識が為すものだおう。ペーニャニエト氏は、太平洋同盟の盟主の意識もあろうし、コロンビアから米国への麻薬回廊として苦しんでいる背景もあろう。サンチェスセレン氏はエルサルバドルの「ファラブンドマルティ国民解放戦線(FMLN)」のゲリラだった人で、19921月の政府との和平協定を経てFMLNが政党に移行し、2009年には政権を担うようになった歴史の体現者だ。今年4月始め、サントス氏が同国を訪問、和平プロセスへの協力を取り付けていた。 

コロンビアのFARCとの対話について私はブログでは昨年7http://okifumi.cocolog-wbs.com/blog/2015/07/farc-a0e2.html以降、書いて来なかった。ここで紹介した和平最終合意までの猶予は4ヵ月、との昨年7月のサントス大統領の突きつけは、本人が同年9月にハバナに赴き、ラウル氏立会いでFARCのロンドーニョ氏と初めて会談を持ち、今年の323日まで、に延長していた。武力抗争で22万以上の死亡者、600万以上の国内避難民を出したFARCの戦闘員や幹部に対する困難な司法判断が関わり最大の難関とされた内戦被害者への償いの問題は、昨年末に決着を見た。だが、武装解除と調印する最終和平協定の最終承認を巡り、議論は続き、上記の期限は過ぎていた。

武装解除とは、一定期間に、特定の場所(数十箇所とされる)でFARCが武器を引き渡すメカニズムを指す。その後、武器は破壊され、溶かされ、平和のモニュメント建造に使われる、と言われる。FARCが自衛の場合を除き国軍に対する一方的停戦に入って久しい。国軍もFARCへの戦闘行為は控えている。双方向での完全な停戦に、FARCの武装解除は不可欠だ。FARCが懸念するのは、10年前に武装解除した、とされる自警団(パラミリタリー)の後継武装勢力のFARCメンバーに対する攻撃のようだ。武器引渡しに国連機関の関与は決まっている。それでも、安全面での対策作りに時間が掛かったのだろう。

協定の最終的承認は、国民投票で行われる。FARCは、憲法改正が不可欠との立場を貫いて来たが、512日の合意文書で、現行憲法の枠内での国民投票を認めることを確認した。司法分野では検事総長自身がFARCメンバーへの懲罰を強く主張しているし、ウリベ前大統領のように、和平プロセスを批判する政治勢力も無視できない。あと2年強でサントス政権は終わる。和平協定発効から武装解除、政党活動開始、20183月に予定される次の議会選参加を考えると、FARCに残された時間は少ない。実を取ったのだろう。 

政府は国民投票を遅滞無く進めるための「和平特別法案」を議会に提出していたが、66日に承認された。その前段階で、その正統性判断を憲法裁判所に仰いでいる。そして、サントス大統領はFARC との和平最終協定調印を、それも720日に、今度こそボゴタで行う、と言明した。政府にとって、もう一つのゲリラ、国民解放軍(ELN)との和平プロセスが次の大きな課題となる。こちらは、一向に進んでいない。FARCとの最終協定の実相をELNが見守っているのかも知れない。

英国が離脱を決めたばかりのEU、そして左翼ゲリラに厳しかった米国のいずれも、和平後のコロンビアへの支援を打ち出し始めた。和平が成っていない現状でも、コロンビアは経済成長を続けている。当然の動きだろう。

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2016年6月10日 (金)

ケイコの敗北-ペルー大統領選決戦投票

65日のペルー大統領選決選投票の結果は、全国選挙審議会(JNE)の発表を以って正式、となる。これを書いている610日(現地9日)の段階では発表されていないが、現地9日に全国選挙管理事務所(ONPE)が国際選挙監視団に伝えた通り、「変革へのペルー人(Peruanos por el Kambio、以下PPK)」のペドロ・パブロ・クチンスキー候補(以下、クチンスキー)の勝利は動くまい。「大衆勢力(Fuerza Popular、以下FP)」のケイコ・フジモリ候補(以下、ケイコ)の二度目の挑戦は、結局敗北に終わることになる。

それにしても、未集計の0.177%を除いても、投票総数1,831万票で、二人の得票差は4.13万、率にして0.244ポイントの僅差だ。54年も前の1962年に「アプラ党」の創設者、アヤデラトーレ(18951979)が「人民行動党(AP)」のベラウンデテリー(19122002)を破った時の0.8ポイント差を、54年ぶりに下回った。なお、アヤデラトーレ大統領就任を嫌う軍部の介入で、翌年再選挙となり、4.7ポイント差で後者が逆転している。 

http://okifumi.cocolog-wbs.com/blog/2016/04/post-6f33.html

で述べた通り、ケイコ候補は、総選挙での第一回目投票で40%の得票率で、21%で二位のクチンスキー候補に倍する大差を付けた。総議席130の議会で彼女のFPは、過半数の73議席を得た。PPK18議席で、第一回目投票では三位だったメンドーサ候補の中道左派「拡大戦線(FA)」の20議席を下回る。それから決選投票までの2ヶ月間近く、19ポイント差を引っ繰り返されて敗北した。2011年選挙でも敗北したが、引っ繰り返ったのは8ポイント差だった。今回選挙は、私にはどうにも後味が悪い。

選挙まで半月を残す5月央、FPの幹部が米国麻薬取締局(DEA)にマネーロンダリング容疑の捜査を受けている、とのテレビレポタージュが流され(本人は否定。ただ党の要職を辞任した)た。これを受けてペルーの検察が動き始めた旨伝わる。

531日、「フジモリズモ(フジモリ主義)」復活を嫌う、「Keiko no vaケイコは出るな」運動の大規模デモが、1992年のアルベルト・フジモリ(ケイコ氏の父親)による自己クーデターの24周年目に当る45日に続いて行われた。いずれも総選挙、及び決選投票の直前で、参加者は数万人規模のようだ。政治運動ではなく市民の組織によるもので、ブラジルのペトロブラス汚職に怒りルセフ大統領退任を求め、動員数150万とも300万とも言われる「Vem Pra Rua(街頭に繰り出せ)」運動にも似ているが、実態はよく分からない。ソーシャルネットワークで呼び掛けられる。

531日のデモには、上記メンドーサ氏や、3月に選挙辞退に追い込まれていた、それまでの有力候補だった、中道「みんなのペルー(Todos por el Peru)」のグスマン氏(それまではケイコ氏に次ぐ有力候補)ら政治家も参加し、ケイコ勝利を実現させぬため、としてクチンスキー候補への支持を訴えた。

その531日に行われた候補者討論で、クチンスキー氏が自らの豊かな経験を誇示した上で、争点を父親の強権政治に据え、ケイコ氏が父親のファーストレディーを務めていたことを持ち出し、「フジモリズモ」復活はペルーの民主主義への脅威、と強調した。加えて、ケイコが大統領になればペルーは「麻薬国家」になる、と言い始めた。 

ケイコ氏もクチンスキー氏も自由主義経済を信奉する。いずれも米国での生活経験があり、米人と結婚した。だが前者は留学しただけで、後者は軍政時代に米国に逃れ、そこでエコノミストとしての経験を積み、一旦帰国して、また戻る。在米期間の長さが半端ではなく、口の悪いペルー人からは、日本語で言えば「アメ公」に当るだろうか、「gringo」と呼ばれるようだ。加えて、ペルーでは首相を含む閣僚を歴任している。ケイコ氏のように選挙で公職に就いたことは無いが、経験の豊かさを誇示するだけのことはあろう。ただ、ケイコ氏の父親と同じ77歳で、ラ米諸国の首脳としては、キューバのラウル・カストロ議長に次ぐ高齢だ。

ロイターやAPAFPと言った欧米系メディアは、ケイコ氏には「人権侵害と汚職で25年懲役刑を宣されたアルベルト・フジモリ元大統領の娘」との修飾を付ける。父親がクーデターを起こし強権政治を敷いたことを強調する。ペルーのノーベル賞受賞者のバルガス・ジョサを始めとする知識層も、フジモリ憎し、の論評に余念が無いようだ。私には、以前書いたように、(http://okifumi.cocolog-wbs.com/blog/2009/04/post-a695.html

違和感を禁じえない。

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