第七回キューバ共産党大会とフィデルの最後の演説
1965年10月に創設されたキューバ共産党(PCC)は、10周年の75年12月に第一回党大会を開催、1959年の革命後、初めての社会主義憲法の草案を承認し、いわゆるソ連型共産主義国家への第一歩を踏み出した。それから40年間で、僅か7回しか開催されていない。共産党一党支配下の国家運営の基本方針は、党が決める。一つの大会と次の大会までの党の運営は、大会に出席できる約1,000名により、中央委員会に委ねられる。その最高幹部組織として政治局がある。
聊か旧聞に属するが、その第七回目が去る4月16日から19日まで開催され、142名の中央委員と、17名の政治局員を選出して閉会した。84歳のラウル・カストロ国家評議会議長が第一書記に、85歳のマチャドベントゥーラ同副議長が第二書記に連続再選された。この二人を除く15名の政治局員では、56歳のディアスカネル国家評議会第一副議長を含む10名も留任、5名の新任はあるが、欠員と増員が理由だ。ラウル氏は今大会で、新たに党要職に就く者の年齢制限を提案、中央委員は60歳、政治局員は70歳とした。また、革命世代からの世代交代の必要性を強調した。中央委員の新任が55名、と言うから、幾分進んだのかも知れない。
前大会http://okifumi.cocolog-wbs.com/blog/2011/04/post-7b89.htmlと大きく異なるキューバの状況は、何と言っても昨年の7月に米国と国交を回復し、今年の3月20~23日に、現職米大統領としては実に88年ぶりにオバマ大統領を迎えた、世界が注目した対米関係の変化だろう。オバマ氏はラウル氏との共同記者会見で、複数政党制や民選大統領制について述べ、途中、ラウル氏が通訳装置を外す場面を含め、国営テレビで全国中継された。さらに翌日、やはり全国生中継する国営テレビを前に、堂々と民主主義の尊さをアピールした。その6日後、ラウル氏の兄、89歳のフィデル氏が、国営メディアを通じ、厳しく批判している。フィデル氏はさらにその10日後、9ヶ月ぶりに公の場に姿を現した。革命がもたらした成果を語りかける映像が、やはり国営テレビで流されている。
ラウル氏は、党大会を、第一書記への二度目の選出の意味を、自分の主たるミッションがキューバ社会主義を守り、保全し、完成に向かい続けることであり、資本主義回帰を決して許さない、として締めた。その場に兄のフィデル氏も姿を見せ、10分間、演説を行ったことが、日本でも大きく報じられた。1961年4月の、米国を後ろ盾とする亡命キューバ人によるピッグズ湾事件以降の社会主義国家への歩み、この間根付いたキューバの共産主義思想を手短に語り、今年90歳になる自らの年齢を前面に出して、革命世代も不死身ではない、だが、思想は残る、ラ米、世界に、キューバの勝利を伝えていかねばならない、と語っていたようだ。演説後半はネットの動画で見たが、「終わり(Fin)」という言葉で演説が終わると、並んで隣に居たラウル氏が労わるようにフィデル氏の肩に手をかけ、会場の出席者は全員が立ち上がり拍手し、一部は涙していたのが印象的だった。
ともあれ、昨年1月、9月及び今年の3月、オバマ大統領の訪問前に、米国の対キューバ制裁緩和措置を受けながら、キューバの統治機構は不変、と、強調された党大会だった。フィデル氏だけでなく、ラウル氏が世代間交代に敢えて触れたのは目新しい。
個人的な話で恐縮だが、私が初めてフィデル氏の本格的な演説に接したのは、1976年7月の革命勃発記念日だった。1953年7月26日、26歳の若きフィデルが仲間とサンティアゴデクーバ市にあるモンカダ兵営を襲撃したのをキューバ革命の始まりとして、この国では毎年、大々的に祝っている。滞在中のホテルのテレビで見た。50歳になる3週間前だ。記憶は定かではないが4時間ほど、時折経済数値などを確かめる他は原稿も見ずに、ぶっ通して話し続けた。その後も何度か、やはりテレビで見る機会はあった。最後は、確か1993年だった、と思う。彼の年齢は67歳、彼独特の高い声に、張りがあった。ソ連崩壊から2年、石油調達に苦しみ8時間毎の計画停電の最中にあり、社会主義体制下の個人経営の導入、国民のドル保持の解禁などで経済の活性化に取り組んでいた。
私個人は、それから約四半世紀、彼の演説に接する機会は無かった。彼の演説に、現実の時空の厳しい流れを痛感する。体力のみならず、声の衰えを先ず感じた。次に、ずっと原稿を見ていた。以前の長い演説とは全く異なる点だ。以前は、現状分析を踏まえた具体的な将来展望を語っていたが、今回はどうだったろう。
| 固定リンク
「キューバ」カテゴリの記事
- 第七回キューバ共産党大会とフィデルの最後の演説(2016.04.25)
- 米国とキューバの今後(1)(2015.08.17)
- キューバと米国の国交再開(2)(2015.07.23)
- キューバと米国の国交再開(1)(2015.07.21)
- 米国の対キューバ関係正常化への動き(6)(2015.04.13)
この記事へのコメントは終了しました。
コメント