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2015年12月 9日 (水)

ベネズエラ議会選に思う

http://okifumi.cocolog-wbs.com/blog/2015/02/post-4360.htmlなどでも書いたベネズエラ国会(Asamblea Nacional。以下、議会)の議員選挙(以下議会選)が126日に行われ、結果は、日本でもNHKが現地で日付が変わらぬ日本時間の7日夕には伝え、8日の新聞でも報道されたように、野党連合の「民主統一会議(MUD)」の圧勝だった。その時点で全国選挙評議会(CNE)は全167議席中99、与党「ベネズエラ統一社会党(PSUV)」が46で未定が22としていた(実際にはこれに先住民枠の3議席があるので19)。マドゥーロ大統領も敗北を認めた。12812:46(現地時間)では、夫々10955としている。 

上記ブログでも書いたが、今年2月のレデスマ・カラカス広域圏市長拘束(その後健康を理由に自宅拘禁)、昨年の抗議活動煽動罪で拘留されていたロペス元チャカオ市長が今年9月に受けた15年間の懲役刑判決、など、国際社会の注目を浴びている。我が国のメディアでは事前報道は皆無に近かったが、欧米の通信社は、選挙戦が公式に始まった1113日以前から、関連情報を伝えて来た。

ベネズエラでは2014年初頭からの数ヶ月、基礎物資欠如、治安悪化、高インフレを理由に、マドゥーロ政権への激しい抗議活動が繰り広げられ、43名の犠牲者を生んだ。政権側から強権弾圧が行われた、として、米国がそれに関与したと見做した当局幹部7名に制裁を与える「14年ベネズエラ人権・市民社会保護法」は、同年12月に成立している。

抗議活動がなりを潜めて、既に1年半だ。反政権側の疲労によるものではなく、MUDの議会選で堂々と勝利し、議会を通じて政権を糾す戦略が説得力を高めたためだろう。その間、原油の国際価格の急激な低下で、国内経済はさらなる後退を来たした。社会不安は一層高まって来た筈だ。政権側からは、それまでの支持層の多くが離れたのは、間違いあるまい。私は欧米の外電で動きを知るだけなので実態はよく分からなかったが、世論調査で彼の支持率が20%、だの、選挙直前には32.4%に盛り返しただの、いずれにせよ、投票先をPSUVではなく、MUD候補にする、との回答が多い、だの、どう見ても彼に不利な報道ばかりだった。

選挙の透明性や公正性が確保できるか否か、これへの懸念もあったようで、米州機構(OAS)や国連、欧州連合(EU)も監視団派遣を申し出た。だが、CNEが認めたのは、南米共同体(Unasur)と、直前になってMUDが招いたコロンビア、ボリビア、パナマ、ウルグアイから1名ずつ、コスタリカから2名の元、前大統領だけだ。前者は、何故か、加盟国ではないドミニカ共和国のレオネル・フェルナンデス前大統領がこの団長を務めた。後者は、選挙当日、CNEが投票時限を1時間延長したところ批判したことから、選挙監視資格を剥奪されたと欧米メディアが伝えた。 

選挙は、公正に行われたようだ。Wikipediaを覗くと、CNEを出所として、得票率ではMUD(ここでは先住民枠を含む112議席。つまり全議席の67%)が56.2%、PSUV40.8%となっている。54%の得票率で三分の二の議席獲得も可能とするのは、全体の40%に当る68議席が、単純小選挙区制(中選挙区を含めると113議席)によるものだろう。ラ米で一般的な比例代表は51議席のみだ。2010年選挙でのPSUVの圧勝http://okifumi.cocolog-wbs.com/blog/2010/09/post-dc1b.htmlも、丁度この逆に起きた。

マドゥーロ政権側の大敗の理由は、経済悪化、ラ米でも飛び抜けて高いインフレ、物資の欠如に的確な対応が取れなかったことにあろう。1113日の選挙キャンペーン開始直前、マドゥーロ夫人の甥二人が、コカインを所持していた、としてハイチで逮捕され、米国の麻薬取締局(DEA)により米国に移送される事件も影響したかも知れない。同22日のアルゼンチン大統領決選投票でのマクリ候補勝利が、ラ米の左派系政権時代からの変革の幕開けと囃されたことも原因の一つかも知れない。 

今回選出された新議員の任期は20161月5日に始まる。任期は5年だ。マドゥーロ大統領の任期(6年)は、同年419日で漸く折り返しの3年を迎える。つまり、議会選でのMUD勝利が政権交代を意味するわけではない。

大統領を任期半ばでリコールのための国民投票に追い込める制度があり、故チャベス前大統領に2004年、前例がある。その際には信認され、寧ろ権力強化が進んだ。マドゥーロ氏は、憲法上この制度があることを述べた上で、若しリコールにかけられるなら、闘争に向かおう、民衆が決める(vamos al combate y el pueblo decidirá)と、よく分からない表現で、しかし敵愾心を剥き出しに語っている。

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