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2015年12月15日 (火)

マクリの挑戦-アルゼンチン

1210日、マクリ政権が発足した。私には、選挙戦では、訴えていた明確な政権公約はよく分からなかった。彼の「変革しよう(Cambiemos)」の政策の中身は、今も分からない。欧米メディアは彼を右派(Derechista)或いは、中道右派(Centro-derechista)の、親市場主義派(Familiar almercado)として、これまで12年間政権を担った「勝利戦線(FpV)」の中道左派(Centro-izquierdista)、取り分けキルチネル夫妻の国家による過剰な経済介入の政治姿勢(Kirchinerismo)と対比してきた。彼が有力企業の経営者一族で自らも経営に携わった、自由主義経済を掲げる政党「共和国提言(PRO)」を自ら立ち上げた、ブエノスアイレス市長として輝かしい実績を持つ点にも好感を持っているようだ。

彼の大統領就任式には、南米9ヵ国中、彼からメルコスル資格停止すべし、と言われた、議会選大敗で政治危機にあるベネズエラのマドゥーロ大統領を除く8ヵ国の大統領が出席した。政治姿勢で色分けすれば、左派が2ヵ国、中道左派が4ヵ国、右派が2ヵ国となる。彼は、誰とでも親しく接した。下院で弾劾プロセスを受けようとしているブラジルのルセフ大統領も駆け付けた。マクリ就任式欠席を宣言したフェルナンデス前大統領の9日の退任行事に参加した左派のモラレス・ボリビア大統領も出席した。 

国内的には、マクリ氏は、就任翌日に大統領選を闘ったシオリ(FpV)、マッサ(「刷新戦線(FR)」)他2名を大統領府に招き、個別会談を行い、政治・財政改革、貧困や麻薬との闘い、と言った共通の優先課題について協力を要請した。12日には23州の大半を占めるFpVの知事らとの会合を持った。よく彼は選挙戦でも、当時のフェルナンデス大統領を対立的(自分の意見を押し付ける)、と評し、自らは和解的(人の意見に耳を傾ける)、と言っていた由だ。議会では少数与党となるCambiemosの政権では、いずれにせよ野党の協力は必須であり、彼自身の政治信条が市場主義、新自由主義だとしても、コンセンサス追及は必要だ。

彼は選挙戦の間も、前FpV政権が導入した社会政策の中で、低所得家族の子どものための補助金(AUH)は続ける、と断言、YPF国有化を見直す積りはない、と言っていた。一方で、早速手をつける、としていた外国為替統制撤廃は、ペソ大幅下落でインフレを昂進しかねない、として、十分な外貨準備が確保できるまで、として先延ばしされている。常識的判断だろう。彼は、FpV政権の失政、と避難の的になった年率20%台と言われるインフレの退治も約束していた。矛盾してしまう。外貨準備は250億ドルに若干届かない水準で、専門家は、実態はこれより遥かに低い、と言っているようだ。政府機関が出してきた経済指標の信頼度が低いので、先ずは実態把握が必要、とも言う。その上で、どこの国でもやっているように、公的数値を正しく公開して欲しい。

彼が選挙戦で提示した公約には、従来掛かっていた輸出税について、小麦、トウモロコシは廃止、大豆は引き下げ、と言うものがあり、前FpV政権と対立していた農業経営界から歓迎されたが、これは対立候補のシオリ氏も唱えていた。何故輸出税と言うものがあるのか、私は理解できていない。実現すれば、輸出量増大に繋がろう。税収は減るが、外貨収入増に繋がる。一方で、輸入規制の緩和も公約に掲げた。外貨流出に繋がる。だが輸入規制は国内産業保護策でもある。前FpV政権の功績の一つ、高い雇用率を損ねるリスクは大きい。だが、メルコスル域内ですら行われる輸入規制は批判されてきた。解決すべき課題には違いない。この点、競争力向上で対応して欲しい。 

欧米メディアや経済界では、投資インフラの向上と外資誘致、自由な資金移動、GDP5%と言われる財政赤字の縮小、などへの迅速な決断がとられるとの期待が高いようだ。FpVは経済政策への介入を嫌い、借入金の期限前返済までしてIMFと決別した。その上で、実質的な債務大幅削減のリスケを債権者に押し付け、結果として国際金融市場へのアクセス不能に陥った。リスケを拒んだ米国の一部債権者(いわゆるハゲタカファンド)が原告として訴え、ニューヨークの裁判所判事がこれを認め、アルゼンチンがリスケ債務支払履行することすら妨害されている。外国投資家には見放された状態だ。

マクリ氏は、原告との話し合いに応じ、「ハゲタカファンド」問題解決に取り組み始めた。加えて、外国銀行からの借り入れ交渉にも取り組む。これまで、経済政策に加え、対外債務や国際金融機関への対応を任されてきた「経済省」は大蔵・金融省になり、これが労働・社会保障省、名称を変更した生産、農産業両省、新設のエネルギー、運輸両省、と共に組成する経済チームを率いる体制に変わった。経済関連機関の機構改革は選挙戦でも唱えており、国家の経済政策は協議制に変わる。同時に、対外的にも、協議を通じての解決を図っていくようだ。

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2015年12月 9日 (水)

ベネズエラ議会選に思う

http://okifumi.cocolog-wbs.com/blog/2015/02/post-4360.htmlなどでも書いたベネズエラ国会(Asamblea Nacional。以下、議会)の議員選挙(以下議会選)が126日に行われ、結果は、日本でもNHKが現地で日付が変わらぬ日本時間の7日夕には伝え、8日の新聞でも報道されたように、野党連合の「民主統一会議(MUD)」の圧勝だった。その時点で全国選挙評議会(CNE)は全167議席中99、与党「ベネズエラ統一社会党(PSUV)」が46で未定が22としていた(実際にはこれに先住民枠の3議席があるので19)。マドゥーロ大統領も敗北を認めた。12812:46(現地時間)では、夫々10955としている。 

上記ブログでも書いたが、今年2月のレデスマ・カラカス広域圏市長拘束(その後健康を理由に自宅拘禁)、昨年の抗議活動煽動罪で拘留されていたロペス元チャカオ市長が今年9月に受けた15年間の懲役刑判決、など、国際社会の注目を浴びている。我が国のメディアでは事前報道は皆無に近かったが、欧米の通信社は、選挙戦が公式に始まった1113日以前から、関連情報を伝えて来た。

ベネズエラでは2014年初頭からの数ヶ月、基礎物資欠如、治安悪化、高インフレを理由に、マドゥーロ政権への激しい抗議活動が繰り広げられ、43名の犠牲者を生んだ。政権側から強権弾圧が行われた、として、米国がそれに関与したと見做した当局幹部7名に制裁を与える「14年ベネズエラ人権・市民社会保護法」は、同年12月に成立している。

抗議活動がなりを潜めて、既に1年半だ。反政権側の疲労によるものではなく、MUDの議会選で堂々と勝利し、議会を通じて政権を糾す戦略が説得力を高めたためだろう。その間、原油の国際価格の急激な低下で、国内経済はさらなる後退を来たした。社会不安は一層高まって来た筈だ。政権側からは、それまでの支持層の多くが離れたのは、間違いあるまい。私は欧米の外電で動きを知るだけなので実態はよく分からなかったが、世論調査で彼の支持率が20%、だの、選挙直前には32.4%に盛り返しただの、いずれにせよ、投票先をPSUVではなく、MUD候補にする、との回答が多い、だの、どう見ても彼に不利な報道ばかりだった。

選挙の透明性や公正性が確保できるか否か、これへの懸念もあったようで、米州機構(OAS)や国連、欧州連合(EU)も監視団派遣を申し出た。だが、CNEが認めたのは、南米共同体(Unasur)と、直前になってMUDが招いたコロンビア、ボリビア、パナマ、ウルグアイから1名ずつ、コスタリカから2名の元、前大統領だけだ。前者は、何故か、加盟国ではないドミニカ共和国のレオネル・フェルナンデス前大統領がこの団長を務めた。後者は、選挙当日、CNEが投票時限を1時間延長したところ批判したことから、選挙監視資格を剥奪されたと欧米メディアが伝えた。 

選挙は、公正に行われたようだ。Wikipediaを覗くと、CNEを出所として、得票率ではMUD(ここでは先住民枠を含む112議席。つまり全議席の67%)が56.2%、PSUV40.8%となっている。54%の得票率で三分の二の議席獲得も可能とするのは、全体の40%に当る68議席が、単純小選挙区制(中選挙区を含めると113議席)によるものだろう。ラ米で一般的な比例代表は51議席のみだ。2010年選挙でのPSUVの圧勝http://okifumi.cocolog-wbs.com/blog/2010/09/post-dc1b.htmlも、丁度この逆に起きた。

マドゥーロ政権側の大敗の理由は、経済悪化、ラ米でも飛び抜けて高いインフレ、物資の欠如に的確な対応が取れなかったことにあろう。1113日の選挙キャンペーン開始直前、マドゥーロ夫人の甥二人が、コカインを所持していた、としてハイチで逮捕され、米国の麻薬取締局(DEA)により米国に移送される事件も影響したかも知れない。同22日のアルゼンチン大統領決選投票でのマクリ候補勝利が、ラ米の左派系政権時代からの変革の幕開けと囃されたことも原因の一つかも知れない。 

今回選出された新議員の任期は20161月5日に始まる。任期は5年だ。マドゥーロ大統領の任期(6年)は、同年419日で漸く折り返しの3年を迎える。つまり、議会選でのMUD勝利が政権交代を意味するわけではない。

大統領を任期半ばでリコールのための国民投票に追い込める制度があり、故チャベス前大統領に2004年、前例がある。その際には信認され、寧ろ権力強化が進んだ。マドゥーロ氏は、憲法上この制度があることを述べた上で、若しリコールにかけられるなら、闘争に向かおう、民衆が決める(vamos al combate y el pueblo decidirá)と、よく分からない表現で、しかし敵愾心を剥き出しに語っている。

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