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2015年11月 4日 (水)

シオリかマクリか(1)-アルゼンチン大統領選

1025日、グァテマラ大統領選の決選投票が行われた日、アルゼンチンでは正副大統領、上院議員の三分の一、下院議員の半数、などを選出する総選挙が行われた。

大統領選には89日の予備選挙で候補資格を得た6名出馬したが、(http://okifumi.cocolog-wbs.com/blog/2015/02/post-be7c.htmlで述べた4名の内のコボス下院議員は出馬を断念)総選挙時の投票では決着が付かず、与党「勝利戦線(FpV)」のシオリ・ブエノスアイレス州知事、58歳(得票率36.86%)、「共和国提言(PRO)」のマクリ・ブエノスアイレス市長(同34.33%)、56歳が1122日の決選投票を争うことになった。

アルゼンチン大統領候補は、総選挙時の投票で45%超、或いは40%超で二位に10ポイント差、と言う得票率が確保できれば、当選が確定する(ラ米諸国では通常は50%以上)。直前の世論調査では、シオリ候補が二位に10ポイント差を付けることはほぼ間違いなく、40%超の得票率で当選の可能性もある、との見通しだったため、マクリ候補との得票差が僅か2.5ポイントだったことに、衝撃が走った、と伝わる。ともあれ、決選投票では、他陣営の票を取りこむ必要がある。

第三位に付けたのは、若干38歳でフェルナンデス政権の官房長官(Jefe de Gabinete)を務めた経験を持つマッサ下院議員だ。彼はブエノスアイレス州のティグレ市長になったばかりでこの職を得たが、1年間で辞任し、同市長に復帰している。その後同州の他の市長らと政治勢力を結成、FpVと袂を分かち、2013年の中間選挙の際に「刷新戦線(FR)」を立ち上げ、いきなり、自らを含め13議席を獲得した。今回選挙では「新たな代替連合(UNA)」と言う選挙勢力で臨んだ。上記ブログでは一番人気、と書いたが、3月以降の世論調査では概ね三番手で推移するようになった。それでも彼の得票率は21.34%であり、この行方が、決選投票を左右するとして注目されている。 

アルゼンチンの政治状況は、非常に分かり辛い。歴史的ポプリスタのペロン(1895-1974)が大統領に選出された1946年以降、軍政期を除けば、ペロン党(正義党)と伝統政党の急進党(UCR)の二つが政権を担ってきた。両党とも、政治思想面では左派から右派まで幅広い。ペロンが559月に軍事クーデターで追放された後は、軍政、UCR、軍政、ペロン党、軍政、そして1983年に誕生したUCRのアルフォンシン(1927-2009)政権が、89年にペロン党のメネム政権に、何と73年ぶりにこの国での選挙による与野党政権交代が行われた(http://okifumi.cocolog-wbs.com/blog/2013/06/post-3312.html)。

メネム政権第一期(1989-95)に憲法改正が行われ、大統領の任期を4年に短縮する代わりに、連続再選が認められるようになった。この頃、国有企業の民営化を含む彼の経済自由主義路線に反発する党内急進派が「連帯国家戦線(FREPASO)」を立ち上げた。1995年、彼がペロン党から立候補すると、対立候補にボルドン上院議員(当時)を担ぎ、29%もの得票率を挙げた。この時はメネム候補が当選要件を満たす得票率49%だったため連続再選が成った。その後FREPASOUCRと「労働・正義・教育同盟(La Alianza)」を組成、次の99年選挙ではUCRのデラルア候補が第一回目に48%の得票で選出された。ただこの同盟は2年後の中間選挙で大きく議席を減らし、消滅、FREPASOのメンバーの多くがペロン党の左派に復帰している。2003年に立ち上がったFpVに加わったようだ。

一方のUCRは、デラルア大統領が本来メネム政権の置き土産とも言える巨額対外債務で身動きがとれず、200112月に任期半ばで退陣すると、La Alianzaも分解、議会内勢力として退潮が続き、また分裂した。この頃からアルゼンチンは政党乱立の時代に突入する。UCRには、今や、UCR往年の勢いは見られない。今回選挙では、その中道左派の分派「平等な共和国への代替(ARI)」共々、マクリ氏が創設したPROに合流し、選挙母体名を「変革しよう(Cambiemos)」として参戦している。 

上記マッサ氏は今もペロニスタを自負する。同じペロニスタで中道左派に位置づけられるFpVに対し、彼は欧米メディアからは中道右派と見られる。彼に投票した人たちが、決選投票では右派とされるマクリ候補に向かう、FpV支持層の一部が同調する、従って彼の当選確率が極めて高くなった、と囃され、証券市場も上昇、と言う減少が見られるようだ。

アルゼンチン選挙史を見れば、1999年のFREPASOの、立場を変えた、また総選挙が終わってからの再来、とも言えようか。

(続く)

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