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2015年8月17日 (月)

米国とキューバの今後(1)

814日、米国のケリー国務長官の来訪を待って、在キューバ大使館の星条旗(国旗)掲揚セレモニーが行われた。キューバのロドリゲス外相は出席せず、代わりに国交回復のキューバ側交渉団を率いたビダル外務省局長が参列した。720日のワシントンでのキューバ国旗掲揚セレモニーにケリー氏が欠席、代わりにやはり国交回復米側交渉団を率いたジェイコブソン国務次官補が参列している。相互主義によるものだろう。

セレモニーで演説したケリー氏は、キューバ国民が自由に、自らのリーダーを選び、考えを表明し、信仰を求めるようになることを米国は期待している、と発言した。キューバの国営テレビ、ラジオは、セレモニーの様子を全て中継した由で、そのままキューバ国中に伝わったことになる。 

現職の米国務長官が、地理的に極めて近い隣国キューバを訪れたのは、19453月以来のことだ。前445月、真性党Auténtico)のグラウサンマルティン(Ramón Grau San Martín1887-1969。以下、グラウ)が政権を発足させていた。だが、その後、やはり真性党のプリオソカラス(Carlos Prío Socarrás1907-77)、彼をクーデターで追放したバティスタ(Fulgencio Batista Zaldívar1901-73)、と続く革命前のキューバに、国務長官の訪問は無かった。

バティスタは、19341月にクーデターで実権を握り、44年の選挙でグラウに敗退するまでの10年間と、最高権力者の地位にあった。若きフィデル・カストロら165名がサンティアゴデクーバのモンカダ兵営を襲撃したのは53726日(後のキューバ革命勃発記念日)だが、大義名分はその1年前の523月、クーデターで復活したバティスタを糾弾することにあった。米国もそんな政権下のキューバに国務長官を派遣する気にはなれなかったのかも知れない。だが、真性党政権下の8年間、バティスタは米国に在住した。不思議な史実だ。 

現職国務長官として70年ぶりにキューバを訪れたケリー氏は、4月に我が岸田外相を迎えたフィデル氏にも、パナマでオバマ氏と会談したラウル氏とも会えなかった。これも720日にワシントンを訪れたロドリゲス外相がオバマ大統領に会えなかったことで相互主義と言えない事はない。

この前日の13日、フィデル氏は89歳の誕生日を迎え。この日発行された国営紙に彼のメッセージが掲載された。米国は、キューバに対し、経済封鎖(米側ではembargo、即ち禁輸措置と表現)により生じた巨額の被害賠償を行うべし、とするもので、ケリー来訪の前日にぶつけてきた。フィデル誕生日のお祝いを理由に、マドゥーロ・ベネズエラ、モラレス・ボリビア両首脳が駆け付け、ケリーが滞在している14日に、ラウル氏がマドゥーロ氏と会談の場を設けている。 

大使館でのセレモニーの後、ケリー氏はロドリゲス外相との共同記者会見に臨んだ。彼は、両国政府があまり複雑ではなく相手を挑発することもない実現し易いテーマに取り掛かり、相互信頼を構築していくことが先決と述べたが、同時に二国間委員会設置を発表した。91011日に米側代表団がハバナを訪れて初会合を持つ。彼によると、性格としてはワーキンググループであり、比較的進展の早い海上交通、気候変動、環境分野での二国間協力、やや複雑な両国間直行便の開通、電信に関わる合意、そして最も困難な禁輸措置、人権について協議するものだ。

記者会見の場で、ロドリゲス外相は、米国で起きている白人警察による黒人射殺や、グァンタナモ基地内の囚人に対する扱いに触れ、これらを人権侵害、と批判した。加えて、星条旗掲揚式でケリー氏が述べたキューバの民主化希望発言を意識してか、自分にはキューバ独自の民主主義体制の方が心地よい、と、語る。 

ケリー氏のハバナでの行事は大使館でのセレモニーで始まった。これには、反体制派グループは招かなかった。キューバ政府に気兼ねしたもの、と欧米メディアは捉えている。だが、大使館筆頭(まだ大使任命は実現していない)が居住する公邸での国旗掲揚式には招待し、語り合い、僅か10時間ほどの短い滞在を、これで締め括った。その前には、ハバナ旧市街や有名なヘミングウェーの館を訪れており、次回は数日間の滞在で来たい、と述べていたことが伝わる。

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