キューバと米国の国交再開(1)
2015年7月20日、待ち望んだ日だった。1961年1月3日、米国が、言い古された表現だが、僅か90マイルしか離れていない隣国、キューバとの断交に踏み切って54年7ヶ月半。正式な外交関係の断絶期間だ。よくぞこんなにも長く続いたものだ。
1975年7月29日、米州機構(OAS)は、62年1月29日の除名から13年半で、対キューバ政策を加盟国の判断に委ねる決議を行った。実態は、OASのキューバ除名決議後も関係を維持していたメキシコを含め、それまでにアジェンデ政権のチリ(71年11月)、ベラスコ軍政のペルー(72年6月)、第一次軍政が終わりカンポス・ペロン党政権が発足したアルゼンチン(73年3月)、トリホス軍政のパナマ(74年8月)、ペレス国民行動党政権のベネズエラ(74年12月)及びミチェルソン自由党政権のコロンビア(75年3月)と、ブラジルを除くラ米主要国は、夫々の関係回復を先行実現していた(チリは73年9月のクーデターで再断交)。
米国は、OAS の1975年決議の直後に、米企業の海外子会社によるキューバ向け輸出を解禁した。アルゼンチン製のフォード、シボレーが、しかもファイナンス付きで、キューバに入り出した。カナダ製のファイアストーンやダンロップのタイヤも然りだ。翌76年に発足したカーター米政権は、漁業協定締結、利益代表部設置、沿岸警備隊協力、など、対キューバ関係改善に取り組んだ。
日本は、革命後のキューバとの関係維持に努めた。貿易相手国としての最恵国待遇も変わらない。米国が買わなくなった砂糖の多くはソ連が引き受けたが、日本はそれに次ぐ量を輸入した。主だった総合商社は、砂糖を除くと、対米配慮から、子会社名での取引にいそしんでいたが、1975年OAS決議に先行し、本社名での取引に変え、ハバナに駐在員を派遣した。私もその内の一人だ。
当時のキューバは、しかし、ソ連東欧諸国が加盟する経済相互援助条約(いわゆるコメコン)に1972年6月に加盟、74何1月、ソ連書記長の初訪問、75年3月、アンゴラ派兵(ソ連の意を汲んだもの)、同12月、初めての共産党大会開催、76年2月、社会主義憲法交付、同12月、人民権力全国会議召集と、冷戦下、米国の最大の仮想敵国のソ連型共産主義国家に移っている時代にあった。その中でコスタリカとエクアドルも対キューバ国交回復に踏み切っていた。
1979年1月より、在米キューバ人の里帰りが可能となった。彼らは米国での生活状況などを伝え、自由で物資が豊かな米国への移住を求める人々の深層を刺激し、翌80年4月のペルー大使館1万人駆け込み、12.5万人のボートピープルを生んだ、いわゆるマリエル事件を呼び起こした。その直後に、私は2度目のハバナ駐在に出て、街頭で、「行っちゃえ、キューバは働く人たちのもの¡Que se vaya,Cuba es para trabajadores!」と、彼らを詰るシュプレヒコールを何度も聴かされた。
1979年6月に革命を成立させたニカラグアは直ちにキューバとの関係を復活させた。一方で80年代早々に、エルサルバドルとグァテマラで夫々FMLN、URGNによる、またニカラグアでも反革命政府派(コントラ)による反政府内戦が起きる。ホンジュラスとコスタリカをも巻き込んだ「中米危機」だ。81年1月に米国でレーガン政権が成立して早々、コロンビアとコスタリカが再断交に至った。翌82年3月、米国はキューバをテロ支援国家に指定する。米国キューバ関係回復は、頓挫した。だが、軍政時代を終えたウルグアイとブラジルが関係を復活させた。
1980年代の終盤、東欧民主化が、様々な動きの中で実現した。91年12月にはキューバの唯一の支援国だったソ連も崩壊した。キューバは、一気に経済苦境に陥った。米国は、手を差し伸べるのではなく、92年10月、連続再選を狙うブッシュ大統領が、トリチェリ法(第三国の米系企業の対キューバ取引禁止)と言う形で、制裁を強化した。要するに、カストロ体制を潰す良い機会と考えた政治家が多かったのだろう。
ブッシュの連続再選はならず、クリントン政権が誕生、この頃私は三度目のハバナ駐在に出ていた。カストロ政権は外資誘致事業の緩和や国民の外貨保有と経済活動の一部民営を解禁するなど、経済開放策を進めていたが、燃料不足で起きる毎日の8時間毎の計画停電、当然の物資不足激化の中で、翌年、最後の駐在員として引き揚げた。
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