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2015年7月23日 (木)

キューバと米国の国交再開(2)

2015720日のキューバと米国の大使館再開の前段階で、http://okifumi.cocolog-wbs.com/blog/2015/04/post-9773.htmlの最後でお伝えした米国のテロ支援国家リストからのキューバ除外が、529日に発効した。この結果、国際的枠組みでの金融制裁は緩和されよう。ただ私には具体像がよく見えない。 

1993年末に最後の駐在から引き揚げた際にも、私は、キューバ国民の教育水準と一般技術水準の高さから、投資市場としての潜在性を信じていた。ところが962月、キューバ難民を支援する「Hermanos al Rescate」と言うキューバ系米人の組織が所有する米国民間機を、キューバが撃墜した。前年10月に議会が成立させていたヘルムズ・バートン法を、クリントン政権が発布した。接収された米国(法)人の、当該資産に関連したと思われる取引を行った外国企業に対する米国法での請求権、及び当該企業トップへの米国入国禁止などが規定され、米国で活躍する外国企業をかなり萎縮させた筈だ。

ともあれ、クリントン政権はもともと対キューバ融和策を追求していた。上記の法律施行には拒否権で応じている。19981月のローマ法王パウロ一世のキューバ訪問後、制裁緩和に動いた。20001月には食糧・医薬品輸出の特別認可、同7月には前年11月来の「エリアン・ゴンサレス」事件http://okifumi.cocolog-wbs.com/blog/2014/12/post-0aed.html、に決着をつけ、当時ニューヨークに駐在していた私には、米国の対キューバ関係正常化が近まった思いが募った。

ブッシュ・ジュニア政権発足後も、2001911日の、ニューヨークのワールドトレードセンター破壊を含む同時多発テロ後も、期待は抱き続けた。上記テロに対して、カストロ政権は直ちにテロ非難声明を出しているし、実際に食糧輸出を実現したのは彼の政権に移った後のことだ。 

ラ米全体に眼を移すと、ソ連崩壊半年前の19917月から毎年解されているイベロアメリカサミットに、第一回目から毎回参加している。93年には再断交状態だったコロンビアと復交、98年のローマ法王訪問の直後にはエルサルバドルを除く全てのラ米諸国との外交関係が復活した。そして998月、ラテンアメリカ統合機構(ALADI1960年モンテビデオ条約で発足したLAFTAが前身。メキシコ、南米10カ国で構成)に加入し、キューバはほぼ完全にラ米社会に復帰した。同年2月にベネズエラにチャベス政権が誕生していたことも、これを後押しした。

同国とは0412月に人民通商協定(TPC)を締結した。キューバの日量9.6万バレルの石油と2万人の医療スタッフ派遣などを取り決めたもので、後年の米州ボリーバル同盟(ALBA)に繋がる。キューバ経済を支える命綱のような役割を担う、と考えられる。03年以降、ラ米諸国の多くで左派乃至中道左派政権が発足し、連続再選を含め、今日まで与党が概ね政権の座を維持している。キューバにとり、ラ米は心地よい地域となった。 

2009年1月、米国でオバマ政権が誕生した。私が彼への期待が膨らませたことは、http://okifumi.cocolog-wbs.com/blog/2014/12/post-0aed.htmlで述べたが、事実彼は当初から対キューバ政策転換に前向きだった、とされる。同年4月、キューバ系米人の渡航規制撤廃を含む規制緩和を、同年11月には一般米人の渡航やチャーター便規制も幾分緩和している。だが、米国政府機関USAIDのキューバ国内での下請けプロジェクトを担っていたアラン・グロス氏が、同年12月にスパイ罪で逮捕されて、政策転換の動きが止まった。キューバ側が、彼の釈放を求める米側に、いわゆるCuban Fiveとの交換を持ち出すなどあったが(ローマ法王キューバ訪問に関する記事http://okifumi.cocolog-wbs.com/blog/2011/11/post-89ad.html後半ご参照)、水面下で再び動き始めたのは、彼の政権が選挙を経て第二期に入った13年からだ。だが、国交回復を前面に出しての動きが、制裁緩和だけの宥和政策だった従来と異なる。

2013年は、オバマ・ラウル両首脳がマンデラ元南ア大統領葬儀の機会にhttp://okifumi.cocolog-wbs.com/blog/2014/01/oas-3d14.html)握手を交わしたことが特筆されるが、キューバがラテンアメリカカリブ共同体(CELAC)の1年間の議長国になっている点も興味深い。 

ワシントンのキューバ国旗掲揚を主とした大使館再開式には、ロドリゲス外相が駆け付けた。ハバナでは、米国利益代表部が大使館に呼び代えた他は、取り立てて何の行事も行われなかったようだ。米国旗掲揚式は、814日にケリー国務長官が赴いて挙行される。

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