« 2015年3月 | トップページ | 2015年7月 »

2015年4月16日 (木)

選挙の年に-ベネズエラ(3)

 

マドゥーロ大統領は、オバマ大統領に、米国の制裁「命令」の取り消しを要求する1,350万の署名を届けると言って、41011日の米州サミットに臨んだ。デルシー・ロドリゲス外相は事前の外相会合で、米国の制裁の行政令取り消しを条項として盛り込むよう固執し、サミット共同宣言が出せない状況を作り上げた。

サミット直前に、ホワイトハウスの国家安全保障担当高官が、ベネズエラが米国の安全保障上の脅威とは思っておらず、大統領の表現は行政命令を発する際の慣用句のようなものであり、あくまで人権侵害の責任者に対する制裁に過ぎない、と言明、同時に、国務省参事官がカラカスを訪問し、ベネズエラ外相などと会合を持ち、事態の沈静化に務めた。オバマ氏もパナマ入りして、上記を裏付けている。同参事官がマドゥーロ氏とも会ったことも後に確認されている。

それでもサミットの全体会議では、ベネズエラを脅威とすることへの非難が、オバマ氏が「米国はベネズエラを脅威とは思わず、米国がベネズエラへの脅威となることもない」と繰り返しても、首脳たちから続出した。彼らも米国の言い分を事前に承知していた筈で、分かり難い展開だ。 

 

マドゥーロ氏はサミット主宰地、パナマへの出発前の314日から28日までの2週間、正規軍から動員した兵士と民兵を合わせた6万人規模の軍事演習を行わせた。米国はベネズエラを脅威と宣するなら攻撃も有りうるので、それに備えよう、と言うものだ。317日には「米州ボリーバル同盟(ALBA)」の首脳をカラカスに集め、緊急サミットも開いた。ラウル・カストロ議長もハバナでの対米復交の第二回交渉の直後と言うタイミングで駆け付けた。ここではベネズエラに対する米国の行政令について、ベネズエラ支援と行政令取り消し要求を宣言した。その3日前の「南米諸国連合(Unasur)」の外相決議に続けた。

 外電だけで推移を追っていると、ALBAUnasurも対米非難を「ベネズエラが脅威である筈がない」と言う点と、「ベネズエラ国民に対する制裁は、国際法が禁じる主権国家内政への干渉」と言う点に依拠している。マドゥーロ氏は、人権弾圧の責任者である7名のベネズエラ要人に対する米国内の資産凍結と米国入獄ビザの発禁と言う制裁に伴う、ベネズエラを脅威とする「宣言declaración」を「命令orden」と読み替え、ラ米諸国は一致して、かかる有り得ぬ脅威を基に内政干渉に突き進む「命令」の破棄を要求している、と言い募ってきた。

 同じく外電を追い掛ける限り、米側の反応は、サミットの一週間ほど前から出て来た。米国が問題視しているのはベネズエラ国内の人権侵害だ。昨年の抗議運動への公権力による弾圧は目に余った。Unasurによる政権側と反政権側の仲介は頓挫し、状況は変わっていない。米国はベネズエラ政府も国民も脅威とはみないし、逆に、ベネズエラは米国にとって重要な貿易のパートナーである。ただ人権弾圧を1年間経ってなお見過ごすわけにはいかない。制裁は、その責任者への、米国政府ができる範囲での制裁であり、内政干渉も当らない。概ね、以上のような内容だ。

 

それからサミットまでの推移を見ても、ラ米首脳が納得した様子を伝える外電記事にはお目にかからなかった。外国政府などからの人権弾圧糾弾は内政干渉の枠外である、とか、政治犯釈放を求めたい、とするコメントが確かに散見された。一方では、オバマ・カストロ会談に至る歴史的な動きが喧伝され、ベネズエラ問題ゆえのサミットの危機感は薄れていた。この中で、米国務省参事官と会見したマドゥーロ氏は、それでも、米国によるベネズエラ脅威論と内政干渉の「命令」取り消しを求める1,350万人分の署名を、サミットでオバマ氏に手渡す、と主張し、サミットに臨んだ。

 パナマ入りしたマドゥーロ氏は、先ず1989年の米軍侵攻によるパナマ人犠牲者の慰霊施設を訪問した。独立国を意のままにするためには、軍事力行使も辞さない、と言う、米国の歴史的な介入主義を確認するためだろう。サミットで彼が2002年のチャベスおろしに言及したが、その前哨戦だった、と言える。それでも、帰国のため会場を辞す直前のオバマ氏との十数分間の会談の機会を得て、緊張も大分緩和できたようではある。

 サミット後、ハバナに立ち寄りフィデル・カストロ前議長を訪問した、と伝わる。フィデル氏は、米国がベネズエラ制裁の行政令を出した直後、国営新聞を通じ、厳しく米国に立ち向かうマドゥーロ氏を称えていた。訪問時に交わした会談の中身は不明だ。帰国後、対パナマ関係促進に動く一方、スペインとの関係悪化が騒がれている。対米関係、反政権派対応、とりわけ今年秋の議会選はどうなろうか。

| | コメント (0)

2015年4月15日 (水)

第七回米州サミットに思う(2)

 

411日のサミット全体会議での様子がネットで出ているが、マドゥーロ・ベネズエラ大統領がオバマ大統領に向かって、身振り手振りを加え、2002年のチャベスおろしを引き合いに出し、米国は我が国の政権崩壊のクーデターに関与してきたではないか、内政干渉の前科がある、お互い敬意をもって接する、と言うなら、私から手を差し伸べる、何時でも会おう、と、やや興奮気味に語っている。ベネズエラを脅威と宣した行政令攻撃は、キューバのラウル・カストロ議長なども展開し、ボリビアのモラレス大統領は米国がキューバに謝罪すべき、とまで言い出し、同席しているオバマ氏の困惑した表情が印象的だ。 

サミットと言うのは、通常は「参加国全てが一致できる共通事案」を事前に事務方で煮詰め、共同宣言の文案を固め、外相会合で承認したシナリオに沿い、必要に応じ政治判断を下す場ではなかろうか。出席者の国内での立場にも配慮せねばなるまい。少なくとも一参加国首脳に対し他参加国首脳が集中砲火を浴びせる会合は異様な気がする。 

共同声明は発表されず、代わって、主催国パナマのバレラ大統領の報告が出された。率直の中にも敬意に満ちた討議が行われ、事前準備したアジェンダの9割に参加35ヵ国が合意した、米州の新たな時代の始まりを告げる、歴史的なサミットだった、としている。アジェンダには医療、教育、エネルギー、環境、移住、治安、市民参加、民主的ガバナビリティーなどが含まれていた。同大統領は、事前に、参加国首脳同士の自由闊達な対話の場にする、と表明していた。

 

サミットの合間に、オバマ氏はブラジルのルセフ大統領とも会談した。彼女は1年半前、米国政府に国賓として招かれたが、米国情報機関による盗聴問題でこれを断ってきた。オバマ氏から直接、再度の招待を受け、今度は応じた。一方国内では、彼女の政党である労働者党(PT)、連立を組むブラジル民主運動党(PMDB)と進歩党(PP)などの有力議員に嫌疑がかかっている国営石油会社(Petrobras)を経由した汚職問題で、支持率が、驚く無かれ、13%にまで急落する、と言う信じ難い状況に追い込まれている。かつて同社も管掌していただけに、国民の57%が、彼女も実体を知っていた、と見ており、63%が彼女への司法捜査を支持している旨の報道もあった。このサミット初日の10日に、前議員3名(PT1名、PP2名)が収監された、とのニュースが入った。

 彼女は昨年10月末に過半数の得票で再選され、第二期目を今年11日に発足させたばかりだ。315日、もう彼女の退任を要求する参加者数が200万人とも言われる大規模デモが行われた。サミット後の帰国翌日の412日にも繰り返された。参加者は半減した由だが、大変な数字で、私などはその展開の速さに驚くばかりだ。1992年に退任に追い込まれたコロル元大統領(在任19903月~928月)の場合、不正蓄財が理由に挙げられた。彼女にはかかる破廉恥罪は報じられていないが、上記の低支持率が気にかかる。

 

オバマ氏は、「繁栄のための同盟」を構成する北部中米三ヵ国(グァテマラ、ホンジュラス、エルサルバドル)、及び同三ヵ国を含む中米統合機構(SICA)加盟諸国の首脳との個別会談にも臨んだ。前者は米国に、経済開発を梃子に同国への不法移民の流れにブレーキをかける計画への協力を期待してきた。他の参加国もサミット期間での首脳外交に余念が無かったようだ。だが中身の報道は、外電を追い掛けてもあまり見られない。

次の第八回サミットは、3年後、ペルーで開催される。その時点では今回サミットを歴史的なものにした主役の、オバマ、ラウル・カストロ両首脳は、いずれも任期を終えている。次期主催国のウマラ氏も同様だ。アルゼンチンのLa Nación紙によると、同国のフェルナンデス大統領は全体会議で持ち時間の8分間を大きく超える20分間、オバマ氏が中座している中で、激しい米国批判を行った、とされる。彼女もサミット出席は今回が最後になる。今回主役の一人、マドゥーロ氏はどうだろうか。 

 

オバマ氏が14日、テロ支援国家のリストからキューバを外し、この決定を議会に送ったことは、我が国でも報道された通りだ。今後の両国間交渉の動きを注視していきたい。

 

| | コメント (0)

2015年4月13日 (月)

米国の対キューバ関係正常化への動き(6)

 

411日、パナマでの米州サミットを機に、オバマ・米、ラウル・カストロ・キューバ両首脳が、1956年のアイゼンハワー・バティスタ両大統領以来初めてとなる直接会談を持った。米国は、19611月に対キューバ断交を宣し、東西冷戦中に同国を社会主義陣営に追い込み、ソ連・東欧圏崩壊を経ても国交断絶を維持し続けて来た。その中での首脳会談であり、我が国を含む世界中のメディアがこの「歴史的瞬間」を見届けようと、大挙してパナマに押しかけていた。日本の大手紙は、前日のケリー・米、ロドリゲス・キューバ両外相の会談を含め、第一面で報道した。NHKも繰り返しトップニュース扱いで報じた。

60年前の前回の対米首脳会談に臨んだ当時のバティスタ大統領は、滞在していたマイアミから帰国して間もない19523月にクーデターで政権に就いた人だ。19591月に成立したキューバ革命とは、彼の政権を打倒したことを言う。1917年のメキシコ革命も1979年のニカラグア革命も標的は当時の独裁体制だった。バティスタのそれも、やはり独裁体制と見做された。彼は19341月にもクーデターで政権を掌握、40年には民選大統領にはなり、44年に選挙に敗れ退いてはいる。だが、二度のクーデター、通算17年間の最高権力者で、且つ抑圧政治で知られる。つまり、彼の独裁体制を標的とした革命だった。当初米国政府もこれを歓迎した。

だが革命政府が矢継ぎ早に打ち出した農地、鉱山、石油関連の改革や、対ソ関係推進で、米国は革命非難に舵を切った。革命から18ヶ月経って、キューバが電力、電話、砂糖、ニッケルなど米国企業の資産接収へと動くと、その2ヶ月後、対キューバ禁輸措置に至っている。断交後には悪名高いピッグズ湾侵攻事件関与(革命政府転覆に臨んだ亡命キューバ人に対する軍事訓練、戦闘機を含む武器供与)が史実として残る。同事件の後、フィデル・カストロ首相(当時)は、革命は社会主義革命だった、と宣言し、ソ連・東欧圏への接近を進めた。ソ連からのミサイル基地建設を要請され、それを受け容れたことで、196210月に起きた米ソ間核戦争に発展しかねない「キューバ危機」は、世界史上の大事件として今も語られる。 

 

「キューバ危機」から52年経っても、ソ連崩壊から23年経っても、そして、国連総会で米国の対キューバ制裁非難決議が出されるようになって22年経っても、両国の断交状況が続く中、両首脳は国交回復に向けた交渉の開始を発表した。オバマ大統領に言わせれば、人口1,200万人の、フロリダ州キーウェストから僅か150kmしか離れていない小さい隣国への、半世紀以上にも及ぶ制裁政策は、米国に何のメリットも与えてこなかった。国連総会決議は世界における米国の孤立を示す。ラ米諸国は米国の我が儘で傲慢な大国の証左としてキューバ政策を見るようになり、そこに中国の存在感が巨大化してきた。まさしく時代錯誤の遺物だ。だから大きく一歩を踏み出した。

昨年1217日の発表から4ヵ月経った。ジェイコブソン国務次官補を団長とする米側、ビダル外務省米国局長を団長とするキューバ側の両代表団による二国間国交回復交渉は、今年1月22日(ハバナ。http://okifumi.cocolog-wbs.com/blog/2015/01/--49c7.html参照)の後、第二回目が227日(ワシントン)に、第3回目が317日(ハバナ)で行われた。第一回目会合でキューバ側が反発した人権問題については、331日、異なったメンバーで構成される代表団同士の予備会合がワシントンで開かれている。

「立場の違いを尊重する」旨の発言が多用されつつあり、相互理解は進んでいるようだが、肝心の国交回復については、米側が米州サミットまでに実現させようとしていた大使館再開にすら至っていない。その中での首脳会談だ。サミットでは最もタイトなスケジュールを余儀なくされるオバマ氏は、この会談に1時間を割いた。キューバはラ米唯一の共産党一党支配を前提とする、旧ソ連・東欧諸国や現在の中国、ベトナム同様の社会主義国だ。その体制転換は求めない、価値観の相違はお互い認めたい、とまで踏み込んだ。 

 

キューバ側にとってネックになるのが、米国が1982年に指定したキューバをテロ支援国家とする立場が、今も生きていることだ。当時は中米危機やコロンビア内戦下で左翼ゲリラを支援している、として、レーガン政権が指定した。事実関係がどうあれ、東西冷戦が終わり20年以上経ってなお指定が残っているのは、私には怠慢としか思えない。今、同様の指定の対象となっているのは、他にはイラン、シリア、及びスーダンの3ヵ国しかない。解除は、大統領職権で可能だ。

米側は、指定解除は米国内の手続き上の問題であり、大使館再開とは切り離すべき、として来た。だが、二国間交渉でキューバ側がしきりにワシントンの利益代表部の銀行口座開設を認めるよう要求するのも、テロ指定国では米国内銀行取引すらできない切迫した現実があるようだ。大使館再開前に、指定解除、という要求は譲らない。サミット直前になって米側は、国務省の作業が終了し、大統領に解除の答申を行った、とし、10日にケリー氏が、11日にはオバマ氏自身が確認し、ラウル・カストロ氏にも早急に解除を決断する、と述べた。大統領署名つきで答申を議会に送付すれば、それから45日後に解除できる。 

 パナマでの首脳会談で、オバマ氏は歴史的なページをめくった、と述べる一方、ラウル・カストロ氏は、辛抱強く進めよう、と述べていた。おりしもこの日、対キューバ政策転換に前向き姿勢をとるヒラリー・クリントン前国務長官が、来年の大統領選立候補を表明した。国交回復は、彼女に対するオバマ氏の大いなる遺産となろう。

| | コメント (0)

2015年4月11日 (土)

第七回米州サミットに思う(1)

41011日、パナマで第七回米州サミットが開催されている。歴史的サミット、と言われ、開催前から世界の主要メディアが注目し、パナマに集まってきた。我が国のメディアも例外ではない。1994年の第一回以来、初めてのキューバ首脳参加だからこそ歴史的、と言い切る論調に溢れている。10日、全首脳が揃った後、オバマ大統領とラウル・カストロ国家評議会議長が言葉と握手を交わした。両首脳は11日に会談の場を持つと言う。ただ歴史的、と言うのは、コロンビアのカルタヘナで開催された前第六回サミット時、キューバ抜き、との理由により米州サミットの存続自体が危ぶまれた経緯もあり(http://okifumi.cocolog-wbs.com/blog/2012/04/post-767a.html参照)、これが覆ったことにこそある、と言えるかも知れない。

やはり米州サミットとしては初めてのこととなるが、ローマ法王庁もヴァチカン国務長官のパロリン枢機卿を代表として派遣した。ラ米出身の法王(http://okifumi.cocolog-wbs.com/blog/2013/03/post-bd81.html参照)が2013年誕生して初めての米州サミットでもある。そのフランシスコ法王から主催者であるパナマのバレラ大統領宛の「誠実な対話がお互いの違いを克服し共通の善に向かう道を得んことを」とのメッセージは、同枢機卿が開会式で読み上げた。

来月任期満了を迎える米州機構(OAS)のインスルサ事務総長にとっては、最後のサミットになる。彼は「コロンビアのゲリラとの和平交渉が進み、米国とキューバが接近している中での歴史的なサミット」と評した。彼の後任には、ムヒカ前政権で外相を務めたアルマグロ前ウルグアイが決まっている。彼はOAS次期事務総長ながら、1960年代にOASがキューバの加盟資格停止を決めたことを馬鹿げたもの、と言ってはばからない。

その歴史的サミットに欠席したのは、35ヵ国首脳の中で、チリのバチェレ大統領のみだ。社会党のアジェンデ元大統領(1908-73年。在任1070-73年)の系譜であり、是非出席したかったことと思うが、北部を襲った豪雨により甚大な被害を受け、今、国を空けるわけにいかない、と伝わる。加えて、大統領府社会文化局長を務めていた彼女の長男の妻が経営する会社が融資を受ける際に、夫の影響力を利用した疑いが出て、国民の反感が高まっていることも背景にあるように思える。このスキャンダルで、彼女の長男は2月に辞職した。彼女の直近の国民支持率は31%と低迷している。 

前第六回サミットでは、キューバが招かれないことに抗議したコレア・エクアドル、オルテガ・ニカラグア、チャベス・ベネズエラ(当時)各大統領が欠席した。今回は全員が出席している。前回はキューバとマルビナス(フォークランド)の問題で結局共同声明が出せず仕舞いだった。今回も、ベネズエラが、オバマ政権が39日に出した制裁の取り消しを共同声明に入れることを強硬に要求しており、二回連続で共同声明無しのサミットとなりそうだ。 

オバマ大統領は、出席し歓迎を受けたカリブ共同体(CARICOM)サミットが開かれたジャマイカから入った。同地で、米国はラ米とは最良の時代を迎えている、と語った。過去50年余、どの大統領も成し得なかったキューバとの国交回復を目前に控えている。これが実現すれば、米国内の大半と世界から偉業、と称えられることは間違いない。同地からラウル・カストロと電話会談も行った。ベネズエラ問題は、マドゥーロ政権が、人権侵害の責任者への制裁を、米国に対する脅威ゆえの制裁と摩り替えているだけで、大きな問題にはなるまい、と考えていたのだろう。

事実、僅か2日のサミット期間に、次々と首脳会談の要請が入ってきた。サミットの主人公は正しくオバマ氏だ。忙しい日程をこなしている。

サミットと並行して開催されている市民社会フォーラムにも、ソリス・コスタリカ、バスケス・ウルグアイ大統領と共に顔を出した。キューバ市民代表として参加しようとした体制派グループが、やはり参加を認められた反体制派と街頭で衝突、反体制派が参加する以上、同席できない、として、体制派が引き揚げる事件も起きたイベントだ。キューバ反体制派とのやりとりは、外電を追いかけても、どうもよく聞こえてこない。

また、米州開銀(IDB)主催の、世界の著名経営者が集まった経済界フォーラムにもバレラ・パナマ、ルセフ・ブラジル、ペーニャニエト・メキシコ各大統領と共に出た。

                                                                           (続く)

| | コメント (0)

« 2015年3月 | トップページ | 2015年7月 »