選挙の年に-ベネズエラ(3)
マドゥーロ大統領は、オバマ大統領に、米国の制裁「命令」の取り消しを要求する1,350万の署名を届けると言って、4月10、11日の米州サミットに臨んだ。デルシー・ロドリゲス外相は事前の外相会合で、米国の制裁の行政令取り消しを条項として盛り込むよう固執し、サミット共同宣言が出せない状況を作り上げた。
サミット直前に、ホワイトハウスの国家安全保障担当高官が、ベネズエラが米国の安全保障上の脅威とは思っておらず、大統領の表現は行政命令を発する際の慣用句のようなものであり、あくまで人権侵害の責任者に対する制裁に過ぎない、と言明、同時に、国務省参事官がカラカスを訪問し、ベネズエラ外相などと会合を持ち、事態の沈静化に務めた。オバマ氏もパナマ入りして、上記を裏付けている。同参事官がマドゥーロ氏とも会ったことも後に確認されている。
それでもサミットの全体会議では、ベネズエラを脅威とすることへの非難が、オバマ氏が「米国はベネズエラを脅威とは思わず、米国がベネズエラへの脅威となることもない」と繰り返しても、首脳たちから続出した。彼らも米国の言い分を事前に承知していた筈で、分かり難い展開だ。
マドゥーロ氏はサミット主宰地、パナマへの出発前の3月14日から28日までの2週間、正規軍から動員した兵士と民兵を合わせた6万人規模の軍事演習を行わせた。米国はベネズエラを脅威と宣するなら攻撃も有りうるので、それに備えよう、と言うものだ。3月17日には「米州ボリーバル同盟(ALBA)」の首脳をカラカスに集め、緊急サミットも開いた。ラウル・カストロ議長もハバナでの対米復交の第二回交渉の直後と言うタイミングで駆け付けた。ここではベネズエラに対する米国の行政令について、ベネズエラ支援と行政令取り消し要求を宣言した。その3日前の「南米諸国連合(Unasur)」の外相決議に続けた。
外電だけで推移を追っていると、ALBAもUnasurも対米非難を「ベネズエラが脅威である筈がない」と言う点と、「ベネズエラ国民に対する制裁は、国際法が禁じる主権国家内政への干渉」と言う点に依拠している。マドゥーロ氏は、人権弾圧の責任者である7名のベネズエラ要人に対する米国内の資産凍結と米国入獄ビザの発禁と言う制裁に伴う、ベネズエラを脅威とする「宣言declaración」を「命令orden」と読み替え、ラ米諸国は一致して、かかる有り得ぬ脅威を基に内政干渉に突き進む「命令」の破棄を要求している、と言い募ってきた。
同じく外電を追い掛ける限り、米側の反応は、サミットの一週間ほど前から出て来た。米国が問題視しているのはベネズエラ国内の人権侵害だ。昨年の抗議運動への公権力による弾圧は目に余った。Unasurによる政権側と反政権側の仲介は頓挫し、状況は変わっていない。米国はベネズエラ政府も国民も脅威とはみないし、逆に、ベネズエラは米国にとって重要な貿易のパートナーである。ただ人権弾圧を1年間経ってなお見過ごすわけにはいかない。制裁は、その責任者への、米国政府ができる範囲での制裁であり、内政干渉も当らない。概ね、以上のような内容だ。
それからサミットまでの推移を見ても、ラ米首脳が納得した様子を伝える外電記事にはお目にかからなかった。外国政府などからの人権弾圧糾弾は内政干渉の枠外である、とか、政治犯釈放を求めたい、とするコメントが確かに散見された。一方では、オバマ・カストロ会談に至る歴史的な動きが喧伝され、ベネズエラ問題ゆえのサミットの危機感は薄れていた。この中で、米国務省参事官と会見したマドゥーロ氏は、それでも、米国によるベネズエラ脅威論と内政干渉の「命令」取り消しを求める1,350万人分の署名を、サミットでオバマ氏に手渡す、と主張し、サミットに臨んだ。
パナマ入りしたマドゥーロ氏は、先ず1989年の米軍侵攻によるパナマ人犠牲者の慰霊施設を訪問した。独立国を意のままにするためには、軍事力行使も辞さない、と言う、米国の歴史的な介入主義を確認するためだろう。サミットで彼が2002年のチャベスおろしに言及したが、その前哨戦だった、と言える。それでも、帰国のため会場を辞す直前のオバマ氏との十数分間の会談の機会を得て、緊張も大分緩和できたようではある。
サミット後、ハバナに立ち寄りフィデル・カストロ前議長を訪問した、と伝わる。フィデル氏は、米国がベネズエラ制裁の行政令を出した直後、国営新聞を通じ、厳しく米国に立ち向かうマドゥーロ氏を称えていた。訪問時に交わした会談の中身は不明だ。帰国後、対パナマ関係促進に動く一方、スペインとの関係悪化が騒がれている。対米関係、反政権派対応、とりわけ今年秋の議会選はどうなろうか。