米国の対キューバ関係正常化への動き(6)
4月11日、パナマでの米州サミットを機に、オバマ・米、ラウル・カストロ・キューバ両首脳が、1956年のアイゼンハワー・バティスタ両大統領以来初めてとなる直接会談を持った。米国は、1961年1月に対キューバ断交を宣し、東西冷戦中に同国を社会主義陣営に追い込み、ソ連・東欧圏崩壊を経ても国交断絶を維持し続けて来た。その中での首脳会談であり、我が国を含む世界中のメディアがこの「歴史的瞬間」を見届けようと、大挙してパナマに押しかけていた。日本の大手紙は、前日のケリー・米、ロドリゲス・キューバ両外相の会談を含め、第一面で報道した。NHKも繰り返しトップニュース扱いで報じた。
約60年前の前回の対米首脳会談に臨んだ当時のバティスタ大統領は、滞在していたマイアミから帰国して間もない1952年3月にクーデターで政権に就いた人だ。1959年1月に成立したキューバ革命とは、彼の政権を打倒したことを言う。1917年のメキシコ革命も1979年のニカラグア革命も標的は当時の独裁体制だった。バティスタのそれも、やはり独裁体制と見做された。彼は1934年1月にもクーデターで政権を掌握、40年には民選大統領にはなり、44年に選挙に敗れ退いてはいる。だが、二度のクーデター、通算17年間の最高権力者で、且つ抑圧政治で知られる。つまり、彼の独裁体制を標的とした革命だった。当初米国政府もこれを歓迎した。
だが革命政府が矢継ぎ早に打ち出した農地、鉱山、石油関連の改革や、対ソ関係推進で、米国は革命非難に舵を切った。革命から1年8ヶ月経って、キューバが電力、電話、砂糖、ニッケルなど米国企業の資産接収へと動くと、その2ヶ月後、対キューバ禁輸措置に至っている。断交後には悪名高いピッグズ湾侵攻事件関与(革命政府転覆に臨んだ亡命キューバ人に対する軍事訓練、戦闘機を含む武器供与)が史実として残る。同事件の後、フィデル・カストロ首相(当時)は、革命は社会主義革命だった、と宣言し、ソ連・東欧圏への接近を進めた。ソ連からのミサイル基地建設を要請され、それを受け容れたことで、1962年10月に起きた米ソ間核戦争に発展しかねない「キューバ危機」は、世界史上の大事件として今も語られる。
「キューバ危機」から52年経っても、ソ連崩壊から23年経っても、そして、国連総会で米国の対キューバ制裁非難決議が出されるようになって22年経っても、両国の断交状況が続く中、両首脳は国交回復に向けた交渉の開始を発表した。オバマ大統領に言わせれば、人口1,200万人の、フロリダ州キーウェストから僅か150kmしか離れていない小さい隣国への、半世紀以上にも及ぶ制裁政策は、米国に何のメリットも与えてこなかった。国連総会決議は世界における米国の孤立を示す。ラ米諸国は米国の我が儘で傲慢な大国の証左としてキューバ政策を見るようになり、そこに中国の存在感が巨大化してきた。まさしく時代錯誤の遺物だ。だから大きく一歩を踏み出した。
昨年12月17日の発表から4ヵ月経った。ジェイコブソン国務次官補を団長とする米側、ビダル外務省米国局長を団長とするキューバ側の両代表団による二国間国交回復交渉は、今年1月22日(ハバナ。http://okifumi.cocolog-wbs.com/blog/2015/01/--49c7.html参照)の後、第二回目が2月27日(ワシントン)に、第3回目が3月17日(ハバナ)で行われた。第一回目会合でキューバ側が反発した人権問題については、3月31日、異なったメンバーで構成される代表団同士の予備会合がワシントンで開かれている。
「立場の違いを尊重する」旨の発言が多用されつつあり、相互理解は進んでいるようだが、肝心の国交回復については、米側が米州サミットまでに実現させようとしていた大使館再開にすら至っていない。その中での首脳会談だ。サミットでは最もタイトなスケジュールを余儀なくされるオバマ氏は、この会談に1時間を割いた。キューバはラ米唯一の共産党一党支配を前提とする、旧ソ連・東欧諸国や現在の中国、ベトナム同様の社会主義国だ。その体制転換は求めない、価値観の相違はお互い認めたい、とまで踏み込んだ。
キューバ側にとってネックになるのが、米国が1982年に指定したキューバをテロ支援国家とする立場が、今も生きていることだ。当時は中米危機やコロンビア内戦下で左翼ゲリラを支援している、として、レーガン政権が指定した。事実関係がどうあれ、東西冷戦が終わり20年以上経ってなお指定が残っているのは、私には怠慢としか思えない。今、同様の指定の対象となっているのは、他にはイラン、シリア、及びスーダンの3ヵ国しかない。解除は、大統領職権で可能だ。
米側は、指定解除は米国内の手続き上の問題であり、大使館再開とは切り離すべき、として来た。だが、二国間交渉でキューバ側がしきりにワシントンの利益代表部の銀行口座開設を認めるよう要求するのも、テロ指定国では米国内銀行取引すらできない切迫した現実があるようだ。大使館再開前に、指定解除、という要求は譲らない。サミット直前になって米側は、国務省の作業が終了し、大統領に解除の答申を行った、とし、10日にケリー氏が、11日にはオバマ氏自身が確認し、ラウル・カストロ氏にも早急に解除を決断する、と述べた。大統領署名つきで答申を議会に送付すれば、それから45日後に解除できる。
パナマでの首脳会談で、オバマ氏は歴史的なページをめくった、と述べる一方、ラウル・カストロ氏は、辛抱強く進めよう、と述べていた。おりしもこの日、対キューバ政策転換に前向き姿勢をとるヒラリー・クリントン前国務長官が、来年の大統領選立候補を表明した。国交回復は、彼女に対するオバマ氏の大いなる遺産となろう。
| 固定リンク
「キューバ」カテゴリの記事
- 第七回キューバ共産党大会とフィデルの最後の演説(2016.04.25)
- 米国とキューバの今後(1)(2015.08.17)
- キューバと米国の国交再開(2)(2015.07.23)
- キューバと米国の国交再開(1)(2015.07.21)
- 米国の対キューバ関係正常化への動き(6)(2015.04.13)
この記事へのコメントは終了しました。
コメント