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2015年1月30日 (金)

第三回CELACサミットに思う

米国とキューバの外交関係復活交渉が開始されて間もない12829日の両日、コスタリカのべレンで、ラテンアメリカ・カリブ共同体(Comunidad de Estados Latinoamericanos y Caribeños、以下CELACの第三回目のサミットが開催され、夫々国内問題を抱える数名を除く域内諸国首脳の殆どが出席した。CELACとは、言ってみれば、1964年以来キューバ抜きだった米州機構(OAS)と対照的に、キューバを含み米国、カナダを外した米州共同体だ。今回テーマは「貧困との闘い」だが、最大の関心事は米国の、歴史的と言われる対キューバ政策の変更で、ラウル・カストロ議長も83歳と言う高齢をおして出席した。少なくともラ米十九カ国の首脳なら、全員が出席を望んだ筈だ。

ペーニャニエト(メキシコ)、フェルナンデス(アルゼンチン)、ウマラ(ペルー)、カルテス(パラグアイ)各大統領は欠席した。ペーニャニエト氏は昨年11月の高速鉄道建設の入札にまつわる疑惑、フェルナンデス氏は118日に起きた、彼女を告訴していた検察官の変死事件で国を空けられない事情が有る。前者は3週間前、オバマ大統領を訪問し、米・キューバ間正常化への最大の貢献を申し出たばかりだ。後者はハバナでの前回サミット時、健康問題と国内での難題の最中に駆け付け、且つフィデル前議長と昼食を共にしている。今回欠席は不本意の極みだった、と思う。ウマラ氏は青年労働法改正案を審議するため、自身が召集した特別議会の開催中に不在となることへの是非が問われ、自己の判断で直前に出席を断念した。カルテス氏は執務停滞状況を欠席の理由とする。 

CELAC故チャベス前ベネズエラ大統領の肝いりで201112月に誕生した(http://okifumi.cocolog-wbs.com/blog/2011/12/post-e24a.html)。米国とカナダの北米先進国を交えず、ラ米・カリブ諸国が内外の諸問題に結束して当る共同体、の位置付けだが、OASのような確たる事務局を持った組織ではない。多くの首脳は、域内紛争の解決、域内国家間関係の強化、経済開発推進を追及する、一種のフォーラムと見る。ただ、領土問題を抱える、経済政策が分かれる、人権問題で非難し合う、立場や政見の異なる多様な国々の首脳同士がサミットで同席する。33カ国が結束を深める場となっているのは事実だろう。

ラ米・カリブ諸国は、大半が米国を最大の貿易相手国、投資国と捉える。米国の影響力は、絶大だ。OASの本部もワシントンにある。一方、近年にはこの地域への中国の接近が顕著だ。米国も神経を尖らせていよう。加えて欧州連合(EU)諸国の対ラ米関係深化もある。20131月の第一回サミット(http://okifumi.cocolog-wbs.com/blog/2013/01/celac-eu-35ac.html)の機会に、開催されたチリのサンティアゴに、EU諸国から11名もの首脳が駆け付けた。 

今回サミットでは、メディアはやはり1時間にも及ぶラウル・カストロ議長の演説に注目したようだ。我が国にも伝えられるとおり、米国との国交は再開するが、関係正常化にはグァンタナモの米軍基地一体の返還が必要だ、と述べた。保護国だったキューバとの条約で1903年から120平方キロ、と広大な同地を租借した。租借料は年間2千ドルで、実質的なバティスタ政権時代からは4,085ドルとなり、現在も同額のままだ。革命後のキューバ政府は、租借継続を拒否する、としており、同地の返還を訴えてきた。租借料も受け取っていない。これを言ったものだ。正常化となれば、確かに返還するのが当然だろうが、オバマ大統領であっても、返還は毛頭、考えていない。

CELACサミットは29日、共同宣言を採択して終了した。キューバについては対米国交再開を喜ぶとして、米国に対しキューバ経済制裁の解除やテロ支援国家リストからの削除(いずれもラウル議長が演説で強調)を訴えるに留めた。

 

共同宣言には、その他にも貧困撲滅策の構築、環境保全への行動など、93項目が盛られた由で、主催国コスタリカ外相自身、余りの多さに辟易している、とか、中身により賛同できない国も現れ、結局全会一致での採択に至らなかった旨が、メディア情報にある。この中には、恒例となっているアルゼンチンのマルビナス(フォークランド)領有権主張への連帯も有り、勿体無い気がする。次期持ち回り議長国のエクアドルが、宣言論点の集約に努める方針、と伝えられる。加えて、今回サミットに国連やOASの事務総長が前回同様に出席したとの報道は無い。何となく、軽くなった感じを受ける。

 

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2015年1月25日 (日)

米国の対キューバ関係正常化への動き(5)-二国間交渉

122日に、米国とキューバの外交関係回復交渉が行われたことは、日本の新聞でも報じられている通りだ。米国側はジェイコブソン国務次官補が、キューバ側はビダル外務省米国局長が、夫々の代表団の団長を務めた。125日の朝日新聞に、「思惑の差浮き彫り」として、同国務長官の翌23日の「キューバを自由で民主的な国にすること」との発言を、また、「人権状況を改善するようキューバ政府に圧力をかけた」とする声明を伝えた。後者についてはビダル局長の「キューバは圧力に屈しない」との発言も出ている。また、米国のテロ支援国家リストからキューバを削除するよう、強く求めた。

実際の会合では、米側が駐ハバナ米外交官に移動の自由を与えるよう要求し、キューバ側は反体制活動を促すようなことさえしなければ首都を離れても構わない、と応じ、且つ駐ワシントン利益代表部に銀行口座開設を認めるよう要求したこともあったが、双方とも、押しなべて極めて有意義且つ建設的な会合だったと評価し合いながら、解決すべき諸問題があり外交関係回復には時間がかかる、とした由だ。

ただ、翌23日、ジェイコブソン国務次官補がハバナに利益代表公邸で、外電ではよく名前が出るフェレールガルシア、エリサルド・サンチェス、ファリーニャス各氏ら7名の反体制活動家(dissident)と朝食を共にした。「白衣の女たち(Damas de Blanco)」のベルタ・ソレール氏は敢えて欠席したが、同グループの創設の元となった「黒い春」事件で逮捕され、後釈放されたメンバー3名と、その関係者1名が出席者に含まれる。キューバ側のビダル局長は、「彼らはキューバ国民を代表していない」として、早速、不快感を示した。同次官補は、その後外国ではよく知られる民主派のブロガー、ヨアニ・サンチェス氏、及び「黒い春」事件http://okifumi.cocolog-wbs.com/blog/2010/06/post-1cb0.htmlの解決に仲介の労を取ったオルテガ枢機卿や、を訪問している。 

遡って116日、米国が講じた対キューバ規制緩和措置(一部については、http://okifumi.cocolog-wbs.com/blog/2014/12/post-7f1b.html参照)が実施に移された。キューバ当局による「政治犯」53名全員解放を米国が確認して、4日後のことだ。

その翌17日には、米国議員団(上院議員4名、下院議員2名)の訪問を受けた。団長のリーヒ上院議員以下、全て民主党に属し、且つオバマ政権の対キューバ関係正常化路線を支持する人たちだ。彼らも118日には、同じ利益代表公定で、反体制活動家の15名と面談している。今回の米国の政策変更には彼らの中で意見対立が露呈された旨が伝わる。ここでは上記のソレール氏も出席し、関係正常化交渉を今行うことは、カストロ政権の強化に繋がる、として反対の態度を示した由だ。また上記のオルテガ枢機卿にも会った。だが折角のキューバ訪問だったが、ラウル議長には会えず仕舞いで19日に帰国している。

外交関係回復交渉の前日の21日、年に2度レヴューされて来た移住問題が協議された。キューバ側はビダル局長が団長を務めたが、米側はリー国務省次官補代理となっている。20年前に締結された協定(キューバ人の米国渡航希望者に発給するビザを年間2万人まで、などと取り決めたもの)の履行状況のフォローアップが主体で、外電だけでは中身がよく分からない。ただリー団長が「Cuban Adjustment Law1966年に定められ、76年に多少の変更が施された。キューバ人は米国のどの地点からでも入国を認め、移住は申請後1年間でこれを認める、とする優遇扱い。他国からだと入国地は特定されるし、移住手続きには数年かかる)」は維持する、と発言し、これにビダル氏が、同法は「違法移住を唆すもの」として攻撃したことが伝わる。有名な「dried foot wet foot」ルール(ボートなどでビザ無しで米国上陸を図るキューバ人を強制送還するのは、海上で拘束された場合のみ。一旦上陸すれば入国を許可するもの)が、同法に基づくものかどうかは、私は存じ上げない。 

お互いの政治姿勢がどうあれ、外交関係は回復されよう。若し冒頭の「自由で民主的」、「人権状況」が関係回復の条件、となれば、旧ソ連・東欧圏諸国や現在も続く中国、ベトナム、或いは長期に見られた長期独裁国家群との外交関係を維持し続けた米国の、外交政策の矛盾となる。122日の交渉の前日、ケリー米国務長官は、近いうちの大使館再開に期待していること、また適切な時期にロドリゲス・キューバ外相との会談の用意があることを明言していた。加えて4月の米州サミットだ。こと、この点に関しては、私は楽観している。 

116日に発効した制裁緩和措置について述べる。

非キューバ系米人の渡航に取得が義務付けられていた「特別許可証」(財務省が発行。取得に数ヶ月かかり、渡航希望者の意欲を削いできたもの)発行が撤廃された。これにより今後の渡航者数(キューバの統計では、年間9万人なのだそうだ)が3倍増、と囃す旅行会社の話が伝わる。外国人のキューバ渡航者数は300万人を超える(出身国別の数字は存じ上げない。最多とされるカナダ人が100万人辺りだろうか)、と言われる中、随分と小さな数字だが、本来米国民にはキューバ渡航が禁じられている。この中では大いなる前進、と言えよう。

情報通信分野の関連物資の輸出も解禁された。但し、キューバの民間企業や個人に対するものだ。認められる米国からの投資も然りで、農業分野も含まれる。貿易や投資が国家機関に集約されるキューバで、実効性がいかほどのものかは、私には分からない。

ただ家族送金(これまでの四半期500ドルが2,000ドルまで4倍増)や渡航者によるキューバ産品の土産購入などで少なくとも外貨収入は増えるし、対米関係変化の機運が盛り上がることは確かだろう。良い方に考えていきたい。

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2015年1月22日 (木)

マドゥーロの行脚-ベネズエラ

ベネズエラは19609月、サウジアラビア、イラン、イラク、クウェートの4カ国と共に石油輸出国機構(OPEC)を創設した、OPEC原加盟国の一つだ。それから54年、この機構に加盟しているのは上記5ヵ国を含め12ヵ国、2014年の原油生産量は日量3,000万バーレル、全世界の需要量のほぼ3分の1見当だ

ご存知の通り、国債原油価格は2014年後半より現在まで、半額以上の大下落に陥っている。同年11月末のOPEC総会では、ベネズエラなどがさらなる下落を食い止めるため、として減産を主張した。これに、世界の石油需給バランスが崩れたのは、オイルシェール開発による石油供給量の増大が原因で、その開発意欲を削ぐことで価格は再上昇に転じる、として、サウジアラビアが強く反対し、合意形成に至らず、生産水準は維持された。これが、価格低下に拍車を掛けた。

ベネズエラの石油生産量はWikipedia英語版で2013年推計が日量300万バーレル、メキシコ(293万バーレル)より一つ上の、世界第九位と出ていた。OPEC1割、世界の需要量からすれば、3%、に相当する。国連貿易開発機構(UNCTAD)によれば、2013年のベネズエラの原油輸出額は世界第12位の679億ドル。同年の輸出総額が米国CIAWorld Factbookによる推計では918億ドルなので、その75%に相当する。精製品も含めた石油輸出額は9割ほどだろう。

2014年の輸入額が前年(593億ドル)並であれば、同年に限ると貿易収支は黒字だと思われる。だが輸入物資が食料を含め不足状態にあり、通貨が極端に下落し、年率60%を超えるラ米諸国でも跳び抜けたインフレに苦しんでいる。治安も悪く、昨年2月から4月まで、学生を中心とした激しい抗議活動が展開され、死者43名、負傷者800名を出したことは記憶に新しい。まだ石油価格が高かった時のことだ。2015年では石油価格の下落で、貿易収支が赤字に落ち込めば、状況は厳しさを増す。 

20151月1,2日、マドゥーロ大統領は先ずブラジルを訪問した。一義的にはルセフ大統領の二期目の就任式出席がある。チリ、ウルグアイ、ボリビアの大統領や、米国の副大統領も駆け付けた。だが石油価格下落の中での本来の目的は、ブラジルからの支援確保ではなかったか。ブラジルは経済的には2014年は前年の2.5%成長からゼロに陥った。中間層による抗議運動が、大統領が再選されても繰り返されている。彼はルセフ氏との首脳会談の場を得たが、経済面では多分野での協力関係の維持、発展という、漠とした確認以外に、どのような成果が得られたか、よく分からない。なお、経済成長については、ベネズエラはもっと酷い。マドゥーロ氏自身の後日の発表(121日。議会における念頭演説)でマイナス2.8%だ。

それから間もない14日、中国、中東訪問に出た。ロシアにも脚を運び、帰国したのは17日のことだ。彼本人は、必要な投資、輸入を継続し経済安定に必要とされる手段(Recursos)を獲得、諸国訪問は成功だった、と自賛している。一国の首脳が13日間も国を空け遠隔の国々を回った。成果無しでは済まされまい。

3泊4日も費やした中国では、習近平国家主席との首脳会談もあったが、200億ドルの資金支援確保、が成果と言えよう。ただ石油供給(現在日量536千バーレル)を前提としたスキームなら、現行の240億ドルから減額になるのではなかろうか。中東では、本来はベネズエラの同盟国とも言えるイラン、減産による価格政策に真っ向から反対するサウジアラビア、及びカタールとアルジェリアと、OPECの4ヵ国を訪れた。石油価格回復策で何か合意があったのかを含め、取り立てて何が成果だったかは、外電をフォローするだけでは分からない。ロシアではプーチン大統領との首脳会談を行ったが、何が成果と言えるのだろうか。 

122日には、モラレス・ボリビア大統領の三回目就任式に出席、コレア・エクアドル大統領共々、米州ボリーバル同盟(ALBA)の南米加盟3ヵ国首脳が久し振りに合流する。ベネズエラは石油及びその制製品供給を通じて、ALBA加盟諸国11カ国の盟主の地位にある。だが、IMFの予測では、この国は2015年経済もマイナス7%、大変な苦境を強いられている。大統領の支持率は20%台で、秋口には議会選挙が待っており、内政的にも苦境にある。今後のALBAについて、何らかの首脳間協議は行われるだろうか。

就任式にはまた、ルセフ大統領も出席する。二期目の彼女が最初に訪問するのが、ボリビア、と言うことだ。自分自身の就任式に出席してくれたモラレス氏への義理からだろう。マドゥーロ氏がこの機会を利用するかどうかの推測は控えたい。

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2015年1月15日 (木)

米国の対キューバ関係正常化への動き(4)

112日、関係正常化交渉の開始に当たり、米国が解放を求めていたキューバ国内で収監されている(米国政府が「政治犯(political prisoners)」と規定する53名が、全員解放された、とのニュースが、外電で飛び交っている。米国がどう捉えようと、善悪はともかく、典型的な共産党一党支配の社会主義国では、旧ソ連・東欧や、現在でも中国、ベトナム同様、「政治犯」或いは(政権に対峙する)反対派(opponent)は有り得ない。従来キューバ政権は、反体制活動者(dissident)を、キューバの体制崩壊を目論む米国及び外国の右翼勢力による雇われ人(mercenary)と見てきた。社会主義国キューバでは、犯罪者、と見做される。

申し訳ないが、私はこの53名については、ロイターが1227日付けで初めて報じた時、変な話だ、と思った。ニュースの出所も、どうも反体制派グループのようだった。16日に米国の国務省報道官が、「キューバ政府は我々が求めた政治犯の解放を始めた」、と述べたニュースを報じた際、人数も対象社名も特定しない、と言っていた。そして112日、ケリー国務長官が一部議会メンバーに対し、実は釈放済みだった政治犯を含めて53名、と言う数字を明示した。報道官は、数週間、乃至数ヶ月前から何人かが釈放されていたこと、53名は米国のみならずヴァチカンが解放を求めた人たち、とも明らかにした。

加えて申し訳ないが、私は両首脳合意に伴い行われるのは、2012年にキューバ提案に繋がるCuban fiveの残り3名と米人グロス氏の囚人交換であり、キューバ人の米国スパイを加えたもの、とばかり思い込んでいた。オバマ大統領がそれまでの半世紀余りの愚策を反省し、国際社会が当然視する対キューバ制裁解除への道を切り開くもの、と取った。ラウル議長自身、オバマ大統領との合意事項が、キューバの基本的理念(社会主義体制)を変えず、進められる、と述べていた。 

去る12月末、パフォーマンスアーティストとして世界各地で活躍してきたキューバ人のタニア・ブルゲラ氏が、ハバナの革命広場で、「公開集会」を企画した。集まるキューバ人が、米国との関係改善交渉が開始されるのを機に、個々人の意見や希望を1分間ずつ、マイクを使って発言する、というものだ。収容人数が100万人を超える、とされる革命広場は、革命記念集会、メーデーなどの重要な政治イベントの会場として使われてきた。キューバ建国の父と言われるホセ・マルティの銅像と、チェ・ゲバラ他数名のキューバ革命の英雄たちの巨大画像が置かれている。そこで自由発言集会を開催しようと言う感覚に、私などは、キューバはここまで変貌したのか、と、驚くばかりだ。結局、申請を受けた当局はこれを認めず、関係者の逮捕、拘束に動いた。彼女も捕まった。拘束された人たちは数時間後、乃至翌日には解放されているが、この事件に外電がすぐさま反応した。また米国国務省も直ちに批判声明を出した。

米国政府が政治犯と見做す53名の大半の解放は、上記事件の僅か1週間後に始まり、僅か数日で完了した。そして上記の国務省報道官やケリー長官の発言である。米国が要求する反体制派(キューバ側に言わせれば、犯罪者)の解放を交渉開始の条件、とされながら、これを受けた。それも上記事件への米国の批判から間もなく、となれば、キューバ革命政権が、ついに米国の圧力に屈した、と捉えられても仕方なかろう。

ラウル氏の兄、フィデル氏の死亡説が、マイアミ辺りで流布されているようだ。今年に入って、アルゼンチンの元サッカー選手、マラドーナ氏が彼からの111日付け手紙を受領した、と言うニュースが、手紙の写真つきで、ベネズエラの体制派テレビ局が報じたのは、勿論死亡説を否定するためだろう。ただ、今回合意や53名の解放について、201312月、マンデラ元南ア大統領の葬儀の場でラウル氏がオバマ氏と握手を交わしたことを、直ぐ「素晴らしい出来事だった」と称えた人が何の発信も行っていないことが、私には気にかかる。 

「黒い春」http://okifumi.cocolog-wbs.com/blog/2011/03/post-7a88.html事件ではカトリック教会とスペイン政府の尽力があった。対象者は75名の内の53名、奇しくも今回と同数だ(残りは彼らが動く前に健康問題などで釈放済みだった)。収監されている人たちも分かっていたし、国際人権団体からは「良心の囚人」扱いも受けていた。彼らの殆どが、国外に出て、一部は残留した。

20118月、その国内残留組の一人、フェレールガルシア氏(44歳)が他の残留組と共に立ち上げた「キューバ愛国同盟(UNPACU)は、今やキューバで最大、最も目に見える活動的な反体制組織、と目される。上記ブログで照会したエリサルド・サンチェス氏(70歳。非合法組織の「人権と国民和解のキューバ委員会(CCDHRN)」のリーダー)や、ハンストを繰り返したファリーニャス氏(53歳)ら、数千人といわれる。四半期ごとに拘留中の政治犯情報を提供するCCDHRNは、反体制派について最も精通した組織だが、サンチェス氏は53名のリスト作成の相談に預かっていない、と憤っている由だ。

また「黒い春」事件で組成された「白衣の女たち(Damas de Blanco)」は、相変わらず毎日曜日の街頭行進を続けており、一般市民への露出度の高い反体制組織となっている。そのリーダー、ベルタ・ソレル氏(51歳)に至っては、この度釈放されたグループのメンバーが53名に含まれているかも含め何も知らされておらず、米、キューバ両政府にリストを開示するよう、求めているほどだ。 

一体、53名はどうやって選ばれたのだろうか。ヴァチカンだろうが米通商代表部だろうが、反体制グループの協力抜きでは作れない。反体制グループはどんどん生まれているようで、前述の革命広場のイベント関係で拘束された人たちのグループも、私は寡聞にして知らない名だった。

ともかく、両国の関係改善のための協議は、12122日にハバナで開催される。キューバ側の状況がどうあれ、見守りたい。

 

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2015年1月 7日 (水)

米国の対キューバ関係正常化への動き(3)

昨年1217日の米国、キューバ両国首脳が関係改善への交渉開始発表時、アルゼンチンパラナ市でメルコスルサミットが行われており、AFPは集合した加盟諸国首脳が、これを、拍手を持って歓迎した旨伝えていた。1214日のハバナでの「米州ボリーバル同盟(ALBA)」サミットに出席したメルコスル加盟国のベネズエラのマドゥーロ、加盟プロセス中のボリビアのモレロスの両大統領が、原加盟4カ国首脳共々、出席していた。いずれも、対米強硬派で知られる。

マドゥーロ氏は、オバマ大統領の提起は勇気有る、歴史的に必要なもの。彼の政権期で、多分最も重要な一歩で、「Estoy muy feliz自分は幸せだ」とまで語っていた。発表翌日の18日、そのオバマ大統領は、議会が裁決し、マドゥーロ氏が激しく反発していたベネズエラ制裁法に署名した。これは、昨年2月から数ヶ月間に及ぶ学生を中心とするマドゥーロ政権への抗議活動http://okifumi.cocolog-wbs.com/blog/2014/03/post-f9f2.htmlへの抑圧に関わった、とされる政府職員の一部に対し、米国への入国を禁じる、というもので、対キューバ制裁とは異次元の、制裁としてはごく軽微なものだ。

だが、国民の眼に及ぼす影響は大きい。上記抗議活動の元となったラ米域内最悪のインフレと物資不足、及び治安の悪さは続いている。そこに、国際石油価格の大幅下落だ。経済状況は一層悪化し、彼への支持率は30%を切った、と伝わる。本年秋口に議会選挙が行われる筈だが、3分の2近い議席を有する与党、ベネズエラ統一社会党(PSUV)には逆風だ。結果によっては、2016年に大統領リコール手続きも有り得る。

キューバは、命綱とも言うべきベネズエラで、「米州ボリーバル同盟(ALBA)」への関与見直しを主張する「民主統一会議(MUD)」への政権交代でも起きると、一大事に陥る。83歳にもなったラウル・カストロ議長としては、早めに手を打っておく必要に迫られたのかも知れない。そんな中、本年11日、ブラジルのルセフ大統領の二期目就任式に駆け付けたマドゥーロ・ベネズエラ大統領がバイデン米副大統領と挨拶を交わしていた、と、5日の朝日新聞の記事に出ていた。彼もまた、対米関係改善に動く必要性を認識し始めたのだろうか。 

元々、マルビナス(フォークランド)領有権問題で、米国が英国を支持している上にNML Capital Ltdら、いわゆる「ハゲタカファンド」との債務問題を抱えるアルゼンチンのフェルナンデス大統領も、対米関係に苦慮する。それでも、ボリビアのモラレス大統領との二国間首脳会談の場で、対キューバ政策変更を発表するオバマ大統領を称え、「アルゼンチン国民、南米人、地球上のメンバー、政治活動家として、我々は」との枕詞を並べ、「estamos muy felices幸せに思う」、と言っていた。この国も1025日に大統領と上院議員の3分の1、及び下院議員の半数を選出する総選挙が行われる。フェルナンデス氏は出馬できない。8月始めに行われる予備選で各政治勢力の候補者が決まる。世論調査では、彼女の「勝利戦線(FpV)」の有力候補と、彼女の第一期政権時代の副大統領で急進党を中核とする「拡大戦線UNEN)」の有力候補が夫々3割ずつの支持を集めているが、対米関係での違いは分かり難い。

ラ米最大国のブラジルのルセフ大統領は、第一期目の2011年の最初の訪米時、オバマ大統領に対キューバ制裁停止を掛け合ったことで知られる。また2012年の第六回米州サミットが、キューバ抜きでの最後、と強調した。彼女は20139月に、米国から国賓待遇での招待を受けたが、CIAによる盗聴事件発覚で訪米そのものを止めている。上述のメルコスルサミットでは、オバマ氏の対キューバ政策変更について、「壊れた関係を修復するのは可能、ということを示しており、文明の中で変革を見せる時だと信じる」とのコメントを発していた。第二期目に入ったが、経済情勢に陰りが見えるだけに、彼女への批判がまだ続く。なお彼女の労働者党(PT)は、2018年の次回選挙でルラ前大統領の復帰を進めている。

ラ米第二の大国、メキシコのペーニャニエト大統領は、メキシコ政府が支援し認めてきたことの決定的且つ歴史的な動きであり、両国の関係正常化に貢献する用意がある、とした。彼の制度的革命党(PRI)政権時代、キューバ孤立化の路線をとった米州機構(OAS構成諸国の中で、唯一キューバとの外交、通商関係を維持し続けたことが正しかった、と強調するものだろう。今月6日、ワシントンでのオバマ大統領との首脳会談で、このテーマを取り上げ、最大限の貢献を申し出た。ゲレロ州のイグアラ市における地元警察による926日の学生襲撃事件は未解決状態で、抗議運動が続いており、ペーニャニエト政権も厳しい状況下にある。 

そのOASは、加盟諸国は1970年代初めから徐々に二国間関係を再開し残るは米国のみになっていた2009年になって、キューバの資格停止を漸く解除した。米国は、キューバが民主主義条項を満たしていない、として消極的対応だったが、解除自体には反対はしない、との立場だったため、本来可能な復帰は、キューバ自身の判断で、実現していない。本年41011日にパナマで開催される米州サミットにラウル議長が出席する機会を捉え、実現するのではなかろうか。インスルサOAS事務総長は、「オバマ大統領の意思だけで経済制裁はできず、議会による関連諸法の廃止手続きが必要」と冷静な見方を示しながら、廃止されることを期待する、と明言している。

ラ米諸国はどこでも、米国・キューバ間関係正常化を歓迎する。国連や欧州連合(EU)も然りだ。そもそも国際社会は、米国の対キューバ制裁自体を非難し続けてきた。現実的には、ここまで来たことを率直に評価し、両国間交渉を冷静に見守り、必要に応じ協力して行って欲しいものだ。

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