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2014年12月30日 (火)

米国の対キューバ関係正常化への動き(2)

1217日、キューバで200912月に逮捕された米人グロス氏(15年の懲役刑)の釈放が確認されて、米国ではスパイ罪で19989月に逮捕されたキューバ人、エルナンデス(終身刑)、ゲレロ(懲役22年)及びラバニーノ(懲役30年)各氏も釈放された。

後者はいわゆるCuban Five(内1名は201110月に釈放され、2年間、米国での監視下の滞在を余儀なくされた後に13年に帰国、もう一人は本142月の釈放と同時に帰国)の残る3名だ。

グロス氏とCuban Five両国関係正常化への動きを阻む障害の一つ、としてhttp://okifumi.cocolog-wbs.com/blog/2011/11/post-89ad.html、私も3年前、採り上げたことがある。両首脳による関係正常化開始の発表は、彼らの釈放実現のタイミングに行われた。今回の両首脳の発表にあるスパイ交換の対象は彼ら、と言うのは正しいのかも知れない。AFPによると、このスパイ交換は2012年初頭にキューバ側から提示されていた。人数面でも米側1名、キューバ側4名(当時)、米国側が一顧だにしてこなかった由だ。翌1312月、キューバ政府はこの交換に関わる協議を急ぐよう米側に申し入れた。それから1年、スパイ交換案をぶつけていたキューバ側の言い分が通った。且つ、関係正常化の動きが一気に高まった。キューバの粘り勝ち、とも言えよう。

だがもう一人、スパイ罪で20年間に亘り収監されてきたキューバ人も釈放された。ラウル・カストロ議長の発表にも触れられている。オバマ大統領はこのキューバ人を、「米国に最も重要なエージェントたちの一人」、と形容する。彼らのお蔭で、米国に送られてきたキューバのスパイ網に関わる情報が入手でき、多くの逮捕に繋がった、彼の釈放後の身柄は米国の保護下に置かれている、とも述べた。 

オバマ大統領は国交回復、米人の合法的キューバ渡航機会の拡大、米国からの家族送金増額、米国からの合法的輸出物資拡大、キューバからの特定商品輸入、キューバでの米金融機関口座の開設、キューバ人の情報通信へのアクセス拡大、テロリスト支援国家指定見直し開始、等など13項目を示した。繰り返すが、米国の対キューバ制裁には立法措置が必要で、大統領権限でできることは限られる。その為か、下記の通り実に細かく、世界最強国の米国大統領が、と思われる箇所も多い。思うに、国務省の事務官が作成したものだろう。

国交回復で移住、麻薬対策、環境保全、国民の移動など相互利益のテーマでの協力を行う、とする。その道筋には触れていない。大使派遣までの完全復活となると、大使の任命は議会承認を必要とするため、聊か厄介だ。だが、現在の利益代表部の格上げくらいはできよう。

外交関係が途絶している間、19779月までは夫々の国家利益を相手国で守るための日常業務は、米国の場合はハバナのスイス大使館、キューバの場合はワシントンにあるチェコスロバキア大使館が代行、それ以降は米国、キューバ夫々から派遣される代表以下の常駐スタッフが行うようになった。利益代表部と言うのは、それ以降のことだと、私は理解している。米国の利益代表部の正式英語表記はUnited States Interests Section of the Embassy of Switzerlandだが、キューバ人でスイス大使館、と捉える人はいないと思う。そもそも、ハバナの米国利益代表部は、元々1953年に米国大使館として建設された。 

米人の渡航目的にキューバ内民間企業や農業従事者へのトレーニング活動が例示された。渡航者への便宜を図るため米国機関がキューバの銀行の口座開設を認可、ともある。現在は渡航目的を教育文化交流、とし、財務省の許可証を長期間待って、ツアー業者に引率されての旅行だけに、目的が拡大されても大した効果はあるまい。大統領はその財務相許可手続きの簡素化、乃至は排除を意図しているようだが、形態をツアーに限定して何のトレーニング活動だろうか。キューバ側には米人観光客の急増を期待する向きもあろうが、やはり米国の議会が渡航に関する立法化が成るまでは、望むべくもあるまい。

家族送金は金額を四半期ごと2千ドルに増額する、との事。また米国からの輸出物資の拡大については、キューバの民間企業向け物資供給を挙げる。キューバからの特定品目の輸入とは、渡航者が持ち帰られる産品のことで、一人400ドルまで、内タバコとラム酒は合計で100ドルまで、との規制もかかる。テロ支援国家指定見直しも、国務長官にキューバがテロリスト支援に関わった、とする報告を6ヶ月以内に提出させる、としている。えらく慎重な印象を受ける。 

両首脳が合意した外交関係復活に向けた実務交渉は、1月末にハバナで始まる。米側交渉団を率いるのは国務省のロベルタ・ジェイコブソン次官補(ラ米担当)だ。13項目の提案は、両国の実務折衝の叩き台となろう。

両国から代表団が派遣されて直接交渉を行うのは、これまで代表的なものとして、キューバ人の米国移住に関わる、いわゆる移住協議があった。私の理解では、米国は年間2万人の移住者を受け入れる、とする移住協定があった。現在は、どうも毎年の両国代表団同士の協議で、実際のビザ発給数を取り決めているようだ。20102月の移住協議の際に、米国代表団は、その2ヶ月前に逮捕されたグロス氏を即刻解放するよう要求した。翌11年1月に行われた移住協議には、ジェイコブソン次官補が米側団長を務め、同様の要求を行い、且つ彼と面会した。キューバでの彼への裁判は同年3月に行われ判決も出ている。

元々1月の第二週に、これまで同様、移住協議がハバナで行われることになっていた。今度は外交関係復活への協議が主たるアジェンダ、となることから、時期は少し遅らせたようだ。グロス氏が釈放されて初めての両国間交渉に臨む米側団長が、同次官補と言うのも因縁じみる。

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2014年12月19日 (金)

米国の対キューバ関係正常化への動き(1)

1216日、オバマ米大統領がラウル・カストロ・キューバ国家評議会議長と電話会談を行い、両国間関係改善に動き出した。この二人は、1年前のマンデラ元南ア大統領葬儀で顔を合わせ、握手を交わしたことで注目された(http://okifumi.cocolog-wbs.com/blog/2014/01/oas-3d14.html)が、それより以前にフランシスコ・ローマ法王やカナダ政府から提供された交渉の場で、水面下での動きは進められていた由だ。

私事で恐縮だが、私は米国が好きだ。だが、対キューバ制裁は絶対に許しがたい蛮行としか言いようが無い。CIAがカストロ暗殺の謀を幾度もめぐらしたことは事実として広く知られるが、教育の場で国民を苦しめ続けるカストロ独裁国と教え込み、法律で米国企業を禁輸で、米国民を渡航禁止で縛り、テロリスト支援国家に位置づける。国際社会では毎年国連総会の場で対キューバ制裁への非難決議が繰り返されている中で、聴く耳持たずの唯我独尊を貫く。世界最大の経済大国で、軍事面でも国際社会への影響力でも超大国である米国が、眼と鼻の先にある人口で30分の1に過ぎない小さな島国を、真面目な顔で苛め抜いている姿は、いかにも子どもじみて、私には寧ろ惨めに映る。

私がニューヨーク勤務時代の199911月、途中に死亡した母親に伴われてフロリダに漂着したゴンサレス少年を、在マイアミの親戚が引き取るか、父親の待つキューバに送還するかで争われた、いわゆる「エリアン・ゴンサレス事件」が、翌年6月にキューバ送還で決着した際、私は、両国関係正常化が近い、と喜んだ。その後、食糧と医薬品に関わる対キューバ禁輸措置緩和も見られた。さらにその翌年、米国の政権は民主党のクリントンから共和党のブッシュに移った。そしてその年の911日、ニューヨークのワールドトレードセンタービル二棟が航空機による体当たりテロで崩壊させられる、いわゆる9.11事件が起きた。「テロとの闘い」が米国民に深層に植え付けられた。1982年以来、米国政府が「テロ支援国家」に位置づけていたキューバとの関係改善は、遠のいた。 

2009年1月に発足したオバマ政権に、私は対キューバ政策転換の期待が膨らんだ。彼の民主党は、上述通り、クリントン時代(1993-2001)の末期に動きを見せた。その前は、カーター時代(1977-81)に遡る。その初期には両国の利益代表部が設置され、在米キューバ人の里帰りや家族への送金が認められ、当時キューバが軍事支援を行っていたアンゴラから撤兵すれば国交復活に進む、との見方も出てきていたほどだ。だが政権末期に米国に逃れる125千人もの大量難民の発生で、動きは止まった。

オバマ政権は、在米キューバ人里帰り回数制限を撤廃し、送金規制も大幅に緩和した。この点については、ブログで取り上げた第五回米州サミットhttp://okifumi.cocolog-wbs.com/blog/2009/04/post-4db0.htmlを見て頂ければ幸甚だ。ラ米には中道左派を含め、左派系政権が増え、米国でもイデオロギー面でキューバへの抵抗感は薄まっている。ただ禁輸措置のさらなる緩和も、半世紀に及ぶ米国人の渡航の自由規制も手付かずだ。第六回米州サミットの隠れた主人公がキューバだったことは、私もブログで申し上げたhttp://okifumi.cocolog-wbs.com/blog/2012/04/post-cabd.html

20154月にパナマで行われる第七回サミットには、ラウル・カストロ議長が出席することが確認されている。129日のイベロアメリカサミットに欠席した同議長は、同サミットに出席したコレア・エクアドル大統領を除く8カ国の首脳に加え、新加盟2カ国の首脳が一堂に会する「米州ボリーバル同盟(ALBA)」創設十周年記念サミットを、14日、ハバナで主宰した。この場でも、米国の対キューバ制裁を非難する決議が出されたばかりだった。 

キューバ自身には、当然ながら、対米関係改善を拒む理由は無い。寧ろ、今回の動きの理由は、オバマ大統領の側にあろう。中間選挙で民主党が敗北を喫した。この場合、大統領の実権は低下する。だが彼は、最近、500万人のヒスパニック違法移民の米国内残留を認める旨の声明を出した。米国で人口の15%を上回るヒスパニックに留まらず、ラ米諸国は当然、これを歓迎する。キューバについても同様だ。こちらは、右派、左派に限らず、どのラ米諸国も、今回の動きに喜びの声を上げている。欧州諸国も然り、だ。歴代の政権が手を付けられなかった困難極まる問題だけに、これを根元から転換する、となれば、後世に偉大な大統領として記憶されよう。

これから、だが、対キューバ制裁解除には、立法措置が伴う。議会で過半数を占める野党が抵抗すれば、実現は難しい。政府高官級協議は進むだろうし、テロ支援国家指定除外も、行政当局たる国務省が動けば可能かも知れない。在米キューバ人の里帰りや送金は、実質的に自由化されよう。現在食糧と医薬品の輸出のみが禁輸措置から免れているが、かかる免除商品が拡大されるだろうことから、全米商工会議所も歓迎している。葉巻など、キューバ産品の一部の輸入が再開されよう。だが、根本的解決とはならない。

一方で、対米配慮でこれまで対キューバ投資に二の足を踏んできた他先進諸国企業も、動きを活発化させよう。米国の経済界の焦燥感は募ろう。対キューバ制裁を執拗に唱えることの愚かさには、今回の動きを契機に、米国民も理解していくのではあるまいか。米国では二年後に大統領選が行われる。ヒラリー・クリントン前国務長官が圧倒的な人気だ。彼女は、対キューバ制裁緩和を進言していたことで知られる。同時に行われるのは、上院の三分の一と下院の全員が対象となる議会選だ。それまでに立法措置が拒み続けるのは、得策ではない気がするが、どうだろうか。

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2014年12月13日 (土)

二つのサミット-イベロアメリカとUnasur

129日、メキシコのベラクルスで開催されていた第24回イベロアメリカサミットが閉幕した。スペインの前国王、フアン・カルロス一世の熱意で、欧州と旧スペイン・ポルトガル植民地諸国を繋ぐサミットとして産声を上げた1991年から、毎年開催されてきたが、201310月の第23回サミットには、イベロアメリカ(以下、ラ米で表記)十九ヵ国のうち11ヵ国の首脳が欠席するなど、ここ数年、このサミットの意義と持続性が疑問視されてきた(http://okifumi.cocolog-wbs.com/blog/2013/10/post-6c7f.htmlご参照)

今回のサミットには現スペイン国王フェリペ六世が初めて臨んだ。レベカ・グリンスパン(コスタリカ元副大統領)二代目事務総長も然り。ある意味で重要な会合だった、と言える。それでも6ヵ国の首脳が欠席した。またエルサルバドルのサンチェスセレン大統領は体調を崩し、途中で帰国している。

欠席については、キューバ、ベネズエラ、ニカラグアの3カ国は常連だ。メキシコ及びスペイン両政府は、キューバ政府に対して、ラウル・カストロ議長への、閉会式だけも、との出席説得に努めたそうだが、奏功しなかった。ボリビアにも、23回欠席同様、理由はある。アルゼンチンは今回又してもフェルナンデス大統領の健康問題が背景に有る。何しろ11月下旬にオーストラリアで開催されたG20サミットにすら欠席した。世界主要19ヵ国の一角にアルゼンチンが入っていることを誇る彼女としては、G20への欠席は厳しい選択だったかも知れない。ともあれ、だから少なくともこの5ヵ国については欠席で騒ぐことはあるまい。ただ域内最大国のブラジルも前回同様、欠席だ。気にはなる。

ホスト国のメキシコは、926日に起きた教育大学生襲撃事件に揺れている。何しろ、ゲレロ州イグアラ市の市警が捕縛した43名が2カ月以上も行方不明で、実は彼らを地元の麻薬組織に引き渡した可能性が濃厚となり、麻薬組織に繋がった警察、その背景に市長夫妻有り、とのとんでもない図式が公然と語られる。捕縛前には学生数名が殺害され、行方不明者の内1名の遺体が出て、他も生存が絶望しされている。よく分かっていないことが多いが、これがペーニャニエト政権の責任を問う事態へと発展し、各地で反政権抗議活動が起きている。サミットでは、この件についての指摘は一切行われなかった。

このサミットで、ラ米の2014年経済成長が1.1%の低水準に終わる見通しで、内、ベネズエラがマイナス3%、アルゼンチンはマイナス0.2%で、ブラジルはプラスだが僅か0.2%、との国連ラテンアメリカ・カリブ委員会(ECLAC)報告が披瀝された。OECDのグリア事務局長(メキシコで外相、財務相を歴任)が出席し、太平洋同盟諸国(メキシコ、コロンビア、ペルー、チリ)のように、成長度合いの高い国もある、と指摘しながらも、ラ米は構造改革に取り組むべし、と訴えている。 

12月4日、エクアドルのグァヤキルで南米諸国連合(Unasur)サミットが開会され、5日にはキトに移り、首都圏北部にあるCiudad Mitad del Mundo(赤道直下の町、の意。同名の記念碑で知られる)に4千万ドルをかけて建設されたと言われるUnasur常設本部の開所式が行われた。本部は初代事務総長の故キルチネル前アルゼンチン大統領の名前が冠され、業務は20151月に開始される。上記イベロアメリカサミットに欠席のフェルナンデス大統領は、これには出席し、謝意を述べた。グァヤキルでは、持ち回り議長国のスリナムからウルグアイへの交代式が行われている。

サミットには加盟12カ国首脳の全員が出席した。ただ、チリのバチェレ、ペルーのウマラ両大統領は、キトの行事には出席せず帰国した。またウルグアイのムヒカ大統領もキトには寄らず、メキシコに向かった。79歳と言う年齢を考えて2,850メートルの高地行きを避けたのか、健康問題を理由にしている。

Unasurは、メルコスルとアンデス共同体(CAN)の如く経済統合体を超えた、欧州連合(EU)のような地域統合を目標に創設された(私のホームページラ米の地域統合UNASURALBA、太平洋同盟をご一読願えれば幸いです)。このサミットでは共同宣言文に、功労者たるルラ・前ブラジル、故チャベス・前ベネズエラ大統領、そして上述の故キルチネルを称える文言が入った。ただ組織としての行動が、どうもよく分からない。なるほど、同宣言文に、域内における諸国民の往来、就職、就学の自由に向かう、として、新事務総長のサンペール元コロンビア大統領の持論とされる「ciudadanía suramericana(南米人)」構想を打ち上げた。ただそれに至る道筋は、期限を含め、不明だ。また、防衛協力推進のため、として「南米防衛学校」の創設も決議されたが、時期、規模などはどうなっているだろうか。

出席した各国首脳は演説で、統合の重要性を、石油価格下落に対する処方箋までも含め、縷々述べる。ただUnasurとして組織的に取り得る具体策が出るわけではない。ホストのコレア・エクアドル大統領は、世界における不正義に対抗するためにも地域の結束は不可欠であり、南米統合は後戻りできぬ、としながら、Unasurでは何らかの決議には全会一致が必要で、組織として効果的機能が果たせていない、として、制度改革を訴えた。 

以上、二つのサミットでは、ハバナで行われているコロンビア政府とコロンビア革命軍(FARCとの和平交渉支援への意志が表明された。特にUnasurのサンペール事務総長には、自国の5百万人とも言われる国内難民を生じさせた内戦終結への思いは強い。イベロアメリカサミットでは、20万人の大学生交流計画も、教育・文化交流促進の一環として発表された。加盟諸国首脳が集まる、と言うだけでも、意義深い。だが、どうしても機構、組織面での脆弱さが目に付く。

イベロアメリカサミットは、次回よりは2年毎の開催となる。Unasurには今まで常設本部すら無かったし、議会はボリビアのコチャバンバに建設中の段階で、統合体としてはEUに遠く及ばない。私などはメルコスルとCANとの統合が現実的とも思える。

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2014年12月 5日 (金)

タバレ・バスケスの再登場-ウルグアイ総選挙後編

 http://okifumi.cocolog-wbs.com/blog/2014/11/post-9981.htmlに続ける。結果として、バスケス氏(74歳)が得票率を第一回目から7ポイント引き上げ、有効票ベースで56.6%となり、難なく大統領復帰を決めた。彼の第一次政権末の国民支持率(popularidad。人気度という表現が近い)は70%を超え、ブラジルのルラ、チリのバチェレ両大統領(当時)と並び称されたものだったので、それでも低い数字かもしれないが、ここ70年間では大統領選での得票率としては最高、と言われる。

 繰り返すまでもないが、2004年選挙で、彼が十九世紀前半からの二大政党(コロラド、国民)時代に終止符を打たせた。彼自身が所属する社会党を始めとする左派系政党の集まりである「拡大戦線(FA)」の初めての政権を誕生させた。FAには「人民参加運動(MPP))」という、元左翼ゲリラ組織のトゥパマロス(私のホームページの中の軍政時代とゲリラ戦争ゲリラ戦争をご参照)の流れを汲む政党が含まれる。政策が左傾化し民主主義が毀損させられる恐れから、このラ米随一の人口小国に、国際的な注目が寄せられた。 

 確かに、域内左派系諸国との関係が好転した。キューバとの国交正常化も果たした(だが、当時、対キューバ外交断絶自体が、ラ米では異常だった)。ベネズエラがメルコスル加盟を申請すると、真っ先にこれを認めた。他方、アルゼンチンとは、ウルグアイ川沿いのセルロース工場建設を認めたことで、緊張関係に陥った。同国のキルチネル前大統領の南米諸国連合(Unasur)初代事務局長就任に反対もした。これを除くと、対米関係を含め、対外関係は良好だったと言える。内政面では、教育や厚生分野に力を注ぎ、税制改革(所得税対象の拡大と累進課税導入)などで富の再分配を進めた。それでも経済政策は、同じ左派傾向の強い当時のチリと同様、自由主義に沿い、経済分野への国家介入には踏み込まなかった。

74歳で彼からバトンを引き継いだムヒカ大統領は、FA内の最急進派ともいえるそのMPPのリーダーだった。伝説的リーダーでトゥパマロスの創設者でもあるセンディック(1926-89)の後継者と目されていた。出自が左翼ゲリラの政党であろうが、そこから下院議員、上院議員となり、農牧水産相を務め、先進国並みの教育水準を誇るウルグアイで、有権者数256万人、投票者数230万人から120万票を集めて、堂々と大統領になった人だ。国民にも国際社会にも抵抗は無かった、と言える。20103月、彼の就任式に出席したヒラリー・クリントン国務長官(当時)は、ウルグアイ民主主義は域内の手本になる、と讃えた、と伝わる(以上、5年前のムヒカ勝利及びウルグアイの政党事情については、http://okifumi.cocolog-wbs.com/blog/2009/11/post-c910.htmlを再読願えれば幸甚です)。

バスケス氏には、EFE通信によれば、早速、米州機構(OAS)のインスルサ事務総長、南米諸国連合(Unasur)のサンペール事務局長、米国のケリー国務長官、スペインのラホイ首相などから祝意が送られて来た。フェルナンデス・アルゼンチン、マドゥロ・ベネズエラ、コレア・エクアドル各大統領やバイデン米副大統領は本人に電話を掛け、勝利を祝した。左派系勝利を意識してか、マドゥロ氏はツイッターで、バスケス氏に同志(Compañero)の冠を着けて称えている。 

 決選投票から間もない122日、彼は次期政権の閣僚候補を発表した。既に、次期副大統領には、ラウルフェルナンド・センディック氏(52歳)が決まっている。上述のセンディックの息だ。ムヒカ政権から横滑りするのは、国防相、内相、観光相、そして農牧水産相と4名もいる。72歳の国防相はトゥパマロス出身の元ゲリラで知られる。また経済・財務相に起用するのは、アストリ現副大統領(74歳)だ。つまり、ムヒカ政権との継続性を示したことになろう。一方で、その経済・財務相と、文部科学相、運輸・公共事業相及び社会開発相の4名は、彼の第一次政権で閣僚を務めた。いずれも、かなりの年配者たちだ。気になる外相には、第一次政権時代の副大統領、ニンノボア上院議員(66歳)を起用する。数名の新任閣僚を含め、バスケス氏独自の構想を示すものだろう。

 ムヒカ大統領は「ペペ・ムヒカ」と呼ばれ、給与の大半を辞退し、生活が質素なことで知られる。国民の人気は高い。生活は質素な彼自身は上院議員として、政界に残る。彼の出身母体のMPPFA内の第一党であり、彼の夫人、ルシア・とポランスキー上院議員がリーダーを勤めている。一方でバスケス氏の社会党は第三位とされる。ムヒカ氏は4日、Unasurサミットに出席のためエクアドルに向かい、そのままメキシコのカンクン経由、89日にベラクルスで開催されるイベロアメリカサミットに出席し、バスケス氏と会うのは12日、と伝えられる。

 

  ウルグアイは上述の通り、人口面ではラ米19カ国で最小国だ。ただ、一人当りのGDPがチリ、アルゼンチンに次いで高く、経済面では中米6カ国やパラグアイ、ボリビアよりも大きい。ムヒカ政権下のこの国で世界が注目したのは、マリフアナの売買及び所持の免罪化だろう。麻薬犯罪の凶悪化を阻止するには、一定の規制を施した上で合法化したほうが良い、との考え方に基づく。この考え方をとる大統領は、ラ米には何人もいる。だが実施には二の足を踏んでいる。元々医師のバスケス次期大統領は、実は反対だが、法制化された以上、従う、との立場だそうだ。街の薬局でのマリフアナ販売は、法的には認められたが、その実施に関わる措置は遅れており、彼の政権に委ねられている由で、もたつくことだろう。

バスケス第一次政権下、人工中絶法が通った。彼自身は、これに異を唱え、信念を持って、との表現つきで、拒否権を発動した経緯がある。施行はムヒカ政権による。これをどうこうすることはあるまい。だが、彼には世界最大のタバコ会社のフィリップ・モリス社と対立して進めた喫煙規制の実績がある。マリフアナ問題同様、医療、健康問題への執念は、結構強いようだ。

 

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