モラレス連続三選-ボリビア
http://okifumi.cocolog-wbs.com/blog/2014/01/20142-6825.htmlで述べたボリビア総選挙が10月12日に行われ、モラレス大統領(54歳)の連続三選が決まった。公式発表は現地13日に行われるが、出口調査によれば彼の得票率は60%強で、大方の予想通りだった。2011年の先住民居住地域を通過させる南米横断高速道路建設計画に反対する先住民抗議デモが災いし、一時、支持率3割前後で低迷し、高支持率の周辺諸国大統領を羨ましがっていたこの人への支持が、その3年後の今回選挙ではすっかり回復した、と言える。2006年の初当選以来、3回連続の過半数越えだ。外電は、与党議員が選挙前に、反モラレス票を投じれば鞭打ち刑が待っている、と発言した、と伝えるが、米州機構(OAS)から派遣された、フネス前グァテマラ大統領を団長とする選挙監視団が見守る中、実際には公正な選挙だったと言えよう。
昨年4月の最高裁判定の後、本年5月、多民族立法議会(上下両院総会)の議長を務めるガルシアリネラ副大統領が、モラレス氏の出馬宣言前に、彼の出馬は合憲、とする立法措置に署名、連続再選を1回に限定した憲法解釈を巡る異論も残る中で、私の理解が正しければ、彼の政権が2020年1月までの14年間続くことになった。ベネズエラの故チャベス政権と同じ長さだ。
それにしても、対立候補の情けなさはどうだろう。筆頭対立候補のメディーナ氏(55歳)は20年も前のパスサモラ政権(在任1989~93年)の企画調整相を、弱冠33歳で2年間務めたことがある。その際に当時の政権党だった左翼運動党(MIR)に入党したようだ。1995年にペルーのトゥパクアマルー革命運動(MRTA)に誘拐されたことでも知られる。2003年、国民連合(UN)創設に参加、05年、09年の大統領選に出て、いずれも一桁得票の第三位だった。今回は、上記ブログでも触れたが、議会第二勢力を成す「ボリビア進歩計画連合(PPB-CN)」の解体で漁夫の利を得た格好、と言えまいか。PPB-CNの中の国民革命運動(MNR。1952年革命の推進母体。ホームページのボリビア革命参照)など主力政党と組んだ「拡大戦線」を組成し、その候補となり25%前後の得票になった。
キロガ元大統領(在任2001~02年。54歳)は、第三位に終わった。元大統領とは言え、バンセル(1921~2002年)第二次政権(在任1997~2001年)副大統領で、大統領辞任で昇格したものだ。バンセル支持基盤の民主国民運動(ADN)をP引き継ぐ形で「社会民主の力(PODEMOS)」を立ち上げ、2005年選挙にはここから出馬、モラレス候補に次ぐ第二位を付けた。今回は解体したPODEMOSの一翼を担っていた社会キリスト党(PDC)からの出馬となったが、政界、国際社会での華やかな経歴にも関わらず、得票率は10%に届かなかったようだ。
南米の解放者、ボリーバル(1783~1830)の名を冠したボリビアの現代史は、革命12年後の1964年に軍政に入った。その7年後にキューバ革命の英雄、ゲバラ(1928~67)を処刑したことは、ラ米史上、あまりに有名だ。民政移管は82年10月10日。80年6月の選挙で当選していたシレススアソ(1914~96.パスエステンソロの同志として革命を戦った)が大統領に就任した日、として良かろう。
1985年6月以降、4年毎に、6月乃至7月に選挙が行われ、8月6日のボリビア建国宣言記念日に大統領が就任するようになった。2002年のサンチェスデロサダ第二次政権発足まで続いた。この間1997年までは以下のような連立政権の組み合わせが行われた
l 1985~89年(パスエステンソロ第四次):中道右派のMNRと、右派バンセル政党たるADN
l 1989~93年(パスサモラ):中道のMIRと右派ADN
l 1993~97年(サンチェスデロサダ第一次):中道右派のMNRと中道のMIR
1994年の憲法改正で大統領任期が5年に延びた。その初代は1997年に選出されたバンセルだ。1972年8月、軍内のクーデターで政権を掌握した将軍、という経歴から、「独裁者」と呼び慣らされるが、実は78年に大統領選を実施、その際には自らは立候補しなかった。この選挙は後日無効とされ、彼自身も軍内クーデターで失脚、後にADNを創設した。初めてで、彼自身にとっても初めての立憲大統領の座だ。76歳にもなっていた。決選投票ではMIRの支援を得た。だが、2000年1月の「コチャバンバの水紛争」の翌年、任期を1年残して前述の通り、辞任している。
2002年8月に大統領に就任したサンチェスデロサダ氏も、軍出動を含む抑圧で多数の死亡者を出した03年10月の「第一次ガス紛争」で失脚、米国に亡命した。メサ副大統領が昇格したが、05年5月の「第二次ガス戦争」を経て、本来任期の前に辞任した
つまり、5年任期になった初代と二代目は、任期を全うできなかった。この点、http://okifumi.cocolog-wbs.com/blog/2011/10/post-2ed2.htmlを参照願いたく。サンチェスデロサダ氏については、上記紛争でのデモ参加者殺害に関与あり、として、2005年2月に議会が提訴、ボリビア政府は08年11月以降、米国に身柄引き渡しを要請し続けている。
大統領の就任を1月にするようになるのは、2005年6月発足の暫定政権下で決まった。これに合わせる格好で、同年年12月に総選挙が行われた。モラレス第一次政権の本来の任期は11年1月だったが、09年の憲法改正(連続再選を1回に限り認める、とするもの)による初めての総選挙と銘打ち、同年12月の選挙となった。モラレス氏が2014年の連続再選を狙ったのは明らかだ。今回10月になったのは、決選投票の可能性を考えると、1月の就任まで時間的余裕が無い、という理由付けになっている。