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2014年5月27日 (火)

コロンビア大統領選

525日、国際的な関心を集めるウクライナと同じ日に、コロンビアでも大統領選挙が行われた。FARCとの和平対話の今後を占う重要な選挙だ。結果は、これに否定的なスルアガ元蔵相(55歳)が得票率29.25%で、これを進めるサントス大統領(62歳)の25.69%を3.5ポイント上回り、第一位だった。投票率が白票や無効票を入れても40%で、前回2010年大統領選より10ポイント下がった。今年39日の議会選では44%だったが、それよりも低い。投票率が低いのは、この国の選挙の特徴でもある。それでも米州機構(OAS)が気にしている、とも伝えられる。ともあれ、この二人が615日の決選投票に進むことになる。 

サントス大統領は、彼の「国民社会統合党(la U’)」、今回彼を支持する「自由党」及び「急進変革党(CR)」を加えた「国民統合」で出馬した。上記議会選では、la U’が得たのは上院定数102議席中21、下院定数164議席中39だったが、「国民統合」で見ると、夫々4792、上院でこそ過半数に若干満たないが、下院では6割近い(英文Wikipediaによる。全国選挙評議会(CNE)のホームページでは見つからず)。つい最近まで、彼の圧倒的優位は動かしがたかった。

http://okifumi.cocolog-wbs.com/blog/2014/03/post-4a0a.htmlでもお伝えしたように、彼はペトロ・ボゴタ市長を3月に解任した。高等司法評議会が地方裁判所の判決を棄却したことへの行政措置だが、解任には慎重な手段が講じられるべき、との国際人権委員会の意見書をもとに、速やかなる地位回復をボゴタ最高裁判所から出され、4月には復権させた。ともあれ民選市長の地位を一行政部門が脅かす、という、国際的には理屈の通り難い問題の処理が行われていた。これも選挙戦上はサントス有利に働いた筈だが、彼の優位が萎んだのは、実はこの後だった。 

スルアガ候補は、ウリベ前大統領が対FARC対話路線を取るサントス政権に反発し、自ら創設したla U’を離党してまで結成した「民主センター(CD)」から出馬したが、上記議会選でのCDの獲得議席は上院こそ同数第二位の19だが、信じがたいことに下院は第六位、12に過ぎない。連合相手はいない。何が彼を第一位に引き上げたのだろうか。ここ一月の間、スルアガ陣営では、選挙キャンペーンの参謀がメールの違法傍受のスパイ罪で起訴された。だがサントス陣営でも参謀の麻薬組織の献金(本人は否定)スキャンダルが起きた。22日、初めての候補者テレビ討論会が行われ、サントス氏が公然とスルアガ氏をウリベ氏「操り人形」扱いする、大統領らしからぬ態度が見られ、評価を下げたようだ。いわば敵失の為せる技かもしれない。 

そもそも、サントス大統領はウリベ政権時代の国防相、スルアガ候補は蔵相、いわば同僚だった。ついでながら、今回選挙で第三位に着けたのは、伝統政党である保守党のマルタ・ラミレス前上院議員(59歳)で、得票率は15.52%だったが、彼女もウリベ政権下で1年強、国防相を務めたことがある。また議会にはウリベ与党のla U’から出た(退任後、元の保守党に復帰)。つまりこの3人全てに、ウリベ前大統領の、いわば息が掛かっている。この3人だけで、7割もの票を得ている。経済社会政策面では、大きな違いは無い。違うのは、ゲリラ組織との和平に対する姿勢だ。

ウリベ氏の存在力の大きさには眼を瞠るものがあろう。ウリベ氏は上記議会選で上院議員になった。大統領経験者には極めて異例のことだろう。この国では、私は寡聞にして聞いた事が無い。そのウリベ氏はFARCには頑なな対応を取り続ける。一方で、政権時代には「コロンビア自衛組織連合(AUC)」の武装解除を断行し、国内治安は好転、彼の寝食を犠牲にしたともされる熱心な仕事ぶりもあって、国民支持率は任期終盤にあっても高まる一方だった。 

良し悪しや好悪は別として、FARCの存在感も高い。この組織の前身が結成されたのは50周年も前のことだ。反政府武装勢力がこんなに長く続くものだろうか。力で抑えようとしたウリベ政権時代、確かに兵力が殺がれはしたが、今なお8千人を抱える。歴代の政権も、自警団(パラミリタリー)を使ってまで制圧を試み、失敗を繰り返した。自警団による人権侵害、という副作用も生んだ。「国民解放軍(ELN)」も長い。結成年という意味ではFARCより若干前になる。

516日、大統領選の9日前、FARCは政府側とのハバナでの対話で、麻薬問題の解決に関わる合意を得た。和平の5テーマの内、農業政策(20135月決着)と政治参加の保証(同、11月)が既に合意されており、残るのは内戦犠牲者への保障、及び武装放棄の2つのテーマだけとなった。全項目についての和平協定が年内に実現する可能性は高まっている。

この日FARCは、和平対話には未参加のELNと共に、大統領選が平穏に行われるように、と、520日から28日までの一方的停戦を決めた。サントス再選を支える意図は明白だったが、反発する有権者が多かった、との見方もある。 

スルアガ氏は、FARCとのハバナでの和平対話を、彼らが武力行使の放棄を宣言するまで中断する、と言ってきている。且つ、ゲリラ幹部は服役せねばならない、とも言う。彼らを誘拐、テロ、麻薬と結び付けてとる国民には頼もしい。だが、幹部が服役すれば、和平は、一体誰と進められる、と言うのだろうか。加えて、議会勢力を考えると、彼の指導力には限界があろう。他党の協力を得る必要がある。サントス氏は議会勢力についての懸念は小さいが、肝心の決選投票では、やはり他党の協力が不可欠だ。

l 保守党:ラミレス候補は、自らが当選すれば4ヶ月間は和平対話の猶予を与えるがそれ以上は待てない、と言って来た。スルアガ氏に近いと言える。議会では上院19、下院27議席を得ている。

l 「民主代替の極(PDA)」:クララ・ロペス前ボゴタ市長(63歳)。第四位ながら、得票率はラミレス候補と拮抗する15.25%。対話継続に前向き。彼女は上記ペトロ市長同様に行政監察庁により解任されたモレノロハス元市長の正式後任として、サントス大統領から指名を受けた人だ。PDA自体はゲリラ組織だったM-19を前身としている。議会では上院5、下院3の小党ではあるが、FARC の武装解除、政党化には自らの経験も生かせよう。

l 「緑の連合」:ペニャロサ元ボゴタ市長(59歳)は8.29%の第五位に終わり、党自体も議会では上院5、下院6の、やはり小党の一つに過ぎない。だが、彼とロペス候補の票を足せば、計算上サントス氏の過半数獲得は可能となる。

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2014年5月 9日 (金)

パナマ次期大統領の課題

ブログhttp://okifumi.cocolog-wbs.com/blog/2014/01/20142-6825.htmlも参照願いたいが、54日の総選挙で、「パナメニスタ党」のフアン・カルロス・バレラ副大統領(50歳)が39%の得票率で大統領に選出され、7日、副大統領候補のイサベル・サンマロ氏(「国民が第一」という連合を組んだ「人民党」より出馬)共々、選挙管理評議会(JNE)の正式宣言を得た。次点は与党「民主変革(CD)」候補のドミンゴ・アリアス住宅相で、得票率は31%、これに「民主革命党(PRD)」のナバロ元パナマ市長の28%が続いた。投票率は77%で、前回を多少上回った。事前の世論調査では常にドミンゴ・アリアス候補が最有力視され、その競争相手は寧ろナバロ候補だったので、これをひっくり返す結果になったのは、専門家やメディアの間では予想外の結果、と言えよう。本年2月に行われた隣国コスタリカの大統領選で、事前調査で第四位の候補者だったソリス氏が第一位を付けたことが記憶に新しいが、似たような展開かもしれない。専門家の分析では、20万人もの無党派層の票が効いた、とのことだ。投票者総数が190万弱なので、事実とすれば、この要因が大変大きい。

この国は、ラ米(イベロアメリカ)十九ヵ国の中で、一昨年7月に選挙が行われたメキシコ、昨年4月のベネズエラとパラグアイ、同11月のホンジュラス同様、大統領選に決選投票が導入されていない5カ国の一つだ。この内、メキシコ、ベネズエラ及びホンジュラスでは、次点候補がかなり長期に亘って、不正があったとして選挙結果を認めなかった。第一、二位の得票率は、メキシコでは39%、32%、ベネズエラでは50.8%49%、ホンジュラスでは38%29%だった。今回パナマではすんなり認められた。ただ気掛かりはある。 

同時に行われた議会選挙の結果は、58日段階でも最終結果は出ていない。英文Wikipediaよれば、開票率92%段階で、定数71の内64議席が確定、この内パナメニスタ党は僅か11で、「国民が第一」連合としても12だ。与党CD29(「変革同盟」連合では30)、PRD21に大きく離された、議会第三党に過ぎない。未確定の7議席がどうなろうと大勢に影響あるまい。これだけの少数与党では、政権運営は覚束ない。

隣国コスタリカのソリス氏の市民行動党(PAC)も、定数57議席の議会で、13議席の議会第二党。少数与党となるのは同じでも、政権運営力となると、46日の決選投票での圧倒的勝利の意義は大きい。58日に就任したが、少なくとも連立についての報道は国際メディアからは伝わってこない。強気なのだろうか。余談だが、就任式にはスペイン皇太子やグァテマラ、ホンジュラス、エルサルバドル(サンチェスセレン次期大統領)、パナマ(マルティネッリ現大統領)及びドミニカ共和国の中米カリブ諸国の他にも、ボリビアとエクアドルの首脳、激しい抗議デモが続くベネズエラからは副大統領が参列した。 

バレラ氏にはソリス氏のような決選投票での圧倒的勝利、というシナリオは有り得ない。ならば、CD創設者でもあるマルティネッリ氏のシナリオはどうだろうか。2009年総選挙の各党の獲得議席数だけを見ると、CD12、パナメニスタ党は19PRD22だった。ほどなく、142226に変わった。これが直近の議会構成図では夫々361617だ。議員の政党乗換え組が多いことを覗わせる。比例代表制が主流のラ米の中で、選挙制度自体がユニークなパナマならでは、だろう。先ず、小選挙区で27議席が決まる。比例代表の45議席にも、候補者個人に割り振られる部分もある。制度上の問題だけではなく、政党自身の合流、分裂もある。それにしても、凄まじいほどの変動だ。

バレラ氏自身、2009年、パナメニスタ党とCDの連合「変革同盟」、で、マルティネッリ現大統領と組んで副大統領に当選した。両党連立政権で外相を兼任し、20118月に解任され、連立は崩壊したが、副大統領職は民選であり、反大統領の副大統領を続けていた。上記の議席変動には、パナメニスタ党からCDへの移動もある。逆も有り得よう。だが、新興政党のCDと伝統政党のパナメニスタ党では、立場が違う。 

選択肢として、CDとの連立復活も当然、あろう。そもそも連立解消はバレラ氏が外相を更迭されたことにあり、同党との政策の違いはあまり無さそうだ。彼自身、マルティネッリ氏同様、経済界出身だ。外資誘致や運河拡張プロジェクトにも引き続き取り組もう。コスタリカ共々、メキシコ、コロンビア、ペルー及びチリの太平洋同盟加盟にも抵抗は無い。だが、更迭という仕打ちを受けただけに、修復が困難、との見方もある。まして、野に下ってからは、政権の腐敗を攻撃し続けてきた。引っ込みが付け難い。CD側にも彼への反発は強い。

彼が当選後に真っ先に電話会談をした相手は、二ヶ月前、国交断絶を宣言したベネズエラのマドゥーロ大統領、と言う。断絶理由は、同国で執拗に続いている抗議デモについて、米州機構(OAS)の常任評議会で取り上げようとしたマルティネッリ政権の動きを、耐え難き内政干渉、とした。バレラ氏は、近く特使をカラカスに派遣すること、両国間の国交回復を望むこと、などを述べた旨を公表、71日の大統領就任式にマドゥーロ氏を招く、と表明した。本人の意図はどうあれ、現CD政権への当て付けとも採れる。 

CDとの連立復活が無理なら、PRDとの連立はどうだろうか。パナマ史を紐解けば、極めて考え難い選択肢と言える。パナメニスタ党は、1931年のクーデターでパナマ政界の中心人物となってきたアルヌルフォ・アリアス(1901-88)の流れを汲む。アルヌルフィスタ党とも称された。一方のPRDは、1968年のクーデターで彼の政権を転覆し自らの軍政を確立したオマル・トリホス将軍(1929-81)が後年結成した。二人は言わば不倶戴天の敵同士ともいえる。

1989年に事実上の民政復帰を果たした後、2009年まで両党間で政権交代を繰り返してきた。同年すら、パナメニスタ党にとっては、新興政党のCDとの連立の形ではあれ、二期前同様、政権奪還との位置付けではなかっただろうか。PRDと組むとの選択肢など、有り得なかった。バレラ氏は勝利宣言で、「対立やいがみ合いは過去のものにし、人間的な、合意形成と国民団結の公正で透明性の高い政府をもたらす」と述べた。これは、初めてのPRDへの接近を示唆している、ととられているようだ。

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