ベネズエラの反政権抗議活動
一ヶ月前の2月12日は、ベネズエラの「若者の日(Día de la Juventud)」に当たる。1814年のこの日、修道院などの学生が加わった部隊が、強力な王党軍に勝利した「ビクトリアの戦い」に因んだ。その200周年を祝うデモが各地で行われたが、一方、反政権派の学生らも38の都市で、抗議デモに出た。2月2日にマチャード議員やロペス元チャカオ市長ら反政権派政治家数名が呼びかけたのは、治安(殺人率が公式発表でも南米で最悪の10万人に対し39人)、インフレ(今年1月時点で年率56%)、物資不足に抗議するデモだった。
だが、各地で親政権、反政権双方の衝突、発砲や、反政権側によるテレビ局、首都交通バス部門、或いは幾つかの政府機関襲撃などの幾つかの暴力事件に発展した。犠牲者(後日死亡した人を加え)3名も出た。大勢が逮捕された。反政権側の過激化を受け、マドゥーロ大統領は「右翼でファシストのクーデター」として、激しく非難した。反政権側による暴力事件への関与を理由に、上記ロペス氏に逮捕命令が出された。同氏は18日に支持者らに付き添われる形で国家警察に出頭し、逮捕された。
逮捕者が出れば、抗議の対象に釈放要求が加わる。スペイン語Wikipediaによれば、反政権派がカストロチャベス主義(«castrochavismo»)と呼ぶ政治経済モデルの変革、及びマドゥーロ大統領及び閣僚らの辞任も叫ばれているようだ。抗議活動は一ヶ月経っても、まだ続いている。道路封鎖に加え、首都交通のバスや石油公団(PDVSA)のトラックが焼かれたり、テレビ局を数日間に亘って力ずくで包囲したり、警官隊に石礫で攻撃したりで、反政権派による暴力行為も繰り返され、警官隊が催涙弾で押し返す状況が報じられる。銃器を携行する自警団グループなどとの衝突も多発しているようだ。累積犠牲者数は、3月12日付けロイター電の集計で、25名となった。犠牲者や逮捕された人には自警団メンバーら親政権派や、警官らも含まれる。
今年2月27日は、チャベス中佐率いる空挺部隊が反乱を起こした遠因ともなる「カラカソ(Caracazo)」の25周年記念日でもある。1989年のこの日、公共交通料金引き上げへの怒りで、カラカスの一部市民が大暴動を起こした。数千軒とも言われる商店で、暴徒による略奪行為があった。取締りに当たらねばならぬ筈の警官は傍観した、とされ、当時のペレス第二次政権は軍隊を動員し、犠牲者300名の流血を見て、漸くこれを鎮圧した。かかる経験が未だ鮮明に記憶に残るこの国では、市民による抗議が大暴動に発展することを、政治家なら誰でも憂慮する。
22日、「平和のため」集会が親政権側、反政権側双方で開催された。前者でマドゥーロ大統領は「祖国の裏切り者、ファシストからベネズエラを守る」としつつ、支持者でも彼らに対し武器を使用した者を監獄に送った」と釘を刺した。後者では、反政権側の政治家で最高指導者と目されるカプリーレス・ミランダ州知事が、「ベネズエラの将来を求めて街頭に出よう」と訴えた。昨年4月の大統領選で得票率僅か1.5%の僅差でマドゥーロ現大統領に敗退したカプリーレス知事だが、彼を推したてた野党連合の「民主統一会議(MUD)」本部ともども、抗議活動はあくまでも平和的に行うべし、として、暴力行為に走る活動家を繰り返したしなめている。実は、ロペス氏も平和的行動を呼び掛けていた。カプリーレス氏は、治安の悪さや物資不足を解決できないマドゥーロ政権は、いずれ退場を余儀なくされる、暴力で抗議すれば、結局は政権側に居座りの大義名分を与えることになる、と見る。
対外的には、マドゥーロ政権は2月16日、米国大使館の3名を反体制派への関与を理由に国外追放(米国も相互主義で3名のベネズエラ外交官を追放)した。ただ、25日に、2010年以来空席の駐米大使を指名、対米関係好転の姿勢を一応は示している。またハウワ外相を2月27日から3月始めにかけ、南米南部諸国とジュネーヴの国連人権委員会に派遣し、政権側からみたベネズエラ情勢の説明に当たり、理解を求めている。
ラ米社会では、上記ロペス氏逮捕の2月18日、コロンビアのサントス大統領が、ハバナでコロンビア革命軍(FARC)との和平対話に協力するベネズエラに謝意を述べた上で、当事者双方の対話を呼び掛けた。2月25日、パナマのマルティネッリ大統領がOAS(米州機構)に対し、ベネズエラ情勢に関わる外相会合を要請した。前者では、マドゥーロ大統領は、ベネズエラ国内問題に口を挟むな、と応じたが、後者については3月5日のチャベス前大統領死後1周年式典の場で、OASによる内政干渉を諮った、として、外交断絶を宣言した。
ラ米社会は、反政権派による暴力行為を「国を不安定化させるもの」と非難する左派政権諸国と、政権側の公権力行使への懸念を表明する右派政権諸国に分かれるようだが、いずれも双方の対話を促してきた。実際にはマドゥーロ大統領の呼び掛けで、既に2月26日と28日に、国民平和会議が大統領官邸で持たれている。宗教界、経済界の夫々の代表、政権側及び反政府側リーダーたち、アーティストらが出席した。だが、カプリーレス氏とMUDは、成果に乏しい行事、として、欠席を決めている。
3月11日、チリにバチェレ第二次政権が発足した。太平洋岸のバルパライソで行われた彼女の就任式には、太平洋への出口問題で険悪な関係にあるボリビアのモラレス大統領を含む、南米諸国の大統領が出揃った。遠いメキシコからも大統領が出席し、彼女の存在感の大きさを印象付ける。マドゥーロ大統領も出席を望んでいたが欠席した。この3日前、ベネズエラでチリ人女性が反政権派により道路に置かれた障害物を除去しようとしていたところを銃撃され、翌日亡くなった。チリ大統領に会わせる顔が無い、と思ったのか。反政権派による犯行と思われるが、延々と続く抗議活動は、中身がどうあれ、政権の指導力の低さを示している。
12日、そのチリのサンティアゴに、就任式に代理出席したハウワ外相を含む南米諸国連合(Unasur)諸国の外相が集い、ベネズエラの「平和な共存社会(Convivencia pacífica)」の回復への諮問委員会を設ける決議を行った。第一回目の会合は、4月始めに行われる見込みだ。
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