僅差の敗北がもたらすもの-エルサルバドル
3月9日、ラテンアメリカの二ヶ国で二つの国政選挙が行われた。エルサルバドル大統領選の決選投票とコロンビアの議会選だ。
現地時間の3月13日未明、エルサルバドル選挙最高裁判所(TSE)が決選投票の結果、「ファラブンドマルティ国民戦線(FMLN)」のサンチェスセレン候補勝利を宣告した。TSEのホームページにも、決選投票の最終結果として、下記が明記されている。
l サンチェスセレン候補が50.11%の1,495,815票
l 国民共和同盟(ARENA)」キハーノ候補が49.89%の1,489,451票、
その差6,364票、率にして0.22%だ。事前の世論調査によれば、前者が10ポイントを上回る差をつけての楽勝の筈だったのに、2013年4月のベネズエラhttp://okifumi.cocolog-wbs.com/blog/2013/04/post-5413.htmlどころではない凄まじいばかりの僅差だ。決選投票のキャンペーン期間中、先日お伝えしたベネズエラの抗議活動が繰り広げられていた。キハーノ候補にとり、サンチェスセレン候補への攻撃に格好の材料だ。前回お伝えしたhttp://okifumi.cocolog-wbs.com/blog/2014/02/post-5c18.htmlを併読願いたいが、サカ元大統領支持層の多くが、サンチェスセレン候補から離れたことは明らかだろう。
僅差の敗北を選挙不正の結果、と決め付け、抗議行動や、外国や国際機関にも訴え、選挙無効を執拗に要求し続けたベネズエラに加え、ホンジュラスhttp://okifumi.cocolog-wbs.com/blog/2013/11/post-bad8.htmlでも似た展開が見られた。ただ後者は短期間に終わった。
TSEによる速報値段階でも約6,600票差でキハーノ候補が負けていた。彼はこれを認めず、一票ごとの再集計を最高選挙裁判所に求めたが、TSEは彼の要求を受け容れなかった。そもそも、あまりの僅差であれば、TSEは手作業による再集計を行う。この作業には、キハーノ側代表も参加した。作業中、支持者らが再集計会場となったホテルを取り囲み、圧力もかけたようだ。だが、上記最終結果が出た。サンチェスセラン候補の勝利が、選挙制度上、確定した。キハーノ候補側は、それでも選挙の無効を訴え、再選挙を唱える。ただ、大規模街頭デモは一般市民の顰蹙を買う。上記の再集計会場包囲は、短時間で解散した。今後の展開を見て行きたいが、国連及び米州機構(OAS)からの選挙監視団も、エルサルバドル検察及び国防軍も、TSEの最終結果を尊重する旨言明しており、キハーノ陣営による挽回は先ず無いと見てよかろう。
サンチェスセレン氏は元教師で、1970年4月に結成されたファラブンドマルティ人民解放軍(FPL。ホームページの軍政時代とゲリラ戦争中のゲリラ戦争をご参照)に参加した。FPLが他左翼ゲリラと合流しFMLNとなる1980年10月以前の話だ。エルサルバドル内戦は1980年から92年までとされるようだが、ホンジュラスとのいわゆる「サッカー戦争(ラ米の戦争と軍部中の二十世紀の国家間戦争をご参照)」の結果、経済疲弊と社会不安の中でゲリラ活動が頻発し、多くの犠牲者が出た。彼はこの頃から活動しており、筋金入りのゲリラ戦士と言えるかも知れない。FMLNではレオネル・ゴンサレスという別称を持ち、1984年、総司令官を表すComandante Generalとなり、1990~92年の政府との和平交渉を経て武装放棄に至る過程で強い指導力を発揮したことが知られる。
キハーノ氏は、ARENA創設者のドブィッソン(1944-92)大佐を尊敬している、と言われる。1993年、国連エルサルバドル真実委員会は、80年3月に起きたロメロ大司教暗殺事件に関し、殺害への関与を断定した人だ。問題は、国家や軍の支配下から離れた形で、ゲリラやその関係者の疑いのある住民を殺害する「死の部隊」の司令塔のような存在だった、とされることだ。標的は左翼ゲリラだった。その中には、当然、同年輩のレオネル・ゴンサレス司令官(サンチェスセレン)も含まれたことだろう。
キハーノ氏及び右派勢力は、エルサルバドルでベネズエラ政府の利益を代表し、二十一世紀の社会主義を植えつけようとしている、と攻撃してきた。TSEの勝利者宣告を受けて、記者団の前に姿を現したサンチェスセレン氏は、チャベスを目指すか、と訊かれ、いや、ムヒカ・ウルグアイ大統領だ、と応え、理由として、ムヒカ路線が開発と社会投資を両輪としている、エルサルバドルがベネズエラになれる筈も無い、と述べた。また、過去の政権下で拒まれた国民の権利の保護、雇用の増大、犯罪に対する情報を活用した全力の戦い、国民生活を良い方向に深める真の好転、を約束する、とした。
FMLN政権としては、これで連続10年間が確定する。初代の政権はカリスマジャーナリストのフネス大統領が担っているが、サンチェスセレンに代わって、何がどう変わるのか、連立政権はこれまで通り不可避だが、先ずはここから見ていきたい。
同じ3月9には、コロンビアで議会選挙が行われた。サントス大統領支持の国民連合(「国民社会統合党、la U’」、「自由党」及び「急進改革、Cambio Radical」で構成)が下院でこそ過半数を確保したが、上院では半数に1、2議席届いていない模様だ。ハバナでコロンビア革命軍(FARC)との和平対話を進めているサントス政権に批判的なウリベ前大統領が立ち上げた「民主センター」が、上院でいきなり保守党と共に第二党に躍り出た(但し、下院では第五党に留まった)。FARCとの対話に立会い国として関わるベネズエラの現状が、かなり奏功したように思える。ともあれ、FARCとの和平対話を止められるような勢力にはなっていない。
| 固定リンク
「メキシコ・中米」カテゴリの記事
- メディーナの連続再選-ドミニカ共和国大統領選(2016.05.21)
- グァテマラ大統領選が終わって(2015.10.27)
- パナマ次期大統領の課題(2014.05.09)
- 初めてのPAC政権誕生へ-コスタリカ(2014.04.08)
- 僅差の敗北がもたらすもの-エルサルバドル(2014.03.14)
この記事へのコメントは終了しました。
コメント