ボゴタ市長の解任
3月19日、サントス大統領がペトロウレゴ(以下、ペトロ)・ボゴタ市長を解任し、パルド労相を市長代行に指名した。3ヶ月前、行政監察庁が罷免と15年間の公職追放処分を発表、これを大統領が追認したものだ。ペトロ氏は4月1日まで引継ぎに当たる、と言う。パルド氏の代行期間は選挙を経て正式な後任者が就任するまで、となるが、選挙日程は、現時点では未定だ。
コロンビアでは、公職にある人たちに対する監察に当たる行政監察庁に、懲罰を科す権限が与えられている。対象が官僚に留まらず、選挙で選ばれた県知事や市長にまで及ぶ。1991年憲法に定められている。実は、ペトロ氏の前任者も罷免された。公共事業スキャンダルを理由とする。ペトロ市長の解任理由は、その一年前の2012年12月、従来民間業者の仕事だったゴミ収集事業を、利水公団に委ね、結果的に元に戻したが、その間に市中に溜まった大量のゴミに起因する社会的混乱と衛生上の懸念を惹き起こしたことだ。翌月本年1月、クンディナマルカ(ボゴタが所在する県)地方裁判所が同請求の棚上げ判決を出し、決着は持ち越された。
この間、ペトロ市長は罷免が不当、として、支持者を動員した抗議デモや、国際世論への訴えを進めた。だが、3月18日、高等司法評議会が上記地方裁判所判決を棄却、結論を大統領の政治判断に委ねた。彼の訴えを受けていた汎米人権委員会(在ワシントン)は、民選首長の罷免には、司法による有罪判決か、当該住民によるリコールが必要、として、サントス大統領には慎重な対応を求めたが、拒絶されたことになる。
ペトロ氏は、ゲリラ出身の政治家、と言われる。事実、17、18歳の頃、左翼ゲリラの「4月19日運動」(M-19)の活動家になった。25歳だった1985年10月、武器の不法保持を理由に拘束され、懲役2年の判決を受け、87年3月まで服役した。ゲリラ兵士としての活動がどの程度のものだったか、この経歴だけでは私には分からない。釈放後、M-19に復帰した。1年半後の88年9月、当時のバルコ政権(1986-90)はゲリラとの和平イニシアティヴを発表、M-19がこれに乗る形で、和平に向け動き出した。翌89年10月に合意に至り、90年3月に武装放棄、「M-19民主同盟(AD-M19)」で政党登録を果たしている。彼が26歳から29歳までのことだ。
1991年12月、そのAD-M19から31歳で、初めて下院議員になった。さらに、98年から二期8年間、下院議員、2006年から10年まで上院議員を務めた。同党はその後他の左派政党と合流し党名を変えてきており、2002年に「独立民主の極」(PDI)、2006年に「民主代替の極」(PDA)となる。いずれも、ウリベ政権第一(2002-06)、二期(2006-10)の選挙の直前だ。彼の政権時代、ペトロ議員がパラミリタリー・スキャンダルを追及したことは有名だ。大統領はPDAの議員を「市民の服装をしたテロリスト」と呼んだ、とも言われる。
2010年5月には、PDAから大統領選に出馬し、第四位に終わった。ただ、小党にしては得票率が9%、善戦だったと言えるかも知れない。翌11年10月、ボゴタ市長選に臨み、当選した。上述の罷免された前任者、モレノロハス氏、さらにその前のガルソン氏もPDAから出ており(但し在任中「緑の党」に鞍替え)、その意味で三代続けての同党からのボゴタ市長ともいえるが、ペトロ氏は同党の正式指名を受けず「革新運動」候補としての立候補だった。因みにこの時のPDAの正式候補者は、得票率は僅か1%台に過ぎず、惨敗を喫した。なお、革新運動は、ペトロ氏解任後、消滅するようだ。
本年5月の大統領選には、PDAからはクララ・ロペス党首(62歳)が出馬している。最近のギャラップ調査によれば、サントス現大統領が32.5%、次点がいわゆるウリベ党のスルアガ元蔵相の15.6%、第三位が「緑の同盟」のペニャロサ元ボゴタ市長の11.3%となっており、彼女は保守党候補の元国防相、マルタ・ラミレス前上院議員と8、9%台で第四、五位を争う位置にある。思うに、PDAは退勢にあるのではなかろうか。
現在、ハバナで政府との和平対話を続けているコロンビア革命軍(FARC)にとり、PDAは、実際にはFARCを批判していても、和平後のモデルでもある。その勢いが殺がれる状況は、歓迎できまい。特にペトロ氏はゲリラ上がりだ。行政監察庁が彼を解任した時、かなり動揺した旨が国際メディアにより伝わってきた。その僅か一ヶ月前に、和平対話5項目の第二番目、政治参加について、漸く合意を見たばかりだった(FARCの正統性を問う国民投票の方法は継続協議)。今回のサントス大統領によるペトロ氏解任の追認は、和平対話に、非常に否定的なインパクトを与える忌むべき政治決着、と非難する。
2012年11月に始まった和平対話の第22回目がこの3月20日に始まったところだ。第一番目の農地改革については13年5月に合意した(ブログhttp://okifumi.cocolog-wbs.com/blog/2013/05/farc-671e.htmlで参照)。政治参加合意後、第三番目の麻薬問題について協議を始めたが、遅々として進まない。大体、和平対話期間も、政府側に休戦の意志は無く、武力抗争は続き、双方に犠牲者が出ている。それでも対話を通じ、相互信頼関係が築かれて来た。今回の大統領の決定は、それを覆す懸念を孕むものではなかろうか。
サントス大統領の5月の大統領選に臨むに当たっては、半世紀も続いた内戦の当事者たるFARCとの和平対話は、重要な材料である。今年のクリスマスまでには合意形成を実現させたい、と公言している。上記の通り、世論調査では第二位の候補者に大差を付ける。去る3月9日の議会選の結果は、今日に至るまでコロンビアの選挙当局のホームページには出ていないが、Wikipedia英語版で見る限り、和平対話に反対する勢力は、議会では少数派、と言える。だが、FARC自身が、彼の選挙勝利への戦略に良い様に利用されているだけだ、という被害者意識に至れば、白紙に戻ってしまう恐れが強まる。
ペトロ氏は、憲法改正に向けたゼネストを呼び掛け始めた。確かに一行政機関が民選首長を解任できること自体、汎米人権委員会の指摘を待つまでも無く、異様ではある。パルド市長代行の市庁舎への「入城」に、ペトロ支持者らは抗議する。注視していきたい。
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