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2014年2月 3日 (月)

二つの選挙-コスタリカとエルサルバドル(1)

22日、中米の隣国同士、コスタリカ(総選挙)とエルサルバドル(大統領選)の2ヵ国で国政選挙が行われた。「中米の父」モラサン(1792-1842)の生地であるホンジュラスでエルナンデス大統領が就任して一週間後のことだ。モラサンが中米連邦大統領として最後の職務を執った地がエルサルバドル、崩壊した連邦の再建に決起し落命した地がコスタリカ、と、彼に思いを馳せながら、これを書いている。大統領就任式は前者が58日、後者が61日、と異なる。新大統領同士、夫々の就任式にはお互いが必ず出席する筈だ。

コスタリカの大統領選では、中間発表時点の得票率で31%の「国民解放党(PLN)」のアラヤ(56歳)候補が、29%の「市民行動党(PAC)」のソリス(55歳)候補と共に、46日に行われる決選投票に進む。

エルサルバドルは、中間発表時点の得票率で49%の「ファラブンドマルティ解放戦線(FMLN)」のサンチェスセレス(69歳)候補が、39%の「国民共和同盟(ARENA)」のキハーノ(67歳)候補と共に、こちらは39日の決選投票で雌雄を決する。 

1821年にメキシコと相前後して独立した旧グァテマラ軍務総監領は、短期間メキシコに組み入れられ、ほどなくメキシコから再独立、国名を中米諸州連合(中米連邦)とした。同じような名付け方に、ラプラタ諸州連合(現アルゼンチン)がある。モラサン第二次政権期に入って間もない1834年、連邦首都はサンサルバドルに移った。4年後、大統領選挙が実施される筈だったが、グァテマラ州を皮切りにニカラグア、ホンジュラス、及びコスタリカ各州が連邦から離脱を宣言、連邦は解体に進み、1840年、モラサンが大統領を退任、それまでの連邦首都から逃れた。その後5つ目の独立国、エルサルバドルが生まれた。彼が連邦復活を試み再決起したのはコスタリカだったが、失敗、この地で処刑されている。

ホンジュラス、エルサルバドル及びコスタリカを合わせて、人口面でチリ一ヵ国をやや上回り、合計面積は、南米最小国のウルグアイをやや上回る程度だ。現状の政治面では

l ホンジュラス:軍政期を挟み100年以上続く二大政党の一方が政権を担当。大統領再任が認められず、従って強力な政治指導者が出ない

l エルサルバドル: 1980年代の「中米危機」で内戦を経験、民政復帰から30年余の間に、政権は当時の反政府左翼ゲリラが重要政党

l コスタリカ:1948年に6週間の内戦を経験。その後平和憲法制定、軍隊を持たない。近年、大政党の一つが凋落し若い政党が台頭 

1931年から軍人が立憲大統領の座に座り続け、強権政治を行っていたエルサルバドルで、文民の立憲大統領が誕生し名実ともに民政移管が実現したのは8461日だ。それまでの半世紀の中で、60年、野党的立場で「キリスト教民主党(PDC)」が、翌61年、与党的立場で「国民和解党(PCN)」が、そして81年にARENAが結成された。

19823月、その民政移管直前に行われた議会選で、ARENAPCNを押さえPDCに次ぐ議会第二党になる。そのPDCは、843月の大統領選を制し、結党から四半世紀にして初めて政権党となった。だが89年には政権党は結党後8年のARENAに移り、2009年までの420年間、連続して政権を担う。

1992年末の内戦終結を機に、武装解除した左翼の反政府ゲリラFMLNが政党化した。94年の議会選挙で、いきなり議会第二党になり、以後2009年まで、第一、第二党をARENAと争い、同年、結党から17年でフネス政権を実現させた。

一方で、この国では伝統的政党と言うべきPDCPCNは凋落、2012年議会選挙で夫々「希望党(PE)」及び「全国連合(CN)」に名称変更を余儀なくされるほどに弱小化した。同年選挙で「国民統合のための大同盟(GANA)」が登場、議会第三党となった。

この国ではここ30年間、大統領選挙が議会選挙と同日に行われる総選挙を経験していない。大統領と議員の任期が夫々5年、3年で異なることもあるが、同年選挙が行われた1994年、2009年ですら、選挙日はずらしてある。旧中米連邦5ヵ国で総選挙を行わないのも、大統領と議員任期が異なるのも、この国だけだ。 

コスタリカは、旧中米連邦5ヵ国で国軍を持たない唯一の国である。軍人政権が続いたエルサルバドルとは、或いは、軍政が敷かれたホンジュラスとも、先ずこの点が違う。1917年には軍事クーデター、48年には内戦も経験しているが、1890年以降、概ね4年毎に大統領交代を繰り返した。一政党の連続政権期は最長でも416年間。ラテンアメリカで最も民主主義が根付いた国の一つ、と言われる所以だ。

選挙制度面では、ホンジュラスとは総選挙方式を採るのは同じでも、エルサルバドル同様の大統領決選投票制と非連続なら再選可能、という点で異なる。ここ64年間で再選されたのは、上記内戦で反政府側を指揮し勝利したフィゲレス(1906-90。在任1953-571970-74)と、中米危機終結でノーベル平和賞を受賞したアリアス前大統領(同1986-902006-10)の二人しかいない。

政権与党PLNは、上記フィゲレスが1951年に創設し、その後のコスタリカ政界の中軸となってきた。他にも強力な政党は存在しPLNとの政権交代を繰り返した。PLNに対抗してきた主要政党が1983年に「社会キリスト教連合党(PUSC)」に統合され、二大政党期が訪れた。1994年、PUSCを離党した政治家を中心に「自由運動(ML)」が、2000年には、PACが、かかる二大政党に挑む形で結成された。2004年、PUSCから出た大統領の2名が、収賄容疑で逮捕された。政権党はPUSCだった。2006年選挙では同党は、政権維持はおろか、議会では第四党に落ちた。2010年選挙でも同様だった。 

(続く)

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