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2013年11月30日 (土)

ホンジュラス総選挙の結果は

ラテンアメリカ(ここでは旧スペイン・ポルトガル植民地十九ヵ国に限定したい。以下、ラ米)最富裕国とも言えるチリ総選挙の一週間後の1124日、ラ米最貧困国の一角にあるホンジュラスで、大統領、一院制の国会議員128名、及び自治体首長298名を選ぶ総選挙が行われた。大統領選には8名が出馬したが、この国にはチリなどラ米で一般的な、決選投票が無い(私のホームページの中のラ米の政権地図ラ米諸国の選挙制度を参照)。一発勝負である。

AFP通信によると欧州連合(EU)や米州機構(OAS)など800人、AP250人の国際選挙監視団がやって来た(二大通信社でこうも人数が異なるのは、奇妙とも言える)。民主主義成熟度の高いチリでは有り得ない。全18県に散らばり、結果として透明性の高い選挙が行われた、との報告も出した。十万人に付き85.5人と言う、世界最悪の殺人率が喧伝される治安情勢の中、選挙中の安全を確保すべく、人口830万人(Wikipedia2013年選挙、スペイン語版)で有権者数535万人(同)のこの国で、軍と警察が2.5万人を動員した。これが奏功したためか、この国の選挙最高裁判所(TSE)によれば、投票率は61%だった。治安の良いチリよりも高かったことになる。 

大統領選では、選挙の日、TSEが第一回目の開票速報を出す前に、「自由と再生の党(Libre。以下リブレ党)」候補のシオマラ・カストロ・セラヤ前大統領夫人(54歳)が早々と勝利宣言を行った。当日の何度か目の開票速報が出ると、今度は、開票率が50%を超えた辺りで、与党「国民党(PNH)」候補のエルナンデス国会議長(45歳)も勝利宣言を行った。後者は、得票率が30%台半ばで、30%に僅かに足りない前者の数字を見れば、勝利はほぼ間違いないとみて良く、ごく自然だった。数ヵ国の近隣諸国首脳から、祝意が寄せられた。

ところが、カストロ候補の夫、セラヤ前大統領が、TSEが信用できない、彼女への票をエルナンデス候補向けに「盗んだ」と主張し始める。実は国際監視団も、国際的な慣習からは外れた投票行動が見られる、とも評していた。私には理解不能だが、2割分の投票用紙が予め分離され、各党を代表する監視員に対し、有権者から直接渡される、と言う制度のようだ。選挙日の翌日から暫く公けに姿を現さなかったカストロ候補は29日、自ら不正の証拠を多く集めた、TSEが出す選挙結果には正統性が無い、として、121日の平和裏の抗議行動を呼び掛けた。

昨年7月に行われたメキシコでも、同じく左派系候補が選挙結果を認めず、抗議活動に打って出た。本年4月のベネズエラでも全く同じ光景が見られた。但し、こちらはホンジュラスのリブレ党とは異なり右派系であり、一応収まったメキシコと異なり、いまだに続けている。いずれも、決選投票制が無い点で、ホンジュラスと共通する。 

私は選挙後毎日、飽きもせずにTSEのホームページを眺めて来た。現地29日夜の段階で、開票率は既に9割を超え、エルナンデス候補の得票率は36.7%でカストロ候補の28.8%8ポイント差を付けている。第三位が「自由党(PLH)」のビイェダ候補の20.3%なので、どう見てもエルナンデス勝利だ。TSEの情報を不正なものと決めつけなければ、の話ではあるが。そのホームページには当然ながら議会の勢力図も付いている。

エルナンデスが大統領として、彼の政権下の与党国民党議席数は、今より23減の48議席、37.5%に過ぎない。歴史的二大政党制の一翼を担って来た自由党も20減の25議席で第三党に落ち、リブレ党が初めての議会進出でいきなりの第二党で39議席だ。セラヤ氏は妻の大統領に固執せず、議会を舞台に政治を動かすことを考えても良かろう。会派としては、元々所属していた自由党を巻き込めば、少数与党の政権を動かすことも可能だ。何より、若いエルナンデス氏の国会議長時代の決断力と実行力はかなり高い評価を得ているようで、それに期待しても良いではないか、とも思う。 

ホンジュラスは、CIAThe World FactBookによれば、2012年の一人当たりGDPは、購買力ベースで世界229カ国の内の第163位、4,700米㌦。南の隣国ニカラグアが4,500㌦で第166位、ラ米最下位だが、これに次ぐ貧しさだ。人口の7割が貧困層だと言う。失業率も高い。これが犯罪の温床となってもおかしくなく、冒頭に述べた世界最悪の殺人率の高さに繋がる。犯罪の大半が、メキシコ経由米国に向かう南米からの麻薬に関わるものとされる。

エルナンデス氏の公約は、警察軍五千人の展開による治安改善と、投資の誘致で十万人と雇用創設を公約として掲げていた。軍の大量動員で、結果としては大量の犠牲者を出したメキシコの轍を踏まず、コロンビアのやり方を学ぶ、とする。 

2009628日、軍が、国家の最高指導者たるセラヤ大統領(当時)の寝起きを襲い、パジャマ姿のままで国外に追放し、この行動を最高裁判所が直ちに正当化し、憲法に基づく行動として国会議長が臨時大統領に就いたのでクーデターではない、とする、実に不思議なクーデターを起こした(http://okifumi.cocolog-wbs.com/blog/2009/06/post-e8d4.html参照)。この件については推移を含め、このブログでも何度か取り上げた。

彼の妻が拠ったリブレ党は、彼がそのクーデターから2年経ち最終的に帰国(http://okifumi.cocolog-wbs.com/blog/2011/05/post-fce8.html参照)して結成したものだ。政権交代可能な二大政党制の国で、自ら立ち上げた政党がいきなり第二党になった。似たようなケースは、コロンビアで2002年にあった。同国も伝統政党の自由・保守両党による二大政党制だったが、自由党から飛び出したウリベ前大統領らが国民社会統合党(la “U”)を結成し、一大政党になった。成程、その新党が政権を取った、ではないか、ホンジュラスも同じように続かねば、と言うかも知れない。だが、TSEが出す結果は信用できない、として、ベネズエラのように何時までも突っ張っていても、既成事実が定着し、政治的に不利になるだけだ。サントス・コロンビア大統領は、もうエルナンデス政権を承認している。

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