メネムの時代(2)
カルロス・メネム政権発足の1989年は、世界史的には東西ドイツを分ったベルリンの壁が崩壊し、東西冷戦時代の終焉が現実なものになった年だ。91年末にはソ連も消滅した。同年、ユーゴスラビアが解体に入る。内戦を回避すべく、ユーゴ構成国に対する武器禁輸の声明が国連安保理から出された。アルゼンチンもこれに署名した。だが、結局内戦に陥り、2000年まで続く。アルゼンチンは旧ユーゴスラビア、後にはその中心国でもあるセルビアと外交関係を持っており、一方で、1992年には、ユーゴスラビア構成国の一つだったクロアチアとも外交関係を樹立している。そのクロアチアに対して、秘密裏に武器供与を行った。何のための武器支援なのか、私にはさっぱり分からない。
1995年1月、ドゥラン・バイェン政権(1992-96)下のエクアドルが、フジモリ政権(1990-2000)下のペルー側国境地帯に侵攻(ホームページのラ米の戦争と軍部の二十世紀の国家間戦争参照)、半世紀以上前の1941年に続いて、二度目の交戦を招いた。前の戦争の翌42年、米国、アルゼンチン、ブラジル及びチリの4ヵ国を「保証国」として、両国は和平のための「リオ議定書」を締結した。だが、エクアドルとして国境問題は未解決との立場から、実力行使に及んだものだ。アルゼンチンはエクアドルに武器を供与した。海路のクロアチア向けと異なり、空輸した。マルビナス戦争時、戦闘機まで出してアルゼンチンを支援した大恩あるペルーにとってみれば、恩知らずの利敵行為だ。まして、「リオ議定書」保証国が、一方の武力行為に与する、とは何事だ。ペルーには許し難い行動だった。2010年3月のフェルナンデス訪問まで、アルゼンチン首脳がペルーを公式訪問するには、16年間掛った。
クロアチア及びエクアドル向けの武器密輸は、従って、国際的には非合法に当たる。1995年、アルゼンチンの新聞、クラリン紙がこれを暴露したそうだ。それに基づき、汚職追及で知られた法律家が、司法手続きを訴えた。驚くのは、この年11月、武器の供給元とされる陸軍傘下のリオテルセロ弾薬工場が爆破された事件だ。12名が死亡し、数百人の負傷者が出た。これが証拠隠滅のために仕組まれたもの、とのことで、スパイ小説さながらだ。
1989年、ラテンアメリカでは、2月、パラグアイで35年間の長期独裁政権を担ったストロエスネル(1912-2006)大統領がクーデターで追放された。11月にブラジル(29年ぶり)、12月にチリ(19年ぶり)でピノチェト(1915-2009)独裁を終わらせる大統領選が実施される。実質的なラテンアメリカ軍政時代(同、軍政時代とゲリラ戦争の軍政時代参照)終焉だ。12月末には米軍がパナマの最高権力者、ノリエガ将軍(当時55歳)を米国で裁くために侵攻した。翌90年、内戦中のニカラグアで、1月の大統領選を経て、4月にコントラ(反政府ゲリラ)が停戦協定に合意した。
1980年代のラテンアメリカは全体としては民政復帰の動きの中で、82年8月のメキシコ債務危機に端を発する「失われた十年」の、明るさと重苦しさが併存していた。経済問題に留まらず、一部地域では内戦状態にあった。79年7月のニカラグア革命後、エルサルバドルとグァテマラでは左翼ゲリラ、ニカラグアでは「コントラ」と夫々の政府との本格的内戦、いわゆる「中米危機」(同、軍政時代とゲリラ戦争のゲリラ戦争及びゲリラとの和平参照)が続いた。それが、90年のニカラグアに続き、91年12月にはエルサルバドルでも停戦協定が結ばれた。グァテマラはこの5年後にはなるが和平への機運は高まっていた。
ペルーでも、1980年に民政移管された後に左翼ゲリラが活動を激化させていた。92年4月、ペルーではフジモリ大統領が憲法を停止し議会を閉鎖する、大統領自らのクーデター、いわゆる「(Autogolpe)」を起こし、左翼ゲリラ制圧を本格化させた。60年代からゲリラが活発だったコロンビアでは逆に、80年代には和平の動きがある。ただこの国では左翼ゲリラのみならず、武装勢力には右翼パラミリタリーや麻薬組織の存在で状況は輻輳しており、当時の中米やペルーと同列には語り難い。
東西冷戦の終結に大きく影響を受けたのは、勿論唯一の社会主義国家、キューバである。1989年1月より、アンゴラ駐留軍を撤退させた。そして92年、旧ソ連のキューバ駐留軍が撤退を開始した。
要するに、メネム政権発足の前後は、こう言う状況下にあった。中米地域での軍縮も内戦終結で大きく進んだ。米軍侵攻後のパナマでは国防軍が解体している。国家の軍事費、という観点から見れば、ラテンアメリカでは79年に始まった民政移管でどれだけ削減されたか、定数面の知識を私は持ち合わせない。相当なものだろう、と推測するしかない。これには、有力兵器産業国でもあるアルゼンチンは無関心ではいられないところだったのではなかろうか。
ともあれ、1995年に明るみに出て、告発も行われたメネム大統領は、この年の選挙で自らは連続再選、与党も快勝した(続く)。
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