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2013年5月31日 (金)

成るか、FARCとの和平(5)

去る526日に発表された農地改革に関わるコロンビア政府・FARC間の合意は、本来この対話に批判的なウリベ前大統領や牧場主連盟などの一部を除き、国内では歓迎されているようだ。双方が「大きな前進」を謳う共同コミュニケが出された227日から3ヵ月も掛った。ほぼ10日単位の断続的な対話は、それから4回を数えた。政府との戦闘はその間も続いた。にも拘らず、政府側団長のデラカリェ元副大統領の言う様に(私の前回のブログhttp://okifumi.cocolog-wbs.com/blog/2013/04/farc-4bb8.html参照)真摯な対話は継続された。FARCにとって一丁目一番地のテーマで、半世紀にも亘る武力闘争に及んだ彼らが、これで政府と折り合うことの意味は大きい。

同ブログでお伝えした49日の大規模デモ行進(「愛国行進Marcha Patriótica」と呼ばれるそうだ)直前に、FARCの西部地区最高幹部、通称カタトゥンボがハバナ入りし、代表団長の通称イバン・マルケス同様、6名の最高幹部の内、2人までが政府との交渉に当たることになっていた。農地改革のテーマで政府と合意するまで、彼が参加した交渉は2回だけで済んだ、それほどの影響力だった、と言って良いのかどうか、私には分からない。

合意は、所有農地が不十分、乃至は土地無しの農民を対象とした、土地へのアクセス円滑化、教育機会の提供と農業開発の実施などから成る。仮にFARCのゲリラ活動が停止しても、農村部にはもう一つの左翼ゲリラで、FARCより2年結成が早い「国民解放軍(ELN)」が活動するし、近年は元パラミリタリーだった新興犯罪組織(Bacrim)の存在もあり、治安回復にはなお時間を要する。今回合意で300400万人とも言われる国内難民化した農民の復帰に、定数的に如何ほどの効果を及ぼすか、注目したい。 

この合意を喜んだのは、生前、対話のイニシアティヴをとったチャベスを師とも父とも仰ぐ、またその時点でボリビア公式訪問中のマドゥーロ・ベネズエラ大統領だ。早速、モラレス大統領共々、「コロンビア人民との連帯」のメッセージが流され、その中で合意に対する祝意が述べられた。また、最終合意までの協力を約束した。

ところが、マドゥーロ氏と414日の大統領を戦ったカプリーレス氏が、529日、コロンビアを訪問し、サントス大統領が官邸で彼を迎えた。一国の大統領が隣国の野党要人と会談すること自体はあっても良かろう。だがカプリーレス氏は自国の大統領を認めていない。全国選挙評議会(CNE)に対し票の数え直しを要求し、「投票者の指紋照合など、確実に本人が投票したことの証明」を求めた。CNEは数え直し作業を行っているが、茶番、と突き放し、今度は最高裁判所には選挙無効と再選挙を請求している。また、最高裁判所自体も信頼できぬ、として、国際社会に訴える作戦に打って出た。その彼をサントス氏は迎えた。

日本でも国際社会の中での立場に音痴な最高指導者を抱えるが、サントス氏の対応も空気を読まない軽率さだ。隣国大統領が強く反発することをやってのけた。カプリーレスは極右のヒットラー、と公言するマドゥーロ氏は、ベネズエラ不安定化の策謀に乗った動きと強く非難、FARCとの交渉におけるベネズエラの役割を見直す、とまで言う。これにはカプリーレス氏が、和平を取引に使われるべきでない、と反論し、コロンビア政府も、ベネズエラ政府との直接対話で解決する姿勢を示している。 

そういう負の動きもあるが、国際社会は一様にこの合意を歓迎する。FARCをテロリスト指定している米国、欧州連合(UE)もそうだ。前者は合意の翌日サントスを訪れたバイデン副大統領がこれを「現実的進展」と讃え、今後とも交渉のテーブルを支援していく、と約束した。後者はアシュトン外務・安全保障上級代表(EU外相)が、武力紛争の根っことも言える農地改革での合意であり、最終和平合意に向けたハバナの交渉が加速する、との期待感を表明した。

今のところ、611日に予定されている次の第十一回対話では、二番目のテーマであるFARCの政治参加が討議される。その後にも三番目のテーマである紛争終結、四番目の麻薬取引、五番目の犠牲者への賠償についての対話、と続く。20143月の議会選、5月の大統領選を控えるサントス政権にとり、何とか年内に和平の最終合意に持ち込みたいところだが、FARC側は、早期決着の意図を繰り返しながらも、半世紀に及んでいる抗争であり根は深い、として、その終結に期限を設けることは拒む。だが、2014年選挙への参加を可能とする為には、やはり年内決着は必要ではあるまいか。

だが、FARC20143月の総選挙までに政党化できたとして、結成後48年間だ。あまりにも長い。革命税などの名目で資金拠出を強要された企業、誘拐身代金をとられた個人、兵士として拉致された子どもたちの家族、FARCに直接の責任の有無に拘わらず軍や警察やパラミリタリーとの武力衝突で生じた多くの犠牲者たち、期間が長いだけに一般国民からの拒絶感には根強いものがあろう。コロンビアでゲリラから合法政党となり、小党ながらも国会に議席を持つのは、元「419日運動(MR-19)」の「民主代替の極(PDA)」の例があるが、政党化まで結成から16年間だった。

なお、PDAは今回の政府・FARC間合意日たる526日を、コロンビア国民が記憶に留め置くべき重要な日、として、合意に対し手放しの歓迎ぶりだ。

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