パラグアイの政権交代
4月21日に行われたパラグアイ総選挙で、実業家のオラシオ・カルテス氏(56歳)が大統領に選出された。得票率46%だが、この国は、キューバを除くラテンアメリカ18ヵ国で決選投票制を採っていない5ヵ国の一つだ。同じく5ヵ国の一つベネズエラと異なり、次点の与党候補には9ポイント差を付けており、すんなりと確定した。
パラグアイはメルコスル結成メンバー国だが、2012年22日の議会によるルゴ前民選大統領弾劾、罷免が、いわば議会によるクーデター、と見た他加盟諸国により加盟資格停止状態にある。また南米諸国連合(Unasur)も同様の措置を採っている
そのメルコスル諸国はこぞって、今回選挙結果を民主主義に則ったもの、として、当選したカルテス氏に祝意を寄せ、メルコスル、加えてUnasurへの復帰に同意を表明した。現在メルコスル持ち回り議長を務めるウルグアイのムヒカ大統領は、6月にモンテビデオで開催するサミットにカルテス氏を招待したが、彼は就任する8月15日まではサミット出席には自分は不適任、として、断ったようだ。彼は、メルコスル復帰の意向は強い。
だが、何しろ、ベネズエラ加盟を阻んできたパラグアイが資格停止の最中に、メルコスルがその正式加盟を実現させた、と言う経緯がある(以上http://okifumi.cocolog-wbs.com/blog/2012/08/post-76e4.html参照)。現フランコ政権は、パラグアイが中南米で孤立していることに反発を強めて来た。ベネズエラの大統領選に就いて、マドゥーロ政権承認を留保しているのは、米州では米国とパラグアイのみ、と言うほどに、硬化している。そのベネズエラのマドゥーロ政権も早々とカルテス氏に祝意を伝えて来た。
カルテス氏は政治経験が殆ど無い一実業家だ。1947年から2008年までの61年間(内35年間はストロエスネル独裁)連続して政権党の地位を享受して来たコロラド党が、政権奪回に選んだ大統領候補がタバコ産業で成功し今やパラグアイ最強のサッカーチームのオーナーとして知られる。
コロラド党は、ソラノロペスと共に「パラグアイ戦争」(私のホームページの「ラ米の戦争と軍部」のラ米確立期(1860-1910年代)の戦争参照)を戦い、生き残ったカバジェロ(1839-1912)が、1887年に創設した。中南米の現存する政党の中で最も古い。同年、これに対抗する政治勢力として自由党も結成されたが、その後1904年までの14年間、政権を担った。1940年までの36年間は、自由党に政権党の座を譲っている。ボリビアと「チャコ戦争」(同、二十世紀の国家間戦争参照)を戦った時の政権党だ。
1940年代、政党活動は一時的に非合法化され、1947年にコロラド党のみが唯一の合法政党となった。この状態は1962年に共産党を除く他政党が合法化されるまで続いた。だが、当時はストロエスネル時代であり、政党としてはコロラド党が圧倒的勢力を誇った。彼が追放された後、多党が勢力を伸ばしたが、2008年まで同党政権が続いた。
今回選挙では、コロラド党が下院で2003年以前の過半数議席を回復した。上院も過半数の可能性を伝える外電もあるが、少なくとも大きく議席を伸ばしたのは確かなようだ。現在のフランコ政権は少数与党で、政策実行もままならぬ状態だろう。カルテス氏は実業家らしく民間企業育成のための社会インフラ整備、そして貧困層対策と歯切れは悪くない。
メキシコの制度的革命党(PRI)は前身の結党から70年間に亘り、政権を担った。この国にはパラグアイのストロエスネルのような個人の独裁者こそいなかったが、選挙制度面で第一党有利が二十世紀末まで貫かれ、長期連続政権を可能にした。2000年選挙で第二党の国民行動党(PAN)が大統領候補に担ぎ出したのは企業経営者のフォックス氏(当時58歳)だった。ただ彼は46歳から議員、州知事を歴任、政治に素人ではない。彼が大統領になり、二代目カルデロン氏に繋がれ、2012年にPRIが政権を奪還するまでの12年間、PAN政権が続いた。
パラグアイのコロラド党が野党にあったのは、一期5年だった。その唯一の野党時代は、ルゴ氏が勝ちとったもので、議会勢力としての与党第一党は議会第二党(第一党はコロラド党)の急進真正自由党(PLRA)である。結党はストロエスネル時代の1978年で、比較的若い。上記の自由党が1989年以来消滅状態にあり、同じ政見の政治課たちの受け皿的存在となって来ている。2012年のルゴ罷免劇を経て、今回選挙で少しではあるが議席を減らした上で野党に転落し、元の木阿弥となった。ルゴ氏は「グァスー戦線」を結成し、その上院議員になったが、この政党が上院ではコロラド、PLRAの二大政党に次ぐ第三党となった。ただ下院では1議席取ったのみだ。
パラグアイは人口650万人でラテンアメリカ十九ヵ国の1.1%、GDPでは0.5%に過ぎない小国だ。だが最初に独立を達成し、「パラグアイ戦争」では果敢に「三国同盟」軍に挑んだ。ラテンアメリカ最大の人口、経済大国ブラジルだろうが、GDPでは第三位のアルゼンチンだろうが、この国をゆるがせに出来ないことは、承知している。先ずは、現実にメルコスル及びUnasur復帰が何時になるか、注目したい。