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2013年4月12日 (金)

成るか、FARCとの和平(4)

20121018日、ノルウェーのオスロより75キロメートルのフルダルという町で、コロンビア政府とFARC夫々の代表団同士による和平対話が行われて、もう半年以上が過ぎた。対話が本格化したのは同年1119日、ハバナにおいてだ。翌日、FARCは政府軍及び警察に対する武力攻撃を向こう3ヵ月間中断する、との一方的停戦を宣言した。政府は、FARCからの度重なる要求にも拘わらず、休戦には応じなかった。19991月から3年間に亘る和平交渉では、非武装地帯を設けたが、結果的にFARCが強気になり、交渉期間中に武力を強化していた、との思いが政府側には強い。今回、FARCによる武力活動が何度か行われている。

以後、概ね10日間単位で、2013321日まで7回行われた。第二回目から第五回目までの12月から20132月にかけて、対話実現に助力しただろう故チャベス・ベネズエラ大統領(当時)が、同地で手術し、術後治療のための入院生活を送っていた。彼のハバナ滞在中、且つ第四回対話の真っ最中の120日、上記の一方的停戦の期限が到来した。以後、戦闘行為が幾つか伝えられる。それでも対話は、政府側団長のデラカリェ元大統領の表現では「尊敬の雰囲気の中で推進された。 

218日、チャベスがベネズエラに帰国した。この前日、ハバナでは政府・FARC間の第六回対話が開始された。その最終日の227日、最大のテーマである農地改革に就いて、双方が「大きな前進」を謳う共同コミュニケが出された。コロンビアでは地元から追い出され難民となった農民とその家族は、350万人とも400万とも言われる。麻薬組織の進出やゲリラと自警団との抗争、国軍によるゲリラ掃討作戦など原因は多かろうが、彼らを復帰に障害となっている諸問題の解決を図るものだ。

FARCの前身は、「ビオレンシア」の時代(1947-58)の後、農村部に散った活動家たちが作り上げた自衛組織で、戦闘員には半世紀も過ぎた今なお、農民が多い。FARCは解放区と言う形で活動基盤を維持して来た、いわゆる農村ゲリラだ。農地問題は彼らにとり一丁目一番地とも言える。

35日、チャベスが死去した。8日に行われた国葬に参列したサントス大統領だが、彼に何かあっても、ベネズエラとして、この和平プロセス維持への助力を期待する旨、前々から述べていた。だが、合意できるものは急がせよう、との意図もあったのか、デラカリェ和平団長に対し、対話前進、及び農業の発展に関わるアジェンダ(農地改革)の決着を指示した。この旨は公表された。そして11日に始まった第七回目の対話に臨んだ。チャベス死去で意気消沈していただろうFARC側の期待も膨らんだようだ。20日には合意形成が為されよう、との感触を示している。だが実現できぬまま、21日に対話が終了した。 

194849日、65コロンビア自由党の指導者、ガイタン(私のホームページの「ラ米のポピュリストたち」中のアヤ、ベラスコ・イバラ、ガイタンご参照)がボゴタで射殺された。当時、そこでは米州機構(OAS)創設の為の重要な国際会議が行われていた。犯人は特定され逃げるところを集団に取り押さえられ、リンチを受けて死亡した。犯行理由などは謎のままとなっている。問題は、これが引き金となって大衆による略奪、建物への放火、打壊しなど大暴動を呼び起こしたことだ。当時のオスピナペレス保守党政府(1946-50)は大暴動に対し、軍と警察による武力鎮圧で臨んだ。数百人とも数千人とも言われる死者が出た。「ボゴタソ」と呼ばれる。そしてビオレンシアの時代へと発展して行く。FARCの前身は、この時代の申し子と言って良い。

その49日は、20121月発効の「犠牲者法」に定められた「国内紛争の犠牲者に捧げる日」となっている。ボゴタソから65年経った201349日、AP電が伝えるところでは、ボゴタで20万人、他の都市で計30万人が白いシャツを着用し、ハバナでの「和平交渉を後押し」するデモ行進を繰り広げた。20082月に「FARC及び誘拐に反対し人質解放を求める」デモが全国で繰り広げられたが、その時の動員数は百万人と言われる。今回の数字は、それに次ぐ規模、とのことだ。

今回のデモを呼び掛けたのは人権団体や左派組織の由だが、多くの公務員も動員されたようで、言わば官製行事だ。それだけに参加者には和平交渉後押しの意志はなくとも参加した人もいた。それでも参加者の数は凄い。サントス大統領は白シャツ姿で行進に参加した。武力抗争に将来は無い、との一念からだそうだ。キューバでの対話は国民が熱望して来た平和を手に入れるための大きな機会であり、良いリズムで進行している、と語った旨が同じAP電で伝わる。 

42日からベネズエラの大統領選が正式に始まった。マドゥーロ、カプリーレス両候補のいずれが勝とうとも、この対話推進への助力は継続されよう。次回対話は、その選挙が終わって4日後に始まる。FARC代表団には、武装部門の西部地区最高幹部、通称カタトゥンボが加わる。代表団長の通称イバン・マルケス共々、FARCのトップ6名に名を連ねる。サントス大統領は、武力活動の現場を知悉する幹部の参加を、対話の効率化の面から歓迎している。

農地改革については、実は2012121719日の3日間、ボゴタで関係者1,200名が集まり、農村問題について国を挙げての真剣な意見交換が行われた。政府とFARCとの対話もそれを踏まえての現実的なものになって来ていた。これに決着が付けば、次はFARC自体の政治参加保証についての協議に移るようだ。何しろFARCは誘拐やテロ活動を行い、その犠牲者や遺族は多い。自らが幾ら否定しようと、麻薬犯罪に関与している、と断定されている。彼らの免罪及び政治参加については、ボゴタで4月末に国民フォーラムが開催される。

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