初めての中南米出身ローマ法王
3月13日、ブエノスアイレス大司教で76歳のベルゴリオ枢機卿が、ローマ法王に選出された。聖ペテロ(イエス・キリストの12使徒の一人)が西暦33年に初代に就いたとされてから1980年間で266代、3月19日にフランチェスコ一世が誕生する。メディアは、世界のカトリック教徒12億人の4割を占める中南米からの初めての法王、と言う点に大きなニュース性を見るようだ。
世界のカトリック教徒は、CIAのWorld FactBookなど複数の出所から採ったWikipediaのデータを見ると、全世界人口の64.4億人の内の11.8億いる。リスト上は全人口の17%を占めている。前後関係を見れば2010年の数字のようだ。123百万のブラジル、96百万のメキシコ、76百万のフィリピン、74百万の米国で第一~四位を占め、ヨーロッパは、フランスが第五位の54百万、法王の大半を出して来たイタリアは53百万で第六位だ。これにコロンビアの39百万、ナイジェリア、コンゴ共和国と続き、新法王の祖国アルゼンチン(36百万)が第十位、スペインが十一番目に顔を出している。
南米10ヵ国の合計が288百万、キューバ(明らかに異常値)を除いた上でメキシコ・中米6ヵ国・カリブ(プエルトリコを含む)を加えると、424百万、全世界の36%となる。これに比べ、聖グレゴリウス三世(出身はシリア。在位731-741)の後、歴代法王の座を独占してきたヨーロッパは、全部で236百万、20%、ニュース性は尤もだろう。ただ、中南米とは言えアルゼンチンに限れば経済的にも文化的にも民族的にも、正しくヨーロッパの一国と言っても差支えあるまい。
ベルゴリオ枢機卿はまた、イエズス会士では初めての法王になる。1534年、ロヨラ(1491-1556)や我が国でもお馴染みのザビエル(1506-1552)が結成した修道会で、新教からのカトリック防衛、異教徒への宣教、及び人文学教育を活動の基本とした。ラテンアメリカ植民時代では、先住民を強制集住(Reducción)により定住化と、奴隷狩りからの保護を図った。特にブラジル南部や現ウルグアイやパラグアイ、及びアルゼンチンの一部では、よく知られる。イエズス会から枢機卿は5名だが、ベルゴリオ枢機卿のみが大司教だ。世界に大司教が何人いるか私は不案内だが、会派としては少数派だろう。
イエズス会は従順、清貧、貞潔をモットーとする。戦国時代に我が国に来た宣教師たちもそうだったが、ベルゴリオ枢機卿も質素な生活ぶりで知られるそうだ。ラテンアメリカ史を覗くと、宗主国を含め、イエズス会士の追放が何度か行われてきた。最も大きいのは、1767年、スペイン及び同植民地からは首都での暴動との関わりに、又、ブラジルからは宗主国のポンバル改革の一環による追放と言えよう(1814年に解除)。法王クレメンス十四世(在位1769-1774年)も1773年、会派の解散を命じている。理想や本質、建前に忠実で、そのためには政治的謀略も厭わない、との態度が目障りだったのだろう。
ベルゴリオ枢機卿はブエノスアイレス大学を卒業した後に、同市の端に在るビジャ・デボト地区のイエズス会セミナリオに入り、聖職者への道を踏み出した人だ。司祭になったのが33歳になる直前の1969年12月、アルゼンチンの第一次軍政に入っていた(私のホームページ軍政時代をご参照)。そしてこの69年5月に、「コルドバソ」と呼ばれる大規模な抗議運動が起きていた。
一時的な民政期に戻った1973年、イエズス会のアルゼンチン管区長になり、1979年まで務めた。だから、第二次軍政期初頭の1976年5月、貧困層の居住地区を訪問したイエズス会士2名の軍による拉致、拷問事件に関し、これを放置した責任が、後年指摘されている。本人は軍政側とは水面下で両名の釈放実現に動いた旨を語っているが、いずれにしても、軍政に対する非難や抗議を行ったふしは見られないようだ。
1980年、首都郊外のサンミゲル地区に在る神学校の学長(Rector)に就任、83年の民政移管を経て86年まで続けた。その間を含め、司祭としての教職に従事、92年に55歳で司教、98年に61歳でブエノスアイレス大司教へと出世して来た。ヨハネ・パウロ二世(在位1978-2005年)によって枢機卿に任じられたのは、その3年後、64歳の時である。
2003年5月に大統領に就任したキルチネルは、独立記念日の大聖堂で行うベルゴリオ大司教のミサには一度出たきりで、後は避けていた、と伝えられる。2007年12月に大統領になった彼の妻、フェルナンデス氏が翌年に同性婚を認めた時、イエズス会出身だけに伝統的な倫理観の強い保守的な聖職者である大司教は、厳しい嫌悪を示した。彼女の政権運営についても批判は持っていよう。だが彼女自身は彼が法王に選ばれたことに、一般国民同様、大変な喜びようで、19日の就任式には必ず参列する、と張り切っている由だ。