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2013年2月27日 (水)

カストロ時代の終焉へ?

224日のキューバ人民権力全国会議(国会)で、二つの重要な動きがあった。一つは、既定路線の通り国家評議会議長に、再任されたラウル・カストロ(以下ラウル)氏が今期を同氏の最終任期とする旨を明言したこと、二つ目は、閣僚評議会副議長のディアスカネル前高等教育相が、国家評議会第一副議長になったことだ。 

国家評議会と言うのは、612名の国会議員により選出された31名の常任幹部会のことで、立法府の最高機関である。国会は年に二回に招集され、実質的な審議は行わず、予め国家評議会の下で作成された法案を通すだけだ。国家評議会は議長、第一副議長、5名の副議長、書記、及び23名のメンバーで構成され、互選で議長を選任する。憲法によって、国家評議会議長は国家元首と定められており、間接選挙で決まる言わば大統領のようなものだ。ただ立法府の再高位はあくまで国会議長である。

これに対して閣僚評議会は言わば内閣であり、議長(首相)、第一副議長、6名の副議長、書記及び閣僚28名(副議長兼務者1名を含む)、計36名から成る、行政府の最高機関だ。日本では国会に指名された首相が組閣するが、キューバでは国会で指名された国家評議会メンバーの互選で就任する議長が、自動的に閣僚評議会議長、即ち首相となり、組閣する。日本では閣僚は殆どが国会議員だが、キューバの閣僚評議会メンバーの誰が国会議員かは、私は存じ上げない。今回人事も今は私の手元に無い。だがこれまでは、議員である国家評議会メンバーの何名かが閣僚評議会メンバーに入っていた。前期は、国家評議会第一副議長と副議長2名を含む5名が閣僚評議会メンバーだった。

ともあれ、国家評議会議長は国家元首であり首相だ。他国の大統領と同じく、国軍最高司令官でもある。ラウル氏の場合、社会主義国の権力構造上の最高権力者となる共産党第一書記だ。今のところ健康状態は良さそうだが、もうじき82歳になる高齢の彼が、これを後5年間務めると言うのは凄い。 

国家評議会第一副議長と言うのは、議長が職務遂行に難が有る場合、これを代行する。現在の立法・行政システムが導入されたのは1976年憲法が公布された結果だ。国家評議会議長の第一代目はフィデル・カストロ(以下フィデル)氏だが、連続選任を重ね、2008年までこの座にあった。この間第一副議長として彼を支えたのが実弟のラウル氏であり、20066月、病気に倒れた兄を代行し、2008年に正式に議長に選出された。その第一副議長に、53歳を間近にした程度の「若い」ディアスカネル氏がなった。

国家評議会の5名の副議長には、カストロ兄弟と共にキューバ革命を戦った、いわゆる革命世代が2名いる。82歳のマチャードベントゥーラ氏、及び、元内相で今回留任の80歳のバルデス氏だ。この二人は共産党の序列ではラウル氏に続く第二、三位にある。前者は、これまで第一副議長としてラウル氏を支え、彼の名代として域内サミットにしばしば出席している。今回ディアスカネル氏に座を譲ったものの、副議長には留まる。だから世代交代が大きく進んだとは言えない。 

ディアスカネル氏は、2009年に高等教育相に就任し閣僚評議会メンバーになり、20123月にその副議長となった。閣僚評議会名簿をみると、6名の副議長リストの筆頭にある。私もうっかりしていたが、既に党の最高幹部とも言える政治局員の一人にもなっていた。しかも飛び抜けて若くして、序列は第七位、50歳台以下では第一位だった。言うなれば、文句無しの若手ナンバーワンだ。

1982年に電気技師養成コースを終え革命軍(国防軍)に入隊し、軍事顧問団の一員として、ニカラグアにも派遣されている。と言うことは、軍人出身、と言うことになる。帰国後暫くしてビヤクララ、オルギン両州で、共産党の州第一書記を歴任した。行政部門で名を表すのは、随分遅かった。だから全国的にも国際的にも知名度は低かった。最近、とみに国内メディアに登場し、露出度を高めていた。何となくベネズエラのマドゥーロ副大統領のここ1年程の立場を想起してしまう。年齢も似通っている。

ベネズエラのマドゥーロ氏は、今は病床のチャベス氏の名代として国政に携わっており、域内サミットにも参加してきた。ラウル氏は高齢なだけに、その名代として、ディアスカネル氏が国際的知名度を上げていくのは間違いのないところだ。議長を代行するようになる可能性は、決してゼロではない。過去何人かの若手指導者が出て、いつしか解任されてきた。ラウル氏は、ここ数年、若手育成の必要性を強調しているが、これは自らの年齢を意識しているためだろう。つまり、政治環境は代わって来ている。ポスト・カストロの第一候補になった、と見て良いだろう。 

キューバを見る場合、米国の対応が無視できない。従来米国政府はカストロ体制が変わらない限り、キューバへの制裁解除は無い、と言い切って来た。米州サミットにキューバが参加するのも拒んできた。食料、医薬品のキューバ向け輸出は例外である。

ただ、オバマ政権はキューバ渡航が許される在米キューバ人の渡航規制を撤廃した。在キューバ家族向けの送金規制も同様だ。また、ラウル氏が進める諸改革は好意的に見ている。民間開放は農業部門やサービス業、車や不動産の売買に及ぶ。本年1月には、国民の海外旅行規制を大幅に緩和した。従来、渡航先からの招待状取得が無ければ出国許可は下りなかったのが、その出国許可自体を撤廃した。有効な旅券さえ持っていれば、また経済的に可能であれば、国民の海外旅行は原則的に自由になった(旅券申請に審査が行われる、一部職業従事者は規制対象、など、完全自由化には至っていない)。

それでも制裁は続いている。ラウル氏による5年後退陣の明言が、彼の改革と相まって、制裁解除を引き出すことになるのか、それともラウル氏が退任するまでは無理なのか、退陣しても、後任がディアスカネル氏なら、言わばカストロ院政、或いは「カストロ無きカストロ体制」としてやはり解除できない、と言うのか。取り敢えず、ここ暫くの動きに注目して行きたい。

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2013年2月21日 (木)

帰国したチャベス

218日の早朝、ハバナで二ヵ月間の入院生活を送っていたチャベス・ベネズエラ大統領が帰国した旨を、彼自身のツイッターが伝え、マドゥーロ副大統領がテレビを通じて確認した。このニュースは日本の新聞も報道しているが、帰国してもなお姿を現さず、政府が実際の容態を秘匿したまま、単に陸軍病院に入院した、との発表があったのみだ。帰国には、マドゥーロ氏の他、長女とその夫であるアレアサ科学技術相、実兄でバリナス州知事のアダン・チャベス氏、そしてカベーリョ国会議長が付き添った、とある。普通には出迎えを華々しく報じるテレビも沈黙している。キューバでも極めて重要な人物なのに、見送る写真や記事は出ていないようだ。

これより3日前、ハバナで入院中のチャベス氏が前日付けのキューバの日刊紙を手に、病室のベッドの上で二人の娘に囲まれている写真が流された。彼の写真が出たのは、ハバナ向け出発した1210日以来初めてだ。その間、以前と異なり、ツイッターを通じた国民向けメッセージすら出さず、彼の容態についてはアレアサ科学文化相やビイェガス通信相、或いはマドゥーロ副大統領による回復している、複雑な状況と戦っている、と言った散発的な報告が出し続けられた。この間、ハバナを訪れたモラレス・ボリビア、フェルナンデス・アルゼンチン、ウマラ・ペルー各大統領も、彼の容態についてはおろか、彼と会ったのかどうかにすら口を噤む。

チャベス氏が氏と仰ぐフィデル・カストロ氏が最近のキューバ人民権力会議投票の後、極めて厳しい闘病を余儀なくされた、ただ、回復しつつある、というコメントを出し、その直後に上記の写真が公開された。その前から呼吸系統の感染症も政府として公表していたが、写真公開と同時並行的に、気管支に管を通して呼吸を助けている、とも言い始めた。写真は、どうも却って国民に不安を深めたようだ。笑顔を見せてはいるが、エネルギッシュなイメージからはほど遠い。 

実は彼の帰国日に政府系新聞が第一面で、新たに選挙が行われればマドゥーロ氏の勝利、と書いている。チャベス帰国発表前に書かれた記事だと言う。既に「新たな選挙」の可能性に触れるようになった。野党勢力は最近、次の候補者を決めておく必要がある、と言い出したところだ。野党統一候補として107日の選挙で、11ポイント差で敗れたカプリーレス現ミランダ州知事は、チャベス氏帰国が実現した以上、マドゥーロ氏以下政府幹部はまともな仕事に復帰して欲しい、と言いつつ、これまでの政府の報告に虚偽の疑いが濃い旨を追求する。最近通貨ボリーバルの切り下げが行われたことについても、やらない、と言っていたのに嘘をついた、と攻撃している。マドゥーロ氏は、大統領の生命についてあげつらう野党勢力を激しく攻撃する。選挙モードに入ったのだろうか。

彼の帰国で、国会乃至は最高裁判所で新任期の宣誓が、物理的に可能となる。手続上、マドゥーロ氏以下の政府が正統性を確保する。憲法上、正統な大統領が死去する、或いは辞任すると、それから30日以内に後任者を決めるための選挙が必要となる。チャベス氏は1210日段階で、何かあった場合にはマドゥーロ氏を後継者とする、旨を公言していた。世論調査会社の一つは、長引くチャベス不在が国民の不安を増大させて来た、帰国さえすれば、公の場に姿を現さずとも、ツイッターだけのメッセージを流すだけであっても、国内にいることで安心感を与え、これがマドゥーロ後継への地均しに繋がる、と捉えているが、頷ける見方だ。 

19日、国連訪問に向かっていたモラレス・ボリビア大統領がカラカスに立ち寄った。チャベス氏の家族や大統領代行中のマドゥーロ氏とは会ったが、当人には会えなかった旨を、ニューヨークで明らかにした。総選挙に大勝したばかりのコレア・エクアドル大統領は、カラカス訪問を言いながら、時期は数日、数週間中、とはっきりさせない。盟友中の盟友二人のこの状況、見過ごすわけには行くまい。地均しと言えば、ラテンアメリカ統合の関わりでも、当面のチャベス氏の存在感は不可欠だろう。

126日、ラテンアメリカ・カリブ共同体(Celac)サミットで、代理出席のマドゥーロ氏が、ハバナからのチャベス氏のメッセージを読み上げた。本人が起草したメッセージなのか疑わしいが、キューバのラウル・カストロ議長が向こう1年間、Celac議長を務める重要な時期であり、同国を支えるチャベス氏の存在は、極めて重要だ(関連記事http://okifumi.cocolog-wbs.com/blog/2013/01/celac-eu-35ac.html参照)。そうでなくとも、米州ボリーバル同盟(ALBA)を通じた、或いはキューバにとって石油と医療・教育スタッフを交換し合う二国間経済交流の相手としても、ベネズエラは死活的に重要だ。

チャベス帰国当日、国際的にはすっかり有名人になったキューバ人ブロガーのヨアニ・サンチェス氏が、115日のキューバ政府による海外旅行規制解除発効を受け、念願の海外旅行に出て、先ずブラジルのレシフェに到着した。彼女は反体制派に属するが、国内でキューバ民主化を進める、として、帰国できない条件での国外渡航を見合わせて来た。キューバ革命を支持するブラジル人グループによる反ヨアニデモも行われたが、かかる行動ができないキューバから見れば羨ましい限り、と応じた由だ。20日にはブラジル野党PSDBの招待でブラジリアの議会下院でスピーチを行っているが、この時は与党労働者党(PT)も歓迎の辞を述べた。彼女はこの後3ヵ月を掛け、アルゼンチンなど数ヵ国を回る。キューバにも自由の波が押し寄せているようだ。

 

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2013年2月19日 (火)

コレアの2017年までの任期確定

217日のエクアドル総選挙で、開票率71%の段階でコレア大統領(49歳)が57%を得票、第二位のラソ候補と34ポイント差を付けて再選が確定した。この国の制度では40%以上の得票で第二位に10ポイント以上の差を付ければ、総選挙の第一回目投票で当選が決まる。ラソ氏が未開票分で挽回するのは、不可能だ。

コレア大統領は2007115日に就任、20086月の国民投票を経て公布された新憲法に則った総選挙が翌20094月に行われ、新憲法下での最初の大統領となった。就任式は同年810日の独立記念日だから、それまでの在職期間は28ヵ月と言うことになる。今回選挙結果で新任期就任は524日なので、新憲法下第一次在任3年と9ヵ月余り。4年間の任期を全うするとすれば、新憲法下第二次で初めてのことになる。

全うすれば、彼の政権は連続して105ヵ月間だ。エクアドル史上、一期を他に委ねて、再登場した人に、建国者のフロレス(在任1830-341839-45)や、ラ米史上有名な保守憲法を作り強い支配力を行使したガルシアモレノ(同1861-651869-75)、保守憲法に抵抗し自由主義革命を起こしたエロイアルファロ(同1895-19011906-11)の例はあるが、10年以上も連続で政権を担った最高指導者はいない。 

このブログでご紹介した2013年ラ米選挙で、エクアドルも触れたが(http://okifumi.cocolog-wbs.com/blog/2013/01/2013-a637.html )、私の関心は、他の米州ボリーバル同盟諸国ベネズエラ、ボリビア、ニカラグア同様、与党「至高の祖国同盟(PAISが、国会の過半数の議席を獲得できるか否か、だったが、どうやら全137議席の3分の2を獲得したようだ。ようだ、と言うのは、議席配分方式が複雑で、現在同党が1,400万票獲得している旨は選挙管理委員会(CNE)のホームページで伺えるものの、最終集計には時間がかかるためで、正直申し上げ、ラ米ではどこでもそうだ。「市民参加」と言うCNE公認のNGOによれば、PAIS90議席で、これに続くのは大統領選で次点だった企業家のラソ氏率いる「機会創造運動(CREO)」の、僅か12議席だ。現最大野党で立候補したグティエレス元大統領が率いる「愛国社会党(PSP)」は、6議席ほどに激減させる。

エクアドルの議会選は一部小選挙区を採り入れたベネズエラやボリビアと異なり、ヨーロッパやラ米で一般的で、多様な民意を取り込み易い比例代表制一本で行われる。PAISの得票率はコレア候補のそれより若干高い位なので、頷ける結果だろう。総選挙には米州機構(OAS)と南米諸国連合(Unasur)から監視団が来ていたが、いずれも選挙は正当に行われた、と述べている。 

コレア氏は、重要法案への障害を除去するのが最初の仕事だ、与党の過半数取得に感謝する、と述べた。新憲法下の第一次政権時代、全124議席中、与党PAIS59に過ぎず、好関係を築いた先住民運動のパチャクティクや民主人民運動が野党に回り、小党のロルドシスタ党や民主左派、拡大戦線の協力で何とか政権を運営して来た。ただ、「二十一世紀の社会主義」を標榜するコレア氏が、それに向けた政策が立法措置を伴う場合、実現に困難が伴ったことは、想像に難くない。

立法措置の具体像は私にはよく見えないが、コレア氏は勝利演説で今進めているプロジェクトを進められねば、エクアドルは変革のチャンスを逃すことになる、と言い募る。

これまで悩まされ続けたメディアへの規制は進めるだろう。彼は又、今回総選挙の敗者の一つは、腐敗したメディア界であり、彼らが言う言論・報道の自由は、腐敗政権に追従した時代に戻すことだ、実際には今の方がエクアドル史上、情報の透明性が最も高く、彼らが享受している言論・報道の自由の度合いは、実は最も高くなっている、と述べる。ニューヨークの国際ジャーナリズム機関と言うNGOが、報道の自由の無い10ヵ国の中に、イランや中国などと共に、ラ米ではブラジル(生命の危機が最も高い)とエクアドル(国権による迫害)をランクインさせた。自由についての思想の違いが有り、彼の論理がどこまで通るか、注視したい。

ともあれ、絶対過半数の議席は得た。チャベス・ベネズエラ、モラレス・ボリビア両政権が進めている外資企業国有化なども考えているのだろうか。

チャベス大統領はキューバでの手術から2ヵ月以上経った218日、つまりコレア当選が確定した日、帰国した。ベッドに横たわり娘と談笑するチャベス氏の写真が、その4日前に公開された。彼の実顔が写真にせよ現れたのは、実に2ヵ月ぶりのことだ。彼から国民に対するハバナからのメッセージは、ツイッターやテレビとの会見を通じて出されていた以前とは異なり、必ず、留守を預かるマドゥーロ副大統領を通して出されてきた。帰国しても当分陸軍病院に入院した状態で、国政運営は過去2ヵ月間同様、マドゥーロ氏に委ねるようだ。

コレア氏とPAISの大勝で、大統領任期制限の撤廃を狙った憲法改正を唱える与党要人も出て来た。また、ラ米域内左派陣営には、チャベス氏が表舞台に立てない状況だけに、コレア氏に纏め役を期待する向きもある、との報道も出ている。だが、コレア氏は2017年の任期を終えたら、引退する旨を公言する。チャベス氏に比べ、遥かに民主的な姿勢だけに、一般的には歓迎すべきところだ。長時間を要する大事業で、自ら旗を振って来た「二十一世紀の社会主義」建設には、彼ほどにカリスマ性を持った強力な後継者さえいれば良い。自身はそれを支援する。だが国内にいてこそ可能な話だろう。ところが、ベルギー人の妻の国に移住する意向、とも伝えられる。それなら大プロジェクトへの本気度は疑わしくなる。今回の議会選大勝も色褪せる。

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