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2012年9月 2日 (日)

ペーニャニエト政権の確定

831日、メキシコ連邦選挙法廷(TEPJF)が、71日に行われた大統領選で、制度的革命党(PRI)のペーニャニエト候補が38.2%の得票率(1,916万票)に対し、ロペスオブラドル(以下AMLO)民主革命党(PRD)候補が31.6%1,585万票)で、前者が勝利した旨を、判事全7名が全体一致で評決した、と発表した。これで、彼はメキシコの司法によっても、次期大統領として認定されたことになる。もっと言えば、彼の大統領就任が確定した。

前日、TEPJF左派陣営及びロペスオブラドル(以下AMLO)民主革命党(PRD)候補が選挙の無効化を申し立てたPRIによる5百万の票買い、法定を上回る選挙費用、主要メディアや世論調査会社を巻き込んだ違憲、違法行為は、具体的な証拠に乏しく抽象的である、として、これを退けていた。

だがAMLOは、かかるTEPJF評決を認めず、従ってペーニャニエト大統領就任を非正統であるとしてこれを認めず、不服従市民行動に入る旨を述べ、先ず99日に支持者を6年前と同じソカロ広場に集合し、行動の具体的内容を決める、と言う。 

6年前の96日、TEPJF は最終的に23.4万票差(0.56%差)で国民運動党(PAN)のカルデロン候補がAMLOに勝利した旨の評決を行った。今回同様、司法の場で出た結論だった。そして今回同様、AMLO陣営はこれを認めず、同年916日の独立記念日、「国民民主コンベンション」と呼ぶ大規模デモを行った。そして1120日、ソカロ広場に集まった支持者が彼を「正統大統領」と宣言、いわゆる「並行政府」樹立に繋がった。この違法性の指摘もあったが、当時野党の一角にあったPRIが合法、との判断する経緯を辿る。

思えば不思議な展開である。司法が最終的に出した判断は、司法権の独立を確立する民主主義の鉄則だろう。ところが、意にそまない結論が出ると街頭運動に繰り出す。YoSoy132運動のようなPRI復活を嫌う大学生ならまだしも、メキシコ市長を経験しカリスマ的指導者にもなった政治指導者が、である。司法判断を無視する政治指導者の行為を許すのは、メキシコの社会文化なのだろうか。 

ペーニャニエト氏は選挙法廷の評決を受けて、穏健で責任感の強い、批判を甘んじて受け、意見には耳を傾け、メキシコ国民全体のことに思いを致す、多様、要求型及び参加型の、二十一世紀の新たな政府の形態を作る、と述べた。

議会選挙の結果は、連邦選挙管理委員会(IFE)のホームページを見ても、この期に至っても私には見えない。新議会は91日に始まった。http://okifumi.cocolog-wbs.com/blog/2012/07/pri3-ac38.html710日付けロイター電の数字を紹介したが、上院及び下院のホームページをみると、PRI及びその政治連合の相手である「緑の環境党(PVEM)」の合計議席数は、上院が全128議席中61、下院は全500議席中241となっており、上記ロイター電をほぼ裏付ける。過半数に到達していない以上、さらに、下院については2009年選挙より議席を減らしたこともあり、強気の政権運営はやり辛い。

2006121日に発足したカルデロン現政権が、主食のトルティーヤ価格統制令を出したことがある。これはAMLO「正統大統領」に向こうを張ったもの、と言われる。今後のAMLOがどう出るか、にもよるが、ペーニャニエト氏も彼の政見の一部は取り入れざるを得なくなろうか。それとも、80年以上もの間政敵関係にあったPANとの協力関係を進めるのだろうか。 

カルデロン大統領は、発足したての新議会開会式で演説を行い、「旧態依然とした労働法」(彼の表現)を改革し労働市場の自由化を訴え、改革法案を議会に送った。労働改革は、ペーニャニエトも政見に掲げており、この機会にPRIとして法案成立に協力し、ひいてはPANとの政策連合を進める可能性も指摘される。ただPANとの協力関係構築には2000年のフォックス政権誕生後、政策連合を破棄したPVEMがどう出るか、注目して良かろう。この党の議席が2000年幾つあったか私は知らないが、連合破棄後の2003年で獲得した下院議席数17は、今回の選挙では34議席へと倍増、上院では2006年選挙時獲得の4議席が、9議席になり、無視できない政治勢力に育っている。

さらに、PRIの支持母体は労働組合である。メキシコの労働者保護策として、企業所得の労働者配分、福祉策の義務化、解雇の難しさ、等、ひょっとして現在は多少変わっているかも知れないが、外資には頭痛の種だった記憶が私には有る。この問題に入り込む、というのは、自由主義政党のPANにはあって当然だ。だが、元々政党の中に労組を組み入れた「制度的革命」の党PRIと、そこから左派勢力が独立して創設された民主「革命」の党PRDに挟まれた少数与党のPANには、立法化は困難だった。これを、労働改革を主張するペーニャニエトPRI次期大統領に踏み絵を迫っている、というのが一つの実態でもあろう。

 

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