« 成るか、FARCとの和平(2) | トップページ | ペーニャニエトの6カ国歴訪 »

2012年9月25日 (火)

成るか、FARCとの和平(3)

918日、先ごろベネズエラで逮捕された通称「ロコ・バレラ」がコロンビアに身柄を移された。これを発表したサントス大統領によれば、現在も残る麻薬犯罪の首領(Capo)としては最大の大物だそうだ。FARCの有力メンバー、通称ネグロ・アカシオ(2007年死去)や、FARCと敵対するAUCと、驚くべきではないかも知れぬが、コロンビア軍のメンバー、及び「ノルテデルバリェ」などコロンビアの麻薬カルテルとの繋がりを持って麻薬密売に関わって来た、とある。また逮捕にはコロンビアとベネズエラ、米国のCIAとイギリスのM16が協力して当たった由だ。それだけ大変な人物、と言うことだろう。

コロンビアの麻薬取引自体は1970年代から知られるようになる。当初はヘロインを扱っていたが、ボリビアやペルーで買い付けたコカをコロンビア国内で精製し、コカインとして、主として米国への密売が主流となる。米国は麻薬犯罪者を自国司法で裁くべく「身柄引渡し条約」の締結をコロンビアに要求、1979年にこれが実現した。ただ国家主権の侵害とみる政治勢力の抗議も激しく、合憲性についての判断が先送りされ、実際の運用までには時間が掛ったようだ。 

1980年頃、パブロ・エスコバル(194993)が「メデジン・カルテル」を創設した。コカ栽培にも乗り出し、一大農園主にもなった。農園やコカイン精製所の自衛に加え、自らの安全確保のため、組織を武装化した。コロンビア革命軍(FARC)や民族解放軍(ELN)などの左翼ゲリラからの自衛もあったが、麻薬犯罪者の対米引き渡しが行われるようになると、反政府行動も強まる。844月、ボニーリャ法相(当時)が誘拐、暗殺されたが、これはメデジン・カルテルの犯行とされる。898月、与党のガラン大統領候補の暗殺も同様だ。この直後に当時のバルコ政権が「麻薬戦争」宣言に踏み切ると、同カルテルは、コロンビア航空機や安全保障局(DAS)ビルの爆破事件も惹き起こしている。9312月にエスコバルが殺害され、同カルテルは分解した。

強力な麻薬カルテルとしてもう一つ有名なのは、メデジンと同じ時期にロドリゲス兄弟により創設された「カリ・カルテル」だ。両カルテルは協調関係にもあったようだが、90年代に入ると敵対するようになる。メデジン分解から暫く経ち、95年央に兄弟が逮捕され、間もなく分解の道を辿った。兄弟は2006年に米国に身柄を引き渡され、米国で懲役30年の判決を受けている。

上記の強大なカルテルが無くなったところで、「ノルテデルバリェ」や「コスタ」と言ったカルテルが残る。また冒頭で述べたベネズエラで逮捕されたロコ・バレラが持つ組織などもある。政府との和平対話を開始するFARCも麻薬取引に関わっている、とされ、米国が指導者の身柄移送を要求する際に挙げる罪状は、米人誘拐・殺害よりも麻薬犯罪の方が一般的だ。麻薬は、相変わらずコロンビアで作られ、中米、メキシコ経由で、或いはカリブ海を通じて、米国に流れている。1999年、まさしくFARCが前回の和平対話を開始した年、米国は麻薬撲滅のための「プラン・コロンビア」を打ち出し、2001年以降、数億ドル単位でコロンビア支援を行っていながら、だ。 

ここで、自警団(パラミリタリー)について述べる。コロンビアの自警団は1962年、米軍特殊部隊高官の勧めにより、左翼ゲリラによるテロ活動に対する自衛のための民兵組織、として、各地に出来たのが始まりだ。FARCELNよりも先行している。民兵の募集は当初、コロンビア軍が行い、組織間連携にも協力した。61年に発足したケネディ政権の有名な「進歩のための同盟」(ホームページ「ラテンアメリカと米国」の「進歩のための同盟」ご参照)が、後年「対ゲリラ戦(Counter-insurgency)」支援に変貌していく一環として理解したい。強大化するのは、ゲリラによる身代金目的の誘拐の根絶を図るため、として「誘拐者に死を(MAS)」が結成された1980年代になってからのようだ。その他の自警団も強大化を進めた。FARC3年間、愛国連合(UP)での活動に注力した時期だ。自警団自体はもともと非合法とは言えない。それでも1980年代末には、暴力行為に規制をかける政令が出され、非合法化も進んだ。

1994年、国防省による「私的保安特別監視団(CONVIVIR)」創設の政令が出されると、自警団がこれに加入、再合法化が進んだ。よく知られるカスターニョ兄弟が経ちあげていた「コルドバ・ウラバ農民自衛団(ACCU)」も同様と思われる。19974月にCONVIVIRグループで構成される「コロンビア自衛組織連合(AUC)」が結成されたが、ACCUがその中核となった。正直申し上げ、AUCを構成する他の組織について私は存じ上げない。FARCが和平対話に臨んだ1999年から2002年までの間、全国組織化した自警団AUCは、いかなる活動を行っていたか。これもよく存じ上げない。FARCは確かにAUCと武力衝突しただろうし、これを理由に和平対話を遅らせたこともある。だが、この間のAUCの名は住民虐殺事件などのテロ行為によく現れる。国際人権団体から人権侵害で強く非難されてきた。2001年、米国政府もFARCELNに加える形でテロ組織リストに組み入れた。麻薬取引にも関わった。その程度の知識だ。

20022月、FARCとの和平対話が決裂した。その半年後に成立したウリベ政権とAUCが武装解除に向けた和平プロセスに合意したのは、20037月のことだ。3年間でAUCとしての武器引き渡しは完了した、とされる。事実、コロンビアの治安が眼に見えて好転した。プロセスの過程で、カスターニョ兄弟を含む数名の最高幹部が殺害され、多くが逮捕、麻薬取引を理由に対米身柄引渡しに遭っている。プロセスに応じなかった自警団には「アギラス・ネグラス」など幾つかあるが、自警団と言うよりは麻薬組織の性格が強いところもあるようだ。

|

« 成るか、FARCとの和平(2) | トップページ | ペーニャニエトの6カ国歴訪 »

南米」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 成るか、FARCとの和平(2) | トップページ | ペーニャニエトの6カ国歴訪 »