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2012年9月14日 (金)

成るか、FARCとの和平(2)

サントス大統領は左翼ゲリラに対し、襲撃の停止、誘拐した人質の解放、麻薬取引の放棄、年少者の募集停止を強要する一方で、ウリベ前大統領の政策を踏襲するかのように、一切の交渉を拒む、としてきた。事実コロンビア軍や警察によるFARCとの戦闘も繰り返されている。それでもウリベ氏はゲリラ対策に不熱心と映り、自らの政権で国防相を務めたこの後継者と距離を置くようになったようだ。

223日に始まったハバナでのFARCとの折衝は、サントス政権としては機密事項だったろう。223日、というのは、チャベス・ベネズエラ大統領が癌の二度目の摘出手術を受けにハバナに飛んだ前日のことだ。その1週間後、サントス氏がハバナに飛んだ。目的は416日からのカルタヘナ第六回米州サミットに招けないことをキューバに伝え了解をとり、加えて、その場合は自らも欠席すると言っていた同地滞在中のチャベス氏への出席の説得、となっている。はっきり言って、物凄いタイミングだ。チャベス氏はその更に2週間もハバナに残った。もっと言うなら折衝開始の1週間前に、彼は検査を受けるため、としてハバナを訪れている。

FARCは、サントス政権との折衝開始後間もない226日、軍及び警察制服組の最後の人質10名を解放した。チャベス氏の癌摘出手術が行われた、とされる当日だ。少なくともサントス氏が強要する「誘拐した人質の解放」は実現したことになる。彼らは4月にもフランス人ジャーナリストを誘拐、戦争捕虜扱いとしたが、国連諸機関や国際人権団体、米州報道協会などの強い圧力で530日に解放する。 

ゲリラとは、ホームページの軍政時代とゲリラ戦争の冒頭にも書いたが。あくまで反権力勢力の武闘組織を言う。革命を成立させたゲリラもあれば、和平交渉の結果、武装解除し政党として立法機関を通じ国政に参加し、中には政権を担う様になったゲリラもある。民主主義の理想的な国家、とヒラリー・クリントン米国務長官が讃えたウルグアイだが、同国のムヒカ大統領は、軍政時代に名を馳せたゲリラ、「トゥパマロス」の戦闘員出身だ。エルサルバドルでは、大統領がゲリラ出身ではなくとも、その政権与党が中米危機時代の強力なゲリラ組織だった「ファラブンドマルティ民族解放戦線(FMLN)」である。

ただ、欧米では左翼ゲリラ、とい言うだけで彼らをテロリスト、と呼ぶ向きもある。日本でも同様ではなかろうか。サントス氏の前任、ウリベ氏も、そう呼んでおり、交渉での和平ではなく、法の下での制圧有るのみ、との立場だった。彼がサントス政権はキューバでFARCと交渉している、政権側交渉団には大統領の実弟も加わっている、と、非難を込めて公けにしたのは、「和平枠組み合意」調印の1週間前、819日のことだった。情報源は伏せている。機密情報がこうしてあっけなく漏洩した。最近では、彼はサントス氏が、オスロでの対話開始とほぼ同日の107日のベネズエラ大統領選で、チャベス氏を勝利に導こうとしている、と強く非難する。和平仲介の偉業を仲介したチャベス氏を名指しで挙げ過ぎる、と言うものだ。チャベス氏は、2008年早々、FARCが拘束して来たいわゆる政治的人質の内の6名を解放した際にも仲介者を務めた。ウリベ氏はこれには感謝しながらも、その後の人質救出作戦などをみる限り、彼の世話にはなりたくなかった。チャベスはテロリストの国境を跨ぐ退路提供者、との意識が強かったようで、政権末期に、未遂に終わったが、ベネズエラ越境攻撃の軍事作戦を立てたこともある。国は違っても、許し難い政敵なのだろう。 

軍や警察への襲撃、その過程で一般人を巻き込む殺害行為、社会インフラ破壊、要人の拉致や暗殺、など、ゲリラによるテロ行為は事実としてある。フジモリ元ペルー大統領は、日本大使公邸人質事件の際に、犯人グループを「ゲリラではない、テロリストだ」と繰り返していたが、その際彼らの属する「トゥパクアマルー革命運動(MRTA)」自体をテロリストと断定したのか、私には分からない。ともあれゲリラは、革命遂行を唯一の目標とするのでなければ、政府に対して要求をぶつけ、いずれは和平に至ることを望む。FARCとて例外ではなく、1984年から3年間、自警団の攻撃を受けながらも、合法政治組織の愛国連合(UP)での活動に注力していた。ゲリラ活動に戻っても、政府との和平努力を一切断っていたわけではない。ラテンアメリカの為政者が、左派であれ右派であれ、ゲリラ即ちテロリスト、と決めつけるのは、あまり一般的ではあるまい。 

FARCは何しろ結成後46年間の、ゲリラとしては長い歴史を持つ。コロンビア内務省によれば戦闘員は9千人、と言う。1990年代から半減した、とも言う。それでも、中米一国の正規軍の規模に近い。これを和平によって武装解除させれば偉業だろう。サントス氏の名声は高まる。事実、AFPが伝えるIpsos社による世論調査では、対話開始を発表した後の彼の支持率が7月の42%から57%へと急上昇した。彼の決断を支持する、としたのは、77%にも上る。

今回交渉の先行きに楽観している人が54%だそうだ。19991月に開始された和平交渉は3年間続き、結局失敗に終わった。だが、当時活発だったコロンビア自衛組織連合(AUC)は、ウリベ政権時代に消滅した。AUCの一部は形を変えて残ってはいようが、FARCにとって国内環境は当時とは異なる。この間、ラテンアメリカでは左派系の政権が次々に、選挙によって成立して来た。つまり域内の国際環境も変わった。それでもウリベ政権時代には、FARCとの和平は選択肢として無かった。サントス大統領も表面的にはこれを踏襲した。その一方で就任早々、チャベス氏との会談に臨み、首脳関係の修復が成った。FARCにとり、チャベス氏を挟む政権側との関係環境も変化した。国民の多くが、FARCが和平への千載一遇の機会と捉えた、と見ているのだろう。

サントス政権はFARCとの休戦抜きで交渉を行う、と言明し、また(交渉を長々と続け決裂に至った)過去の失敗に鑑み1年以内に解決する、と述べた。果断とみるか、危険な賭け、と見るか、専門家の見方は分かれる。

 

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