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2012年8月25日 (土)

エクアドルの対英挑戦-アサンジュ事件

815日、ロンドンのエクアドル大使館に保護を求め滞在中の、ウィキリークスの創設者でオーストラリア人、41歳のジュリアン・アサンジュ氏逮捕を目的に、警察が実力で大使館に立ち入る旨の通告が為された。エクアドル政府がアサンジュ氏の亡命受け入れを決定したのは、その翌日だ。大国イギリスへの反発が、それだけ激しかった。この件で、エクアドル政府は米州機構(OAS)の外相級会議招集を求め、それが824日、ワシントンで開催された。OAS加盟34ヵ国中、12ヵ国が外相を出した。米国は、OASはこの種問題を持ち込む場ではない、と反対していたが、召集されれば欠席はできない。ただヒラリー国務長官の動向がまるで伝わらない。外相級の出席はなかったようだ。

会議では、「外交施設の不可侵を危機に晒すいかなる企てをも拒絶する」との決議が採択された。決議文は「エクアドルとイギリス両政府間で国際法に沿い、意見の相違を埋め解決に向かう対話継続を求め、OAS常設評議会にフォローアップを委託すべし」と結ばれている由だ。また「全ての国家は国際的義務の不履行を正当化するために国内法上の権利を持ち出してはならず、本件ではエクアドルに対する連帯と支持を表明する」との部分も決議文にあるが、米国は決議文脚注を通じ、これへの不同意を表明している。加えて、カナダは決議文自体に不同意、とした。だが、いずれも決議そのものに反対してはいないので、採択は効力を持つ。 

エクアドルは何に拘っているのか。アサンジュ氏と言えば、有力国、特に米国の機密情報をネット上で流し、世界中で物議を醸していたウィキリークスの創設者だ。http://okifumi.cocolog-wbs.com/blog/2011/05/post-247f.htmlでも少し述べさせて頂いたが、一時的に対米関係を損ねた原因は、ウィキリークスで流れた米国の外交文書だ。その後修復し、最近では第六回サミットにキューバを招かなかったことに抗議しコレア大統領が出席しなかったことはあるが、あまり波風は立てていない。また、ウィキリークス自体も2010年以降、活動休止状態だ。

アサンジュ氏は、20108月末、二人のスウェーデン女性から出された性的暴行の容疑に関し、同国警察の取り調べを受けた。同容疑での捜査が本格化したのは、この後だ。同国の裁判所が彼の拘留を承認したのは11月央のことで、直後に警察がインターポールを通じ国際指名手配しており、既に彼が国外に出たことを物語る。彼は127日、ロンドン警視庁に出頭、逮捕され、短い間拘留されたが、その後保釈された。保釈なので国外には出られない。翌112月、スウェーデンの要請に応じた身柄送還の是非について、イギリス司法当局が審理を開始した。同国最高裁判所によって身柄送還裁定が為されたのは、614日だった。そしてその5日後、エクアドル大使館に駆け込んだ。

彼は性的暴行については全面的に否定、スウェーデンに居る間にでも裁判を受け、さっさと無罪判決を受ければ良かった筈だ。だが、容疑自体がウィキリークスを快く思わない勢力によるでっちあげ、と考えれば、問題はややこしくなる。ウィキリークスの最大の被害者、米国が、彼にスパイ罪を適用し、身柄送還をスウェーデンに迫った場合、彼は米国の法廷で有罪、下手をすれば死刑判決を受ける恐れも有る、との考えに行き着くからだ。頼られたエクアドルは、見放して彼の言う最悪のシナリオに進んだら、寝覚めが悪い。その後亡命を申請して来た。母親もキトを訪れ、便宜を図って欲しいと訴える。とにかく、大使館に庇護する。 

一方のイギリスの事情もある。最高裁判所の裁定が降りた以上、警察はスウェーデンにアサンジュ氏の身柄送還を実行せねばならない。815日、彼の身柄確保を目的としてエクアドル大使館に立ち入ることを通告して来た。これには状況により外交施設への実力による立ち入りを認める1987年の法律を、準拠法として明示した。言うまでも無く主権国家の大使館は治外法権に守られる。実力行使による立ち入りは、国際法違反だ。これを、わざわざ準拠する国内法まで付けて通告すること自体が、外交上の「脅し」として、コレア政権が激しく反発した。大国の小国に対する脅し、ととったのは、想像に難くない。

早速アサンジュ亡命申請を受け容れた。その上で、グァヤキルで18日には米州ボリーバル同盟(ALBA)の、又、更に19日には南米諸国連合(Unasur)の夫々の外相会議を開催、域内の連帯と支援を確保した。まさしく、スピード感を持った反発の連鎖と連帯形成だ。そしてOASの会合を申し入れた。チャベス・ベネズエラ大統領が、エクアドルよ、一人ではない、ラテンアメリカ全人民が付いている、と叫んだものだ。 

米国はかかる行動に違和感を持つ。性的暴行の容疑者が取り調べを受け裁判を受けるため、犯行地に身柄を送還するだけの話で、何を騒ぐのか、と言っていた。ついでにスパイ罪による身柄引き渡しは無い、と言い切れば良いものを、そこはぼかす。スウェーデンは、国内法で生命に危機を与えることが予測できれば、対外身柄送還は見合わせることが決められている、と言う。はっきりと、米国から送還要求があっても、これには応じない、と言い切れば良いものを、そこはぼかす。エクアドルは、対米送還をしない、とのスウェーデンの確約か、それともアサンジュ氏が無事にイギリスを出国できるよう、同国政府による通行保証書が不可欠だが、その前提となるイギリスによる亡命承認か、の二者選択を求めていくしか無くなっている。

ともあれ、アサンジュ氏が亡命先としてエクアドルを選んだことで、事態が大きく動いている。大国に挑戦するラテンアメリカの小国(実際には人口が1,500万人なので、小国呼ばわりは当たらないが)、及び対欧米では結束し易いラテンアメリカ世界、という構図は、彼の作戦に元々あったのだろうか。

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2012年8月 6日 (月)

ベネズエラのメルコスル正式加盟

本日の朝日新聞に、ブラジリアでの特別サミットでベネズエラのメルコスル正式加盟が承認された、との記事が出ていた。このブログで書きそびれていたことに気付き、下記させて頂く。

731日、ブラジリアの大統領官邸に、パラグアイを除くメルコスル原加盟三ヵ国の首脳と、チャベス・ベネズエラ大統領が集まり、629日におけるメンドーサ(アルゼンチン)でのメルコスル定例サミットで行ったベネズエラの正式加盟決議を追認した。発効は812日だが、域内関税撤廃、域外共通関税、その他の加盟国に科せられる規約の全面適用には、4年間の猶予が与えられる。この日、ブラジルEmbraer社製航空機20機の購入契約や、アルゼンチンYPF社によるベネズエラのオリノコタール開発参加協定が締結され、上々の滑り出しに見える。

上記メンドーサのサミットでは、他に、20134月のパラグアイ選挙まで、同国のメルコスル加盟国資格停止が決議されている。ルゴ前大統領に対する議会の政治判決プロセス(これについては、このブログでもhttp://okifumi.cocolog-wbs.com/blog/2012/06/post-06cc.htmlなどで報告)が非民主的である、との判断による。サミット前の外相会議で合意を見たものをサミット決議とした。19987月、メルコスル加盟諸国は「民主主義約束のウスワイア議定書」に調印した。これには、民主主義体制を逸脱した加盟国は、民主主義秩序が回復されるまで、権利と義務が中断される、と言う文言がある。ルゴ罷免に関し、当人からの申し立てには僅か2時間しか割かず、余りにも迅速な、一方的な措置だったことが、民主主義体制逸脱、に相当する、と言うものだ。経済制裁は適用外、とした。

メンドーサでは南米諸国連合(Unasur)緊急会合を開き、メルコスルと歩調を合わせる形でパラグアイを資格停止処分にした。何に準拠しているのかは、私には分からない。ルゴ前大統領は201110月からUnasurの持ち回り議長を務めていたが、この会合でその任を解き、ウマラ・ペルー大統領に交代、とした。 

ベネズエラは、20067月、大統領選の5ヵ月前に、メルコスル加盟を申請した。この年の4月、アンデス共同市場(CAN)を脱退していた(私のホームページ中のラ米の地域統合アンデス共同体及びメルコスルご参照)。チャベス大統領は、63%もの得票率で再々選され、それまでも目立った国内外での言動を、一層際立たせるようになった。メルコスル加盟手続には各国の議会批准が必要で、彼の盟友だったルラ大統領(当時)のブラジルでは批准に200912月まで掛った。残るはパラグアイ議会だけだったが、ルゴ大統領の再三に亘る呼掛けにも拘わらず、議会は議題として取り上げなかった。そこにルゴ罷免が起き、メルコスルが、同国を資格停止にしたことで、一時的にパラグアイ抜きとなり、ベネズエラ加盟が可能となった。まさしく「鬼の居ぬ間の」であり、私にはあまり行儀の良い話とは思えない。

当然、パラグアイのフランコ新政権は反発する。先ず、Unasurによる資格停止処分だが、持ち回り議長の任を正統に継ぐフランコ大統領が欠席した会合自体が無効、決定事項も当然無効、との立場だ。次に、メルコスルには199412月に交わされた「オウロプレト議定書」で、加盟国の1ヵ国でも欠席した会合では、加盟国に対する制裁は行わない、との規定があるので、そもそも資格停止という制裁はあり得ない、従ってベネズエラ加盟は無効、と言う。パラグアイ政府は同国アスンシオンにあるメルコスル常設仲裁裁判所に、ベネズエラ加盟の無効化と制裁解除を申し立てた。だが、現実に追放された状態では、かかる行動は無力だ。 

そして、ベネズエラのメルコスル入りが既定事実化する。731日のサミットでは、ルセフ大統領が、メルコスルはパタゴニアからカリブまで広がり、新たな時代に入った、「米国、中国、ドイツ、日本(順序は彼女の表現のまま)に次ぐ世界第五位の経済力」を持つこととなった、と誇らしげに言えば、フェルナンデス大統領も、ベネズエラ加盟でメルコスルはエネルギー、金属、食糧、科学技術の全てが揃った、と応じていた。両国にとっては、ベネズエラは食糧や工業製品の輸出市場として、歓迎できる。ウルグアイにとってはどうだろうか。石油の安定供給先、と言う以外に、どんなメリットがあるのか、私にはちょっと見えない。

チャベス大統領はこの日、メルコスル加盟により、これまで石油に過度に依存して来た国内産業に多角化をもたらし、ベネズエラの工業化と農産物増産に繋がる、と言う。加えて、メルコスルは、自国の独立を維持し開発を進めるための機関車と成り得る、とも述べた。世界第五位の経済規模となるメルコスルの一角を占めることでのメリットが大きいことは疑いようもない。正式加盟は彼の功績として、今年107日の大統領選挙に、間違いなくプラスに働く。対立候補たる民主統一会議(MUD)のカプリーレス氏(http://okifumi.cocolog-wbs.com/blog/2012/06/post-ac3e.htmlなどご参照)が、このところ焦燥感を強めているのも、彼のこの大きな得点が作用しているように思える。パラグアイのフランコ大統領は、(ブラジル、アルゼンチン、ウルグアイの)三人の大統領は、チャベスを大統領選で勝たせたいのだろう、とまで述べている。 

ところで、チャベス氏にとってメルコスルのブラジリア特別サミットは、1月にイランのアフマディネジャド大統領とニカラグアを訪問して以来、公務としては初めての外国訪問となった。710日、癌の完全治癒を宣言したばかりだが、最近の選挙運動を見る限りでは、確かに健康状態はかなり良くなっているようだ。

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