メキシコ制度的革命党(PRI)の復権(2)
7月6日、大統領選の開票結果が出た。速報段階で第二位のロペスオブラドル(以下、彼のフルネームであるAndrés Manuel López Obrador を略して通称となっているAMLOで表記、敬称を省略する)民主革命党(PRD)候補が全票の再集計を要求し、連邦選挙管理委員会(IFE)が全部で14万箱余りの投票箱の内、半分の再集計を行った結果で、彼の得票率は31.6%、第一位のペーニャニエト制度的革命党(PRI)候補の38.2%を6.6ポイント、330万票下回った。だがAMLOはPRIによる票買いや法定枠を大きく上回る選挙資金などの選挙不正を理由に、連邦選挙法廷に申し立てた。
2006年選挙ではカルデロン現大統領に0.58%、約24.3万票差で敗退した。AMLOはこれを認めず、今回とまったく同様に、全票再集計を要求、連邦選挙法廷への申し立てを行った。また自らこそが次期大統領である、として数十万規模の支持者集会を何度も行い、7月末には支持者らによる首都の目抜き通り封鎖で、経済活動を著しく妨害する行動にも出た。8月に入り、法廷はIFEに全体の9%ほどの再集計を命じ、1ヵ月後の9月5日、0.56%、約24.4万票差でカルデロン国民運動党(PAN)候補の勝利を全会一致で評決した。AMLOの抵抗は続く。9月16日の独立記念日から「国民民主コンベンション」と呼ぶ集会を繰り返し、11月20日のメキシコ革命勃発記念日に、自らを「正統大統領」として「並行政府」宣言を行う。
今回も同様の動きを辿るのか心配だが、得票差は6年前とは比較にならないほど大きい。AMLO自身、選挙不正への抗議はあくまで平和裏に行う、と言っている。今後の推移を見守りたい。
YoSoy132運動は、要するにPRI復権を拒否するものだろう(http://okifumi.cocolog-wbs.com/blog/2012/06/post-df1f.html参照)。だが、AMLOを応援するものではない、としながらも、実際にはAMLOを利する動きだった、と言えよう。現実に、ペーニャニエト氏の圧倒的優位を、選挙戦終盤にAMLOが猛追した。
外国メディアは選挙戦の頃からPRI復権への懸念を思わせる報道が目立った。どうも行きつくところは、麻薬問題のようだ。彼の当選にすぐさま祝意の電話を入れた一人がオバマ大統領だが、米国が最も気にするのは、新政権による麻薬戦争の見直し、と思う。現カルデロン政権が進めて来た麻薬戦争は、米国の意向に沿うものだった。結果が、夥しい犠牲者の数だ。麻薬カルテルは、そのままの形ではなくとも、健在、と言える。あまり国民の支持を受けているとは言い難い。
ペーニャニエト氏は、新たな照準として地方に根を張る小規模組織を考える。「ロス・セタス」や「シナロア・カルテル」のような大規模組織とは言え、地域の縄張りは夫々の小規模組織が持つ。彼らを押さえる方が治安戦略上効果的、との考えがあるようだ。ただそのために「国家憲兵隊(Gendarmería Nacional)」と呼ぶ自警団を創設するにしても要員は軍からの転用になり、その分軍が弱体化するとの懸念もある。そもそもかつてのPRI政権は大規模麻薬組織との繋がりがあった、と言う見方は米国で根強そうだ。今でも、PRIは麻薬組織と暴力を止めれば彼らのビジネスを目こぼしする、との密約を交わしている、という噂がある。勿論、PRIはこれを強く否定している。
1946年からの54年間、文民大統領になった人たちは、全て前政権の閣僚を務めていた。初代文民大統領のアレマン(在任1946-52、以下、同)は内相、次のルイスコルティネス(1952-58)は大統領府長官、続くロペスマテオス(1958-64)は労相、ディアスオルダス(1964-70)とエチェベリア(1970-76)は内相、ロペスポルティーヨ(1976-82)は財務相、デラマドリー(1982-88)とサリナス(1988-94)は予算・企画相、そして最後のセディヨ(1994-2000)は教育相だった。議院内閣制ではないので、閣僚にはテクノクラートが多い。だから現職大統領による後任候補指名(dedazo)対象者でも、議員や民選知事を経験しない人も多く、上記の過半数はテクノクラートだ。そして、8人までが40歳代、と若い。最後の3人はいずれも米国の大学留学を経験している。
デラマドリーまでの得票率は、常に70%を超えていた。サリナス候補も51%だったが、これはPRIを離党しPRDを創設したクワテモック・カルデナス候補がいきなり30%強の得票率を挙げたためだ。サリナス氏は、閣僚ではなく下院議員だったコロシオ(1950-94)を後任指名したものの暗殺されたため、閣僚を務めたセディヨ氏に代えた。得票率は過半数を初めて割り込んだ、とは言え49%だった。メキシコは複数政党制を採る。その中での超長期に亘る一党政治支配だ。これを見せつけられた格好だった。自民党政権時代が続く日本では、意外ではなかったろうが、国際的に見ると異様に思える。何かからくりがあった筈だ、そもそも超長期政権で腐敗が無い筈もない、と思う人たちが、特に若者や貧困層にいてもおかしくはなかろう。
そのセディヨ政権が、従来のしがらみを越えた。これまたどういう仕組みか、私自身は検証していないが、地方選挙では非PRI州知事が誕生する。1997年に始まったメキシコ市長公選でPRD候補が当選し、以後首都市長はPRD の指定席になる。同時に行われた議会選で、従来圧倒的議席を保持して来たPRIは前議席改選の下院で過半数割れに追い込まれた。私には、欧米系のニュースで、メキシコに本来の民主主義が到来した、と歓迎する意見が強まった、との記憶がある。さらにセディヨ氏は、後任指名をしなかった。そして2000年選挙を迎えた。
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