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2012年4月22日 (日)

第六回米州サミットに思う(4)

チャベス大統領が放射線治療でカラカスから直接キューバに向け発ったのが、米州サミット開会の当日の夜だった。単なる偶然だろうか。このサミットは、2010年の殺人者数15,241人、殺人率で言えば10万人当たり33.4人、治安の悪いコロンビアで初めて開催された。サントス大統領は万難を排し成果を得よう、との意気込みでいたことだろう。キューバに飛び、招待できぬことをラウル・カストロ議長に丁寧に説明し、了解を得た。且つ滞在中のチャベス氏には丁寧に出席を働きかけ快諾を受けた。隣国エクアドルにも、成功はしなかったが、最後の最後までコレア大統領に出席を呼び掛けた。そして軍と警察で合わせて1.6万人を、この人口70万の港町に動員された。

ウリベ前大統領と異なり、サントス氏はチャベス、コレア両氏からの信頼を得ている。チャベス氏が出席していたら、キューバ問題でサミットが紛糾したかも知れない。それではサントス氏の立場が無い。だから治療にかこつけ欠席したような気もする。 

そもそも首脳会合には、首脳同士の信頼関係の構築が何よりも優先され、最大公約数の合意テーマが用意され、共同宣言が出され、一体感が演出される。キューバ問題で米国とその他が割れるのが明白であり、元々サミットでは採り上げられるべくもない。それをサントス氏は組み入れた。これが米州サミットの存在価値、という根本的な問題に発展した。若し2015年までにキューバ参加が確約されなければ、多くの首脳が次回パナマ会議を欠席することになる。一部が欠席しても、どうということはない。イベロアメリカサミットの欠席者は結構多い。201112月の第一回ラテンアメリカ・カリブ共同体(CELAC)サミットには、CELAC創設のための重要なサミットだったにも拘わらず、首脳全員が集合したわけではない。

それでも、米国が入るサミットとなると、G8でもG20でも、全首脳が一堂に会する。従来は4年に一度、今回と次回は3年に一度、他サミットと比べても頻度は低い。それでも揃わないとなれば、逆に、34年に一度のサミットに恋々とすることもあるまい、と米国自身が考えまいか。代替、米州諸国の首脳には国家主権を前面に掲げる人が多い。中米統合機構(SICA)、アンデス共同体(CAN)、メルコスル、ましてや南米諸国連合(UNASUR)のいずれも、あれほど言語、文化が異なる27ヵ国で構成する欧州連合(EU)に比べても統合の度合いが低い。加盟諸国が国家主権を強調し過ぎ、合意形成に時間が掛り過ぎる、という実態がある。 

マルビナス領有権でのアルゼンチンへの支持を訴えたフェルナンデス大統領には、不幸なサミットだったと言えよう。元々米州機構(OAS)はアルゼンチンの立場を支持する。だがOAS決議は外相レベルで行われる。マルビナス戦争30周年の年に、これを首脳レベルに格上げしようとして、失敗した。彼女が口にしたのは、マルビナスに対するアルゼンチンの主権、である。これが、少なくとも米国とカナダの首脳には通らなかった。彼女は最終会合を欠席して帰国した。直ちに着手したのはYPF再国有化だ。具体的には外国企業によるエネルギー資源の支配を解こう、と言うもので、この時もエネルギー資源には国家主権が関わる、と述べた。

スペインのラホイ首相が、メキシコのプエルトバジャルタで開催された世界経済フォーラム(ダヴォス会議)の地域フォーラムに出席し、アルゼンチン政府がYPFを親会社のスペイン企業、Repsol社から接収するのは、断じて正当化できない、として、報復を仄めかした。EUもアルゼンチン非難に動いた。日米も反発する。民間米州サミットから帰国しラホイ首相を迎えたカルデロン・メキシコ大統領は、経済成長と発展は接収によっては達し得ない、と応じた。同首相の次の訪問国、コロンビアのサントス大統領は、外国企業の直接投資に対する一方的接収はあり得ない、と応じた。だが、メキシコのPemexもコロンビアのEcopetrolも、いずれも国営石油会社であり、独占企業だ。元々、エネルギー資源は国家のもの、と言う考え方は、資源国では一般的である。ラテンアメリカでは、独占体としての国営石油会社は、ブラジル(Petrobras)、ベネズエラ(Pdvsa)、エクアドル(Petroecuador)、ボリビア(YPFB)、チリ(Enap)と、軒並みそうだ。

1916年、アルゼンチンにイリゴージェン(1852-1933年)第一次急進党政権が発足した。初めての中間層を基盤とする政権として記憶される。政権最終年の1922年、としてYPFが創立された。私の知識では、確かラテンアメリカで初めての国営石油会社だった。70年後の1992年、これがフェルナンデス氏と同じペロン党のメネム政権(1989-99年)下で民営化された。対外債務危機を抜け出す際に、債務国の多くが英米に倣い、規制緩和と共に公営企業の民営化を推進した。その一環ではあったが、資源産業まで民営化した例は、実は少ない。正確に確認したわけではないが、民間企業たるYPFは、例外的な存在だった。左派傾向が強いフェルナンデス大統領や、その前任者の夫、故キルチネル氏が再国有化に動かなかったことの方が不思議に思える。

ともあれ、ブラジル、ベネズエラ、ウルグアイ及びボリビアなどは買収推進賛成の立場だが、日欧米や国際金融機関からは反発の声が聞こえる。有償だから構わない、とも言っておられぬ。接収価格は企業価値への精査を通じて決められるにせよ、国家の恣意は働く。何より、国家により外国企業に対する投資保護が一方的に破却される。今やメディアは、アルゼンチンがG20から除外される可能性を囃す。ただアルゼンチン国内では、ナショナリズムを刺激し、フェルナンデス大統領への支持率がいきなり7%上昇した。国家主権という言葉は、国家の指導者にとり、蠱惑的な響きがあるようだ。 

一方のオバマ氏である。共和党候補がロムニー氏にほぼ決まり、今国民支持率でオバマ氏に猛追している状況だ。キューバやマルビナスで大胆な方針転換が打ち出せる筈もない。それでも、麻薬戦争続行を供給国側に強要する基本的立場にあり、首脳レベルのテーマとして採り上げさせない立場に固執せず、且つ新たな代替策への首脳間合意に繋げた。米州の首脳が一堂に会する唯一の機会は、全員揃わずとも、或いは国家主権という言葉の攻勢を受けても、十分な存在意義がある、との結論を得ようか。事実、今回とて3ヵ国が欠席した。または、キューバを参加させてでも、米州サミットは守る必要がある、と考え始めただろうか。

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2012年4月19日 (木)

第六回米州サミットに思う(3)

サントス大統領がサミットの閉会式で、キューバ問題以外で述べた問題の一つが、麻薬との戦い、だ。麻薬との戦いが40年経って(1971年に当時のニクソン大統領が開始)、いかなる結果をもたらしているか、サミットで初めて討議の場を持つ、と語った。

議題に乗せる、と主張したのは、グァテマラのオットーペレス大統領だ。3月始め、中米諸国首脳はバイデン米副大統領との会合の場を持った。このフォローアップの一環として、32324日に、オットーペレス氏が中米首脳をグァテマラのアンティグアに招集したが、出席したのはコスタリカのチンチーヤ及びパナマのマルティネッリ両大統領だけだった。この2ヵ国には、メキシコやコロンビアが動員した軍そのものが無い。オットーペレス氏が主張する麻薬の免罪化(despenalization)については、チンチーヤ氏は売買と消費くらいなら検討の価値あり、という立場で、マルティネッリ氏は反対だが、現在の麻薬対策以外に選択肢を追求するのには異議を唱えない。またブラジル、コロンビア、メキシコの元大統領に合法化(legalization)検討を主張する人もいる。要するに、麻薬需要が有る限り、麻薬を違法としたままでは、麻薬犯罪は無くならない、軍や連邦警察で進める麻薬戦争は、犠牲者を増やすもの、との考え方から来ている。

1週間後の30日、欠席したホンジュラスのロボ、エルサルバドルのフネス及びニカラグアのオルテガ3首脳がサンサルバドルに集合した。フォンセカ湾に面する3ヵ国固有の問題を協議するため、としているが、何とも不思議な光景だ。その際、アンティグア欠席理由を、麻薬の免罪化には反対なのに、オットーペレス氏が中米の総意として第六回米州サミットに挙げよう、としたため、と説明した。 

主催国コロンビアのサントス大統領は、オットーペレス氏の意を組んだ形で、サミットの共同宣言には盛らないとの条件で、免罪化、合法化を含む麻薬対策の討議テーマに採り入れた。現在のコロンビアの麻薬対策は多くの人命を奪い、多少下火になったところで、密売組織は活動の場をメキシコ、中米に広げ、同様に多くの人命を奪い続けている、他にやりようが無いか、米州全体として検証し新たな対策を講じていくプロセスは必要、と言う論理で進めた。米国は、麻薬取引は違法であり、整備面や技術面、或いは訓練の一環として、供給国政府を支援し麻薬組織との戦いを強いる立場に変わりは無い。選挙を控えるオバマ大統領は、免罪化も、まして合法化は、決して容認できない。だがサミット直前に、実態を検証し、新たな対策を議論し合う場は必要、と認めた。且つ、米国内の需要と、米国からラテンアメリカへの武器と資金の流れを問題視するところまで発言を進めた。

結局、オットーモリーナ氏の提起は首脳会合の場に持ち込まれ、結果として米州機構(OAS)に検証と対策を寄託することが決まる。皮肉なことに、共同宣言が出せなかったサミットで、これだけが効力のある合意、となった。またサントス氏は、共同宣言無きサミットはコロンビア外交の失敗、との声が渦巻く中、首脳同士が真剣に討議し合うサミットであり成功だった、とする中で、首脳会合で麻薬問題を初めて協議し、結論を得たことを誇示した。

国際連合薬物犯罪事務所(UNODC)が出している世界の殺人率一覧表(本ブログでもhttp://okifumi.cocolog-wbs.com/blog/2012/03/post-f442.htmlで紹介)には、殺人数も出ている。ラテンアメリカで殺人数が最も多いのはブラジルで、2009年で43,909人(法務省による)、続くのがメキシコで20,585人、その次がコロンビアで15,459人(いずれも2010年、当該国国家警察)だ。この3ヵ国だけは、米国(15,241人。09年、国家警察)を上回る。メキシコとコロンビアは、麻薬組織の存在、という共通項がある。サントス大統領の説明によると、コロンビアではここ10年間で80億ドルという米国からのプラン・コロンビアが奏功し、密売組織が弱体化した。だがメキシコと中米に飛び火した。Baloon Effectと呼ぶ。

カルデロン大統領のサミットでの発言が殆ど伝わって来ないが、よく言われるのは彼の政権下で、5年間の内に麻薬犯罪絡みで5万人の犠牲者が出た、ということだ。年を追って増えており、2010年には1.5万人に達したことがWikipediaTimeline on Mexican drug warsに出ていた。同年のメキシコの殺人による犠牲者数が20,585人なので、その3分の2に相当する数字で、俄かには信じ難いが、外電を追っていると殺害による大量の遺体発見、などのおぞましいニュースが頻繁に飛び込んでくる。1.5万人と言う数字は、米国全体の2009年の殺人数と同じだ。

カルデロン政権は、大統領の出身地ミチョアカン州を皮切りに、軍・連邦警察動員による麻薬カルテル撲滅を図る実力作戦を次々と打ち出した。2008年には米国からの16億ドルに上る「メリダ・イニシアティヴ」が発効した。一方でカルテル同士の報復や見せしめを誇示する首なし死体、橋げたに吊るされた裸の死体、と、おぞましいニュースも多く伝わってくる。動員された軍や連邦警察との戦闘でも死者が続出し、警察や軍、或いは地方行政の幹部らの暗殺も起きた。またカルテルの組織員を逮捕すれば、今度は大量脱走や刑務官暗殺も多発するようになった。麻薬組織と行政、警察との癒着関係も取り沙汰されるが、彼らとて命がけだ。 

中米の、いわゆる北の三角地帯諸国、グァテマラ、ホンジュラス及びエルサルバドルの3ヵ国は、殺人率だけをとればメキシコの比ではない。軍や警察の実力差、貧困の度合いを理由にするのは簡単だが、それにしても高い。殺人実数は2010年で計16,284人だが、総人口で12倍もある米国の、09年の数字を超える。麻薬犯罪に絡むのがこの内の何パーセントか私は存じ上げないが、コロンビアやメキシコの取締りの厳しさから、麻薬組織が中米に足を延ばしてきたことは間違いあるまい。しかし上述の通り、グァテマラと他の2ヵ国は、麻薬対策では意見を異にする。何か勝算があるとも思えないが、今後のOASによる検証と寄託の結果を見ていきたい。

ところで、米国南方軍が推進する「ハンマー作戦」がある。カリブ及び太平洋沿岸で通行する麻薬組織を拘束するものだ。今年1月にスタートし、既に50名の拘束と25キロのコカインの押収を実績として挙げた、と言う。米国政府が麻薬との戦いでラテンアメリカ諸国に協力するわけだが、これには見直しはあるのだろうか。

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2012年4月17日 (火)

米州サミットに思う(2)

アルゼンチンのフェルナンデス大統領が15日の会議には出席しないまま、一足先に帰国した。これを書いている段階で理由の公式発表は無いが、このブログでも2年前紹介したマルビナス問題http://okifumi.cocolog-wbs.com/blog/2010/04/post-8a42.htmlについて、サミットでの扱いが低かったことに失望したためではなかろうか。サントス大統領は、サミット開会のスピーチでこの問題に触れなかったが、その後フェルナンデス氏から「マルビナスをお忘れか」、と問われたことを認めつつ、これで彼女が帰国したとは思わないと閉会後の記者会見で述べた。モラレス・ボリビア大統領は、サミット参加34ヵ国で、32ヵ国が賛同しても2ヵ国の反対で結局否決される重要テーマとして、キューバとマルビナスがある、と指摘していた。

この種サミットでは、参加国代表全てが署名する宣言が出される。今回は出されなかった。2005年のマルデルプラタ(アルゼンチン)での第四回サミットでも出なかったが、同年は米国が推進していた米州自由貿易圏(FTAA)構想がベネズエラやメルコスル諸国の強い抵抗を受け、破綻した時だった。今回出されなかったのは、キューバ参加とアルゼンチンのマルビナス(フォークランド)領有権問題の明記を、米加が拒否したためだ。全会一致が宣言採択の基本であり、1ヵ国でも反対が有れば成り立たない。 

キューバ参加問題については、強力なキューバ系アメリカ人社会を抱く米国で大統領選挙を控えるオバマ氏が、受け容れられる筈もない。一方のラテンアメリカ・カリブ諸国では左派系から右派系まで全ての政権が、揃ってキューバ参加を訴え、若し次回サミットでこれが実現せねばサミットそのものがなくなる、と危惧する。今回ですら、コレア・エクアドル大統領はキューバが招かれないことを理由に欠席した。オルテガ・ニカラグア大統領の欠席も、公式説明は無いにせよ、同理由であることに間違いない。チャベス・ベネズエラ大統領が放射線治療でハバナに飛んだのがサミット開会式の日であり、医師団の指示であり自分は出席の積りでいた、という説明は、真実だったとしても、国際社会で額面通り受け取るのは難しい。

今年に入ってからキューバを訪問した重要人物は、治療を受けるチャベス氏だけではない。ルセフ・ブラジル、サントス・コロンビア、サミット直前のカルデロン・メキシコ各大統領がハバナに入った。ローマ法王も訪問した。明らかに、キューバの存在感は高まっている。34ヵ国中ただ一人キューバに経済制裁を半世紀間も続けて来た米国の立場には、滑稽ささえ漂う。このままでは、参加国首脳の多くが欠席し、サミットが成り立たなくなる。キューバ参加にむけ、真剣に取り組む必要が出て来た。オバマ氏は閉会後、キューバが国民に自由と繁栄を与えるための採るべき道を考慮すれば、当サミット参加を認めることになるかも知れない、と述べた。民主主義体制の確立を条件とする今までの姿勢が、幾分和らいだ。厳しい状況を目の当たりにしたためか。ロイター電が「勝利者は欠席のキューバ」と言うタイトルを付けて伝えた所以だろう。 

それと対照的なのが、マルビナスの領有権を主張するアルゼンチンだ。イギリスが軍艦とウィリアム王子を派遣して来た。何も挑発するためではなかろうが、アルゼンチンの神経を逆撫でする行為には違いない。ラテンアメリカ・カリブ共同体(CELAC)はアルゼンチンの立場を支持する、としている。これを対英戦争から丁度30年の節目を迎えた年の今回サミットで、米州サミットの決議事項として、纏め置きたかった筈だ。すでにメルコスル及びALBA諸国が、マルビナス船籍の船舶寄港を禁じる措置に応じ、単なる支持ではなく行動面でアルゼンチンへの連帯を見せている。

フェルナンデス大統領はサミット開会前にオバマ大統領との二者会談を予定していた。実現したかどうか、外電では確認できないが、常識的に考えればマルビナス問題に関する支持を求めるために予定されたもの、と見て良かろう。対英交渉の仲介をクリントン国務長官に要請して2年、結果的には、アルゼンチンとイギリスの二国間問題であり立ち入れない、と言う立場に留まっている。だがオバマ氏としてはこの問題で、ヨーロッパにおける最大の同盟国のイギリスとの関係悪化を招けば、彼の大統領選挙にマイナスとなる。押しかけられては迷惑なことぐらい、彼女にも分かっていよう。ひょっとしたら、米企業による請求権問題がこじれたことから、3月より米国が停止している対アルゼンチン特恵関税の解除の談判かも知れない。

ともあれ今回サミットでは、マルビナス問題は隅に置かれたようだ。ただ、モラレス氏の言う通り、本当に34ヵ国中32ヵ国がアルゼンチンの立場を支持しているのだろうか。カナダはイギリスの総督を抱く連邦構成国の立場から、支持しない。では、他の旧英領諸国はどうなのだろうか。32ヵ国の支持があれば、サントス大統領の閉会後の記者会見でも、議論の一旦は紹介された筈だ。

一足先にサミット会場を辞去したフェルナンデス大統領は、16日、スペイン石油会社レプソルが57%出資するアルゼンチン子会社、YPFを、レプソル持ち分のみを、中央政府と州政府が買収する法案の議会提出を発表した。生産が減少し、産油国アルゼンチンが炭化水素輸入に巨額(2011年で93億㌦)を支払っており、政府が経営に乗り出す必要がある、というものだ。議会は与党勢力が過半数を握っており、法案が出ると可決されよう。これには当然ながらレプソル本社が反発、スペイン政府も動き始めた。

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2012年4月15日 (日)

第六回米州サミットに思う(1)

414日、米州サミットが、人口90万人のカリブ沿岸都市、カルタヘナで開催された。1994年の第一回から18年経って六回目、主催国は米、チリ、加、アルゼンチン、トリニダードトバゴ、そして今回のコロンビア、と回って来た。2004年にメキシコで開催された臨時サミットを含めると七回目、となる。

米国大統領に眼を向けると、政権発足したての年のサミットはブッシュ第一政権の2001年の第三回、そしてオバマ現政権の第五回、大統領選挙の年に開催されるのは、ブッシュ第一次政権下の2004年の臨時サミット、及び今回の第六回、となる。いずれもスパンは、前回サミットから通常の4年ではなく、3年だ。 

本ブログでも取り上げた(http://okifumi.cocolog-wbs.com/blog/2009/04/post-4db0.html)同様、首脳でサミット参加が認められない国キューバ問題が、今回新たに提起された麻薬合法化と共に、大きなテーマとなっている。キューバはその後、米州機構(OAS)除名措置が解除された(http://okifumi.cocolog-wbs.com/blog/2009/06/oas-fcd4.html)し、在米キューバ人の送金と里帰り回数の規制も撤廃された。だが、OAS復帰は実現していない。復帰させるには、20019月のOAS総会で採択された米州民主主義憲章に、キューバも署名する必要がある、との米国の強い姿勢、更にキューバ自身にOAS復帰の意思が希薄なことが理由として挙げられる。なお、この憲章が適用されたのは20096月末にクーデターでセラヤ大統領を追放したホンジュラスに対して、であり、同じく除名措置が採られ、115月末のセラヤ氏帰国が実現して直ぐ、解除されている。

今回サミットに欠席したのは3名、いずれも米州ボリーバル同盟(ALBA)加盟国の首脳たちだ。ALBAの第11回サミットが2月に開催された折、キューバが米州サミットに招かれない場合、加盟国は同サミット欠席を検討する、としていたが、この立場を貫いたのが提案者でもあったエクアドルのコレア大統領である。主催国コロンビアのサントス大統領の説得により出席の返事を出したベネズエラのチャベス大統領は、226日の癌摘出手術後の放射線治療を受けるため、14日の当日、約2週間の滞在予定でハバナに向かった。本人は、出席したくとも医師団が認めてくれない、とは言っている。そしてニカラグアのオルテガ大統領。これを書いている今の段階では理由は不明だ。結局キューバを除くラ米(旧英仏蘭植民地諸国も除く)ALBA加盟4ヵ国で出席したのは、ボリビアのモラレス大統領のみとなった。サミット開催直前までヒラリー・クリントン米国務長官に今回サミットへのキューバ招待を強く迫っていた。 

サントス大統領はサミット開会式スピーチで、オバマ大統領他を前に、キューバに対する孤立化、経済制裁政策、無関心は、今や時代錯誤であり、次回のサミットにもキューバが欠席する事態は受け容れられない、と述べた。コロンビアは南米では珍しい米国の同盟国的な存在であり、米国にとっては重い発言だろう。サントス氏には、ハバナとワシントンの橋渡し役を務める意思もありそうだ。最初にオルギン外相、次には自らがハバナに飛び、ラウル・カストロ氏を米州サミットに招待できなくなった旨を直接説明している(この際、現地に居たチャベス氏に対する説得も行った)。

会議の外では、ALBAが組織としての声明を出し、次回サミットでキューバが招かれない場合、ALBA諸国は以後の米州サミットには参加しない、と言明した。モラレス大統領は、キューバ抜きの米州サミットは、今回が最後、と言い切る。キューバが非民主主義国家だから招くわけにいかない、と主張する米国について、彼は34ヵ国の内の32ヵ国が招くべき、と言うのに、極めて非民主主義的で専制的、と痛烈に皮肉っている。招待に反対、と言うのは、米国だけではない。私は今回の外電の報道を追いかけていて初めて知ったが、カナダも反対の立場だ。ともあれ、全会一致でなければキューバ首脳招請は不可能だ。オバマ大統領は、会議前には、キューバが出席しないのは米国ではなく、キューバに問題があるから、と指摘していた。

この種サミットでは必ず、決議文書が作成され、首脳全員が署名する。今回は貧困、治安、天然災害、技術交流、米州の物理的統合、などがテーマとして設定されており、事前の外相会議で中身の煮詰めが行われていたが、幾つかの国では、キューバ問題が決議文書に織り込まれなければ、署名しない首脳が出てくる、という声もあった旨伝えられる。 

今回サミットではオバマ大統領を護衛するため待機していたSPの内の11名、及び米南方軍将校5名が、買春容疑で追放された。直ちに補充されたので大統領護衛上の問題は無いが、オバマ氏にとっては不名誉な事件だ。ついでながら、日本でも小さく報道されたが、反米勢力の犯行、と見られる小規模爆破事件が3件起きている。被害は無いそうだ。

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