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2012年3月 1日 (木)

チャベスの再手術

224日、ラウル・カストロ議長は空港でチャベス大統領を迎えた。この日、上院のリーヒ司法委員長(民主党)、シェルビー上院議員(共和党)ら米国議会6名との会談をこなし、彼らが強く求めた米人のアラン・グロス服役囚釈放を拒絶し、返す刀で、マイアミで服役中の4人、及び3年間の保護観察下に置かれたていた一人のキューバ人の自由を彼らに求めた、と言う(http://okifumi.cocolog-wbs.com/blog/2011/11/post-89ad.html参照)。とまれ、チャベス大統領である。 

彼は三人の息女と、ハバナからのスポークスウーマン役を務めるサデル保健相を伴い、出国した。1週間前にもハバナを訪れ、検診結果「昨年摘出した癌の部署に直径2センチほどの「もの」(スペイン語表現はlesión。「固形異物」、とでも言おうか。通常の和約は、「傷跡」)が見つかり、緊急手術が必要」と言われた。それを帰国後発表した。昨年10月、四度目の化学療法を受けて帰国した際に回復宣言し、その後幾つかの重要外交日程をこなし、長時間の演説や「Aló Presidente」と言うテレビ番組を復活していた。発表は唐突だった。改めてハバナに向け出国する日には、大統領府から四輪駆動車に乗って、道路を埋めた市民に見送られる形で、空港までパレードしている。出国前に、107日(大統領選の日)にはボリーバル革命を推進するために栄光の勝利を収める、と叫んだ。よほど大統領選の行く手が気になっているようだ。大統領が5日以上国を離れる場合憲法により必要な議会承認は受けたが、野党が強く求めた副大統領への権限移譲は控えた。

カプリーレス氏が選出された先般の「民主主義統一連合(MUD)」(これより我が国外務省に従い、「民主統一会議」に表現を変更する)の予備選は、随分国民の目を惹いた。彼の知名度が一気に上がった。最近ではチャベス氏が、ブルジョワで国民のことが本当は分かっていないのに左派的なことを言う、と批判し、国民は騙されてはならぬ、だとか、彼をブタ呼ばわりする行儀の悪さで、彼への敵意を露わにしていた。今回の出国までの大騒ぎは、予備選の余韻を吹っ飛ばす効果があったようにも思える。

そして227日、その「2センチほどのもの」が摘出された。腫瘍(tumor)とは言わずlesiónと言う表現で通している。その後家族に見守られて療養中、回復計画に従い、リハビリに入る、とされる。この情報を28日にハウア副大統領の口から伝えられた議会では歓声が上がったと伝わる。ハウア氏は、29日夜のテレビ番組でも、チャベス氏から電話を貰った、コンソメを食した、大変元気だったとも述べている。 

だが、症状の中身は相変わらず秘密にしたままだ。帰国時期の見通しも示さない。公には、手術を受けた日時も病院すらも伏せている。出国前の大パレードと重ね合わせても、国民が健康状態に疑心を抱くようになった、と言う逆効果も忘れてはなるまい。再びの回復があっても、国民は彼の健康に懐疑的にならざるを得ない。107日の大統領選を、健康問題を抱えるカリスマの現職か、39歳と若々しくエネルギッシュなカプリーレス氏か、の戦いと見て、話を進める。 

ベネズエラでは、普通選挙で樹立された政権が継続する、と言う意味での民主主義時代に入ったのを1959年、とすれば、チャベス氏が初めて大統領になるまでの40年間で、六人が民選大統領となっている。ラテンアメリカ最後のカウディーリョと目されるビセンテ・ゴメス(1857-1935)独裁時代から民主化運動を進めたベタンクール(1908-81)がその初代、彼が創設した民主運動(AD)に対峙するCOPEIを創設したカルデラ(1916-2009)が最後(但し第二次政権。COPEIを離れ小党連合、Convergenciaで出馬、当選した)となる。二度政権を担ったのは彼と、昨年初め亡くなったペレスの二人だけだ。彼らが初めて大統領に就任したのは、他四人と同じく50歳代だった。

1998年大統領選でチャベス氏の対立候補で2年前までカラボボ州知事だったサラスリューメル氏は、当時62歳、仮に勝っていたら、民主義時代では最年長記録を更新することになった。だが、44歳のチャベス氏が勝った。逆に最年少記録(ベタンクールの50歳)を6歳も更新した。

2000年の総選挙では、対立候補のアリアス・スリア州知事(当時)は49歳だった。46歳のチャベス氏より若干年長で、もともと19922月の反ペレス反乱事件を起こした彼と行動を共にした人で、反チャベス陣営から推されて立候補したが、所属するのは社会主義系政党の急進運動(Causa Radical)だった。選挙後、チャベス氏陣営に加わっている。

2006年の大統領選で反チャベス陣営は、ADから分かれた新時代(Nuevo Tiempo)の、これもスリア州知事だったロサレス・スリア氏を推した。54歳だった。52歳になっていたチャベス氏より、やはり年長だった。ロサレス氏はその後マラカイボ市長となり、州知事時代の不正事件で起訴され、09年にペルーへ亡命した。

そして12年大統領選では、チャベス氏は初めて、しかも18歳も年少の対立候補と競うことが決まった。カプリーレス氏は、チャベス氏の回復を願っている、と言明している。これまでも決して彼の挑発には乗らず、淡々とミランダ州知事の職務をこなし、州民の中に気さくに入り、且つ補助住宅の建設など貧困対策にも取り組む

大統領選までにチャベス氏の健康が回復していることを前提に考えたい。それでも、普通に考えれば、彼は一旦身を引き、次に備えるのが順当だろう。だが政権与党側に、カプリーレス氏に勝てる人が、現実に彼以外にいるだろうか。カプリーレス氏に浴びせる批判の口汚さや中傷は、彼の焦りを表していまいか。

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