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2012年2月14日 (火)

チャベス大統領への挑戦者選出

212日、ベネズエラで初めての予備選挙が行われた。2012年ラテンアメリカの選挙http://okifumi.cocolog-wbs.com/blog/2012/01/2012-620f.html」でお伝えした「民主主義統一連合(MUD)」によるもので、米国やメキシコなどで一般的な党単位の予備選とは異なる、いうなれば政党連合予備選で、構成する党の関係者だけでなく、全ての有権者(1,800万人)に門戸を開放された、極めて珍しいものだ。ベネズエラ選挙管理委員会を動員した。実際には、管理委員会が予測した有権者の1割(180万)を100万超上回る290万人が投票に参加した。これで107日に行われる大統領選、1216日に行われる州知事選、及び20134月の市町村長選の候補が選出された。なお州知事という表記だが、前述のブログで「県」知事、とした。だが原語ではgobernador de estadoとしており、これよりベネズエラでは「州」知事に変えることにする。 

関心は、やはり大統領選候補者だ。カプリーレス・ミランダ州知事が得票率62%180万票を集め、MUDの統一候補に選出された。39歳と大変若い。25歳で伝統政党のCopeiから当時二院制だった国会の下院議員、になった。2000年の憲法改正で議会が一院制となり、上、下院は廃止された。この年、現在の所属政党、Copei同様、社会キリスト教系の「正義第一(PJ)」の創設に加わり、そしてカラカスのバルタ区長に転じた。27歳だった。20024月、2日間だけのチャベス大統領失権を呼んだゼネストの際、キューバ大使から大使館無断侵入罪で訴えられ、無罪判決が出されるまでの3ヵ月間、収監された経験もあるそうだ。バルタ区長を2期務め、35歳でミランダ州の知事となった。300万人と、国内第二位の人口を抱え、カラカスの一部を含める重要州で、気さくに町に出る知事、として人気を集めた。いまだに独身だ。エネルギーに満ちた自分、として、57歳で健康問題も抱えるチャベス氏を、意図的に比較して見せる。

実家はオランダ・ポーランド系実業家、典型的な中産階級出身だが、州知事として住居や食料補助など、貧困対策に取り組んだ。自らを中道左派に位置づける。チャベス大統領の社会主義路線ではなく、資本主義体制下で貧困層への国富の分配を進める政策を志向し、ブラジルのルラ前大統領がモデル、と表明している。この点、ペルーのウマラ大統領の選挙キャンペーンと似る。また、10万人に48人、という、中米並みに高い殺人率で代表される治安の改善、ラテンアメリカで最悪水準のインフレの克服、などを政策課題に挙げる。2003年以来の通貨交換レート規制の撤廃も、必要、と断じる。 

カプリーレス氏の選挙キャンペーンは、これからだ。今なお国民支持率が50%以上、と人気が高いチャベス氏に勝利するとは、普通には考え難い。2010年の議会選挙では、与党ベネズエラ社会主義統一党(PSUV)が国会で6割の議席を得た。ただ良く見ると、得票率は48.3%だった。MUD構成諸党の合計得票率は、47.2%でほぼ拮抗しており、支持を表明しているMUD外の「全ての祖国」の得票率を含めると、50.1%になる。少なくとも2010年をベースに考えれば、カプリーレス勝利は、十分に有り得る。だが、民意が議会選挙での政党得票率とは必ずしも一致しない。

199812月の旧憲法下最後の大統領選に、チャベス氏は44歳で出馬した。相手は62歳のカラボボ州知事で、プロジェクト・ベネズエラという政党を結成したサラスリューメル氏だった。伝統政党の民主行動(AD)とCopeiが支持した。年齢差は、今回のカプリーレス、チャベス両氏と全く同じ18歳、1998年、チャベス氏は若さを誇示した。当時ベネズエラでも、現代ラテンアメリカ諸国の殆どが採用する総選挙(大統領選と議会選を同日に行う)だったが、1998年だけは二院制の議会選がその1ヵ月前に行われていた。この3党の合計議席数は、上院は全54議席中30、下院は全207議席中107で過半数を占めた。これに対しチャベス氏の第五共和運動(MVRPSUVの前身)は夫々835議席で、支持に回った主要左派政党の分を入れても少数派だった。得票率でも前者が47%に対し、後者は合計しても40%に届かなかった。それでも僅か1ヵ月後の大統領選で、チャベス氏が得票率56%で堂々と勝利した。

今回は、議会選から2年も経った。民意自体、さらに変化していよう。癌摘出手術、4階に亘る化学療法に取り組む姿、間も置かずにCelacALBAサミットの主催を含む外交日程をこなす強い指導者の姿に、国民は惹き付けられただろう。一方で公開予備選は国民の耳目を惹き付けた。候補者を選ぶだけの選挙に、有権者の16%に相当する票が投じられた。劇的な効果があったことは事実だろう。カプリーレス氏の知名度が全国規模で一気に高まった。彼の若さや、彼の主張を国民が知ることになった。 

カリスマか若さか。カプリーレス氏は、国民人気の高いチャベス氏に対し、面と向かって批判しない。チャベス氏の盟友とも言うべきルラ氏に学ぶ、と語る。その一方で、連続再選回数を無制限とした現行規定の見直し、政治的中立が要求される国軍のトップによる反チャベス陣営批判への非難、対米関係修復の重要性を述べることで批判している。

対米関係修復について私が気にするのは、若く、それでいて地方政治家歴が長い彼の外交政策だ。イランやシリアとの関係はどうするのか、左派政権諸国が加盟するALBA諸国とは、或いはメルコスル諸国とは、従来の関係との整合性をどう保つのか。外交政策は継続性が当然視されるものの、対米関係修復を前面に出すと、継続性との兼ね合いで舵取りがかなり難しくなる。選挙戦キャンペーンを通じて、彼がどう語るか、注目したい。

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2012年2月 7日 (火)

第11回ALBAサミット

245日、カラカスで「米州ボリーバル同盟ALBAAlianza Bolivariana para los Pueblos de Nuestra América)」のサミットが開かれた。第11回目と言う。19922月、チャベス空軍大佐(当時)率いる将校団が反乱を起こしたが、その20周年記念行事に合わせたそうだ。一昨年の第9回目は、ベネズエラ独立革命勃発200周年記念日に、やはりカラカスで開かれた(http://okifumi.cocolog-wbs.com/blog/2010/04/200-592f.html参照)。今回も、スペイン語圏の5ヵ国全ての大統領(キューバは国家評議会議長)及びカリブ3ヵ国(アンティグア、ドミニカ(ドミニカ共和国ではない)、サンヴィセンテ)が顔を揃えた。コレア・エクアドル大統領は4日の会合にのみ出席、5日の会合にはパティーニョ外相が代行した。バウタルセ・スリナム大統領も出席したが、同国はサンタルシアと共に加盟手続に入っており、非スペイン語圏の加盟国は5ヵ国に増える。ALBAの恒常的招待国、と規定しているハイチのマーテリ大統領も出席した。同国関連では、エネルギー、教育及びインフラ分野での支援を倍増することを決めた。 

ALBA内部問題では、先ず常設事務局の設置と政治経済委員会の創設が決まった。200412月、ベネズエラとキューバが、前者が石油供給、後者の医療・教育サービス提供を柱とした協定を締結した。これでALBAが発祥した。それから8年。2006年以降、ボリビア、ニカラグア、ホンジュラス(20096月のクーデター後脱退)、カリブ3ヵ国と加盟国が増え、2009年央にエクアドルが加わる。色々な動きが続き、常設事務所どころではなかったのかも知れない。ともあれ漸く決まった。事務局はカラカスに置き、加盟国から代表者を常駐させることになる。チャベス氏は、政治社会分野ではキューバがコーディネーターの責を担うことになる、と述べた。また現下のユーロ危機に鑑み、ALBAの経済力強化が必要、ということで、経済貿易決済通貨として導入しているスクレ(米㌦と等価)を検証するに当たり、チャベス氏はAlba銀行に加盟国の国際準備を活用した開発プロジェクト金融を目的とする基金の創設を提案した。ベネズエラ自身は国際準備の1%に当たる3億㌦を拠出する、と言う。

左派政権が集まるALBAのサミットでは、国際政治問題が突っ込んで語られる。国連安保理事会で中国、ロシアの拒否権発動で廃案になったシリア制裁決議について、ALBAでは欧米は同国の不安定化を諮るため、実力行使で、同国人民に対する政権交代の押し付けようとしている、と非難した。

今年41415日、カルタヘナ(コロンビア)で第六回米州サミットが開催されるが、キューバが招かれない場合、ボイコットを検討する、とした。前第五回サミット(本ブログhttp://okifumi.cocolog-wbs.com/blog/2009/04/post-4db0.html参照)でもキューバの米州機構(OAS)復帰が求められ、その後OASとしては同国に門戸を開いた。ただ、同国が応じていない。それでも、サミット招待は出来る筈だ。ALBA首脳は、そこを試しているのではなかろうか。なお、米州サミットは通常4年毎に開かれる。だが第五回から3年しか経っていない。昨年122日、カラカスで行われたサミットでラテンアメリカ・カリブ共同体(CELAC)が発足した(http://okifumi.cocolog-wbs.com/blog/2011/12/post-e24a.html参照)。米州サミットを開催する米州機構(OAS)は、これを意識したのだろうか。今回のテーマは「米州連携、繁栄へのパートナー」だ。オバマ大統領は、自身の選挙の年に、二度目の出席となる。色々言われるが、ラテンアメリカでの彼の評判は、決して悪くない。

今回のALBAサミットにはアルゼンチンのティママン外相が出席、フォークランドの旗を頂く商船の寄港を禁止するよう、要請した。最近英国政府がフォークランド戦勝30周年を記念して、最新鋭軍艦とヘリ操縦士としてのウィリアム王子の派遣を決定しているが、アルゼンチンは同諸島をマルビナスと呼び、自国の領土である、と180年間も言い続けて来た。ところが英国は、同諸島住民が英国民である、と主張していることを理由に、帰属問題には応じようとしない。寧ろ同諸島の商船の寄港を禁止するアルゼンチンを、植民地主義国呼ばわりする。ALBAサミットではティママン外相の要請を全面的に受諾、コレア・エクアドル大統領はさらに踏み込み、ALBA加盟国全てが対英制裁を、と呼び掛ける。チャベス大統領に至っては、仮に英国に攻撃されたとすれば、ベネズエラはアルゼンチンと共に戦う、とまで言う。

ところで、212日にはベネズエラで、「民主統一会議(MUD)」(野党連合。加入する政党で国民議会に議席を持つのは15党。伝統政党を含む。政治思想は右から左まで幅広い)による初めての大統領予備選が行われる。4人でMUD統一候補を争うが、米国の共和党の如きネガティヴ・キャンペーンは控えよう、という呼掛けもあった。一人除いて、皆チャベス氏より遥かに若い。候補が一本化されれば、まだ健康問題も付き纏うチャベス大統領に意外と手強い相手になりそうだ。本人が健康ぶりを見せても、噂が有権者に与えるインパクトは無視できない。今回サミットでは自らの活躍ぶりをテレビで示したようだ。癌の化学療法で禿頭となったチャベス大統領の頭は、大分黒くなっている。

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2012年2月 6日 (月)

メキシコ大統領選の行方

 

25日、メキシコ現与党の国民行動党(PAN)大統領候補予備選が行われ、バスケス下院議員(51歳)が選出された。メキシコ三大政党から大統領選に出馬する初めての女性候補となる。1月時点での最有力候補は制度的革命党(PRI)のペーニャニエト前メキシコ州知事だった。またカリスマ性の高い民主革命党(PRD)のロペスオブラドル氏(通称AMLO)も連続出馬する(http://okifumi.cocolog-wbs.com/blog/2012/01/2012-620f.html)。彼女は、フォックス、カルデロン両PAN政権下で夫々社会開発相と公共教育相に起用されたものの、政治家としての実績は2009年中間選挙で当選した下院議員だけのようだ。

 

メキシコはアルゼンチンと共に、ラテンアメリカでは珍しい中間選挙を行う。このブログでも2009年に話題にしたhttp://okifumi.cocolog-wbs.com/blog/2009/07/post-8268.html

 

メキシコの場合は、下院議員の任期が大統領と上院議員の6年に比べ、その半分、3年だからだ。米国の下院議員任期が2年なので、やはり中間選挙が行われる形と、全く同じである(アルゼンチンは、下院議員任期は大統領と同じ4年だが、総選挙では半数しか選ばず、2年後に残り半数を、また任期が6年の上院議員は三分の一を2年毎に選ぶ制度を採る)。2009年中間選挙では、PRIが議席を倍増し第一党に躍り出た。一方でPANは、カルデロン政権下で麻薬犯罪による犠牲者が急増する中で国民支持を落としたのか、3割も減らした。その際にPANから当選した一人が、バスケス氏だ。

 

  1994年から2009年までの選挙で三大政党(若しくは政党連合)が得た下院議席数(全500名)について説明すると;                          

① 1994年まではPRIが過半数を占めていた(300議席)。

② 1997年の中間選挙で過半数は失ったが239議席他二党との比較では圧倒的第一党だった。

③ 2000年では208議席で、PANとその提携政党に追い越された。得票率には1.5ポイント差を付けられた。大統領選では得票率で5.5ポイント差が付き、PAN候補のフォックス氏が当選した。1929年に前身の革命的国民党(PNR)が創設されて71年間続いたPRI一党支配体制が崩れた瞬間である。

④ 2003年中間選挙ではPANが151議席の大幅減で、224議席のPRIに逆転されてしまった。フォックス政権発足後1年もしない内に、米国を同時多発テロが襲った。政権前半の対米同調政策が嫌われたのか。

⑤ 2006年総選挙では今度はPRIが僅か106議席と再びの急減。PRDにすら僅差ながら追い越され、議会第三党に落ち込んだ。PRI史上、初めてのことだった。大統領選では、カルデロン氏と僅差接戦を演じたPRDAMLOに、PRIのマドラソ候補は7ポイント差を付けられ、第三位に終わった。PRI始まって以来のことで、屈辱は大きかったことだろう。

 

 

PRI政権奪回を託されたのが、ペーニャニエト氏だ。前中間選挙の勢いが残っていれば、まして世論調査で優位、となれば、実現して当然だろう。だが、前回の大統領選挙では、その前の中間選挙の勢いが急落した。再現する恐怖はある筈だ。AMLOも雪辱を狙っている。だが、三大政党初めての女性候補の方が、もっと気になっているのではなかろうか。

 逆にPANで女性候補、と言うのが吉と出るかどうか。カルデロン政権発足後の対麻薬犯罪強硬政策の反動で、既に5万人以上の犠牲者が出た。首無し死体の放置、逆さ吊り、顔の破壊など、殺害方法のおぞましさが、メディアで報じられる。国内治安の悪化がPANへの支持急減に繋がった、とすれば、政策見直しを打ち出すべきところだろう。だがバスケス氏は予備選勝利宣言で、その政策を継続する、と、早々と述べた。それでも党勢が回復できる、とすれば、女性候補、という要因がプラスに作用する結果、と言えるだろうか。

 2010年、ラテンアメリカ域内最大、国連の安保常任理事国入りまで狙える世界的重要国ブラジルで、女性のルセフ候補が大統領選で勝利した。彼女は行政面では、ルラ前政権下で閣僚として、最後には大統領府長官(首相)として、手腕を発揮したが、政治家経験はバスケス氏よりさらに少ない。だから、政治経験の少なさによって不利、とは言えまい。仮に勝利すれば、域内二位の大国メキシコ、第三位のアルゼンチン、と、G20諸国に入るラテンアメリカの三大主要国の大統領は、全て女性となる。

 

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