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2012年1月27日 (金)

米国大統領予備選とキューバ

米国は、野党共和党の大統領候補を選ぶ予備選のシーズンにある。131日にフロリダ州で予備選が行われる。言うまでも無く、候補者はヒスパニック票呼び込みを念頭に置いて発言する。予備選終了後なら野党候補も或る程度外交問題に配慮する。予備選では、競争相手を論難するため、かなり突っ込んだ発言が出てくる。キューバについては、予備選後でも、次には矛先を与党候補に、キューバ政策の対案をぶつける。それでも一応の抑制は利かせよう。予備選挙戦では、とんでもない発言が出て来た。

ニューハンプシャー州でトップだったロムニー前マサチューセッツ州知事は自由を求めるキューバ人を支援する、とし、オバマ政権が米国人のキューバ旅行を解禁し、米国からの家族送金規制を撤廃したのは危険な道に連なる間違い、と批判した(つまり再禁止、再規制に乗り出す、という意味か)。最近ハンストで死去したウィルマン・ビヤルという服役囚(米国人権団体、アムネスティ・インターナショナルが良心の囚人<Prisoner of conscience>リストに載せる予定でいた)を、「民主主義のために闘った」と評価し、健康問題が囁かれるフィデル・カストロ氏が死去したら、先ずは神に感謝する、とし、彼の創生者の元(天国)に戻って欲しい、と言う。

これに対し、サウスカロライナ州でトップだったギングリッジ元下院議長は、「秘密作戦(Covert operation)」展開でカストロ体制を崩壊させる、という積極的な介入策を述べ、フィデル氏が死去した場合、創生者の元とは異なった場所(地獄)に行く、とまで堂々と述べる。最初の予備選があったアイオワ州でトップのサントラム元上院議員は、カストロ兄弟が権力の座から落ちるまでキューバとの関係改善は、多少でもあってはならない、とする。 

キューバ問題は、選挙に大きな影響力を持つキューバ系米国人の多いフロリダでは、大きな争点となる。199210月、再選を目指す当時のブッシュ大統領は、クリントン民主党候補との大統領選挙を目前に控え、フロリダで「キューバ民主化法(トリチェリ法)」に署名した。米国企業の在外子会社によるキューバ取引禁止などをうたったものだ。この頃、オッペンハイマーというジャーナリストがキューバ取材後著した「カストロの最後の時間(Castro’s Final Hours)」という本が出版され、結構読まれていたようだ。この影響を窺わせるレトリック、即ち、ソ連崩壊で弱体化したカストロ政権をさらに痛めつけることで、崩壊に向かわせる、を前面に出すことで選挙戦を優位に進めようとしたものだろう。ただ、選挙には敗北した。

次の選挙の年は1996年だ。当時のクリントン大統領は、亡命キューバ人が反カストロ活動のため保有していた小型機がキューバ軍に撃墜されて2週間経った19963月、早々と、やはりフロリダでいわゆる「キヘルムズ・バートン法」に署名した。米人が革命後キューバ政府に接収された財産に関わる外国企業への請求権、並びに当該企業幹部の米国入国禁止をうたっている。域外適用を理由にカナダ、ラテンアメリカ諸国、欧州連合(EU)から世界貿易機構(WTO)に提訴された(但し2ヵ月間で取り下げ)悪名高い法律だ。ただ、クリントン第二次政権は、19981月のローマ法王キューバ訪問を機に、制裁緩和に踏み切っている。食糧の事実上の禁輸解除は、その一環だ。当時起きた「エリアン・ゴンサレス事件」の時、私はニューヨークに駐在していたが、この解決で国交再開への期待を高めたものだ。

2000年大統領選では、ブッシュ(前大統領の息)が獲得選挙人数で上回るゴア民主党候補を破った。実弟が知事を務めていたフロリダで、僅差で勝ったことが勝因とされた。ただ実際にキューバ制裁を強化したのは、20033月の「黒い春」事件後のことだ。翌月、テロ国家に指定した。米国の政治家に、制裁はカストロ体制崩壊には繋がらず、逆にキューバ民主化の足枷にしかなっていない、という認識が高まっても、制裁は強化された。在米キューバ人からの家族送金や里帰り訪問への規制を強めた。

2008年選挙ではオバマ民主党候補が勝利した。政権発足後間も無く、彼はロムニー氏が指摘するようなキューバ緩和策を打ち出した。フィデル・カストロ氏にも、その頃は彼に期待したふしがみられる。それから3年が過ぎた。だが、外交関係の復活も半世紀に及ぶ禁輸措置の解除も行う様子さえ見せない。やはり、フィデル・カストロは独裁者でありキューバ国民の自由を剥奪し貧困に陥れている、との教育を受けた一米国人の枠を、外れることができない。 

そのフィデル・カストロ氏が125日発行の新聞のコラムで、共和党予備選はこれまでに無い白痴(idioteces)と無知(ignorancia)の競争、とこきおろした。候補者の彼に対する発言内容は、無視した。ロムニー氏が取り上げたビヤル服役囚については、妻の顔を傷つける家庭内暴力で4年の判決を受けた犯罪人、という事実に眼をつぶっている、として、欧州連合(EU)や欧米メディアを批判、意気軒昂ぶりを見せ付ける。彼は国政を弟のラウル議長に全面的に委ね、国際問題を中心に新聞紙への寄稿の形で自身の見方を発信してきたが、それも2011年央から無くなっていた。今回の寄稿は、9月末以来、初めてではなかろうか。ただ先般のアフマディネジャド大統領訪問の際には、二人並んで撮った写真が公開された。元気な様子だった。

フロリダで共和党予備選が行われる日、ルセフ・ブラジル大統領がキューバを訪問する。彼女のブラジル軍政時代の左翼的活動がどうあれ、経済外交推進の一環と言い切って良さそうだ。現に、ハバナ西方のマリエル港(1980012.5万人のキューバ人が海路フロリダを目指して出港したことで知られる)の、8億㌦かけた近代化プロジェクトをブラジルのオデブレヒト社が手掛け、ブラジル開発銀行(BNDES)が資金供与を行う。その他にも個人農園主による農機調達のための小口資金融資など、はっきり言ってブラジル企業による米国企業の居ぬ間の商機を求めたキューバ進出は、顕著だ。それでも域内最大、国際的にも大国であるブラジルの大統領の訪問であり、フィデル・カストロ氏とも会談しよう。気にして良いのは、映像を伴ったニュースが配信されるだろうか、だろう。

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2012年1月13日 (金)

アフマディネジャドのラテンアメリカ訪問

濃縮ウラン製造に取り組み、欧米から制裁強化を受けるイラン。米国が制裁対象をイラン中銀との決済を行う第三国の銀行に広げることを受けて、同国と正常な関係を維持してきた日本までが段階的制裁に向かおうとしている現在、アフマディネジャド大統領が18日から12日まで、ラテンアメリカ歴訪を行った。彼が大統領に就任した2005年以降、イランはラテンアメリカとの関係強化に取り組んできており、唐突性は無い。ただ、彼がこれまで訪問したのは、ブラジルを除くと、米州ボリーバル同盟(ALBA)加盟5ヵ国のみだ。

ラテンアメリカ全体を見た場合、国力のみならず、メルコスル、南米諸国連合(Unasur)の旗振り役としてのブラジルの存在は、際立っている。2010年、国際社会で最も存在感が大きい最高指導者、と言われたルラ前大統領自身が、国際社会のイラン制裁は逆効果、として、同国の核開発が平和利用に限定したもの、との核武装放棄宣言を促すことでこれを認めるよう訴え、調停に奔走した。そのブラジルは、今回歴訪先に入っていない。 

最初の訪問先は、ベネズエラだ。言うまでもなくALBAの盟主である。この統合体に及ぼす影響力は卓越しているが、ラテンアメリカ全体でみれば、ブラジルには到底及ばない。この国へは、彼には5回目の訪問、となる。

チャベス大統領は国際社会で主権を最も声高に叫ぶ人であり、平和利用の核開発は、主権国家の権利、と断言しイランを擁護する。返す刀で、欧米は主権国家たるリビアに対し武力で悪魔的な内政干渉を行った、など激しい非難を浴びせた。イランには最高の理解者だろう。アフマディネジャド氏は彼を「人民の大統領Presidente Popular」、「ラテンアメリカ革命の象徴」と持ち上げ、共に傲慢で貪欲の帝国主義と戦おう、と述べた。ついでながら、ベネズエラのアコスタ駐マイアミ総領事(女性)がその2日前、10日までに国外退去、と言う命令を米政府から受けていた。理由は明らかにされていないが、彼女が在メキシコ大使館勤務中にイランの核開発に利するためと推測される行動が、201112月、テレビのドキュメンタリー番組で取り上げられていた。 

110日、チャベス大統領と共に、ニカラグアを訪問、オルテガ大統領の新任期(~2017年)就任式に出席した。20061月の彼の一期目就任式の直後に次いで2度目の訪問だ。オルテガ氏は、彼の与党が前回選挙で、議会で全92議席中63議席を獲得したことから、加盟するALBAの盟主、ベネズエラのチャベス政権にも似た圧倒的政治基盤を得た。一方で、彼の連続再選自体、最高裁の不当且つ恣意的な判断による違法なもの、との見方は一向に収まらず、新たな任期の正統性は無いとする反オルテガデモが就任式前日も起きたばかりだ。今後の政権運営がチャベス流になるのか、それとも従来通り対米配慮を含む国民融和的なものになるのか、まだ見通せる段階ではない。式に参加した外国首脳は、彼ら二人を除くと、コロム・グァテマラ、フネス・エルサルバドル、ロボ・ホンジュラス、マルティネッリ・パナマ各大統領など、ほぼ中米諸国からのみだ。だが不自然さは残る。ニカラグアとイランの関係は、198611月に発覚した「イラン・コントラゲート」という当時のレーガン政権下の米国の秘密政策位しか私の頭には無い。やはりチャベス氏の影響力の賜物だろう。

オルテガ氏は、就任演説に、核開発をイランの権利、とした上で、リビアのカダフィ大佐殺害を野蛮な殺戮、との非難を織り込んだ。 

111日にはキューバを訪れた。2006年にハバナで開催された非同盟諸国サミット出席以来のことだ。訪問日程を終えて彼自身が語ったところによれば、キューバは大変な友好国であり、人民の権利回復のため戦っている点で共通している。ラウル・カストロ議長との同日夜の公式会談に加え、2時間に亘って、彼の兄、85歳のフィデル前議長と、国際問題について細部に至る話し合いの場を持った。

このところフィデル前議長が死亡している、との説がネット上に流れ、これをキューバ当局が嘘、と打ち消して来た。これを意識してか、アフマディネジャド氏は、無事息災のフィデルと会えたことが非常に嬉しかった、とまで述べた。彼に同席したラウル氏は同発言に応じる形で、兄が頭脳的にも健康なことの例でもある、と述べた。 

112日、エクアドルを訪問した。コレア大統領の、丁度5年前の就任式に出席しているので、これが二度目となる。キューバでも述べたが、ここでも資本主義時代は衰退しており、人民時代が始まった、と繰り返した。コレア氏は「パトロン無き統合、発展を追求する人間社会、正義、平和、主権、人民の自由の名の基に」として彼を歓迎した。また、核兵器製造には乗り出さないとするイランを信頼する、国際原子力機関(IAEA)は二次情報に惑わされず、調査方法を見直し、客観的情報で判断して欲しい、と述べた。

エクアドル経済界は、米国と欧州連合(EU)との通商関係に悪影響を及ぼすとして、かかるコレア外交を無責任、と批判する。一方コレア政権は、たとえ(米国に加え)EUまでがイラン制裁に踏み切ろうと、エクアドルは国家には核エネルギー平和利用の権利がある、との立場にあり、対イラン政策の変更は無い、とする。

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2012年1月10日 (火)

2012年のラテンアメリカの選挙

2012年は選挙の年、とメディアが囃す。国連安保常任理事5ヵ国の内、議院内閣制の英国を除く4ヵ国の内、ロシア(3月)、フランス(4月)、米国(11月)で大統領選が行われ、10月から中国の新指導部を決める人民大会が開催されるわけで、囃すのも尤もなことだ。米国については野党の予備選動向も細かく伝えられる。日本人としては、加えて隣国の台湾(1月)の総統選、韓国(3月)の大統領選の行方も気に罹る。

この年に、共産主義一党支配のキューバを除くラテンアメリカ18ヵ国で新しく最高指導者が決まるのは3ヵ国だ。少ない方だろう。だが、GDPが購買力平価ベースで2,000億㌦以上が7ヵ国しかない中で2ヵ国、となれば、多い、とも言える。 

ラテンアメリカでG20に名を連ねるほどの国際的な主要国は3ヵ国だ。その内の一つ、メキシコで71日に総選挙が行われる。大統領(任期6年)と、上院議員(同)128名、下院議員(任期3年)500名が選出される。ラテンアメリカの議会は一般的に比例代表制を採用しているが、メキシコは下院議員の300名が小選挙区で、上院議員96名が中選挙区で選ばれる、日本に似た大選挙区比例代表並立制を採る。大統領任期と再選禁止で、G20の他2ヵ国(ブラジル、アルゼンチン)と異なるが、大統領と議員を同時に選出する総選挙方式を採っている点で共通する。中間議会選挙が行われるのは、アルゼンチンと同じだが、対象が下院議員だけであり、アルゼンチンは下院議員の半数と上院議員の3分の1と言う点で異なる。メキシコの場合、下院議員任期が大統領及び上院のそれの半分故、3年ごとの選挙は必然的、と分かり易い。

メキシコの議会勢力をみると、下院では2009年選挙の結果、総議席500に対し、制度的革命党(PRI)が239で、与党行動党(PAN)の142議席を大きく上回る。上院は前回2006年総選挙結果を反映し全128議席に対し、PRI33PAN50を下回っている。直近の民意はPRIに傾いていることが分かる。今年の選挙で上、下院とも改選されるが、その結果を注目したい。大統領候補はPRIがペーニャニエト・メキシコ州知事(45歳)で既に一本化されているのに対し、PAN25日の予備選まで未定だ。もう一つの有力政党、民主革命党(PRD)は、前回06年選挙でカルデロン現大統領と大接戦を演じたロペスオブラドル元メキシコ市長(58歳)に一本化されているが、世論調査ではペーニャニエト氏に支持率で大きく水をあけられている。因みにPRDの現有議席は下院で68、上院は24だ。 

色々な面で言動が国際的に注目されるチャベス大統領のベネズエラでは、107日に大統領選が行われる。大統領任期を6年(ラテンアメリカ十九ヵ国で最も長い)とする点でメキシコと共通するが、多選を認め、且つ連続再選も許される点で異なる。議会も一院制で、議員任期が5年、と言うのも、何より総選挙方式は採っていない点も異なる。それでもチャベス氏が初めて大統領に選出された199812月までは総選挙だったし、新憲法制定が行われた1999年までは、二院制を採っていた。ついでながら、新憲法下での最初の選挙は20007月に行われたが、実質的には総選挙だった。この選挙で、議会ではチャベス氏の第五共和制運動(MVR。現統一社会党PSUVの前身)が全165議席中91議席を確保した。2005年議会選では116議席を確保したが、既存有力政党がボイコットしたためで、2000年議会選で96議席にまで落とした。

57歳ながら既に14年間もの政権の座にあり、支持率が高いチャベス大統領に挑むのは、「民主主義統一連合(MUD)」統一候補だ。MUDとは、嘗ての「民主運動(AD)」、「COPEI」、及びその流れを汲む「新時代(NT)」や「正義第一(PJ)」などで構成される。2010年議会選(http://okifumi.cocolog-wbs.com/blog/2010/09/post-dc1b.html参照)では64議席を獲得した。212日の予備選で統一候補が決まるが、PJのカプリレ・ミランダ県知事(39歳)が最有力視されている。ロペス前チャカオ市長(39歳)も有力だが、かつての不正疑惑で公職追放処分に遭い係争中のところ、米州人権裁判所が撤回を要求するなどで、立候補自体が不透明となっている。

そもそも、欧米ではベネズエラの民主主義の度合いに疑念が強い。歯止めの無い一個人の再選と顕著なポピュリズム、チャベス氏に限れば大統領授権法の多用、などを批判、この中で選挙の公平性は保たれているのか、神経を使う。ブラジルに続く域内第二位の大国、メキシコよりも、ひょっとすれば注目度が高い選挙と言えよう。 

上記2ヵ国以外でも、311日、エルサルバドルで議会選、516日、ドミニカ共和国で大統領選が行われる。前者は、大統領任期の5年に対して議員の任期は3年であり、総選挙方式は採れない。この点はベネズエラに似る。後者は大統領も上下両院の議員も任期はいずれも4年で、1994年まで総選挙方式だったが、その時大統領選で勝利したバラゲール(1906-2002)が任期2年で退任を約束したことから、1996年以降は大統領選と議会選を2年おきに行う様になった。ともあれ、この2ヵ国ともベネズエラ同様、ラテンアメリカでは一般的な総選挙方式を採っていない点、記憶したい。 

エルサルバドル議会勢力は、全84議席に対し与党ファラブンドマルティ国民解放(FMLN)が35議席で、2009年まで20年間政権を担っていた「国民共和同盟(ARENA)」は19に過ぎない。20101月に結成された「国民団結大同盟(GANA)」に十数名が合流したためだ。これが今年の選挙でFMLN党勢にどう影響するか、注目点だろう。

ドミニカ共和国の大統領選については、残すは僅か5ヵ月なのに、外電は殆ど何も伝えて来ない。2010年に行われた議会選の結果、与党「ドミニカ解放党(PLD)」が下院で全183議席中105議席を、上院に至っては32議席中31議席を確保する大勝だった。その大統領候補であるメディナ前大統領府長官(60歳)は、12年前の20005月にも立候補し、現野党ドミニカ革命党(PRD)候補に敗退したが、それが今回の野党候補、メヒーア前大統領(2000-05)であり、言わば因縁の対決だ。メディナ候補は、圧倒的な議会勢力を背景に、副大統領候補としてフェルナンデスレイナ大統領の妻、マルガリータ・セデーニョ氏を担ぎ雪辱を期す。だが2004年、フェルナンデスレイナ氏が連続再選を狙ったメヒーア大統領に挑んだ時、議会勢力はPRDPLDを圧倒していた。

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