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2011年11月17日 (木)

ローマ法王のキューバ訪問発表

キューバの南端の県の一つ、サンティアゴ・デ・クーバの北岸にあるニペ湾で、1612年、布衣装を着て幼子を抱えた「エルコブレ聖母」の木像が浮かんでいるのが見つかった。像は、自らをそこの住民を保護するマリア、と名乗った、との言い伝えがある。時代を経て1916年、ローマ法王ベネディクト十五世がこの像をキューバの保護者と宣告し、1936年に安置してあるサンティアゴ・デ・クーバの聖堂(santurio)の司教が、国の守護者に相応しく像に冠を載せ、聖堂は法王庁の裁可を得て大教会堂(básilica)に格上げしたそうだ。

その木像が、今、キューバ中を回っている。革命前の1952年以来、初めてだ。1112日、ハバナにあって、オルテガ枢機卿始めとする信者らと共に、聖母像は市西部にあるサンタリタ教会まで行進した。これに、「白衣の女性たち(Damas de Blanco)」も同行した。サンタリタ教会は、彼女らが毎週ミサを行う場所だ。行進中、信者らは「聖母万歳」、「ベネディクト十六世(十五世ではない)万歳」と叫ぶ。そして彼女らは教会に到着したところで、聖母像に向かい、「全てのキューバ人へ、政治犯へ、自由と平和を」と祈った。枢機卿が参列する宗教行事である。キューバ政府も妨害するわけにはいかない。 

万歳を叫ばれたそのベネディクト十六世は、2012年春、メキシコと共にキューバを訪問する旨を1110日に発表していた。彼のラテンアメリカ訪問は、2007年、第五回ラテンアメリカ司教会議を機に訪れたブラジル以来だ。キューバは、エルコブレ聖母発見400周年記念行事への参列のため、と言う。 

カトリック教徒が多いとされるラテンアメリカに、ローマ法王が訪問することは、前法王のヨハネ・パウロ二世を例外として、歴史的には稀である。ヨハネ・パウロ二世だけは幾度も、且つ同一国に何度も、足を運んできた。だが、キューバは19981月の一度だけだ。この機会に、100名と言われる政治犯の釈放が実現した。二度に亘り米国が制裁緩和措置に踏み切った。また、米国に息子を伴い洋上で遭難死した彼の母親の在米親戚者と、キューバに残った父親との親権を巡る「エリアン・ゴンサレス」事件も解決、20001月には食糧、医薬品の禁輸を解除した。エルサルバドルを除くラテンアメリカ17ヵ国全てが、キューバとの外交再開に踏み切った。それから14年経つ2012年のベネディクト十六世訪問は、何をもたらすだろうか。 

「白衣の女性」とは、もともとは、20033月の「黒い春」事件で逮捕、収監された75人の妻たちが、毎週日曜日のサンタリタ教会でのミサ、及び街頭デモを通じて、夫らの釈放を訴えるために結成したものだ。スペイン政府と、キューバのカトリック教会が動いたこともあり、今年3月に最後の一人も釈放された(下記を含めhttp://okifumi.cocolog-wbs.com/blog/2011/03/post-7a88.htmlをご参照願いたい)。だがその後も、他の政治犯釈放を求め活動は継続してきた。キューバ政府は彼女らを、体制崩壊を図るワシントンや在米亡命キューバ人社会のmercenarias(雇われ兵)、と見做しており、一般市民によるデモ妨害も頻発していた。一月前、リーダーの一人、ラウラ・ポヤーンが死去したが、ベルタ・ソレル氏をリーダーに、活動は続いている。ベネディクト十六世の訪問で、彼女らの要求が叶えられるだろうか。 

政治犯だけではなく、上記ブログでも取り上げた米人のアラン・グロス氏の釈放にも関心は集まろう。彼の罪状に関わる事実関係について米国側は沈黙するが、本人の収監で対キューバ関係改善への進展を阻害しているのは間違いない。本人にはスパイの自覚は無いだろうし、キューバにも実害は無い。本人の老母と妹が癌との闘病中であり、人道的観点からの釈放要求も米国では高まっている。

米国では、ヨハネ・パウロ二世キューバ訪問の年の9月、制裁緩和と相反する事件が起きた。いわゆる「Cuban Five」スパイ事件だ。在米キューバ人5名が米軍基地に入り込み、キューバ政府に航空機や軍人の動き、施設のレイアウトや構造などを詳しく報告していた、として、スパイ活動を罪状に逮捕、拘留した事件だ。200112月、1名への終身刑などの判決が、在米キューバ人反カストロ社会の中心地、マイアミの裁判所で言い渡された。ご存じの通り、19962月、Brothers to the Rescueという反カストロ組織の2機の飛行機がキューバ軍に撃墜され、4名が死亡する事件が起きている。終身刑を受けたのは、これへの関与による。キューバ政府は、彼らが諜報員であることは認めたが、諜報対象は、当時キューバでテロを頻発させていた反カストロ組織であり、何らの反米行為にも携わっていない、と主張、また、裁判地を含め、裁判自体の公平性に疑問有り、として、米国内外で、批判を呼んできた。

それから13年経ち、懲役最短のゴンサレス収監囚が、米国内での監視付き保釈となった。本来は強制送還の筈、米国内では身の危険が大き過ぎる、と、これまた内外の批判を浴びている。フィデル・カストロ前議長が9月末に3ヵ月ぶりに党機関紙に寄稿し取り上げたのが、彼の保釈だ。残酷で間違った、しかし予想された措置、と皮肉を込め糾弾した。

キューバで収監中のグロス氏釈放は、恐らく上記Cuban Fiveの収監囚完全保釈放との交換取引ではなかろうか。政府と司法との関係は米国とキューバでは異なる。ベネディクト十六世訪問で、何がしの動きが期待できまいか。

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2011年11月 9日 (水)

中米2ヵ国の大統領決定

116日、ニカラグアとグァテマラで大統領が選出された。ニカラグアは革命を成し遂げたサンディニスタ国民解放戦線(FSLN)ゲリラ出身のオルテガ氏の連続再選であり、グァテマラは退役将軍ペレスモリーナ氏の決選投票による選任で与野党の政権交代だ。

ニカラグアでは、憲法で禁じられている連続再選への疑義に加え、選挙管理委員会自体が与党の影響下にあること、一部有権者への登録証発行が為されなかったことなどを理由に、対立候補のガデア前中米議会議員やアレマン元大統領が、選挙結果の受け入れを拒んでいる。この選挙には欧州連合(EU)と米州機構(OAS)が監視団を送ったが、いずれも選挙管理委員会の不透明さを非難する。ただインスルサOAS総長は、民主度は明らかに高まっている、と評価している。またチャベス・ベネズエラ、カストロ・キューバ両首脳から早々と祝意が送られてきた。

グァテマラでは、前回次点の候補者による勝利、と言うことで、過去四半期の選挙結果の繰り返し、とも言える。退役将軍が大統領選を制したのは、過去四半世紀で初めてである。ここにもOAS監視団が派遣された。選挙が平穏の内に終わったことを祝福している。祝意を寄せたのはカルデロン・メキシコ大統領ら右派政権だけではなく、チャベス大統領も同様だ。 

ラテンアメリカ十九ヵ国には、ゲリラ出身の大統領はオルテガ氏を含め、またルセフ・ブラジル大統領を除いても、3人いる。退役軍人も、ペレスモリーナ氏を含め3人だ。この計6名で時の政権に武力で立ち向かったのは5人で、収監された経験を持つ。唯一の例外が、ペレスモリーナ氏だ。

1,380万人と、中米・カリブ8ヵ国で最大の人口を持つグァテマラは、人口の4割を先住民が占める、と言われる。この点については本ブログでも取り上げたことがあるhttp://okifumi.cocolog-wbs.com/blog/2009/05/post-8b60.html。長い内戦は犠牲者総数が20万人にも及ぶと言われる。内戦当事者は、国軍及び治安当局と反政府ゲリラだが、犠牲者には当事者以外の先住民が多かったことも知られる。199612月に成立した和平で、統一ゲリラ組織「グァテマラ国民革命連合(URNG)が政党化した。だが国民の支持は小さく、今回総選挙で国会に獲得したのは僅か3議席だ。同じように反政府ゲリラとして活動し、和平後政党化し、今や政権党になっている隣国エルサルバドルの「ファラブンドマルティ民族解放戦線(FMLN)」と異なる。

ペレスモリーナ氏は、ゲリラを制圧した格好の国軍側に所属した。士官学校卒でパナマにあった米軍南方司令部の米州学校(School of the Americas)で学んだエリート軍人だった。主として情報畑を歩み、19936月に成立したレオンカルピオ臨時政権下で内閣首班を務めた。対ゲリラ和平交渉では国軍を代表した。20001月、49歳で退役、国軍最後の任務は米州防衛会議のグァテマラ代表だ。人権侵害で悪名高い国軍だが、彼個人が先住民虐殺を含む実力行使に関与したことは無かったようだ。日常的な暴力に疲れた国民が期待するのは、身内に暴力の犠牲者を持ち暴力を嫌悪する、彼のような強いイメージを持つ指導者だったのだろう。ただ、対立候補の若いバルディソン氏も得票率46%と、彼に8ポイント差まで詰め寄った。2015年選挙で大統領になれるだろうか。 

オルテガ氏の得票率は、63%だ。一月前の世論調査での支持率は46%だった。「独立自由党(PLI)」のガデア氏は、同時点の支持率34%から、今回得票率は31%へと若干下がった。「立憲自由党(PLC)」のアレマン元大統領は14%から僅か6%へと急落した。FSLNは、国会で過半数の議席を得る。オルテガ氏とFSLNにとって、文字通りの大勝利である。政権運営が反米路線に向かっても不思議ではない。私は再選を予想していたが、ここまで来ると驚きが先に走る。

FSLNもグァテマラのURGN同様、左翼ゲリラだった。だが革命を成立させた点で実績は大きく異なる。URGNが統一ゲリラ組織として活動を始めた時、FSLNは革命政府を担う側にあり、寧ろ親米ゲリラとの内戦を余儀なくされた。この為、FSLNの最高指導者だったオルテガ氏に強力なカリスマ性が就いた。革命後10年半もの間政権を担い、その後の大統領選で3人に対し僅差敗退を繰り返し2006年選挙で返り咲いた。彼は彼が担う政権期間は20年半となることが確定した。国際社会が懸念するのも、一個人への権力集中だ。幾ら選挙不正をあげつらっても、他候補者、他政党がだらしないのは事実だろう。

ニカラグアと言えば、CIAWorld FactBookを見る限り、人種的には白人が17%を占め、コスタリカを除くと、中米では図抜けている。スペイン語教育の困難さを窺う先住民比率は、グァテマラより遥かに低い5%程度なのに、識字率は同国すら下回る68%、ラテンアメリカでは最低だ。革命当初、キューバから教師を多く招き識字運動に取り組んだ面影は見られない。一人当たりのGDPは、中米に限らず、ラテンアメリカでも図抜けて最低である。何もオルテガ氏、或いはFSLNだけの責任ではない。改革を進めようにも、国内外で厳しい問題を抱えての政権運営だった。 

グァテマラ政権は中道左派から右派に代わる。だが、貧困対策など社会政策は引き継ぐと言う。治安問題は、ウリベ前コロンビア政権のような改善に向かうのか、カルデロン・メキシコ政権下のような麻薬組織との泥仕合に陥るのか、注目したい。ニカラグア政権は、左派の度合いを高めよう。今でも深いチャベス・ベネズエラ政権との関わりは、反米姿勢を含め、さらに深まろう。ただ、コスタリカとの国境紛争を抱えながらも、中米共同体での孤立に敢えて進むとは考え難い。

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2011年11月 4日 (金)

「サミットが多過ぎるtantas cumbres!」

去る102829日にアスンシオンで開催された第二十一回イベロアメリカサミット。これに欠席したフェルナンデス・アルゼンチン及びルセフ・ブラジル両大統領は、1134日に行われたG20カンヌサミットには出席した。何しろG2019ヵ国プラス欧州連合)を構成するのはG8を除くと11ヵ国のみ。国際的主要国の集まりで、旧宗主国のスペインもポルトガルもG2019ヵ国には含まれない(スペインは今回G20サミットの招待国)。ラテンアメリカ19ヵ国でここに入れるのは僅か3ヵ国。ところが、そのサミットは、ギリシャのパパンドレウ首相が、欧州首脳が夜を徹して纏め挙げた同国への支援策を巡り、国民投票実施を発表したり撤回したりで振り回された欧州事情により、すっかり色褪せていた。 

本ブログで第二十回イベロアメリカサミットを取り上げ、その際指摘したが(http://okifumi.cocolog-wbs.com/blog/2010/12/post-2965.html)、これも次第に色褪せつつある。格調高く纏め挙げたアスンシオン宣言に、どれだけの「首脳」が携わったか、私には疑問だ。何しろ、スペインからはフアン・カルロス国王とサパテロ首相、ポルトガルからはカヴァコ・シルヴァ大統領及びパソス首相が夫々2人揃って出席したのに、ラテンアメリカ19ヵ国で首脳が出席したのは8人のみ。

少ない出席者の一人、コレア・エクアドル大統領は、自らの国を批判された、として世銀副総裁のスピーチを途中で退席、その後世銀を激しく批判した。またモレロス・ボリビア大統領は帰国後、スペインによるアビャ・ヤラ(アメリカ大陸を指す先住民の用語)侵略への抵抗を歴史に持つラテンアメリカ先住民から見ると、スペイン国王の出席には抵抗がある、と公言する。ピニェラ・チリ大統領も、途次立ち寄ったウルグアイでのムヒカ大統領(イベロアメリカサミット不参加)に、「サミットが多過ぎるtantas cumbres!」と苦情を言っていた。

イベロアメリカ終了後、南米諸国連合(Unasur)へとサミットが続いた。前者に欠席したフェルナンデス、ルセフ、ムヒカ各大統領及びチャベス・ベネズエラ、サントス・コロンビア両大統領は、後者も欠席した。両サミット主宰者たるルゴ・パラグアイ大統領の思いは、如何ばかりだったことだろうか。癌摘出手術からキューバで3回、ベネズエラで1回の化学療法を受け、体調が順調に回復している、と語るチャベス大統領が、122-3日に、第三回ラテンアメリカ・カリブサミットをカラカスで主宰する。http://okifumi.cocolog-wbs.com/blog/2010/02/post-ffa0.htmlでお伝えしたが、ラテンアメリカ統合に熱心な同大統領にとっても、「ラテンアメリカ・カリブ共同体(CELAC Comunidad de Estados Latinoamericanos y Caribeños)」創設のための重要な会合だ。米国抜きの米州統合は、彼の生涯を掛けた夢のようでもある。 

なお、サミットが多過ぎる、とぼやくピニェラ大統領のチリは、実はその他の南米諸国に比べサミットは一つだけ少ない。アンデス共同体(ANC)にもメルコスルにも加盟していないためだ。私には、これが多少の政治・社会統合を追加した形での合体が、即ちUnasurと理解している。チリは既に、言うなれば経過的南米統合体に加盟しており、最終統合体となるANCとメルコスルの合体を、ただ待てばよい、との理解だ。

しかし、仮にUnasurEU型統合体になり、通貨まで統一されるとなれば、今般のユーロ圏危機から多くを学びとらねばならない。僅か12ヵ国だが、カントリーリスクレーティングで見れば、域内格差はユーロ圏以上だ。国の規模はブラジルの2億人とガイアナ、スリナムの規模とでは、凄まじく異なる。ギリシャのような単一国民であの状態だ。多民族社会で国民統合度が比較的低く、EUに比べ貧富差も、何より、民主主義の浸透度も大きく異なる。 

Unasurでは不十分、米国が影響力を及ぼそうとする米州機構(OAS)の米州サミットから脱却し、CELACで纏まりたい、と思うのはチャベス大統領だけではなかろう。ただ、米州サミットは4年に一回だけなので、サミットが多過ぎる、とぼやくことはあるまい。チリは環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)の加盟国でもあり、更にはペルーと並びアジア・太平洋経済協力(APEC)もあり、こちらのサミットも、頻度的に米州サミットより多い筈だ。ピニェラ大統領が言いたいのは、サミットよりは統合への意志の方が重要、との一点に限られ、その意志が具現できないサミットは、整理すべき、代表的なのが、毎年行われるイベロアメリカサミット、との思いではなかろうか。

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