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2011年10月25日 (火)

クリスティーナの勝利

1023日のアルゼンチン総選挙で、クリスティーナ・フェルナンデス大統領が過半数の得票で連続再選された。開票率97%の段階で54%近かったというから、大勝利だ。実は814日の予備選挙でも50%を確保しており、本選挙でどこまで票を伸ばすかの方が関心の的だった、と思われる。本ブログのhttp://okifumi.cocolog-wbs.com/blog/2011/07/2011-382d.htmlには名前すら載せていなかった社会党のヘルメス・ビンナー氏が第二位、得票率17%で、その時点でも、また予備選挙でも第二、三位だったリカルド・アルフォンシン議員(急進党UCR)が12%、ドゥアルデ元大統領(ペロン党右派)は予想外の6%で、夫々第三位、第五位に終わった。

アルゼンチンで、さらにはラテンアメリカで、女性大統領が連続再選を果たすのは、今回が初めてだ。アルゼンチンで54%の得票率は、1983年の民政移管後、同年急進党のアルフォンシン(1927-2009、在任1983-89)が得た52%を凌ぐ最高の数字だ。19739月に行われた大統領選挙で、彼女の政治思想の源流を成したペロン(1895-1974)が得たのは62%と言われるので、これには届かない。彼女の得票率と第二位ビンナー氏とのそれとの差が37ポイントあるが、これはやはり1973年選挙でペロンが第二位の急進党、バルビン(1904-81)に付けた差と並ぶ。勿論、1983年の民政移管後では、最大の差だ。 

政権党が三期連続だったのはアルゼンチンでは1916年の急進党以来、という。それまでのアルゼンチンの選挙は、他のラテンアメリカ諸国同様に、一定の要件を満たす少数の選挙権者による閉鎖的なものだったが、1912年に法制化された「サエンス・ペーニャ法」で男子普通選挙が公布された。その最初の選挙で急進党の指導者、イリゴージェン(1852-1933、大統領在任1916-221928-30)が当選した。寡頭勢力に支配されない政治の始まり、と位置付けられる。この当時、大統領任期は6年間で、他のラテンアメリカ諸国と同様に連続再選は禁じられていた。急進党が三期続いたが、大統領はアルベアル、イリゴージェン第二次へと交代、19309月、軍事クーデターで潰えた。

FpV政権期は、クーデターで潰えることはもうあるまい。だから12年間が確定した、と言って良い。それでも上記急進党の政権は、14年間続いている。これを凌ぐためには、ポスト・クリスティーナでも勝利する必要がある。彼女は今回、長髪で48歳と若いブードゥー現経済相を副大統領候補にした。2015年選挙を睨んだ布石だろう。ただ、民主主義国家では与野党交代は当たり前のことで、通常は続いて二期位なものだ。連続再選が可能なら、今回のFpVのように、政権党の三期連続も有り得よう。FpVには、本来最大野党たる急進党が、2001年の、国際金融史上悪名高い債務不履行で国内経済を混乱させ国民からの信任を失った、という敵失が幸運に繋がっている面もある。 

アルゼンチンの民主主義は、歴史が浅い。1930年から軍政、及び軍を背後に置いたいわゆる「協調政治」、再びの軍政を経て、19462月から97ヵ月間のペロン政権期に至った。その発足にエビータが活躍したことはよく知られる。婦人参政権も始まった。ペロン憲法の結果、彼の連続再選も成った。しかし彼が中央政界に躍り出たのは、軍政(1943-46年)が軍人だった彼に、労働相及び軍政副首班という重要役職を経験させ、労働者層に対するカリスマ性を醸成できたことが大きい。彼の政党、正義党は抵抗なくペロン党と呼ばれた。政党のイデオロギーを彼の個性に帰属させた。これが、19559月のクーデターを招いた。

その後軍政、急進党政権を繰り返し、19666月またしてものクーデターで長期軍政に入った。フェルナンデス現大統領が20歳、同郷のキルチネルと共にラプラタ大学在学中だった19735月に民政移管はあったものの、763月に長期軍政に戻った。彼らはこの間結婚している。この言わば第二次軍政は「汚い戦争(3万人以上の行方不明者を出すゲリラ弾圧作戦)」で知られる。青年ペロニスタ(ペロンを支持する活動家)だった彼らはラプラタ市を離れ、帰郷したが、そこで逮捕、収監を経験した。

つまり、南米のヨーロッパとも言われ続けたアルゼンチンは、政治的には、軍が前面に出る時期を繰り返し経験する、民主主義の観点からは後進性を内包し続けていた。特に1976年からの第二次軍政は、人権侵害ではチリのピノチェト軍政と並んで、国際的な非難を浴びた。一方でこの軍政が乾坤一擲の思いで惹き起こした対英「マルビナス戦争」は、国民のナショナリズムを高揚させたまま、今日に至る。 

アルゼンチンが民主国家になったのは、やはり198312月の民政移管によってだろう。1994年の憲法改正で、大統領任期は4年間に短縮されたが連続再選が一度だけ認められるようになった。この第一号となったのがペロン党のメネム元大統領(1930年~。在任1989-99年)だ。再選の際の得票率は50%だった。政権党としては10年続いた。規制緩和と国有企業の民営化推進の、いわゆる新自由主義経済政策を採った。ペロン党でも経済への国家介入度を高めるFpV現政権とは正反対だ。だから、民政移管後のペロン党政権期として一括りは不適当だろう。FpV政権は12年間が確定したので、民主国家としてのアルゼンチンでは塗り替えられることになる。健康問題がどうも気になるフェルナンデス大統領だが、ギリシャ危機を発端とする世界経済危機に、どう向き合って行くだろうか。

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