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2011年10月26日 (水)

ボリビアの先住民運動(3)

1024日、ボリビアで「イシボロセクーラ国立公園先住民地域(TIPNIS、以下同)」を「無形自然遺産」とする法律が公布された。これで、同領域での高速道路通過は認められなくなる。モラレス大統領が、600km65日間かけて1019日にラパスに到着したアマゾン系先住民行進隊の幹部を大統領官邸に招き、その日の内に議会承認を得ていた同法案を法令化したものだ。行進隊は、これにて抗議行動を終結させる、と言う。

925日、彼らは警官隊による強制排除を受けた。モラレス大統領自身は、かかる命令は出していない、と強調するが、この事件が彼らへの支援の声を高め、各地で連帯行動、乃至はモラレス政権への抗議行動を呼び起こし、行進隊を英雄視する風潮まで来たした。2009年憲法で定められた司法選挙が1016日に行われた。最高裁などの司法上層部判事を、従来の議会選出から、国民による直接選挙に変更するもので、モラレス氏がボリビア民主主義の確立に向けた重要施策だ。ところが、投じられた無効票は有効票を上回り、選挙自体の正統性が問われる始末だ。国民の関心がアマゾン族行進隊に向けられ、嫌モラレス感情が国民に広がり、結果として、性格の全く異なる司法選挙に跳ね返った格好で、モラレス政権にとっては痛烈な打撃となっている。 

1997年、モラレス氏が上院議員になった年に、バンセル(1926-2002)元将軍が大統領になった。バンセル政権下、ロンドン国際水供給会社(IWL)がコチャバンバで「トゥナリ水供給会社」として40年間の水供給事業を請け負った。労働者解雇、供給水価格の引き上げを行ったことから、20001月、抗議運動が起きる。4月にはデモにより同市が機能を停止、IWLが、コカ農家による政権のコカ撲滅作戦に抵抗するための煽動、と主張し、政権は同市に非常事態を宣言、警察隊を出動させ、死傷者出した。これがデモ隊に対する全国規模の連帯抗議運動に発展し、最終的にトゥナリ水供給会社は事業撤退を決定、事業はもともとの公営事業に戻った。「コチャバンバの水紛争」と呼ばれる。なおこの年、コカ栽培農家がコカ撲滅作戦に対し、2度、大規模な抗議運動を行っている。いずれにも、何らかの形でモラレス上院議員が動いたことは、想像に難くない。バンセル氏は翌018月、辞任した。021月、議会がモラレス除名を決議した。彼は裁判所に無効提訴し、またその年の大統領選に立候補し、僅差の第二位だったが、議会での決選投票でサンチェスデロサーダ元大統領(通称「ゴニ」、以下、同)に敗退した。

この頃、南米で第二位と推定されるガス田を開発し、太平洋までパイプラインで輸送し米国に輸出するプロジェクトが動き出し、英国ガス社 (British Gas)3社で「太平洋液化天然ガス社」を立ち上げた。その輸出基地として、ゴニ政権は、チリのメヒオネス港を有利な候補地として挙げた。モラレス氏は天然資源を外資の自由にさせること自体に反対していたが、それ以前に、1879-84年の対チリ「太平洋戦争」で敗北し太平洋岸を失ったボリビアの国民には反チリ感情が強く、これに火が付いた。20039月、大規模な反パイプライン建設デモが起きる。この鎮圧に軍と警察が出動した。これに対し、反対派は道路封鎖などで応じた。ラパスに隣接するエルアルト市のアイマラ族先住民が要求貫徹まで戦うとの姿勢を強化、封鎖により首都で食料、燃料不足が起きた。10月になると同市に非常事態宣言が出され、やはり死傷者を出した。結果として、ゴニがパイプラインプロジェクトの凍結を発表、自らは責任をとり大統領を辞任し、亡命した。いわゆる「第一次ガス紛争」である。 

ゴニを引き継いだのは副大統領のメサ氏だが、20055月に天然資源の所有権を国家とし、開発権益を有する企業の課税基準を引き上げる新しい炭化水素法が議会を通過した。全面的な国有化になっていない、との理由で再び抗議デモが起きる。6月、やはりアイマラ族先住民がエルアルト市からラパスに繰り出し、道路封鎖に及び、警官隊が出動し排除した。「第二次ガス紛争」と呼ばれるが、ガス資源の無いアンデス高地のアイマラ族の要求は、寧ろ貧困地域への富の再分配の方にあったようで、メサ大統領辞任(但し国内に留まる)で決着している。そして同年12月の総選挙で、モラレス候補が53.7%の得票率で大統領に選出された。

水紛争には明らかにコカ農家の組織が参加した。二度に亘るガス紛争には、アンデス高地のアイマラ族組織が参加した。コカ農家組織のリーダーでもあり、アイマラ族でもあるモラレス氏が、実際に如何なる役割を果たしたか、私自身はここで申し上げるような知識を持たない。

水紛争はバンセル、ガス紛争はゴニ及びメサ各大統領辞任を呼び、非妥協的な抗議行動に先住民が参加し、且つ、概ね主張を通した、という事実を紹介したまでだ。今回のアマゾン系先住民の動きは、私もベニ県トリニダード出発からAFP通信で追いかけて来たが、少数民族で、且つ多数派先住民が反発していただけに、かかる結末は意外だった。モラレス支持率は下がるところまで下がった、と思われる。決着が、支持率回復に繋がるかどうか、或いは弾劾を受けて退陣するかどうか、暫く目が離せない。

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