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2011年9月30日 (金)

ボリビアの先住民運動(1)

本年815日、ボリビア北部ベニ県の県都、トリニダードから600km離れたラパスまでの行進隊が出発した。参加者は女性とこどもを含む6百人ほどのモホ族先住民で、先祖代々「イシボロセクーラ国立公園先住民地域」、約めてTIPNISで生活する137万㌶に及ぶ先住民専権居住区で、モホ族(moxosmojos)という少数民族を主体に、1万数千人が暮らし、狩猟採取と自給農業を営む。この地区に高速道路が通される計画がある。そうなると開拓者が入り込み、自然破壊が進み河川が汚染され、生態系を含む生活環境が急変する。これを嫌って、徒歩で首都まで出掛け、政府に計画断念を要求するための、言わば抗議の行進だ。

925日夕刻、ラパスから約320kmの所にあるユクモという集落の近くに野営していた彼らを、約500人の警官隊が襲撃、準備していたバスに乗せ、出発地への強制送還を図り、ルレナバケという町の空港まで移送した。警官隊は暴動対応武器を携行し、この際に催涙ガスを使用した。国連代表団や人権団体は、かかる実力行使は遺憾、としてこれを批判しているが、警官隊によれば、行進隊の行動が攻撃性を高めつつあり、強硬策はやむを得なかった由だ。だが政府内の批判も呼び起こし、26日には国防相が辞任した。ラパスでは強制排除に遭った行進隊との連帯を叫ぶ大規模市民デモが行われた。ルレナバケでも住民が空港滑走路への進入を妨害、警官隊は強制移送を断念し行進隊を解放した。 

行進隊、とはマルチスタ(marchistas)と言う原語表現を私が勝手に和約したものだ。女性、子どもを含む数百人~数千人が、何百キロという気の遠くなる距離を、政治要求を掲げて野宿を繰り返して歩く。ボリビアでは先住民同盟(CIDOB)がかかる抗議運動を組織化し、今回は第8回目に当たるそうだ。第1回目は、19907月から一ヵ月かけての、全く同じトリニダードからラパスへの「尊厳の領域」行進だった。この時は、先祖代々の先住民専権居住での専権的自治権を求め、4ヵ所でその認定を勝ち取った。TIPNISもその内の一つだ。モラレス政権下で作られた2009年憲法にも引き継がれている。

今回の行進隊が撤回を求める高速道路は、ベニ県のサンイグナシオと中央部コチャバンバ県のトゥナリを結ぶ306kmであり、その内の177kmが、そのTIPNISに掛る。ルラ・ブラジル前大統領肝煎りのビッグプロジェクトで、4億㌦余りの事業費の8割をブラジルが拠出し、その建設は、ブラジル企業が行う。ブラジル政府は、本事業をブラジルからペルーとチリに至る高速道路の一部であり、ボリビアにとっては南米統合の観点より極めて重要なもの、と強調する。一方TIPNISは、多品種の動植物群の宝庫として知られ、保護すべし、とのエコロジストの声も大きい。

モラレス大統領も環境保護主義者を自認する。だがこの高速道路については東北部の発展に不可欠、との立場だ。貴重な動植物群を始めとするTIPNISの自然への影響は極めて少ない、とも言う。一方、コチャバンバは彼の政治的支持基盤たるコカ農家の中心で、その流通道路にしたい、との思惑がある、との政敵の見方も伝えられる。 

行進隊は、出発時、メディア情報では6百人ほどだった。一時的に2千人にも膨れ上がったが、他の先住民グループやエコロジストも参加したようだ。モラレス政権も事態を重く見て、チョケワンカ外相がヘッドを務める交渉団を派遣、行進途上の彼らとの対話の機会を持ってきた。しかし、決裂が繰り返された。913日、外相以下との7回目、且つ最後の対話の場がエンボカーダという寒村からで持たれ、やはり決裂した。

916日、モラレス大統領がコチャバンバのサントドミンゴという町で、先住民との集会の場を持っているが、行進隊は参加せず、翌日エンボカーダを出発した。その足で大統領は、ベネズエラ、キューバ、ニューヨーク(国連総会)訪問の旅に向かった。エンボアーダから僅か20kmのユクモと言う集落には、親モラレス派の農民(先住民)数百人が行進隊の通過に対する実力阻止を図るべく10日ほど前から集結していた。同地での全面衝突を回避するため、910日には450名の警察隊が同地に派遣されていた。19日には行進隊がユクモに到着する、と見込まれる一触即発のタイミングだったのではなかろうか。 

実際には行進隊はユクモから数キロ手前のチャパリーナという場所に進み、そこで動きを止めた。そして924日、行進隊で弓と矢を携行する武装班は、チョケワンカ外相以下の政府側交渉団を盾にしてユクモに至るが、警官隊が外相以下を解放、武装班を追い返した。モラレス派農民も解散させた、という。だが翌25日には、行進隊の強制排除に当たり、これが内外の厳しい批判に晒されることになり、26日、各地の抗議行動、行進隊解放、国防相辞任を経て、モラレス大統領は高速道路着工を、住民の合意形成が実現するまで先送りする、と発表、27日には、警察を管轄する内相が解任された。 

国民の先住民比率の高いボリビアの少数民族モホ族、その内のほんの一部に過ぎない6百人の行進は、こうして大統領を動かし、閣僚二人を辞めさせた。29日には、大統領からの心からの謝罪を引き出した。それでも決着はついていない。行進隊は、建設断念まで抗議の行進を続ける、と言い、29日の時点で、分散したメンバーの再集合を待っているところだ。

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2011年9月14日 (水)

グァテマラ総選挙の行方

米国の同時多発テロ10周年に当たる911日、グァテマラでは総選挙が行われた。与党候補が出られず圧倒的優位にあった筈の「愛国党(PP、以下PP)」のペレスモリーナ候補は36%とふるわず、第二位で23%確保の「自由民主会派(Libertad Democrática RenovadaLider、以下Lider)」バルディソン候補との決選投票に持ち込まれた。

158議席の議会では、PPが第一党とは言え54議席(全議席数に対するシェア34.2%)、Liderに至っては僅か14議席(同8.9%)だ。議会第二党は現与党「国民希望同盟(UNE)」と「国民大連合(GANA)」の連合で、47議席(同29.7%)となっている。グァテマラ議会のホームページに出ている本日現在の会派別議員を基にした現有議席比では、PP16増、Liner13減だ。UNEGANAは現有議席と変わらない。

7月頃の世論調査では、投票先としては僅か5%だったバルディソン氏が躍進し、一方ではペレスモリーナ氏の得票率を、与党のサンドラ・トーレス立候補登録取り消し(http://okifumi.cocolog-wbs.com/blog/2011/08/post-d44e.html参照)前の水準に抑えた。与党候補に向かう票が、バルディソン氏に寄せられたため、と言う解説は誰にでもできよう。何せ、彼は元々UNEの議員だった。2009年に所属を現与党の国民希望同盟(UNE)から、Liderに移した。Liderは、私の知る限り2007年選挙では1議席も持っていないが、議会のホームページの原所属欄に1名が載っている。その後26名が他政党から入党してきた。圧倒的に多いのは、彼同様のUNEからの転入で、18人もいる。だから彼への親近感は、UNE支持者には多い筈だ。ただ彼もLiderも中道右派の位置付けで、実は右派PPからの転入組も5人いる。 

グァテマラは議員の政党間移動が凄まじく激しい国のようだ。2007年選挙で与党UNEが獲得したのは51議席だった。それが、現在31議席にまで減少している。議会第二党のGANA2004-08年政権党)37から17議席に減った。「グァテマラ共和戦線(FRG、以下同。2000-04年の政権党)」は衰退していたがそれでも146議席に落ち込んだ。一方でLiderと共にPPも増えた。5名がLiederに流れたが、14名が転入した。議員の政党間移動の激しさは、グァテマラ政治文化の特異性と見て良かろう。

PPは元々GANAから独立した政党だ。GANAの現有議会勢力は、今回選挙ではUNEとの連立を念頭に置き、サンドラ・トーレス氏を支援していた。中道右派が中道左派と連立するのは、ブラジルなどでも見られる。バルディソンに鞍替え出来ただろうか。それともかつての仲間、右派のペレスモリーナに投票しただろうか。そもそも中道左派のUNEから中道右派のLiderに大挙して移る感覚も分かり難い。次に、FRGも小党化し、進歩国民党(PAN1996-2000年政権党)は僅か1議席で、キリスト教民主党(DCG1986-91年政権党)、連帯実行運動(MAS1991-92)は最早議席を持たない。UNEGANAの今後を占ううえで、興味深い、もう一つの特異性だろう。 

特異性と言えば、大統領任期がそれまでの5年から4年に短縮された1995年選挙からは、大統領候補の第二位得票者が次回選挙で当選する、というパターンが続いている(http://okifumi.cocolog-wbs.com/blog/2011/07/post-d510.html参照)。だから、バルディソン氏とLiderの伸張に眼が行かざるを得ない。彼は2003年、総選挙で生地ペテン県選出議員、2007年全国区選出議員で、41歳と大変に若いが、成功した企業家として知られるようだ。ホテル、運輸会社、スーパーマーケット、ガソリンスタンドなどのオーナーだが、父親は郷里の薬剤師で決して大資産家とは思えない。よほど事業の才能に恵まれている人だろう。

ペテン県はメキシコの麻薬組織、セタス(Los Zetas)の活動が激しいことで知られ、これとの関わりを指摘する人もいるようだが、本人は、死刑制度復活による犯罪追放を叫ぶ。死刑制度は、ヨーロッパ先進国やラテンアメリカ、米国でも多くの州では廃れている。これを復活させよう、と言うのだから、麻薬組織との付き合いなど出来る筈も無かろう。兵と警察部隊の増員で麻薬組織と一般犯罪に立ち向かう、とするペレスモリーナ氏よりタカ派ではなかろうか。 

グァテマラは、メキシコ(但し任期は6年)、パラグアイ(同5年)、ホンジュラス同様、大統領の再選自体が禁じられている。メキシコは国民行動党(PAN)、制度的革命党(PRI)及び民主革命党(PRD)の三大政党制で、政党が強力な組織として動く。個人が選挙の都度、自らの政治勢力を結集するグァテマラとは、自ずと異なっている。ホンジュラスは、2012年からセラヤ前大統領の政治勢力が加わり、多少はグァテマラ化するものの、基本的に国民党と自由党の二大政党制だった。二大政党制、乃至は三大政党制のように政党自体に組織力があれば、最高権力者が再選禁止でも、その時々の最高権力者(大統領)が強い政治指導力で政策運営できよう。

メキシコではカルデロンPAN現政権6年間で、軍出動を行っても米国の協力を得ても、麻薬との戦いが終わるとは誰も思わない。5年弱で既に4万人近くの犠牲者が出た。だが、PAN政権としては、国民の支持さえ得れば、かかる政策継続は可能だ。グァテマラでも、麻薬組織や一般犯罪の多発で、その対策に強力な政治指導力が必要とされる。だからこそMano Duraのペレスモリーナ氏個人への期待は高い。しかし、許される期限は4年だ。政権期限の短さや連続性の面で制約はメキシコよりも遥かに大きい。

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