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2011年7月 6日 (水)

サンドラとグァテマラ総選挙の行方

911日、グァテマラで総選挙が行われる。与党の中道左派、国民希望同盟(UNE)は、中道右派の国民大連合(GANA)と連合を組み、サンドラ・トーレス氏(55歳)を大統領候補に指名している。世論調査では、愛国党(PP)のペレスモリーナ氏が支持率で彼女を圧倒する。ところでこの3党、いずれも20012年結成の若い党だ。

ラテンアメリカで、多くの国で軍部が組織として長期に亘って国政を担う、いわゆる軍政時代(私のホームページ参照)、グァテマラでは選挙制民主主義が採られていた。だがモンテネグロ(在任1966-70)の次、即ち1970年から1982年までは、全ての大統領が軍人出身だった。有権者数については検証が必要だが、投票者数は全人口の1割内外で、それでも過半数を制する者がおらず、全て議会での決選投票を経た。その議員が所属する政党には、モンテネグロの基盤、革命党(PR)、及び主要幹部が軍人である制度的民主党(PID)と国民解放運動(MLN)があった。3党は1957年から1963年にかけて結成されている。1982年、選挙に不正があった、として、リオスモント元参謀総長を軍事評議会議長とする軍政が敷かれた。彼は翌年解任され、メヒア国防相が引き継いだ。憲法改正、新憲法下の総選挙、と、他の軍政諸国と同様の民政移管プロセスを経て、現在の普通選挙に基づく政治体制が漸く確立した。 

1985年にはセレソアレバロ氏が当選した。中米危機解決のためのエスキプラス首脳会議(私のホームページ「軍政時代とゲリラ戦争」のゲリラとの和平参照)を主催したことで知られる。基盤とするのは59年代結成のキリスト教民主党(PDG)で、他のラテンアメリカ諸国の民政移管とあまり変わらない。90年にはこの年連帯実行運動(MAS)を結成したセラーノ氏が当選した。925月にペルーのフジモリ大統領に1ヵ月遅れ、アウトゴルペ(自己クーデター。議会解散と憲法停止)を起こし、その後国外追放され、MASも消滅する。暫定政権を経て95年選挙を制したのは、進歩国民党(PAN)から出たアルスー氏で、翌年末のゲリラとの最終和平合意を実現したことで知られる。その時次点だったグァテマラ共和戦線(FRG)のポルティーヨ氏が、次の99年選挙を制した。PANFRGも、結成は1989年、MASより1年早い。

2003年選挙の結果、1999年選挙にPANから立候補し次点に終わったベルヘル氏が、結成間もない国民大連合(GANA)から出て当選した。次点は同じく結成間もない国民希望同盟(UNE)から出たコロム氏だが、07年に当選した。

つまり、民政移管の1985年以降、以下のようなパターンが読み取れる。ラテンアメリカの他諸国と比べ、極めて特異、と言える。

l 一つの政権党が再び政権を取ったことが無い。

l 1990年以降の政権党は、結成後間もない若い政党のみ

l 1995年選挙以来、次点だった人が、3人続けて、次回選挙で当選 

このブログでも1http://okifumi.cocolog-wbs.com/blog/2011/01/2011-553f.htmlに最有力候補として取り上げたペレスモリーナ氏は、実は07年選挙で次点に付けた人だ。彼の愛国党(PP)は、結成後最初の03年選挙ではGANAに参加した。だが離脱したので、11年選挙で勝って初めて政権党になる。彼が勝てば、4回連続で上記パターンが踏襲される。若しくはサンドラ・トーレス氏がこのパターンを止め、グァテマラのクリスティーナ(アルゼンチンのフェルナンデス大統領。夫が前大統領。以下女性のみファーストネーム表記、敬称略)になれるか、関心は募る。 

アルゼンチンとグァテマラ。人口面でも国土の広さでも経済力でも、この二ヵ国の差は非常に大きい。World Factbookによる識字率で比べても、前者の97%に対して、後者は69%だ。白人が全人口の97%を占めるアルゼンチンに対し、グァテマラは僅か2%40%を占める先住民は、独自の共同体の中で、スペイン語を母国語とはしない独自の文化を形成する人が多い。アルゼンチンが1862年に統合国家になって、一個人が長期独裁を敷いたことは、見方によっては異なるかも知れぬが、無い、と言えよう。これに対しグァテマラはカレラ(1838-65)、ルフィーノバリオス(1873-85)、カブレラ(1898-1920)及びウビコ(1931-44)がいる。政治文化が歴史の中で築かれるとすれば、この二ヵ国の違いは大きい。だが、強権体質は、実は似ている。

以下、ホームページの「軍政時代とゲリラ戦争」で軍政時代前夜及びラ米の軍政時代を参照願いたい。アルゼンチンでは、1930年から度々クーデターを起こした軍部が、政治の前面に出るようになった。概ね12年で民政移管を繰り返したが、64年から83年まで、約3年間の断続期はあったが、長期軍政期を過ごした。後半は3万人もの犠牲者を出した「汚い戦争」で悪名高い。一方グァテマラでは、クーデターも何度か起きているが、アルゼンチンのような軍政期はみていない。ただこの間軍人政権が殆どで、60年代からの内戦では85年までに十数万人の犠牲者を出している。アルゼンチンは89年民政移管後、急進党政権で始まった。89年以降は一部例外を除きペロン党政権が続く。これに対しグァテマラでは上述通り政権党が毎回、変わった。 

クリスティーナは、学生時代からペロン党の活動に携わり、州議会、国会での議員として政治に関わり、ファーストレディ時代も国会議員を続けて、そして大統領になった。大学は夫のキルチネルと同じラプラタで、二人はそこで知り合った。サンドラも大学は夫と同じだが、世代がかなり離れている。ビジネスの世界に入り、その後女性の政治参加を促す活動に入り、コロム氏のUNE結成に参加、また結婚した。彼が三度目、彼女が二回目の結婚であり、初婚同士だったキルチネルとクリスティーナとは異なる。サンドラが主として社会問題関連の立法化に奔走したことは知られており、子女救済基金の名誉総裁でもあることは、寧ろ60年前のペロン夫人、エビータに似る。UNEが政権を連続して担うための大統領候補として最適なのは、彼女だった。且つ、GANAの共闘も引っ張り出せた。

グァテマラでは、個人による長期独裁を忌避するため、連続、非連続を問わず一個人が、再び大統領選に出馬することを禁じる。加えて、大統領の家族による権力承継を回避するため、子息など家族の一員が大統領選に挑戦することも禁じる。妻がその対象になるかどうかは議論が分かれるが、サンドラは余計な議論を回避すべく、離婚した。だが、前夫の政権を引き継ぐことに変わりなく、これを不正とみた選挙管理当局は628日、彼女の立候補登録を拒否した。7月央には最終登録が締め切られる。彼女以外で適任立候補者がいないUNEGANA連合は、登録拒否撤回の申し立てを行い、彼女は選挙キャンペーンを継続している。アルゼンチンでは有り得ない事態だ。 

1985年以来のグァテマラ独特の政権交代のパターンからして、元々不利な戦いを展開しているサンドラに、勝利はあるのだろうか。かつての政権党の内、連帯実行運動(MAS)は消滅し、キリスト教民主党(PDG)、進歩国民党(PAN)は議席数が極小若しくはゼロに落ち込んでいる。残るグァテマラ共和戦線(FRG)、UNEGANA及びPPの勢力動向を含め、注目点は多い。

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