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2011年7月19日 (火)

療養に入ったチャベス大統領

716日、チャベス大統領は癌摘出手術を受けたキューバに、化学療法、乃至は放射線治療を受けるため、12日間ぶりに戻った。短い祖国滞在だった。15日にはウマラ・ペルー次期大統領の訪問を受け、2時間に亘り会談している。会談前、ブラジル国営通信が、チャベス氏に対しブラジルのサンパウロにある「シリオリバネス病院」での治療を申し出た旨伝え、キトにいた同国パトリオタ外相がこれを追認していた。この病院では、2009年、大統領選前にルセフ氏が治療を受け、快癒した。ルゴ・パラグアイ大統領も2010年にここで治療を受けた。日本のメディアも伝えたが、ルセフ氏は1週間前の彼への電話で、癌治療の専門家の派遣、乃至はブラジルでの治療を提案していた。チャベス氏も心が動き、また家族も望んだようで、秘密裏にマドゥーロ外相がこの病院を視察した、との情報もある。ところがウマラ氏との会談後、チャベス氏はキューバでの治療を発表した。

どうも病状に関する情報漏洩を懸念してのことではないか。彼も医師団もベネズエラ政府も、何の癌か、身体のどの部分か、どれほど進行していたのか伏せたまま、摘出した腫瘍は野球のボール並みの大きさだった、他に癌腫瘍は見つかっていない、と医師団が断言している、と断片的な説明に留め、713日、初めて化学療法、若しくは放射線治療の必要性に触れるほど、実態を秘匿し続けていた。その内に、医師団に近い筋から外電に結腸癌、との情報がもたらされこれを否定する経緯もあった。その点、キューバは秘密情報の保持では安心感がある。ルセフ氏には感謝しつつも、キューバを選ばざるを得なかったのだろう。

独裁国家や社会主義国家では最高権力者の負の健康情報は、徹底した統制下に置かれる。民主国家でも、例えばフランスでも大統領の健康情報統制はよく知られる。チャベス氏を社会主義国家の独裁者と見るのは勝手だが、2012年に大統領選を控えており、健康上の弱みを曝け出すのは常識的に考えても拙かろう。彼は、「ボリーバル革命」と呼ぶ社会主義建設を成し遂げるため、大統領を続ける意思が固い。2021年、カラボボの戦い(ベネズエラ解放)200周年を迎えるが、その記念式典遂行を公言する彼は、次の2018年選挙にも出る積りらしい。

 

大統領の5日以上に及ぶ国外旅行は、議会承認を必要とする。16日、満場一致でこれを議決したが、野党は、留守中の大統領権限を憲法規定に基づき副大統領に移譲すべき、また、療養である以上、その病状に関わる詳細報告の提供が必要、と食い下がった。これに対し、チャベス氏は電子署名手続きで応じた。どこにいようが、外部漏洩を伴わない政令署名が可能であれば、権限行使は可能、としたものだ。ただ、行政面での効率を考え、一部の権限をハウア副大統領とジョルダーニ財務相に移譲した。

ウマラ氏と会う前日の14日には、幾つかの政令に署名し、またテレビ放送された閣議の場で長演説を行った。農業、住宅建設、電力プロジェクトの話しから、ベネズエラ史に及び、1811年独立宣言書を朗読する一方で、リビア問題でのカダフィ支持、シリア問題での反アサド派の背景にあるとして、帝国主義への非難などを織り交ぜた、2時間近くに及ぶもので、帰国後最長だ。それでも通常の彼の演説の長さに比べると短く、我が生命を守るため医師団に命じられた生活規律に厳格に従った、と述べた。

 

ビデオ映像などで見る限り、チャベス氏は以前に比べ随分痩せた。100kg以上あった体重は、今85kg、と本人が述べている。医師団の忠告に従い生活態度を大きく変えた、と言う。今は死ぬ時ではない、祖国のために生きて勝利をものにする、などと繰り返し、ひたすら病状を秘匿する態度に、いくばくかの危惧を抱く人も多かろう。病状が厳しいとなると、ベネズエラによる援助を受けるキューバやニカラグアは困ろうし、ボリビアにも政情不安の形で波及しよう。経済界、とりわけ金融界や証券界は歓迎しよう。彼の言動に眉をひそめる米国はどうだろうか。

AP電は8日の段階で、ポスト・チャベス候補者として、マドゥーロ外相、ラミレス・エネルギー相、ランヘル・シルバ戦略的作戦司令官の名を挙げている。三人ともチャベス氏の癌摘出手術後初めての記者会見に立ち会っており、彼の信任が篤いことは間違いあるまい。マドゥーロ氏はバス運転士としてカラカス交通非合法労組のリーダーを務め、チャベス氏のMVR(第五共和国運動。ベネズエラ統合社会党(PSUV)の前身)結成に参加した。2006年に現職になってから大統領の名代として発言する機会が多い。ラミレス氏は2002年のクーデター未遂事件の後、エネルギー相、04年に兼務で国営石油会社(Pdvsa)総裁に抜擢された。ランヘル・シルバ氏は1992年、チャベス氏の反乱に参加した同志で、現在は国軍の将軍の一人だ。彼は、反チャベス勢力が政権に就くことを軍も国民も受け容れない、と発言し、野党からの厳しい批判を浴びた。勿論、共産党一党独裁国家でもないベネズエラのこと、彼の信任だけで後継者になれるわけはない。

ブラジルではカリスマ指導者のルラ前大統領の推薦でルセフ氏が労働者党(PT)の候補指名を得て立候補し、大統領選を勝ち抜いた。先ずは、チャベス氏が誰を推薦するか、だが、始めから二期8年間を務め上げたら退任が決まっていたルラ氏と異なり、チャベス氏は自らが長期に政権を担おう、という意思が強い。だから、推薦する人など、念頭にあろう筈も無い。仮に健康問題で大統領選出馬を断念することがあれば、PSUVの大統領候補指名を得られるのは誰か、今から見据えておくのも無駄ではなかろう。勿論、チャベスの影響力が弱体化してなお、PSUVが政権を担える勢力を確保できるか、こちらも見どころと言える。ブラジルは、いまだルラの影響力が衰えぬPTでも単独では無理で、中道右派のブラジル民主運動党(PMDB)と連立を組んだ。

 

16日、80歳のラウル・カストロ国家評議会議長自らがハバナ国際空港に、56歳の彼を出迎えた。17日から療養が始まった筈だが、18日段階では、何も聞こえてこない。留守部隊のジョルダーニ財務相がテレビで、2012年選挙で彼が出馬するのは疑いの余地は無い、と言い切った。

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