« サンドラとグァテマラ総選挙の行方 | トップページ | 療養に入ったチャベス大統領 »

2011年7月 8日 (金)

ベネズエラ独立宣言200周年

181175日、ベネズエラ自治政府が独立宣言を行った(私のホームページラ米の独立革命スペイン領独立革命の勃発参照)。第三回ラテンアメリカ・カリブ首脳会議(第二回目はhttp://okifumi.cocolog-wbs.com/blog/2010/02/post-ffa0.htmlを参照)をベネズエラの保養地、マルガリータ島で、チャベス大統領が主催することにしていた日が、まさしくその200周年記念日だった。結果的には、彼が610日にハバナで骨髄腫瘍の、20日には癌腫瘍の摘出手術を受け、術後休養を兼ねハバナに滞在、29日に外務省が首脳会議(サミット。以下、同)延期を発表していた。

200周年の前日未明、彼は帰国した。思いのほか元気な様子だが、長時間の演説はまだ無理、と告白する。記念日には大統領官邸バルコニーに姿を現したが、軍事パレードなどの記念式典には欠席した。この日駆け付けたモラレス(ボリビア)、ムヒカ(ウルグアイ)及びルゴ(パラグアイ)大統領が、これに参加、彼を喜ばせた。勿論、三人の訪問を受け、親しく懇談している。7日には最大の国軍基地を訪問し、1時間半もの演説も行った。また閣議にも出席し政策課題をこなしている。健康状態は、好転しているようで、彼の支持者たちは2012年選挙への出馬は確実、と手放しの喜びだ。 

独立宣言と独立革命(勃発)は、ベネズエラとラテンアメリカ全体にとっての重要性が異なる。後者は、何しろ宗主国の最高権力者を植民地の一介の市会(カビルド)が罷免する、という、大それた行動だ。これが、多分前例を知らぬまま、525日のアルゼンチン、720日のコロンビア、918日のチリと、同じ1810年だけで別の3人の「王」(副王2名、軍務総監1名)罷免に繋がった。2010419日の独立革命(勃発)200周年記念式典http://okifumi.cocolog-wbs.com/blog/2010/04/200-592f.htmlには、ラテンアメリカ十九ヵ国(イベロアメリカ諸国)中、モラレス大統領を含む6ヵ国首脳が、アルゼンチンの独立革命200周年記念式典にはチャベス氏を含む7ヵ国首脳が駆け付けたhttp://okifumi.cocolog-wbs.com/blog/2010/05/200-26a9.html。コロンビアとチリについては、私自身、大規模式典のニュースは見落としている。前者はその18日後にサントス大統領就任式が行われ、大勢の首脳が出席した。

だが、チャベス大統領は前者が重要、と考えたのか、米国、カナダを除く全ての米州諸国首脳が一堂に会する日に選んだ。彼が最も尊敬するボリーバルは、母国ベネズエラに限らず、既に独立していたチリを除くアンデス諸国全てを解放した。他にもパラグアイとアルゼンチン、及びメキシコと中米が独立しており、彼は最終的に米国に対抗する一大連合国家を夢見ていた。チャベス大統領の夢は、これをさらに発展させた統合体であろう。ともあれ、彼自身の健康問題により、独立宣言200周年記念日でのサミットは流れた。本サミットでラテンアメリカ・カリブ共同体(スペイン語名称を略し、CELACと表記。本ブログhttp://okifumi.cocolog-wbs.com/blog/2010/02/post-ffa0.html参照)を正式に発足させ、機関化し、ゆくゆくはOASに代わる統合体、とすべく旗振り役を買って出ていた彼には、断腸の思いもあったろう。 

さて、独立宣言を境に独立戦争が始まった。この最高司令官のミランダ(1750-1816)は、北米独立戦争やフランス革命にも参加し、在欧中、特に英国にラテンアメリカ独立支援を訴え続けていた。その彼が、181012月に帰国したのは、同年央、市会の最高評議会による遣英使節団の一員として参加していたボリーバルの説得による。ボリーバルは彼の副官として参戦した。庶民を徴用した急ごしらえの独立軍は、宗主国軍の敵ではない。挫折を繰り返し、ベネズエラが最終的に解放されるのは、独立宣言から10年を経た1821624日のカラボボの戦いによる。

ボリーバルは現コロンビア、エクアドルをも一つにした、いわゆるグランコロンビアを建国した。発想は、ラテンアメリカ全体の独立を睨んでいたミランダ譲りだったかも知れない。その足でペルーに向かい、サンマルティンが完成し得なかったペルーとボリビアの解放を、18253月までに実現した。だが、その2ヵ国を一つにすることはできず、加えて5年後、グランコロンビアまでが3ヵ国に解体した。彼の失意を晴らし、さらに発展させることが、チャベス大統領が自らに課す使命感なのだろうか。 

ラテンアメリカの統治は、海を鍬で耕すようなもの(統治不能)と嘆いたのは、ボリーバル自身である。CELACの前に、先ずはUNASURを固めなければなるまい。3年前に調印された憲法条約が発効したのが、2011311日のことだ。漸くキトに事務総局が設置されて間もない。議会についてはコチャバンバで議場が建設中、というが、議員の定数も未だに決まっていない。そもそも最初に南米統合を打ち出したブラジルが憲法条約を批准していない。確か、パラグアイも、だ。幸いに批准国が9ヵ国を超えたら一定の期間を過ぎれば発効できる、との取り決めで、ともかく動き始めてはいるが、迫力不足だ。加えて、そのモデルたるメルコスルには、ベネズエラは加盟申請から5年も経って、パラグアイ議会のため正式加盟が成っていない。この体たらくでベネズエラ大統領がUNASURを強化への指導力が、発揮できようか。

チャベス大統領はモレロス、ムヒカ、ルゴ各大統領との懇談時、カラボボ200周年にまた集まろう、と語った由だ。10年後のことだ。それまでにCELACは統合体として完成しているのだろうか。それともUNASUREU並みの統合体に発展しているのだろうか。それともメルコスルだけでもEU並み統合体として完成しているのだろうか。 

1830年、ベネズエラがカウディーリョのパエスにより建国された(ホームページのカウディーリョたち参照)。パエス(事実上の支配期間1830-47)、モナガス兄弟(同、1847-58)、グスマン・ブランコ(同1870-98)、カストロ(同1898-1908)及びビセンテ・ゴメス(1908-35)と、建国以来の1世紀余りの内、上記6人のカウディーリョが最高権力を行使した。ラテンアメリカで多少ともこれに近いのは、グァテマラとパラグアイくらいだろう。いずれも大統領の再選自体を禁止している。ところがベネズエラは、無期限連続再選をうたう。且つ、大統領任期を、やはり大統領再選自体を禁止するメキシコ同様、6年間とする。いずれも、チャベス大統領になってから決まった。彼の政権期間は既に上記のモナガス兄弟とカストロを凌ぐ。関係国の国益を調整しつつ完成に向かうのが地域統合だが、それには彼の任期が何時まであれば良いのか。取り敢えずの節目は2012年の大統領選だろう。勝てば、建国を成し遂げたカウディーリョのパエスを凌ぐことになる。

|

« サンドラとグァテマラ総選挙の行方 | トップページ | 療養に入ったチャベス大統領 »

南米」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« サンドラとグァテマラ総選挙の行方 | トップページ | 療養に入ったチャベス大統領 »