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2011年6月 7日 (火)

ペルー大統領選決選投票

これを書いている現地時間の66日午後10時半、つまり決選投票が締め切られて丸一日経って、選挙管理委員会のホームページには1時間前開票率93.849%の数字しか出ていない。だがウマラ氏が得票率で3.116ポイント差のリードであり、ケイコ・フジモリ氏優勢の北部、特にリマでも開票率が95%を超えた以上、ウマラ氏勝利は動きようがない。総選挙が行われて間もない4月の段階では、ウマラ候補が断然有利で、正直私も彼で決まりだろうと思っていた。ところが、5月に入ってからケイコ(以下、同)候補優勢の調査結果が伝えられるようになる。5月央から22日にかけては35ポイント近い差だった。これが、国内での結果公表を違法とする5月末から一変し、投票日直前の調査では逆にウマラ氏の4ポイント近い優勢、に変わっていた。決選投票もこれを引き継いだ格好だ。「左派政権」発足を控え既に下落していた証券市場は6日、さらに12%、と、暴落の様相だ。

外電は、ペルーでの左派政権(実際には、ウマラ氏がブラジルのルラ政権志向を約束しており、またトレド元大統領の政党との連立と考えられるので、中道左派に位置づけられよう)誕生に注目する。2010年、南米ではチリが右派政権に代わった。2011年、ペルーの政権交代で、それ以前の左派系(中道左派含む)9ヵ国、右派計2ヵ国に戻った格好だ。

日本のメディアは、ラテンアメリカ諸国の選挙としては異例とも言うべき頻度で、ペルー選挙を採り上げた。大震災と原発事故と国内政局で紙面が埋め尽くされ、リビア、シリア、イエメン情勢を伝えない中で、ケイコ候補優位となると、中間情勢まで伝えた。彼女が最初の日系人大統領の娘だから、だろうが、そうではなくとも、彼女自身が日系人である限り、同様の扱いを受けたかも知れぬ。

ペルーは、南米で最も早く日本人移民を受け入れた。建国以来ごく一部の例外を除いて続いて来た軍人政治に叛旗を翻し、文民政治を確立したピエロラ(1839-1913。在任95-99)政権末期の18994月、第一陣を乗せた佐倉丸がカヤオに到着した。笠戸丸によるブラジル移住開始に9年先行した。移住者が酷使されたのはブラジルや米国と同じだが、ケイコ氏の父、アルベルト・フジモリ(以下フジモリ)元大統領が生まれた翌年の19405月、プラド第一次政権下の首都リマで起きた日本排斥の大暴動ほどの悲惨を味わっただろうか。何の本だったか、日系人はペルー社会で目立つことを恐れて来た。フジモリ氏は学者になり、1990年大統領選に出馬し、有力政党が推す作家のバルガス・リョサを決選投票で下し、当選した。現在のペルー人口は2,900万人、その内日系人は僅か9万人。10年間に及ぶフジモリ政権下、日系人は目立った筈だ。

メディアはあまり注目しないが、今回選挙では大統領の娘がもう少しで大統領になる、という、世界的にも稀有な政治情勢は、私には気になった。独立後のペルーで、親子で大統領に就いたのはマリアノ・プラド(1826-1901。在任1865-681876-79)とマヌエル・プラド(1889-1967。在任1939-4556-62)、マヌエル・パルド(1834-78。最初の文民大統領。在任1872-76)とホセ・パルド(1864-1947。在任1904-081915-19)の二例がある。ラテンアメリカ全体を見れば、パラグアイ、チリ、コスタリカ、ニカラグア、コロンビア、ウルグアイ及びパナマ(但し父親は最高指導者であっても大統領には就いていない)にも例がある。米国にすらある。だから、このこと自体は、決して瞳目すべきことではない。ただ、父と娘、というのは異例だ。

ケイコ氏は離婚した母親に代わり、大統領のファーストレディを務めた。パナマのモスコソ(在任1999-2004)、アルゼンチンのフェルナンデス(同、2007~)元・現大統領に次ぐファーストレディ経験者三人目、になるかどうか、という見方もできよう。

次に、政治資産について述べたい。政務経験や政治行動、或いは国民知名度などがある。ウマラ氏には現役軍人時代の200010月、不正スキャンダルが発覚したフジモリ大統領(当時)に退陣を要求する反乱を起こし有名になり、大統領退陣後、議会によって赦免され、軍に復帰し、駐在武官としてパリとソウルでの勤務経験を持つ。2005年、自らペルー民族党を結党し翌年の大統領選に立候補、第一回投票では一位で決選投票に進んだ。これが彼の政治資産だ。チャベス・ベネズエラ大統領との親密な関係、というマイナス政治資産で結局敗れたわけだが、元大統領のガルシア候補を5ポイント差まで追い詰めた。それを今回選挙では、チャベスと一線を画し、ルラをモデルにする、という穏健路線言明により、ある程度克服した格好だ。

ケイコ氏は2006年の総選挙で得票数第一位で議員になり、今回、200年の力を創設し弱冠36歳で大統領候補となった政治資産は、やはり政治復帰が阻まれる父親の遺産であることが否定できない。議員時代の、政治家としての顕著な実績は、まるで伝わってこない。そして欧米系のメディアは、父親の「不正・腐敗と強権独裁と人権侵害」をこぞって強調し(このブログで紹介したhttp://app.cocolog-nifty.com/t/app/weblog/post?__mode=edit_entry&id=57410684&blog_id=630532参照)、だから彼女にはマイナス資産になった、と指摘する。5年後、ウマラに倣い、マイナスを克服し、再登場するのだろうか。

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