ペルーの政党
2011年4月10日総選挙の結果、立法府の政党構成はどうなったか。ペルー全国選挙プロセス委員会の集計が、5月5日に漸く終わった。大統領選第一位のウマラ候補の「ペルーの勝利同盟(Gana Peru)」、ケイコ・フジモリ候補の「2011年の力(Fuerza 2011)」は夫々47、37議席となり、議会第一、二勢力となった。
キューバを除くラテンアメリカ18ヵ国の半数、具体的には中米6ヵ国全てと、ベネズエラとエクアドル、即ち現在左派政権下の2ヵ国、及びペルーの南米3ヵ国が一院制を採る。及び南米11ヵ国で一院制を採るのは、他には一院制だ。これら9ヵ国で全人口比議員数はペルーが最低で、人口約25万人につき一人となっている。ベネズエラは16万、エクアドルは12万、中米はどこも10万人を下回る。
こんな効率の良い制度は、アルベルト・フジモリ元大統領の1992年の自己クーデター(議会を解散し新憲法を制定するもの)の名残である。93年の憲法改正により、それまでの二院制(上院60名、下院180名)を一院制に、議席数を、上下院計240名を120名にし、2011年、総数を10名だけ増やした。その政治勢力別構成を見てみよう。
先ず、全議席数の36%を占める「ペルーの勝利同盟」の中核は、ウマラ氏が2005年に結成した「ペルー民族党(PNP)」と言う若い政党だ。2006年選挙では選挙母体としての登録が間に合わず、社会民主主義傾向の強い「ペルーのための連合(UPP)」(1995年選挙に出馬したデクエヤル元国連事務総長が前年に立ち上げた)と組み、同党候補として戦い、議会最大勢力となる45議席を得たが、その後同党と袂を分かつ。退役将校の彼が1968年クーデターを起こしたベラスコ(1910-77)将軍(私のホームページ「ラ米の革命」のペルーとチリの「革命」参照)を尊敬していることはよく知られる。政治思想面では左派であり、2000年10月の反乱はフジモリ政権のスキャンダルを理由としているが、同政権の新自由主義政策への反発も大きかった。似通った経歴のチャベス・ベネズエラ大統領と重ねて見られるのも、止むを得まい。
決選投票でウマラ支持を言明しているトレド元大統領は、大統領選では第四位に終わったが、その選挙母体「可能ペルー(PP)同盟」の議席数は第三位だ。このままウマラ派と連立を組めば68議席となり、議会過半数を制する。彼が1995年結成した「可能ペルー(PP)」を中核とする。彼が大統領になった2001年には45議席を得たが、大統領候補を出さなかった06年には、一気に僅か2議席への大凋落を経験した。今回は、1956年にベラウンデ・テリー(1912-2002)元大統領(在任1963-68、1980-85)が結成、今や伝統政党に属する「人民行動党(AP)」などと組み、合わせて20議席を確保、幾分か挽回した。
議会第二位となる「2011年の力)」は、いわばフジモリ党だ。前身は、1992年のフジモリ自己クーデターの際に結成された「新たな多数(Nueva Mayoría)」であり、これが名称を変更したもの、とみて差し支えあるまい。90年選挙前年に結成された「変革90」もフジモリ党で、1995年選挙以来「新たな多数」と共にフジモリ派選挙基盤として活動してきたが、今回選挙でケイコ氏ではなくカスタニェダ元リマ市長支持に回った。
大統領選第三位のクチンスキー氏の「大変革同盟」は、議席数では第四位となった。その中核は、1966年結成の「キリスト教人民党(PPC)」、ペルーでは珍しい政党らしい政党だ。1990年、上記の人民行動党と共に「民主戦線(FREDEMO)」を組み、フジモリ氏と決選を争った作家のバルガス・リョサ氏を担いだ。大統領選では敗退したが、当時二院制の議会では上下両院とも民主戦線が過半数を占めた。フジモリ政権はハイパーインフレ終息、極左ゲリラ制圧への思い切った政策運営が科せられていたが、少数与党では如何ともしがたく、いわゆる「フジモリ独裁」を狙った、と欧米で非難される自己クーデターに繋がった。インフレ終息、治安の回復だが、この因果関係を認めたがらない人が国内外に多い(本ブログでもとりあげたhttp://okifumi.cocolog-wbs.com/blog/2009/04/post-a695.html)。クチンスキー氏はその伝統政治勢力のベラウンデ・テリー政権でエネルギー相を務めた人だが、新自由主義経済擁護の立場から、ケイコ氏支持に向かいそうだ。
大統領選第五位、前述のカスタニェダ氏は、リマ市長選に出る前の2000年に所属政党だった「人民行動党」を離れ、地域政党とも言える「国民連帯党(PSN)」を立ち上げた。06年選挙で、やはり伝統政党の「キリスト教人民党」候補を担ぎ国政にも進出したが、今回は上述の「ペルーのための連合」と「変革90」と共に「国民連帯同盟」を結成、議会でも第五勢力となる。ケイコ氏支持が自然な流れと言えようか。
現政権の「アプラ党」は1930年、アヤデラトーレ(私のホームページ「ラ米のポピュリスト」のアヤ、ベラスコ・イバラ、ガイタン参照)が創設した。共産党と並ぶ古さで、伝統政党そのものだ。今回選挙で候補者を出さなかった。その為、と言い切れようが、議席数は現在の35議席から、何と4議席に凋落した。2006年におけるトレド氏の「可能ペルー」と良く似た動きだ。二度も大統領を務めた点でガルシア大統領はベラウンデ・テリーと同じだ。この党も「人民行動党」と同じような弱小政党に落ちて行くのだろうか。
ともあれペルーでは、二十世紀央よりは大統領候補者により結成された政治勢力が政党の役割を担ってきた。基本的に、イデオロギー色があまり見えない。その意味でウマラ党の「ペルー民族党」は左派で、異色だ。また、全体としては選挙の都度、政党の離合集散が眼に就く。ウマラ・トレド両勢力で議会の過半数を占めるとは言え、決選投票がどうなるか、予断は許さない。5月5日の世論調査による投票先は、ウマラ39%、ケイコ38%と拮抗し、23%が未定、としている。
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