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2011年5月18日 (水)

コレアの三回目の国民投票

57日、エクアドルで国民投票が行われた。有権者数1,116万人には、在外者21万人も含まる。在外者の7割はスペイン中心にヨーロッパ、2割弱が米国のようだ。投票用紙1ページに、ぎっしり質問が付され、これから(了)かNo(否)を選ぶ。

10項目の内、5項目が憲法改正を要する。この内の4項目が司法制度改革関連、残る1項目はメディアと産業界(具体的には金融)の支配関係禁止をうたう。他5項目は分かり易い。賭博業の禁止、暴力に関わる報道やメディア責任を監視する規制委員会設置、従業員の社会保険加入を妨げる事業主への罰則、などがある。

集計にえらく時間が掛っており、堪らずにこれを書いている518日現在、生き物を殺戮するショーの禁止の是非を除く9項目について、99%台、グァヤキルを含むグァヤ県だけが未了の97%だ。だが帰趨は決まった。司法側の手続遅延を回避する方策(質問1)が唯一、50%を超え、No11.5%差を付けた(残りは白票と無効票)。他は45%48%台で、39ポイント差でNoを上回る。

ところで、今回の国民投票は、コレア大統領が20071月に就任して、確か3回目だ。第一回目は、就任3ヵ月後に行った制憲議会選挙の可否を問うもので、82%の賛成を得て、同年9月に実施された。

新憲法草案が制憲議会で可決されれば、どこでもそうだが、国民投票に掛る。これが第二回目で20089月のことだ。この時は64%の賛成票を得て「2008年憲法」が生まれた。今回の結果を受けて、彼の第四回目の国民投票(5項目に関わる憲法改正手続き)に進むのかどうか。憲法手続を要しない項目については、議会での立法措置などに付されよう。

新憲法下、彼は翌20094月に行われた総選挙で52%の得票により再選され、初めて彼の「至高の祖国同盟」(Alianza PAIS、以下「PAIS」)が国会に議席を持つことになった。ただ議席総数124に対してPAIS59、過半数に足りない。彼は、立法措置を伴う政策遂行にはメディアの反政権姿勢が障害になっている、と考えているようだ。司法も、二十一世紀の社会主義を標榜する政権には好意的ではない。国民に直接問うたら賛成された、との理屈で、法案を通すことになろう。

コレアと言う人は、米国に留学し、そこで修士号、及び博士号を取ったエコノミストだ。著作も多いし、米人にも知己は多い。ラテンアメリカ左派政権の最高指導者は5人いる(私のホームページの「ラ米の政権地図」左派政権の国々参照)が、ゲリラ出身のカストロ、オルテガ、軍人出身のチャベス、コカ農家出身のモレロス各首脳と比べ、随分異色だ。この人が就任してこの方、米軍への空軍基地貸与期限延長に応じず、最近では米国DEA(麻薬取締局)がラテンアメリカの麻薬組織幹部の集合場所としてエクアドルを名指しすると、具体的証拠を、と咬みついた。ウィキリークスで「コレア大統領は、ウルタード氏が不正行為を犯したと承知しながら、警察庁長官に登用した」という20097月の外交電を理由に、45日、ホッジズ米大使を追放処分にし、米国との軋轢を招いている。ウィキリークスで米外交電を知り不快感を募らせる指導者は、多い。だが、大使追放に動いた最高主導者は、彼だけだ。だが、対米政策は硬軟併せ持つ。基本的には良好な関係に努めており、今なお、流通貨幣は米㌦のままである。

コレア大統領は、二十一世紀の社会主義を奉じる。チャベス・ベネズエラ、モラレス・ボリビア両左派大統領との盟友ぶりを隠さない。国政では両国同様に貧困層への家族手当支給、教育・医療の無料化を進める。一方で外国債権団とは最初モラトリアムを宣言しながら、結局リスケ交渉を纏めた。外国企業対応では、石油会社には権益縮小を押し付ける一方で、鉱山会社に開発投資を呼び掛ける。南米の右派政権下のコロンビアとは、20083月から2年半に亘って外交関係を断絶したが、サントス現政権期になって好転させた。ペルーとも最近では領海域画定で合意した。2009年から2010年の南米諸国連合(Unasur)議長として、存在感を増した。対米関係も上述の通り、つまり、外交政策自体はかなり現実的だ。2010年のクーデター未遂事件での警官隊を前にした彼の演説には迫力があった。これが全国ネット中継された。今、彼の国民支持率は65%である。

エクアドルはhttp://okifumi.cocolog-wbs.com/blog/2009/04/post-ef27.htmlでも取り上げたが、政情不安で知られる。「1895年自由主義革命」で知られるアルファロ(1842-1912)が暗殺されてからコレア政権誕生までの95年間で、任期を満了できた民選大統領は、1912年から24年、48年から60年、及び84年から96年までの夫々3人ずつ、計9人しかいない。その内の一人、ベラスコ・イバラ(1893-1979。「ラ米のポピュリスト」のアヤ、ベラスコ・イバラ、ガイタン参照)は5回大統領になった、とは言え、任期満了は一度だけで、4回追放されている。軍政時代も1963-66年の3年間と1972-79年の7年間に、細切れに分かれた。

国土面積は、南米十一ヵ国の中ではウルグアイに次ぐ小国だ。ブラジル、アルゼンチンに挟まる同国は、政情的には、建国期はともかく、過去一世紀に亘りラテンアメリカの中で最も安定していた。片やエクアドルは、ウルグアイのような国民統合の取り易い国とは違い、特に首都キトのある山岳地帯とグァヤキルのある海岸地帯とでは、地勢も気候も人の気質もまるで異なる。コロンビア、ペルーという人口、領域面で二つの大国に挟まるが、この両国はブラジル・アルゼンチン関係に見られる国家間の張り合いは見られない。だからエクアドルも余り気遣いしない。だから平気で不安定なのだろうか。

コレア大統領は、そんなエクアドルの最高指導者だが、カリスマ政治家ベラスコ・イバラすら成し遂げなかった連続長期政権を、本当に確立できるかもしれない。

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