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2011年4月21日 (木)

第六回キューバ共産党大会

419日、4日間に亘る第六回キューバ共産党大会が閉幕した。16日の開会式におけるラウル・カストロ第二書記(当時。以下ラウル)提案による政府、党幹部の在任期間制限(最大二期10年)、経済改革案(このブログでも201011月に幾つか紹介した。下記含めhttp://okifumi.cocolog-wbs.com/blog/2010/11/post-2c19.htmlご参照願いたい)の党による正式承認、及び同氏の第一書記昇格(同)については、我が国の新聞も大きく報じていたので、ここでは省く。

政治局員、という党最高指導メンバーは9名減り15名となったが平均年齢は67歳、という。12名が留任だ。第二書記となったマチャード・ベントゥーラ国家評議会第一副議長ら革命世代が多く、「今後を担うべき若手を育てなかった間違いを、今こそ正すべき」、と言うラウル新第一書記の訴えが、何となく空しい。閉会式のみに出席した兄フィデル・カストロ(以下、フィデル)氏の長い現役時代、30台、40台から党や国家の最高指導部に抜擢されたラヘ、アルダナ、ロバイナ各氏らが退場した後、指導部の老化が眼に余る。革命世代の誰が退場し、若手の誰が起用されるか、が注目の的だっただけに、肩すかしを喰った印象を持たれる方も多かろう。

共産党一党支配、という社会主義体制を採る国は、ソ連・東欧圏が消滅して20年以上経過した今日、中国、ベトナム、北朝鮮など極めて少なくなった。国家行政の責任者(首相。キューバの場合は閣僚評議会議長)は、国民代表会議(地域や活動分野ごとにやはり選挙で選ばれる代表者で構成。同、人民権力全国会議)の最高幹部会(同、国家評議会)の指導のもとに置かれるが兼務者が多い。キューバの国家評議会議長は他の国の大統領と同じ性格を持つが、国家最高権力者はあくまでも第一書記(中国の総書記に相当)だ。ラウル氏は、言うなれば党権力の最高位にあって、大統領兼首相、という絶対権力を持ったことになる。それでも、若返りを希求しながらできなかった。20121月に行われる党の会議で、彼が提案した幹部在任期間制限が機関決定される。その際に人事面での何らかの動きがあるか、注目したい。

ところでキューバを見る際には、どうしても米州で唯一、半世紀以上もの長期間、ここと正式な外交関係を持たない米国との問題が避けて通れない。オバマ政権下でキューバ渡航と対キューバ送金に関わる制限が緩和され、文化交流も進んでいる。それでも一般米人のキューバ渡航は禁止されているし、経済交流は米国からの食料輸出に限定され、通常の輸出入も投資も禁止だ。第三国が行う投資にも制裁措置が科せられる。何より、正式な外交関係は断絶したままである。

共産党大会が、キューバに求め続ける民主化と自由化を打ち出せば、一定の改善も期待できただろうが、実は今回の党大会がぶつけられた416日から19日まで、というのは対米敵対を呼び覚ます日程だ。丁度半世紀前、ハバナ県に隣接するマタンサス県の南岸、コチーノス(豚、即ち英語のPigsを意味する)湾ヒロン海岸に上陸した1,500名の亡命キューバ人との戦闘が行われた。彼らはグァテマラでCIAによる軍事訓練を受け、CIAが手配した輸送艦で416日、ニカラグアを出港し、17日未明に上陸、やはりCIAが手配した軍用機でパラシュート部隊も合流する。15日には、国籍を偽装した米国のB26数機がキューバ軍基地を空爆し、国連で大問題となっていた。侵攻部隊は米空軍機の援護も受けていたが、数で大きく勝るキューバ軍の勝利に終わった。ピッグズ湾事件である。キューバでは「ヒロン海岸(Playa de Jirón)の勝利」の名で記憶され、米州の帝国主義に対する最初の戦勝、と性格づけられる。

米軍として直接戦闘に参加していなくとも、米国の関与が明白(キューバ軍が獲得した戦利品の中にB26爆撃機もあり)だったことから、米国にとって恥辱の史実だ。「米国に勝った」革命家、フィデル氏のキューバ指導者としての地位を不動のものとし、今日がある。事件直後の51日、メーデーの集会で、彼は「キューバ革命は社会主義革命なり」を言明した。米国の眼と鼻の先の小国が、米国の最大仮想敵国、ソ連に傾斜を始める第一声だった。米国にとりさらに都合の悪いことに、彼の名声が国際的に高まり、米州各地に民族主義ゲリラが誕生し、或いは活発化した。その殆どが左翼ゲリラで、各国で軍部の発言力が強まり、米国が嫌う非民主的軍事独裁の、いわゆる軍政時代(私のホームページ中の軍政時代とゲリラ戦争参照)を経験する。民主主義の守護を自認する米国には、耐えがたいことだろう。

ラテンアメリカの民主化が成って四半世紀が過ぎた。多くに誕生した左派系、或いは中道左派系の国家最高指導者らは、今なおフィデル氏に親近感を抱く。誤解を恐れずに言うと、全てはピッグズ湾事件で始まった。党大会をわざわざこの日程で開催しなくとも良かろう、との思いは米国側にはあろう。二国間関係改善では逆に、キューバから肘鉄を受けた格好である。

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