オバマ大統領のブラジル・チリ訪問
3月19日、英米仏三ヵ国によるリビア空爆が始まった。早速反応したのが、カダフィ大佐の盟友を自認し、当事者間の対話による解決を訴え、自ら仲介役を申し出て反政府勢力に拒否され顔を潰されたチャベス・ベネズエラ大統領だ。米国とそのヨーロッパの同盟国は戦争の専門家であり、犠牲者が増える、空爆目的はリビア石油の確保であり、リビア国民の平和には無関心、リビア国内紛争を理由とした2千億㌦(彼自身が主張する数字)の資産凍結は正しく強盗行為、と決めつけ、国連が和平委員会組成の努力すらせずに認めたことは無責任で遺憾、とした。同大佐と親しいフィデル・カストロ前キューバ議長は、国連安保理事会自体の存在意義に疑問を投げかける。モラレス・ボリビア、オルテガ・ニカラグア両大統領も、西側諸国は石油確保のため問題をでっち上げる、として、米英仏軍事行動を非難した。エクアドル、ウルグアイ及びパラグアイも非難する。
まさにこの日、米国のオバマ大統領がブラジリアを訪問した。世界第七位の経済大国に成長した興隆期の真っ只中にあり、今や800億バレルの埋蔵量を誇り近く石油輸出国として台頭するブラジルへの訪問自体、経済停滞期の米国の指導者に期する思いは強かった筈だ。米国製品・サービスの一大輸出市場としての魅力もある。ブラジルの経済成長を熱烈に歓迎し、14年のサッカーワールドカップ、16年の五輪に関わるインフラ整備事業、航空機用バイオ燃料の共同開発や技術移転、などブラジル支援に取り組む旨を高らかに謳い上げた。ルセフ大統領も暖かく迎えた。高関税で事実上輸入禁止状態のエタノールや牛肉、航空機などは除外されたようだが、両国間の通商公平化推進に関する協定が取り交わされるなど、経済関係面では一定の成果は得られた。
イラン制裁で独自の動きをしていたルラ前政権期に冷却した対ブラジル関係の修復も、彼のブラジル訪問の目的、とも言われる。だが、リビア問題が影を落としたようだ。ブラジリア滞在中、オバマ大統領はリビア問題で時間の多くを費やしていた。ブラジルはご存じの通り、インドなどと共に国連安保理常任理事国入りを目指す。インドに対しては、2010年11月の同国訪問時、常任理事国入り支持の言質を与えている。今回の彼の訪問は、ブラジルに対しても同様の言質が得られる機会、と考えられていた。しかしこの点に関する彼の発言は、単に「ブラジルの意思は承知している」に留まった。予定されていた両大統領共同記者会見も、質問を受け付けない共同声明発表だけに終わった。タイミングが悪かったのだろう。オバマ訪問直前の国連安保理決議で、ブラジルは、そのインド同様、リビア飛行禁止空域設定決議に棄権していた。
20日、二番目の訪問国、チリに入った。米国大統領が第二回米州サミット(サンティアゴ)以外の機会に同国を訪問するのは、1990年以降では初めて、という。ピニェラ大統領も暖かく迎えた。チリと言えば、CIAによる1973年9月のピノチェト将軍のアジェンデ政権転覆クーデターへの関与が取り沙汰される(私のホームページ中の「ラ米と米国」の東西緊張緩和の時代参照)。訪問を前にして、下院の過半数を押さえる中道左派グループから、アジェンデ、及びフレイ・モンタルバ両元大統領の謎の死、並びに反ピノチェト勢力虐殺への米国の立場に関する質問状が発出されていた。21日、オバマ大統領はピニェラ大統領との共同記者会見で、ピノチェト政権期における人権抑圧についての解明には協力するが、過去20年間のチリの急速な発展には米国の協力があった、と主張し、歴史を学ぶことは必要だが、それに囚われ過ぎず、今日と将来の良好な関係構築に努めたい、としてクーデターへの関与と謝罪については言及を控えた。
一方で、ラテンアメリカ全般が、独裁から、非暴力、人権尊重を基本とする民主主義に移行し、今や興隆期にある巨人となり、人権問題に対しても世界に発信する重い責任を担うようになった上に、米国の繁栄と安全にとり一層重要な地域となった、旨を強調する。ブラジルではなくチリでこれを述べたのは、当然、ピノチェト独裁から米州でも最も安定した民主国家に生まれ変わり、且つ、一人当たりではラテンンアメリカ再富裕国となったことが大きい。当然リビア情勢を念頭に置いたものだろう。対キューバ関係改善も、同国指導者が国民の基本的人権を尊重するようになれば、可能、と訴えた。
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