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2011年3月26日 (土)

「黒い春」事件の服役囚釈放完了-キューバ

キューバの人権問題についてはこのブログでもhttp://okifumi.cocolog-wbs.com/blog/2010/06/post-1cb0.htmlなど何度か採り上げたが、2010711日に始まった黒い春事件服役囚釈放が、323日に漸く終了した。それまでに健康問題を理由に釈放されていた23名を除く52名について、キューバのカトリック教会とスペイン外相の努力で、ラウル・カストロ議長が34ヵ月以内の釈放を約束し、国際ジャーナリズムではその期限を教会の説明をもとに同年10月末、としていた。実際にその期限までに釈放されたのは40名で、全員が家族と共にスペインに亡命した。国内残留を求めていた残る12名の釈放は、11月に健康問題で釈放された1名を除き大幅に遅れ、201123月、一月半を費やして実現した。また黒い春事件以外で74名が釈放され全員がスペインに向かった。こちらの方は、大半が、いわゆる政治犯とは看做し難い。

ともあれ彼らを含めると、釈放数は1998年の法王ヨハン・パウロ二世訪問時に釈放した約100名を上回る。欧州連合(EUのアシュトン外務上級代表(EU外相)も歓迎する、旨の声明を直ちに発した。EUと言えば、キューバ制裁に関わるCommon Position(共通の立場)が、未だに有効だ。対キューバ共通政策判断は、4月の共産党大会を見据えてのことだろう。EU内のキューバ擁護派の筆頭は、カトリック教会と共に、政治犯釈放に取り組んできたスペインだが、この国とて一枚岩ではない。最大野党の人民党は、EUの共通制裁強化さえ訴える。

キューバ国内の反体制運動は、一般的に非暴力を基本とし、民主体制への平和的移行を訴える。これが現下のリビアの反体制派と大きく異なる。また政府も武力制圧は行わない。これが現下の民主化運動に対する長期政権下のアラブ諸国と違う点だ。活動家の逮捕収監は、あくまで「外国、とりわけ米国の意向により、彼らから資金供与を受け」「革命体制を崩壊させる目的で行う」スパイ行為や国民扇動を理由としており、その証拠が無い非合法組織の活動は、事実上黙認している。

国際ジャーナリズムによく登場する「人権と国民和解のキューバ委員会(CCDHRN)」も非合法組織だ。主宰者エリサルド・サンチェス氏に逮捕歴があるかどうか私は知らないが、黒い事件での服役囚釈放完了を率直に歓迎しながらも、政治犯はまだ50人以上残っている、民主活動家に対する人権尊重を強く求める、と公言する。その服役囚の妻たちが結成した「白衣の女たち(Damas de Blanco)」も、「Gusaneras(ウジ虫ども)」呼ばわりされながらも、毎日曜日デモを繰り返してきた。釈放終了を喜びながらも、まだ収監されている75人の政治犯の釈放まで、活動を続けると言う。一方で、52名の釈放を求め135日間のハンストを決行した後保釈中だったファリーニャス元服役囚(黒い春事件とは別)は、この日、再び逮捕、収監された。

米国政府からは特段の声は本日326日現在、聞こえて来ない。オバマ政権は、EUが態度を硬化させたサパタ服役囚の83日に及ぶハンストでの死亡事件(2010年2月23日)を経ても、対キューバ制裁を大きく緩和してきた。寧ろ、200912月以降収監されている米国人のアラン・グロス氏の釈放の方がずっと重要だろう。311日、キューバ法廷が15年の懲役刑を言い渡した。求刑(20年)から数日遅らせての判決だった。罪状は、米国政府によるキューバ体制転覆のための地下情報網整備プロジェクトへの直接関与だ。実際には、キューバ在住ユダヤ人社会にパソコンを配布し、インターネット通信を可能にする請負契約の資金が、USAIDから出ていることを問題視したものだ。

判決から1週間後、米英仏軍がリビアへの軍事行動を開始した。フィデル・カストロ前議長はこれを国内問題に関する欧米の介入であり、内戦助長に繋がり大量の犠牲者を出すもの、と強く非難している。米国人への実刑判決に続くもので、米国世論が毀損されることは想像に難くない。28日、キューバ政府の招きでカーター元大統領が2002年に次いで二度目のキューバ訪問を行うが、カストロ議長に対し人道的特赦を要請するのではないか、との見方が出ている。

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2011年3月23日 (水)

オバマ大統領のエルサルバドル訪問

321日夜、オバマ大統領はチリからエルサルバドルに入った。今回の中南米訪問先に南米第二位の大国、アルゼンチンや、中米最大のグァテマラを選ばなかった理由は、今年が大統領選の年だからだろう。

最大の親米国たる南米のコロンビアは、実は自由貿易協定(FTA)批准が米国の議会で遅れており、サントス大統領も痺れを切らしつつある。中米の親米国コスタリカは、今ニカラグアと領土紛争の最中にある。ホンジュラスはニカラグアがロボ政権の正統性を認めていない。結局、国土面積で中米最小国のエルサルバドルしか考えられない。フネス大統領が、中米代表の形で彼を迎えることになった。中米は、麻薬組織が蔓延り、世界でも最悪の治安情勢にあり、麻薬との戦いに注力する米国と利害を共有する。ここでは、先ず中米の治安回復に向けた2億ドルの支援を表明した。これまで中米に対しては麻薬犯罪対策に2.5億㌦を拠出してきたが、これに上乗せされるものだ。

二国間関係では、280万人にも上る在米エルサルバドル人を念頭にした移民問題が、フネス大統領との首脳会談の一つのテーマとなった。現実に、オバマ大統領が率直に認める通り、米国社会に対する移民の貢献は大きい。一方で移民規制の動きは強まっている。両大統領が一致したのは、国民が米国に移住する必要の無い(国内で雇用が満たされる)経済発展こそ重要、との当たり障り無いものに終わった。

オバマ大統領はブラジルではルセフ大統領との共同記者会見を見合わせたし、エルサルバドルでは滞在期間を半日削り帰国に向かった。予定通りの日程をこなしたチリでもそうだったが、キャメロン英、サルコジ仏両大統領との電話会談を含め、ずっとリビア問題に忙殺されながらの3ヵ国訪問だった。

滞在を削られた側のフネス大統領にとって、しかしオバマ訪問から得たものは大きい。米国には、1980年代の内戦当事者たる左翼ゲリラだったファラブンド・マルティ国民解放戦線(FMLN)に対し、拭い難い不信感がある。

197910月、若手将校団が蜂起し、ロメロ大佐を大統領の座から追放した。成立させた革命評議会政府は、人権活動の保証、富の再分配などを政策に掲げ、銀行や一部産業の国有化、及び農地改革を志向した。明らかに3ヵ月前のニカラグア革命を意識したものだ。8012月、その革命評議会政府の首班になったのが、米国亡命から帰国したばかりのナポレオン・ドゥアルテ元サンサルバドル市長(1925-90)だ。72年大統領選で当選しながら、軍部の介入で対抗馬のモリナ大佐が大統領となり、彼は国外追放された。同大佐を継いだのがロメロ大佐で、人権抑圧と貧困問題の解決に向け奔走していたロメロ大司教(大佐とは別)は、かかる状況を強く非難し、国民抵抗運動の象徴的存在となる。そして、革命評議会成立後の803月、ミサ中に右翼による狙撃を受け、死去する。

彼の政権(評議会議長、立憲大統領合わせて1980-89)には、レーガン政権期の米国が積極的な後押しを行った。FMLN198010月に結成され、翌年早々、ゲリラ活動に入った。これにはキューバがニカラグア経由で関与している、との米国国務省による有名な「ニカラグア白書」が間髪を入れず、出されている。ともあれ、内戦は彼の政権が終わっても91年まで続いた。米国が忌避したいのも無理はない。しかも2009年に初めて政権を取ったら、キューバと国交を回復した。

だが対米政策面では歴代の右派政権同様、親米路線を継続した。ホンジュラスのロボ政権を、米国に合わせ直ちに承認した。国内政策も穏健であり、通貨も米㌦のままだ。国民支持率は中米の政権の中では最も高い。FMLNの政権に対する米国の懸念は、相当に和らいだ筈だ。オバマ大統領の滞在はリビア問題に忙殺されたため短かったが、それでも故ロメロ大司教が安置されている首都大聖堂を訪れている。

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2011年3月22日 (火)

オバマ大統領のブラジル・チリ訪問

3月19日、英米仏三ヵ国によるリビア空爆が始まった。早速反応したのが、カダフィ大佐の盟友を自認し、当事者間の対話による解決を訴え、自ら仲介役を申し出て反政府勢力に拒否され顔を潰されたチャベス・ベネズエラ大統領だ。米国とそのヨーロッパの同盟国は戦争の専門家であり、犠牲者が増える、空爆目的はリビア石油の確保であり、リビア国民の平和には無関心、リビア国内紛争を理由とした2千億㌦(彼自身が主張する数字)の資産凍結は正しく強盗行為、と決めつけ、国連が和平委員会組成の努力すらせずに認めたことは無責任で遺憾、とした。同大佐と親しいフィデル・カストロ前キューバ議長は、国連安保理事会自体の存在意義に疑問を投げかける。モラレス・ボリビア、オルテガ・ニカラグア両大統領も、西側諸国は石油確保のため問題をでっち上げる、として、米英仏軍事行動を非難した。エクアドル、ウルグアイ及びパラグアイも非難する。

まさにこの日、米国のオバマ大統領がブラジリアを訪問した。世界第七位の経済大国に成長した興隆期の真っ只中にあり、今や800億バレルの埋蔵量を誇り近く石油輸出国として台頭するブラジルへの訪問自体、経済停滞期の米国の指導者に期する思いは強かった筈だ。米国製品・サービスの一大輸出市場としての魅力もある。ブラジルの経済成長を熱烈に歓迎し、14年のサッカーワールドカップ、16年の五輪に関わるインフラ整備事業、航空機用バイオ燃料の共同開発や技術移転、などブラジル支援に取り組む旨を高らかに謳い上げた。ルセフ大統領も暖かく迎えた。高関税で事実上輸入禁止状態のエタノールや牛肉、航空機などは除外されたようだが、両国間の通商公平化推進に関する協定が取り交わされるなど、経済関係面では一定の成果は得られた。

イラン制裁で独自の動きをしていたルラ前政権期に冷却した対ブラジル関係の修復も、彼のブラジル訪問の目的、とも言われる。だが、リビア問題が影を落としたようだ。ブラジリア滞在中、オバマ大統領はリビア問題で時間の多くを費やしていた。ブラジルはご存じの通り、インドなどと共に国連安保理常任理事国入りを目指す。インドに対しては、2010年11月の同国訪問時、常任理事国入り支持の言質を与えている。今回の彼の訪問は、ブラジルに対しても同様の言質が得られる機会、と考えられていた。しかしこの点に関する彼の発言は、単に「ブラジルの意思は承知している」に留まった。予定されていた両大統領共同記者会見も、質問を受け付けない共同声明発表だけに終わった。タイミングが悪かったのだろう。オバマ訪問直前の国連安保理決議で、ブラジルは、そのインド同様、リビア飛行禁止空域設定決議に棄権していた。

20日、二番目の訪問国、チリに入った。米国大統領が第二回米州サミット(サンティアゴ)以外の機会に同国を訪問するのは、1990年以降では初めて、という。ピニェラ大統領も暖かく迎えた。チリと言えば、CIAによる1973年9月のピノチェト将軍のアジェンデ政権転覆クーデターへの関与が取り沙汰される(私のホームページ中の「ラ米と米国」の東西緊張緩和の時代参照)。訪問を前にして、下院の過半数を押さえる中道左派グループから、アジェンデ、及びフレイ・モンタルバ両元大統領の謎の死、並びに反ピノチェト勢力虐殺への米国の立場に関する質問状が発出されていた。21日、オバマ大統領はピニェラ大統領との共同記者会見で、ピノチェト政権期における人権抑圧についての解明には協力するが、過去20年間のチリの急速な発展には米国の協力があった、と主張し、歴史を学ぶことは必要だが、それに囚われ過ぎず、今日と将来の良好な関係構築に努めたい、としてクーデターへの関与と謝罪については言及を控えた。

一方で、ラテンアメリカ全般が、独裁から、非暴力、人権尊重を基本とする民主主義に移行し、今や興隆期にある巨人となり、人権問題に対しても世界に発信する重い責任を担うようになった上に、米国の繁栄と安全にとり一層重要な地域となった、旨を強調する。ブラジルではなくチリでこれを述べたのは、当然、ピノチェト独裁から米州でも最も安定した民主国家に生まれ変わり、且つ、一人当たりではラテンンアメリカ再富裕国となったことが大きい。当然リビア情勢を念頭に置いたものだろう。対キューバ関係改善も、同国指導者が国民の基本的人権を尊重するようになれば、可能、と訴えた。

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2011年3月14日 (月)

キルチネル後任決定-UNASUR

311日、我が国でどんな専門家でも想定外の巨大地震が起き、津波で多くの被害を出し、あまつさえ福島の原発事故で揺れ動いた日に、キトでは南米諸国連合(UNASUR)外相会議が開催された。201011月にウルグアイ議会が085月の憲法条約を批准したことで「正式に発足」したUNASURの、最初のハイレベル会議で、これを以て「法的に発足」したことになる。その当日、故キルチネル事務総長の後任としてマリア・メヒーア元コロンビア外相(57歳)が、決まった。4月開催予定の首脳会議での承認を待つのみだ。会議の途中に、コレア大統領から日本への哀悼の言葉が発せられている。

キトには本部たる事務総局が置かれる。外相らはコレア大統領共々、その竣工式に立ち会った。なお、事務総局の名前にキルチネルの名前を冠することになっている。彼は、各国首脳らと連絡を取り合い、必要に応じ会合を持ち、懸案事項の解決を図っては来たが、活動拠点は自国のブエノスアイレスだった。メヒーア次期総長在任中に、事務局は完成するだろうか。未完成でもキトに常駐するのだろうか。それとも前任者同様、自国を活動拠点にするのだろうか。

事務総長は、実質的に欧州連合(EU)の委員長に相当し、対外的にはUNASURを代表する。サントス・コロンビア大統領は、「つい最近まで自国がUNASUR「醜いあひるの子」(除け者)だったのに、今やその代表だ」と手放しで歓迎し、ウリベ前政権と緊張関係にあったチャベス・ベネズエラ大統領も、「我が友人、サンペール元大統領(在任1998-2002)の政権下で外相を務めた人であり、歓迎する」と述べている。

UNASUR事務総長は、アンデス共同体(CAN)事務総長、及びメルコスル委員長と同様、任期2年で連続再選一回が認められるが、欧州委員長の5年、一度だけの連続再選が可、に比べ、権限度合いは低そうだ。未だ出来上がっていない事務総局ではあるが、陣容面でも、2万人以上もいる欧州委員会には、比べるべくもあるまい。コチャバンバ(ボリビア)に建設中の議会にしても、議員構成なども未だ決まっていない、発展途上段階にある。司法裁判所に至っては常設機関としての予定も無い(以上、私のホームページ内のラ米の地域統合参照)。それでも、キルチネル就任の時、1110月に予定されている大統領選への出馬を断念したのか、と、本ブログで余計な心配もしたものだ(http://okifumi.cocolog-wbs.com/blog/2010/05/unasur-6227.htmlメヒーア新総長はキルチネル任期残を務め、その後ロドリゲス現ベネズエラ・エネルギー相(前財務相、元外相)に交代することも決まった。彼は就任時75歳だが、チャベス大統領には心強い限りだろう。

ところで、その司法裁判所だが、最近チャベス大統領がUNASURには国際司法裁判所が必要だ、と言い始めている。彼は、最近のリビア情勢に関してカダフィ政権と反政府勢力との和平仲介を申し出た。前者は賛同したが、後者が拒否し、挫折した。顔を潰された格好だが、その後、欧州の一部と米国がリビア侵攻を企てている、と騒ぎ出した。また、ベネズエラ国内でも反チャベス派に軍を分断し内戦に持ち込む動きがあり、その背後に米国がある、と断言している。いずれも否定しているが、ともかく、米国の内政干渉と軍事侵攻を止めさせるには、国際司法裁判所が必要、それをUNASURが引き受けるべきだ、という。4月にはUNASUR首脳会議が予定されている。そこでもこんな主張を繰り返すのだろうか。

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