ラテンアメリカとアラブ民主化(2)
リビアの反対勢力は、首都トリポリのカダフィ政権とは別に、近く暫定政府を樹立するようだ。1月のいわゆる「チュニジア革命」は23年間もの長期政権を担ったベンアリ前大統領こそ追放したが、政府機構は変わらず、如何に改革的な政策を進めようと国民の不満は解消せず、国情が不安定な中、首相が政権を放棄した。一方、エジプトでは軍部が政権を預かり、憲法改正、選挙へのロードマップを策定しており、国情は平穏だ。歴史的にラテンアメリカでも政権が行き詰り大衆抗議活動で国情が騒然とすると、先ず軍部がクーデターで政権を掌握し、国情安定を見て、半年なりの時間を掛けて民政再移管を行う事例が多く見られる。
独裁者追放後の政治理念も無く不満をぶつける大衆行動は危うい。これを自覚しての行動であろう。私のホームページ中の「ラ米の革命」のニカラグア革命をご一読願いたいが、流れが良く似ている。1979年6月18日、コスタリカでニカラグア反ソモサ暫定政府が発足したが、ソモサ家の面々がマイアミに出国したのは翌7月17日だった。その暫定政府は右派から左派まで幅広い5つの勢力の代表者で構成され、サンディニスタ軍という軍事力を支配下に置くFSLN代表のオルテガ現大統領が首班を務めた。その彼が、2月26日段階で、ラテンアメリカ首脳の中では珍しく、カダフィ政権への連帯を表明している。
反政府運動が軍の一部を引き込み、市民に武器を持たせ、政府軍との戦闘に突入した形は1952年のボリビア革命に似ている(同、ボリビア革命参照)が、前年に行われた大統領選挙の勝者(追放されていた)、パス・エステンソロを呼び戻すことで、正統性のある政府が直ちに樹立できた点が大きく異なる。モラレス大統領のリビア情勢に関する言動がメディア上聞こえて来ないが、ガソリン代高騰によるトラック組合のストや公共運賃の値上げによる抗議行動を受けての政権支持率の大幅下落に加え、大洪水被害で、それどころではないのかも知れない。
2月21日に英国外相が、リビアのカダフィ大佐はベネズエラに亡命したようだ、と述べたことを外電が伝えた。誤報だったが、ベネズエラと名指しされたことを、チャベス大統領はどう取っただろうか。彼がカダフィ大佐との個人的関係が深いことは周知の事実で、彼が最も尊敬する南米の解放者、ボリーバルが愛用した剣の複製を贈呈したことも知られる。今の時点では外国による武力介入には反対する、位に留める対応だが、それでもカダフィ政権側への明確な非難はしない。ベネズエラの反チャベス派は、ボリーバルの剣の複製贈呈は許し難い、反対派敵視と武力弾圧を掲げる政権を非難しないのは問題、と攻撃する。ベネズエラ政府としては、カダフィ政府と反対派との対話こそ重要であり、国際社会がカダフィ政府を一方的に非難することに反対、との立場だ。
アラブ世界の民主運動に関して、チャベス大統領は民衆の反逆、と位置付け、ラテンアメリカでは何度も経験している、と語る。自国では、2002年12月の反チャベスゼネストの際によく準えられた1958年の民主化運動ではなく、1989年、当時のペレス政権のガソリン及び公共交通機関の値上げに対する大規模な抗議デモが暴徒化し、治安部隊による鎮圧で数百人の犠牲者を出した、いわゆる「カラカソ」を例示する。彼はデモ隊への共感が強く、この3年後、クーデター事件を起こし、逮捕され、服役した。今なお「カラカソ」への思い入れが強い所以だ。だが、選挙で選ばれた政権の政策に対する抗議行動を民主化運動に準えるのは、聊か乱暴ではなかろうか。
寧ろ、1969年、アルゼンチンの第一次軍政期(1966-73)の1969年、アンデス東麓の都市、コルドバで起きた反軍政デモが比べ安い。「コルドバソ」という暴動を経て、2年後大規模ゼネストに発展、最終的に民政移管を勝ち取った。