キューバとエルサルバドル
12月5日、キューバのロドリゲス外相が、出席したイベロアメリカサミット開催地のマルデルプラタからエルサルバドルに入り、7日まで滞在、フネス大統領との会談や議会での演説などをこなした。これに合わせたように、キューバでは二人のエルサルバドル人死刑囚に対し、懲役刑への減刑が行われている。彼らは1997年、イタリア人旅行客1名の死亡と11名の負傷者を出したホテル及びレストランへの爆弾攻撃で死刑判決を受けていた。外相は人道的措置、との見解を表明、マルティネス・エルサルバドル外相もこの措置を歓迎することで応じた。
ご存じの通り、エルサルバドルはキューバとの外交関係の復活が最も遅かった国である。1931年12月、クーデターで政権を成立させた軍人のエルナンデス独裁(~44年5月)以降、軍人による政権が続いた。1959年1月のキューバ革命成立時も軍人政権だった。翌60年10月、民族主義傾向の強い将校団が軍内クーデターを起こしたが、61年1月、リベラ中佐による逆クーデターで潰えた。同年3月の対キューバ断交は、そのリベラ政権(~67年7月)による。米国(61年1月)に続く、米州では6番目の国となる。
ラテンアメリカでこれ以前に断交に踏み切っていたのは、まだトルヒーヨ独裁のドミニカ共和国(59年6月)、キューバ侵攻作戦を進める亡命キューバ人への軍事訓練基地を提供したイディゴラス軍政下のグァテマラ(60年4月)、同様、侵攻作戦に協力したソモサ独裁のニカラグア(60年6月)、及びウーゴ・ブランコ指導の農民闘争に苦しんでいたプラド第二次政権下のペルー(60年10月)の4ヵ国である。米国に続き、ラテンアメリカ諸国が次々に対キューバ断交に走る契機ともなった。
グァテマラのコロム大統領は、2009年2月、就任後1年2ヵ月経ってキューバを初めて訪問、その際にピッグズ湾事件(1961年4月)に繋がった上記基地提供につき謝罪した。これまでのグァテマラ政権に対する断罪だろうか。帰国後、キューバへの謝罪がグァテマラ国民の総意ではない、として厳しい非難を受けている。ニカラグアのオルテガ大統領は、1979年7月の革命を主導したFSLN(サンディニスタ民族解放戦線)のリーダーで、革命家でもある。個人的にカストロ兄弟と親しい。
エルサルバドルと言えば、1981年2月の、当時の米国国務省による「エルサルバドル白書」を思い出す。私の理解に間違いなければ、フネス大統領のFMLN(ファラブンド・マルティ解放戦線)は、80年5月、国民抵抗軍(FARN)などの主要ゲリラの指導者がハバナに集合して事実上の結成をみた組織だ。FARNと言えば、78年5月、日本企業幹部誘拐で我が国でも知られるようになった。この白書は、81年早々に本格的ゲリラ活動に入ったFMLNをキューバがニカラグア経由で後援している、と、に明記、キューバにとってはカーター政権(1977-81)時代の雪解けムードからレーガン政権(1981-89年)の制裁強化へ移行する原因の一つとなったものだ。
FMLNが合法政党になったのは1992年12月で、総選挙に初めて参加したのは94年3月だから、まだ新しい。ラテンアメリカ諸国は右派政権だろうが大半の国々でキューバとの国交を持っていた。断交政策を続けていたグァテマラも、98年1月の法王ヨハネ・パウロ二世のキューバ訪問が切っ掛けとなり、翌2月、復交に踏み切った。ドミニカ共和国(同年4月)も続いた。結局米州内ではエルサルバドルだけが米国と共に、キューバとの断交を継続する国として残った。法王の意向がどうあれ、頑なに我が道を貫いたのは、1989年から政権を守り通した右派のARENA(国民共和同盟)の政治思想によるものであれば、2009年6月、フネスFMLN政権が発足し、直ちに、対キューバ復交を実現したのは自然の成り行き、と納得してしまう。
ロドリゲス外相は議会での演説で、キューバとエルサルバドルは長い国交断絶はあったものの、ずっと強い絆で結ばれてきた、と述べた。カリブ海に面していない唯一の中米国だ。FMLNを通じて、と言う意味に捉えるのが常識だろう。だが、ARENAを敵視する如何なる言動も行っていない。イベロアメリカサミットでは、1991年から2005年まで、ほぼ毎年、歴代のARENAの大統領がフィデル・カストロ議長(当時)と同席している。だが、米㌦を国内通貨とするエルサルバドルとしては、経済依存関係からみると圧倒的に大きい米国とぎくしゃくしてまでキューバとの関係改善を進めるメリットは無い。やはり対キューバ関係には慎重に行かざるを得ない面もある。
2010年10月4日、フネス大統領が初めてキューバを訪問した。FMLN政権発足後、1年4ヵ月経っていた。この際にラウル・カストロ議長を自国に招待した。ロドリゲス外相は今般のフネス大統領との会談時に、議長メッセージとしてエルサルバドル訪問を実現したい旨を伝えた。医療、教育、文化面での両国間交流は活発だ。エルサルバドルがイベロアメリカサミットを主催したのは2008年のことで、彼は、2006年以降の他の全ての同サミット同様、欠席している。気にしているのだろう。実現すれば、キューバ革命後は勿論、史上初めてのキューバ首脳のエルサルバドル訪問ではなかろうか。
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コメント
中南米の独裁国家や全体主義国家の比率はおおよそどのくらいの比率と考えれば良いのでしょうか?現在と昔の感じがわかるとありがたいです。背景は北米がその道を歩まなかったのに対して、何故中南米はそういった道を歩んだのか、という事を知りたい考えたいと考えたからです。その答えとかヒントなりご自分のお考えを教えていただけると更にありがたいです。よろしくお願いします。
投稿: 長澤 | 2010年12月10日 (金) 22時40分
共産党一党支配のキューバを除き、中南米諸国に独裁国家は有りません。指導者に強権的言動が目立つベネズエラにしても代表制民主主義国であり、指導者が自らのイデオロギーを社会主義と標榜するボリビア、政権党がもともと左翼ゲリラだったニカラグア、エルサルバドル、及びウルグアイにしても同様です。ただ、1930年代に多くの国で独裁者が出て、これが終わると暫くして軍事政権支配が行われたのも事実ですから、中南米といえば全体主義国家群をイメージされる方は少なくなく、それを払拭すべく努力して参ります。コメントを有難うございました。
投稿: 管理者 | 2010年12月11日 (土) 09時38分